<表現者シンポジウム> 保護主義の大切さを知れ 国家論の再建(第二週)

表現者シンポジウム>
保護主義の大切さを知れ 国家論の再建(第二週)

▷パネリスト
西部邁 評論家 「表現者」顧問
【西部 近著】『中江兆民 百年の誤解』(時事通信社


藤井聡 京都大学大学院教授 内閣官房参与 レジリエンス研究ユニット長
【藤井 近著】『大衆社会の処方箋 - 実学としての社会科学』(藤井聡、羽鳥剛史 共著、北樹出版

▷進行役
富岡幸一郎 文芸評論家「表現者」編集長 関東学院大教授 鎌倉文学館館長
【富岡 近著】『稀代のジャーナリスト、徳富蘇峰』(編集 杉原志啓・富岡幸一郎

【ニコ動】
西部邁ゼミナール>保護主義の大切さを知れ 国家論の再建2 2014.02.08


このグローバル時代ですね、最近、私はビックリしたのですが、TVを観ておりましたら『グローバル人材』というのをわりかしききました。

もっと驚いたのは、『イノベーティブ人材』という言葉が出てきました。イノベーション(Innovation)ですよね。日本の企業のかなり上の方ですけども、「これからはイノベーティブ人材を目指して英語を勉強しましょう。」と、高校生に向けて講演をしているシーンをTVで観ました。

ケインズジョン・メイナード・ケインズ)が、1933年にですね、『国家的自給』という論文を書きまして、やはり、これからは経済的な国際主義の行き過ぎ、つまり「グローバル経済・市場自由主義の行き過ぎが、非常に大きな問題を起こしているので、やはりそれぞれの国や地域で規制や保護をしていかなければならないのではないのか?」ということを【国家的自給】という画期的な論文を書いたわけであります。

33年はついでに言いますと、ナチスヒトラーが首相になりました。『国家主義』あるいは『ブロック経済』というものが出てくる時代であります。もちろん、『ナチズム』や『ファシズム』の大きな先ほど先生がお話にありました(※この後に登場する藤井の話の中)『全体主義』の問題点というのも、同時に浮かび上がってきたわけでありまして、まぁそういう意味では、この『1930年代』の状況と、スケールは違うけれども、もう一度、【保護主義】というものをしっかり考える時期に来ているのではないか。

今日、もう一度、この「自由主義」「自由貿易」に対して、この『保護主義』というのを真剣にやはり日本は考えていかなければいけない、明らかにそういう時期に突入している。

▷藤井聡(※藤井先生の「関西弁」での語りの部分は、標準語で文字起こしさせていただきます。どうぞご了承くださいw)
多くの日本人も、世界の人々も、先進国に人たちは「この日常がふつう」であって、で、第二次世界大戦の時に、ジェノサイド、ホロコーストがあったり、原爆が落ちたり(※原爆を落とされたり)、あれに比べて(今は)ものすごく平和で危機などあまりないと。当時はすごい危機だったけど、あれはさながら「映画の世界」あるいは「夢の世界」のような話で、今は自分たちと違って、自分たちは平和だなぁ、よかったなぁ、みたいな感じで(現代人は)生きていると思うのですけども、それは、確かに《表面的》にはそう見えるのかもしれないですけども、(その表面上の)薄い皮をペリッと一枚剥がすと、『ほとんど(あの時代と)同じことが今、起こりつつある、或いは、起こっている』と、現在進行形で言ってもいいような状況にあるんだ、ということを改めて認識をいたしました。

ハンナ・アーレント】の『全体主義の期限』の中に、つまびらかに論じられているのは、『社会が壊れて大衆が出現し、全体主義が出現すると必ず起こるものが二つある』と書かれています。(その二つは)【プロパガンダ】(※イデオロギーを刷り込むためのプロパガンダ)、そしてそのプロパガンダを完遂するための【テロル Terror】であります。

テロルが起こっているということを、いまいち多くの国民は気付いていないのではないか?と思うんですが、僕はハッキリ言いますが、《テロルは起こっています!》 『ダーウィンの悪夢(※注1)』とか、あるいは『美味しいコーヒーの飲み方』(※注2)という映画があって、それは資本主義が急速に進むことによって、発展途上国でどれだけの人間がさながらジェノサイドのように(搾取と貧困で)殺されまくっているのかということが描かれているわけですね。

我々の見えない所。だから、手口が上手になったので、自分の手を返り血を浴びないように、自分の手を汚さないようにしているだけで、実はもう(テロルが)起こっていると。

日本国内ですら『格差の問題』とか『シャッター街の問題』と呼ばれたりとか、あるいは『非正規雇用の増大』と呼ばれたりとか、あるいは『デフレの放置』となったりとか、そういうことになっているんだと思います。

(※注1:東アフリカビクトリア湖に繁殖した巨大魚ナイルパーチを通して、タンザニアからヨーロッパ・日本への加工品輸出を軸に、1日1ドル以下で生活する具体例を通して、《グローバル経済の引き起こす現実》を描きだしたドキュメンタリー映画。、2004年に公開、フーベルト・ザウパー監督。)

(※注2:正確には『美味しいコーヒーの真実』、エチオピアでのコーヒー生産農家の地位向上のために活動するタデッセ・メスケラ(活動家)に焦点を当て、世界経済・貿易の不均衡と搾取の実態をレポートしたもの。2005年にイギリスのテレビドキュメンタリーで制作された同名の作品を、アメリカ合衆国と共同でリメイク映画化した作品である。2006年公開のドキュメンタリー映画)

これは確かに、「全体主義の見取り図」というのは、非常にシンプルに申し上げていて、本当はハンナ・アーレントがやったように、いま言ったような話は、本で書けば、千数百ページに渡るほどのボリュームで述べないと、事細かには伝えられないのですが、あっさり言うとそういうことがあって、一言だけ申し上げたいのは、いずれにしてもこの現状において、テロルはもう既に起こっているという点から考えると、我々が直面している危機というのは、とんでもないものなんだと、ちょっと考えなければならないのではないかなぁと。

アーレント、いま映画にもなって、ずいぶん話題になっていますが、まぁ【全体主義】という場合の全体主義は、ナチズムとか、スターリニズムとかいうだけではなくて、いま藤井先生が仰ったうような、『今のこの世界、日本の中に瀰漫しているグローバリズムそのもの』そういうところに吸い付けられていく、そういう構造だと思います。

『歴史は繰り返す』と言われますが、また別な形でそういう状況がいま失態していると、そういうかんじが致しますけども。

先ほど、富岡さんが紹介してくれた『イノベーティブ人材』というね。僕も聞いたことあるの、ビジネスマンからね。

人間はメソポタミアの昔から、イノベーションをやってきたことは確かですよ、ずーっと江戸時代にもあった、室町時代にもあったんでしょう。人間というのは、絶えず新しいものを創る、それが人間だけども、同時に、人間は自分が何者であるかという「自己意識」がありますので、自分たちがつくり続けてきた、この新しいもの、新しいものは、『果たして本当に意義があったことなのか、どうなのか?』というある種のReflection、Self-Reflection、自己証左する、自己反省でもいいんですけどもね。Innovationのプロセスに対する『自己批評』というものがあってはじめて、【文明】とか【文化】の名に値するわけですよ。そういうSelf-
Reflecteを何一つしないまま、「新しければオモロイ」とか「軽い」とか「分かりやすい」とかね、その程度のことで大の大人が群れをなして、右から左までお手手を繋いで「それで収益が上がった」「株が上がった」だの騒いでいることが、ほとんど【enfant terrible】(※『恐るべき幼稚』)ですよ。(横で水島、藤井、富岡揃って失笑)

僕ね、オルテガ(ホセ・オルテガ・イ・ガセト)って人が大好きなのは、非常に大胆な人で僕が言いたくて、言いたくてたまらなったことが、活字で出てきたの。30の頃、初めて読んだ時に。

『馬鹿は死んでも治らない!』って書いてあるんですね。(会場爆笑)

(※「馬鹿」繋がりで、ゲーテはちなみに「活動的なバカより恐ろしいものはない」でしたっけ?笑)

そろそろ私たちは、誰かがね、自分たちは東大を出ようが、書物を百冊書こうが、演説千回やろうがね、馬鹿は馬鹿なんだ!ということを、そろそろ誰かが言ってやらないとね。

▷藤井聡
ちょうど今日、手に入った、刷り上がった本で、『大衆社会の処方箋』(藤井聡、羽鳥剛史 共著、北樹出版)という、この【大衆】というのは、先ほどの西部先生のお話で定義しますと【馬鹿】ってことですから、この「処方箋」というのは「薬」についてのことですから、【馬鹿につける薬】というタイトルの本なんですけども(一同大爆笑)、冒頭部分に書いてあるのは、『馬鹿につける薬は無い』という書き出しから、そんなものは無いのだけど(笑)「馬鹿になりきる前だったら、こんな薬とか飲んだら、ちょっと馬鹿になる速度が遅くなるかなぁ」とか。

処方箋として、【独立確保】というのが大事じゃないかなぁというのを書いています。

20世紀前半に活躍していたギルバート・チェスタトン(ギルバート・キース・チェスタトン)という人が面白いことを言っていて、これは名セリフなんで知っている人も多いのですけども、

『狂人(Crazy Person)とは、理性を失った人のことではない。理性以外の全てを失った人のことである。』という名セリフがある。

例えば「政治」で言えばね、『民主主義』という言葉がある。これ、皆さんね、僕の記憶する限り、つい数年前ね、民主党というものが、世論の支持率でいうと政権発足当時80%の支持率でもって、民主党政権は成り立ったんです。日本人が「選挙」でつくった政権ですよ。

その何年か前で言えばね、民主党がその当時批判したのは「小泉改革の間違え」というやつですよ。僕も小泉改革は間違っていると思っていましたから、それはその限りではいいのだけども、小泉政権も、あの時の世論の支持率は80%ですよ。『国民がつくったのは小泉改革』なんだよね。

その小泉純一郎なる人物がね、引退宣言したあと、よほどやはり寂しいんでしょう。『原発反対』ね。なにを言うのかな?僕は原発反対の是非を言っているんじゃないの。「核のゴミの捨て場所、廃棄場が無いから反対だ」と(小泉純一郎が)言っているわけですよ。

さて皆さん、ちょっと変だと思いません?そういうことを言うなら、皆さん「石油」とかね、「石炭」もそうですけども、あれを燃やすと、火力発電をやると炭酸ガスが出るんでしょう。炭酸ガスの捨て場所あるんですか?無いんでしょう?それでもって、二酸化炭素がどうのとか、オゾンがどうとか、地球温暖化がどうの、僕はそれを信じているわけでもない。そんな単純な「ゴミの捨て場所が無いから反対!」それで大人気を博すのなら、『炭酸ガスの捨て場所が無いから火力発電はダメ!』という意見がどこからも出てこない。【理性】というのはそういうことなの。原発というより、この場合は「核エネルギーの問題に限定した理性」ね。非常に極限された理性。それ以外の全てを、少なくとも「この瞬間」を失った人が日本列島に一億何千万人いるわけですよ。それで「賛成!万歳!」とこうやっている(※手を上げるジェスチャー)ね。

まぁ、また数年変われば、小泉政権民主党政権に変わったように、民主党政権安倍政権に変わったように、またくるくる(政権が世論のその瞬間の気分でもって)変わるんでしょう。この「変わり」をもたらしたのは、安倍さんがわるいわけでも、菅直人が悪いわけでもなくく、【日本国民が選んだ】のですよ。

『極限された理性以外の全てのもの』もっと言えば、『【常識】というものを失った人々』これがね、チェスタトンは『狂人』と言ったけど、僕は壇上で【馬鹿】と言っただけであって、誤解無きよう、くれぐれもよろしくお願いします。

『大衆社会』と言いましょうか、これはまぁ、それこそオルテガじゃないですけども、20世紀初頭からずっと始まってきているわけで、それが本当にもう我々の全身を浸している。

よく皆さんに、私たちに「絶望が足りない」という言い方をすると、それこそ(こちらの)先生で言う『馬鹿』が、『絶望は愚か者の結論だから』と(西部を見て笑う)、本当に『絶望的な状況』というのは、ちゃんと認識すべきだということを言っているんですけどもね、【トーマス・マン】(パウルトーマス・マン、ドイツ人小説家)の話を先ほどしました。いちばんその中で影響というか、面白かったのは、『ヴェニスに死す』(1912年)という小説だったんです。

これは本当に立派なヨーロッパ的な知性を持った小説家の大家がベニスに尋ねていって、ギリシャの完璧な美少年というものに惚れてしまうわけです。それで追いかけ回すわけですね、ストーカーして、追いかけ回す。自分もなんか次第に髪を染め、それから化粧までするわけですよ。派手なジャケットを着て、若作りをしてストーカーをはじめる。で、追いかけ回した挙句が、結局途中でコレラが流行って、苺を食べてコレラで倒れてしまう。で、死んでしまうわけです。これ実は【ヨーロッパの文明のこと】を言っているわけですね。丁度、第一次世界大戦第二次世界大戦の間なんですね、この小説は。

『私たちは飛ぶことはできない。ただ、彷徨うだけだ。』という言葉で、例えば、海に船が一艘ある。東へ行こうが西へ行こうが北に行こうが、海は海なんですよ、どこへ行こうが。いろんな価値を見出して、ジパングがあるだろうと行くこともあるし、アフリカで征服しよう、アメリカでインディアンやっつけて獲っちまおうとか、いろんな形でヨーロッパは(海の四方八方に)行きました。でも、海の上を、東へ行ったか北へ行ったか南だろうが、所詮、同じワクワクはしてたかも分からないけども、その平板な価値観の中でやっていた。本当に大事なのは「飛ぶこと」か「海の中に沈む」か、この『軸』の問題なんですね、私から言うと。

「政治」に戻るのですけども、私がやっているのは、簡単に言ってしまうと、そういう(※ジェスチャーで指を上下を動かしながら)これ(今までの話の中の『軸』の部分)を思い出すのが、【日本(日本人を)を取り戻す問題】だと思っているんです。

藤井さん(藤井聡)の「日本強靭化」(※国土強靭化)というのが何が素敵か?私はいろんな具体的な案とか素晴らしいと思います。本質は、【時間】だと思っているんです。本当の意味での人間の『縦軸の問題』です。ただ、東西南北、船を漕いでどこへ行くかという問題じゃなくて、(上へ)飛ぶか、(下へ)沈むか、この『縦軸』、先祖と子孫、こういうものを意識した哲学のある政策なんですよ。

▷藤井聡
強靭化論のもっとも本質は何か?というものがあったときに、答えとしてポンッと申し上げられる可能性のあるものの一つとして、【伝統】ということだと思うんですね。

自分に子供がいたり、子孫がいたり、あるいは、この村のことが好きだったり、街が好きだったりすると、幾ばくかなりとも、自分が死んだ後のことも想像しないわけではない。しかも、地震なるものが30年以内に来る確率が70%だけども、来ない格率も30%あって、(地震が)40年後に来てしまうかもしれない。となると、自分が死んだ後でも強靭化しといてあげなけねばならないなぁ、ということで、今までのずっと蓄積されてきた【伝統】なるものに、自分自身のこの改良というか、改善というか、自分の爪痕というか、そういうものを残さざるを得ない、或いは、残したいという風に思わざるを得ないと思うんですね。あの、子供のことを全く好きでも嫌いでも無ければ、地域の愛着全く無ければ、そういうことをしないと思いますけども、幾ばくでもそういう意識が、地域とか子孫に対するコミットメントがあれば、すると思うのですよ。

従って、危機を乗り越えよう、という具体的な伝統意識がゼロであっても、危機を乗り越えようという意識さえあれば、伝統を見直し、そしてちゃんと引き継いだものを改善して次世代に渡す【伝統活動】を自動的にやってしまうと思うのです。

『国土強靭化をやることが伝統を復権させることである』ということを申し上げたわけでありますが、逆の言い方も当然ながらできて、『伝統というものがものすごいシッカリしていれば、強靭化なんて一瞬で終わってしまう』というところがありますから、《強靭化という実践と、伝統を活性化していくというスパイラルをアップさせていくというのが、僕にとっての強靭化論》というものであって、それが当然ながら時間軸で過去から未来へと引き継いでいくものになるだろうと。

いま申し上げたような『時間の紡ぎ方』ということこそが、動物あらざる精神の生命だという確信が僕の中にはあるので、『強靭化論』というのは【生の哲学】そのものであって、「生きる」ということは、そういうことなんだという感じがココ(※心臓部)にあって、独立確保しながら今、お仕事をしているということでございます。

(※藤井の大熱弁に会場から大拍手!)

ありがとうございました。非常に納得できました。

我々この、『表現者』という雑誌は、そういう意味でまさに【保守】という一つの立場に立っています。いま、藤井先生が仰ったのが、まさに【保守の立場】であると。

昔、こんなことを考えたのですよね。ニーチェ(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)という人が面白い人で、1880年ぐらいかな?

『どう考えても不合理なものがある。合理主義がそれだ』と(一同笑)

ところが【合理】とは何ぞや?と。考えて下さい、『合理』というのは「ある前提」を置いて、前提から論理的に計算をして、ある『命題』を導いて、この命題が現実・事実と合っているかどうかを調べるのが【科学的合理】なんですね。『前提』として置くべきものは、やはり人々の【常識】であると。常識は、どこからやってくるかと言えば、藤井先生の言葉を借りれば【過去】からやってくるんですね。急に常識が出来るわけじゃないんです。昔からいろいろと変化はありますけども、ああ考え、こう考え、でも「大事なのはこれだな」というふうに伝え残されしものが、Tradition 伝統でしょう。

そうすると、人間の合理の大前提のまた大前提は、過去から伝えられてきた人々の【Common Sense 常識】です。Common 共通の、Sense 感覚・知覚、人々がおおむね共有するそういうものをしっかりと押さえていなければ、学問なんてものは、科学なんてものは屁みたいなもんだと。本当なんですよ?

ところがですね・・・まぁいいや、話せば演説になりますから長くなりますしやめますけどもね、『知事選』ですか?みんな知事選、知事選と言っているでしょう?でも、この中(※会場の聴衆に向けて)で考えて下さった人いる?これ、中国の漢字の話だけども、どうして知事のこと、Governor のことを『知る事』と書くのですか?そうでしょう?

Governor の英語なら、Govern は「制御する」こと、「統治する」こと。その町を市を統治する人が Governor ですよ。でも、日本ではね『知事』になるわけね、県単位で言えば。どうして、『知る事』なのか?これはね、中国から来たのですよ。むかし「知る事」ね、「占い」をやるわけですよ。亀のね、占いをして(※古代中国では占いに亀を用いた)、その傷がどうなったかとか(※「亀卜=きぼく」などと言われたりする)、煙がどうなったとか、そういうことで、「そうか!」と、天は何を考えているかを占いで知るわけですよ。「天はこう仰っている!」として『知る』わけですよね。天の意向を知って、それを人々に知らせるのが【知事】というということ。だから、それが日本にも伝わってきて、今でも、東京都知事とか、北海道知事とか言っているわけですよね。

でも、今は「占い」の時代じゃないでしょう。必要なのは、たぶんこうでしょう。経済学を知っている知事なんてのは要らない。心理学を知っている知事なんてのも要らない。知事というのは、経済学も心理学もナントカ学も、学としてはともかく、《常識としてそこそこ多面的なことを押さえていることが、今で言えば「知る」ということ》でしょう。【総合】・【多面的】というのは大事なんですよ。これ、英語で Integrity と言いますけどもね、皆さん、高校の時に微分積分の「積分」があったでしょう?微分は Differential だけど、積分のことは Integral と言っていたでしょう。Integral というのは積分、「合わせること」「総合すること」ですよ。その名詞が Integrity で、Integrity を(辞書で)引くと、一番目の意味に「総合性」と出てくる。二番目の意味は「一貫性」、これは何故かと言ったら、機能を総合的に考えると、今日に少々のイノベーションが起こっても、そんなに全体図は崩れない。一箇所しか知らない人は、一箇所でイノベーションが起こったら、昨日の意見は通らないから、慌てふためいて「また自分の言ったことを変える」のだけども、物事を総合的に知っていたら、せいぜいのところ、10画形が11画形になるぐたいのことで、あんまり輪郭が変わらないでしょう。そうすると、《人間の発言に一貫性が出来る》わけですよ。

そして、その言葉(Integrity)の三番目の意味を調べると『誠実性』と訳されているわけですね。いや、訳されているというか、そういう意味を持っている。物事を何事か「総合的」に把握していると、その人の言動に「一貫性」が出てきて、説得力の持った、ある一貫性を発揮する人を【誠実な人】だなぁという。【実は政治家というのは、そういう人(誠実な人)で無ければいけない】んですよね。別に学問なんかどうでもいいけども、物事をだいたい広く捉えて、それゆえに、ある一貫性を持った指導をして、それ故に「あいつは信頼できる奴だぜ」というのが、本来あるべき政治家でしょう。

今の政治家で「ほんの数名」を除いて、固有名詞は後で教えてあげますけどもね(会場爆笑!)、政治家じゃないんです、そういう意味じゃ。以上!(会場大ウケ)

ありがとうございます。いやぁ『知事』というのは、いま私もはじめて。なるほど、なんで「知事(と呼ばれるようになったのか)なのか?」と思って。まぁ、ちょっと猪瀬さん(猪瀬直樹)はマズかったですね、そういう意味では。(失笑)あの、藤井先生どうぞ。

▷藤井聡
だいぶ、時間が迫ってきていますが、『保護主義と国家』の話だったと思うのですが(汗;脱線しまくった内容に会場大笑い)、ちょっとそこ(本題)に引っ掛けようなかなぁと思いまして(笑)、手短に。

Integrity さえあれば、政治について総合的に物を見、しかも一貫的であり、誠実な人間であれば、《保護主義が必要な時がある》というのは、論ずるまでもない、当たり前のことなんですね。あっったり前のこと。

ところが、【合理主義者】、すなわち日和見主義的であったり、ころころカメレオンのように変わったり、そして不誠実な輩ども、「Integrityが無い」というのは、いま定義上、そういうことになります。彼らは合理主義者と呼ばれていて、その《特定の効用最大化という合理主義に基づくと「保護主義は悪」である》という結論が出てくるわけですよ。

要するに、彼らの「保護主義批判」というのは、【国家に対するテロル】なんですよ。「保護主義というものはダメだ!」と言って、全部無くしたら、僕らの(身体の)皮が無くなって、血管が全て出ている(※皮膚が無いので剥き出しになっている)わけですから、ちょっと(何か障害物に)当たっただけで「痛い痛い痛い」と痛がるわけですよ。もうすぐ膿んでしまったり、いろいろと(身体が)メチャクチャになるわけですよ。これは【テロル】なんですよ。人として、常識として、当たり前のことなんですね。

当然ながら、常に保護主義であるべきであるとまでは言わないですよ。《保護主義が必要な時があるということ》を言っているだけなわけでありますから、こういう《国家に対するテロ》というのは、結局は、国家というものが無くなったら、西部先生が仰っているように『国家というものは、我々を守っている家』でありますから、家が無くなったら誰が死ぬのか?国民が死ぬわけですよ!すなわち、保護主義を批判するというのは、国家に対するテロルであり、そして国民に対するテロルなんですよ!!!(語気を荒めて)だから怒っているですよ!!!!!ふざけるなってことですよ!!!!!!!

ということをふつふつと思っているんだということでございます。以上でございます(笑)

(※西部大笑い。会場一同大拍手!)

保護主義に対する批判ですね。これは、国家というものに対するテロルである、というのは非常に重要で、これはやっぱりあれじゃないでしょうかね、特に、戦後の日本では、『反国家』と言いましょうかね、何か「反国家が進歩主義であり、合理主義であり、自由と民主主義である」という、とんでもない何か錯覚にずっとおわれてきている。

伝統は必ず【過去】からやって来ると、藤井さん仰って、その通りだけども、その中心の中心には、人間は【意識】する動物である、【精神】を持つ動物である、精神は如何にして可能になっているかというと、広い意味での【言語】によって、人間の精神は組み立てられる。そして言語の中心は、必ず【過去】からやってくる。言葉の全てとは言わないけども、中心部分は、それどころかほとんど全ては、実は必ず【過去からやって来る】、これに基づいて、精神が可能になり、精神に基づいて、いろんなことが出来ているんだということ。

例えば、【保護】という言葉ね。「保護主義はいけない!」とか叫んでる奴がですよ、少年保護とかですね、弱者保護とか、急に『保護』という言葉が良い意味になるんですよね。ということは、《日本人の言語感覚が相当不安定》になって、保護という言葉「保ち護る」という言葉ね、マーケット論やる時には、保護主義と言えば、必ずネガティブな意味。ところが、弱者保護と言えば、必ずポジティブな意味と、いったい、この日本人の言語感覚はどうなっているんだい?『言語をめぐる伝統』はもう大きく狂っていることの一つの表れとして、この保護主義の是非問題もあるんだというところまで議論を深めていかないと、この保護主義の問題というものは、もう収まりがつかないんですよ。

今日は実は400人近い方々にお集まりいただきました。

保護主義、或いは国家論というテーマでパネラーの皆様にご意見をいただきました。非常に深い議論が出来たのではないかなというふうに、私は思っております。

表現者」(※「表現者」53号 2月17日発売 ジョルダン)は、こういう問題を徹底的に議論していこう、そういう姿勢で続けております。

今日は長時間に渡り、お付き合いいただきまして誠にありがとうございました。またこういう会をやっていきたいと思いますので、また是非ご支援いただければ幸いでございます。どうも先生方、誠にありがとうございました。

【次週】「情報社会は青年を幸せにしているのか」
ゲスト 小浜逸郎 先崎彰容 浜崎洋介 藤田貴也