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国家強靱化の本質とは何か①(西部邁ゼミナール)

国家強靱化の本質とは何か①(西部邁ゼミナール)

京都大学大学院教授 レジリエンス研究ユニット長 藤井聡

著書『強靱化の思想』ー「強い国日本」を目指して(育鵬社

評論家 佐藤健志

佐藤健志 中野剛志共著『国家のツジツマ』ー 新しい日本への筋立て(VNC新書)

【ニコ動】
西部邁ゼミナール】国家強靭化その本質とは何か1 2014.03.22

混沌とした世界状情勢の中で、日本及び日本人はいかなる構え方で生きるべきか。『国家強靱化』とは何か?

二人とも(佐藤健志・藤井聡)僕の目から、肌で感じるとものすごい元気な二人。ちょっとね、我輩小生、頭は元気なハズなんだけど、体調悪くてちょっと手袋なんかしていますけどもね。あとで帽子もかぶらせてもらいますけどもね。

とにかく元気な二人からね、元気をもらいたい。

よろしくお願いします。

というので、この強靱化。藤井聡先生が『日本列島強靱化』、列島に住んでいる人は列島人。これは、優等劣等の「劣等」じゃないんですよ。列島に住んでる人ね。

強靱化。最初から悪い冗談でね、藤井さんが強靱化というと、僕の頭の中ではいつも(こちらの)『狂人化』というの?

藤井聡
笑。いやいやいや。

もちろんね、藤井さんが「列島人強靱化」の構想をサボっておられるというのではなくて(笑)逆でね、列島人が『狂人化』というのは言い過ぎだけども、ちょっと【おバカさん】になりすぎている人が多いと。

そこから脱却するのも、死に物狂いでやらなきゃならない、ということで、そういう意味で『強靱化』というのは必要なのではないかと(笑)

藤井聡
そういう意味を含んでいるかもしれませんね(笑)

藤井先生はずっと『日本列島強靱化』『国土強靱化』というふうに提唱されてきたわけですが、今回、私はそれを『「国家」強靱化』というところまでもっていった方が逆にわかりやすいのではないかと思いまして、『国家強靱化』というタイトルでどうでしょうかと提案させていただいたわけです。

藤井聡
はい。

『強靭』とは何か?というところから整理していきたいのですが、単に公共事業かなにかでインフラを強くして、ということでは必ずしもないと。(藤井:そうではないですね。)もちろんそういう側面もありますが。(藤井:そうです。)

『日本』という国のあり方そのものを【強靭なシステム】にしていくことだと思います。

そうですね、で、そこの部分なんですけども、今、国土強靱化の行政のお手伝いをしておりますけども、いちばん最初に書いた本のタイトル、並びに、いちばん最初に作った計画のタイトルが『列島強靱化計画』というのを3月11日の直後につくったわけですけども、この『列島』という言葉をつくったのは、やはり『国土を忘れないでね』という気持ちが入っているんですが、しばしば、国家というと、国家には国土が絶対入っているのは、政治学の定義上自明なんですが、しばしば、国家というと「国土を忘れられてしまっているところがある」ので、それをリマインド(remind)しようという趣旨で【列島】という言葉をつかっていて、そうすると「列島」というと必然的に上の『国家』もイメージされて『国土を忘れないまま国家を思い出せるキーワードとして、列島強靱化』と、こう書いたわけですけど。

いずれにしても、イメージしているのは定義上【国家】のことを私は本の中で言いたかったということですね。

国家、国家と仰るから、別に文句をつけようってわけじゃないんだけどね。

「国家」でしょう、「国の家」ですよね。国家の「国」の字は、「国(民)」の民の字が省略されているけども、それから「家」というのは、普通、政府の「府」というのはもともと「家」の意味ですね。だから、これからして政府ね、つまり「国家というのは何ぞや?」となった時に、日本の左翼の人達が間違っているのは「国家はけしからん!」と言った時には政府のことなんですよね。でも、「国家」という中には、ましてやデモクラシー、民主主義でしょう?国民が代表者を選んで、代表者が政府をつくっているわけですから、そういう原則論から言えば、『国家というのは国民及び国民が時間をかけてつくった政府、あるいは統治機構、この両方を含む』のですよね。

システム全体ですね。国民や歴史を含めたシステム全体だと思います。

そうなると、佐藤さんの場合は『国家強靱化』といった時には、国民のオツムなり振る舞い方の強靱化も含むのね。

それは藤井先生も『強靱化の「思想」』と(著書で)仰っているわけでして(藤井:そうですね。)内面の問題でもあるわけですが、そもそも、強靭のシステムとはいかなるシステムか?というと、私はこれは、一言で要約してしまえば、『変化とか衝撃に対する対応能力が高いシステムである』というふうに言えるのではないかと思います。(藤井:そうですね。)

それは具体的にはどういうことか。いろんな「変化」や「衝撃」が世の中、当然起きます。それはどんなシステムに対してもダメージを与えます。しかし『強靭なシステム』は、そういう変化や衝撃を受けた時に、⑴受けるダメージが少ない、 ⑵ダメージからの回復が早い、そして願わくば、⑶回復した後、ダメージを受ける前よりも効率的に機能するようになっている、それを『超回復』、医学的には『スーパー・リカバリー』といいますが、そういうことができれば理想的であると。逆に言うと、いかなる状況においても、『可能な限り効率的に機能するシステムが強靭なシステム』(藤井:そうですね。)

これとちょっと似ているんですけども、ぜんぜん違うものがありまして、「特定の条件下においては非常に効率的だけど、一旦、その条件が外れてしまうと対応出来ずに総崩れになるシステム」、こういうものもあります。うまくいっている間は強靭に見えますが、一旦崩れ始めたらすぐダメになるので、強靭ではない。

途中で悪いってかさ、賛成なんだよね。藤井さんも賛成らしい。ところがさ、僕、経済学やっていたせいもあるんだけども、『Efficiency・効率』とは何か?もっとも一般的に定義するとね、ある目的ね。個人の目的なり、国家の目的なり、なんでもいいのだけども、ある「Objective・目的」があって、目的があればそれに対して「手段」があるわけね。「目的・手段関係」の関係を指して『効率的』というね。

ちょっとお二人に尋ねたいのは、『危機』とかさ、あるいは『強靱化が問題になる局面』ってのはね、『これまでの目的そのものが問い直される』(藤井:そうなんです、そこなんです。)という?

藤井聡
まさに、そういうところがポイントになると思います。

目的が切り替わった時にすぐそれに適応して、新しい効率性を追求することを強靭というんじゃないでしょうか。(西部:まぁそうだよね。)

藤井聡
一般に「効率性の高いシステム」というのは、目的が定義されていて、それに対して頑張るシステムということですから、佐藤さんが仰ったように、目的が変わった時に「どうしよう?」となってしまうのが、脆弱なシステム。

いやでも「変わった時」と二人とも仰るけども、ちょっと今日ねぇ(一同笑)、元気がないわりには、元気で申し訳ないんだけど(笑)、「変わった時」というよりもさ、強靱化の中には、やっぱり個人では無理でしょうけど、1億の民人でもなんかが、次にこういう「混乱状態」の中で、次に我々は果たしてどんな「目的」を追求すべきなのかについて、目的が変わるというよりも(藤井:あ〜あ。)果たして、『どんなふうに変える力があるか、ということも含めてレジリエンス(Resilience)』ということでしょう。

そうです、そうです。

藤井聡
目的のFind、設定も問うているわけです。

新しい目的が何処かから下ってくるとか、アメリカが教えてくれるというんじゃなくって、既存の目的が傷ついた時に「いったい我々はこれからどういう目的を持つべきか」を提案出来るか、議論出来るか、決定出来るか、ということだよね。

あたらしい目的を構築する力も強靱化のうちですよね。(西部:そうだよね。)

藤井聡
おそらく、さらにその議論の下のところを考えますと、非常に抽象度の高い、かつ、大和ことばで、大和ことばでも普通のことばですが、『生きる』ということだと思うのですよね。

あぁ、生きるねぇ。

藤井聡
『生きる』というのはそもそも何かというと、ゲームの目的が与えられて、そこでプレイをするというのが、たぶん『生きる』ということではなくて、『生きる』というベースの上にいろんなゲームが構築されていったり、そのゲームの中のサブゲーム、サブサブゲームがあったりすると思うのですけども、その根底には底が抜けているのではなくて、一応、その底には『生きる』ということがあって、ここからいろんなゲームをつくっていく。この【生命力】そのもののようなものを意味しているのが【強靭性】というイメージが僕の中にはあって、そういう意味で強靱化の議論というのは、有機物とか生命体というものを想定しない限り、実は、物理学的には説明し得ない部分というのがあるんだろうな、というふうに感じています。

それで、麻子さん(小林麻子)ね、こちらの先生はね、アメリカ、まぁ19世紀に出た哲学なんだけど、20世紀最初かな、【Pragmatismプラグマティズム)】、「プラグマ(※ギリシャ語)」というのはもともと「道具」の意味からきて『実践』『生きる』ね。つまりその両方を含んでいるみたいですね。(藤井:あ〜あ。)なかなか不思議、面白い言葉で、『生きる』と言うけど、人間は生きる為には服を着たりさ、何か道具を使っているのですよね。

でもね、道具を所与のものとして与えられてるんじゃなくて、「どんなふうに道具を発見するか」「どんなふうに使うか」ということのなかで、どういうふうにと言った時は「目的」の問題もあるんだろう、それが『生きる』という。『生きる実践』『生の実践』でね。

それに、(藤井を見ながら)ずいぶん凝られてる。凝っているといったらおかしいかな(笑)

藤井聡
非常に実践的に、はい(笑)

強靭な人間は何が道具になり得るか、強靭でない人間よりもすぐ気付く。それから、そうでない、普通の強靭でない人が「こんなものは道具にならないであろう」思ったものも、これは道具に使えるぞと考えると、そういう根本的な『元気のよさ』『活きのよさ』です。

藤井聡
活きのよさってのはいいですね(笑)

活きのよいシステムだと。そういうことが言えるんじゃないでしょうか(笑)

藤井聡
そうですね。

元気なお二人に、ちょっと冷やかす意味で言うんじゃないんだけど、漢字の話なんだけど、昔ね、危険の「危」でも、危機の「危」でもいいんだけども、この『危』ないという字ね、これは中国人が凄いな、と思ったのは、これ(=「危」の字の上の部分=屋根部分)は「人間の首の部分」なのね。これが「崖」なんですって、これは「まだれ」って言うの?(※指している部分は「がんだれ」になります。ただ「危」の部首は「たれ」ではなく「ふしづくり」)、中の部分(部首にあたる「ふしづくり」の部分)は「人がうずくまっている」のね。

つまり(「危」の字は)人間が崖っぷちで、俺はどうすればいいのだろうとうずくまっている状態、これが「危」という字だというわけさ。

さてそこで、二人とも元気ハツラツでらっしゃいますけどもね、俺、元気がないから言うわけじゃないが、人間というのはよくよく考えればさ、「いつ死ぬかわからない」とか、「いつ失業するかわからない」とか、「いつ地震が来るかわkらない」という意味で、考えれば考えるほど、生き方を深めれば深めるほど『本質的に言って崖っぷちのうち』で『崖の上でうーんとうずくまっている』、でもうずくまったらおしまいなわけよね。生きたことにならない。『うずくまりそうだけども、如何にして崖っぷちを歩き切るか』というね、たぶんそのあたり、プラグマティズムもそうだけども、それをもっと極めたのがヨーロッパからきた【実存主義】なんでしょうね。

藤井聡
あ〜あ。そうですね。

だから言いたいのは、二人を批判したんじゃなくてね、お二人の元気の中にはね、どうもその「崖っぷちを元気に」ね、ともかくギューンと疾走する自信が二人とも(満ちているように見受けられれる。)

藤井聡
おそらく、『元気』の定義そのものが、繰り返しになるかもしれないですけども、元気の定義そのものが危機に対する対症力みたいなところがあって(西部:そうですよね。)で要するに、元気な人というのは常に『危機を飲み込んで』いてて、そこで「うずくまらない」というところがある。

で、うずくまってしまうと、誰かに道具として使われてしまうわけですけども、歩き出すといろんなものを道具に使って行くことができる。それがたぶん『生きる』というものの本質で、それで『道具化しないこと』『常に主人公たらんとすること』というのが、この『危機』の中であるにも関わらず、『主人公たらんといする力』というのが『元気さ』である。たぶん、それが【強靭性】というものの本質。

この番組で何度も言ったことの繰り返しで、『危険=Risk』、『危機=Crisis、Danger』ね。これ僕ね、経済学をちょっと知っているせいでね、やっぱり日本人、この「区別」もしていないんですよね。つまり例えば、「リスクをとれ」と言った時にさ、これ「危険」でしょう、危険をとれ。『この場合の「危険」というのは、ある程度、未来が予測出来る』ね。藤井さんが僕を殴る可能性が何%(藤井。笑)、頬っぺたを撫でる可能性が何%と予測出来ると。そして自分はどういうことを選ぶかってね。ちょっと待てよ。俺が崖っぷちで崖下に落ちる確率何%とか、後ろを振り向いて、美味い草を喰む可能性は何%と、そんなようなことを『計算出来ないからこそ(「危」の字のように)うずくまりたくなる』わけね。

経済学を含めてだけども『危険(Risk)』という言葉をね、リスクという言葉を使い、あなた(藤井)も仰ってるわけでしょう、強靱化の場合のやっぱり「危機(Crisis)」に直面する」時には、「危険を超えた」ものね。

藤井聡
やっぱり、それはもうクライシスも当然含まれる、Catastrophe(大災害)まで含まれるような。

カタストロフィ(Catastrophe)・・・『破局』ね。

ジョン・F・ケネディ】はかつてこう言ったのですよ。『危機という言葉は漢字で書くと二つの字から成り立っている。最初の文字は「危ない」という文字だ。二番目の文字は「チャンス(険)」ということだ。』

強靭であるかどうかは、それは危機の中にあって、チャンスを掴み取れるかどうかだ。

藤井聡
あ〜あ。その力だと。

それが出来ない人は、うずくまってオロオロするか、何もわからないから結局、誰かに(道具として)使われると。

結局、過去20年ぐらい日本は、その崖の上でですね、うずくまってきちゃったんじゃないか、(藤井:そうなんですよね。)そこなんですよね。(西部:なるほどね。)

藤井聡
言わば、主人であることを放棄して、何かのゲームの道具、プレーヤーにしかなっていないという。で、その安定的であるという幻想の中で作り上げているのが本当は、目をパッと見開いて上を見れば危機だらけなんだけども、この近視眼的で見る安定だけを見て、安定のつもりでシステムを作り上げてきたというのが、【戦後である】というのが、佐藤先生のお考え。

安倍総理も含めてね、最近使わないかな、よくさ「チャレンジ」とかさ、「リチャレンジ」「再挑戦が可能な」とか、よく使ってたでしょう。今も使っている人がいる。

それで僕ね、英語なんか佐藤君(佐藤健志)の10分の1も知らないんだけども、佐藤君は、アメリカで生まれたの?

いいえ、日本ですよ(笑)

それでね、僕こんな大きな字引で、「Challenge」って何だろうと調べたことがあったの。これが面白くてね、僕の記憶が正しければだけども、「Calumny(カラムニー:中傷)」という英語ね、たまたま日本語で言えば「絡む」と同じなんだけど、絡むというか「ケンカを売る」という表現ね(笑)

「挑戦」という言葉は、日本人ね、なんか簡単に使うけども、言葉の意味は、チャレンジするということは、『危機の状況で右にすべきか左にすべきか確率的にわからない。でも、尚且つ、生きようとする時に“是非もなく”かな。』

「絡む」といったら言葉は悪いけども、言って見れば『死活の覚悟』というか、『この状況に対してケンカを売る覚悟』ね。立ちあがるという、そういう非常に実践的な姿勢を「この二人(藤井・佐藤)」はお持ちなの。僕も持ってたんだけども、最近、衰えちゃって(笑)

藤井聡
いえいえ(笑)いまだに持ちすぎていて怖いぐらいですけども。

ぜんぜん、とんでもない(笑)

戦後日本のシステムというのは、一時、非常に強靭なように思えたんですね。というのは、高度成長を遂げて、「これだけ焼け跡から日本は立派になった」と。しかし、振り返ってみれば、①これは冷戦というものがあって、②そしてアメリカは世界の自由主義諸国のリーダーとしての責任を果たす意思と能力があって、③しかも、アジア界隈に日本以外にアメリカの有力な同盟国になり得る国はないと、『この3つの条件』があって、初めて戦後の日本のシステムが強靭たり得たのではないかと。

ところが、だいたいこの「条件」というのは、1990年前後から形骸化してきて、今ではほとんど残っていないわけです。となると、過去20数年間、日本が「失われた何年」だとか、「迷走を続けて」と言われるは《あたりまえ》のことだと思うのですよ。

藤井聡
あの、土木工学なんかでよく『モラル・ハザード』なんて言い方されますけども、今の話と同じパラレルであると思うのですが、堤防が高くなればなるほど、ほとんど「高頻度チマチマ災害」というのですけど、そういうのがぜんぜんなくなってくる。それで「何もないなぁ」と思って、人間は普通に暮らしだして、そこで人間はものすごく脆弱化する。

ところが、その壁を超えるようなものが、一旦やってくると、全部流されていく、という議論が『防災のパラドックス』として、よく議論されるんですが、まさに【戦後】というのは、そういうところがあって。で、90年諸島にそういう『壁が壊れた』にも関わらず、それまでの【お花畑】としばしば言われますけども、そういうような安定的に作り上げたシステムというものの「夢」(幻想)を、(壁の崩壊から)20年も経っているのに持ち続けている。

二人に僕、チャレンジ!(挙手して。笑)

チャレンジと言えば、イギリスの議会のあれを見てると、例えばだけど、政権党にね、野党が「チャレンジ!」と(議会で挙手をしながら)言うのね。「 I Challenge You.」私はあなたに挑戦します、と手を上げるのだけど。

で、二人に挑戦するとね、これね佐藤さん言ったとおりなのよ。つまりね、麻子さんなり、視聴者に説明するとね、戦後日本の目的手段というのは、米ソ冷戦という世界の構造です。アメリカという一方の旗頭がものすごく強く、アメリカは頼り甲斐のある国であるという現実。

それから後の、アジアのことを考えた時に、やっぱり日本だけが、ある種の国家としての力を持っている。後はいろんな国家があるけど、小さい声で言おう、取るに足らんと。そういう構造の中で【戦後】は作られたけども、しかし、冷戦構造は終わり、アメリカはどんどん脆弱化していくと、そしてアジアで言えば、中国その他、インドも含めて《変わった》と(佐藤健志は)仰った。

その通りなんだけど、もうちょっと「チャレンジしたい」のは、戦後日本は、こういうこと(①冷戦②アメリカ③アジア情勢)も現実を踏まえるのだけど、その、特に戦後かな、いわゆる【近代化】ね。Modernization というの。これがもちろん、戦前、明治維新からあるのだけども、明治維新から戦後以前までは、武士道はじめとしてだけども、ある種の古い日本を守ろうという感じのこともあったけども、それは大戦争で負けた後、『ともかく古いものは全部捨てて、一種のアメリカをモデルとした Ultra Modernization・超近代化』それに追いつき追い越せみたいなことをやって。

さて、説明過剰だけども、僕が挑戦したいのは、問われているのはね、この(現実を踏まえた)3つが変わったというのもそうだけども、その根拠にあった【近代化という日本人の価値観・振る舞い方そのもの】がね、(藤井:あ〜そうですねぇ。)説明抜きに言うけども、例えば『情報社会』のね、これ前回のこの番組でやったのだけども、情報社会で社会全体がおかしくなってしまう云々とかさ、【近代化の果て・極北】まで来てしまったというね。

藤井聡
その点で、『強靱化』という言葉を使って、さらに解釈をするとこういうふうに思うのですね。

『強靱化』というのは、その反対側を『脆弱化』と呼ぶとすると、【近代化=脆弱化】だったと思うのですね。(西部:なるほどね。)

これはどういうことかと言うと、強靱化というものは、状況に関わらず生き残る、ある種の Survivability(生存性)生き残り可能性のような生命力のようなものがあるとすると、『条件付きで自分のシステムを作らないというのが強靭なシステム』ですけども、近代というのは条件付きで全てシステムを作っていく。

例えば、プッシュボタンというのは、パソコンにしても、(キーボタンを押すジェスチャーを交えながら)全部こういう行動をするというのが(予め)決められてしまっているし、パソコンというのを背中を掻くのに使えたりとかできないですし(笑)、昔だったら、ものさしとかだったら背中を掻くのに使えたりだとか、(人を)叩いたりとか出来ますけども、今のは「機能が単化」してしまっていて、我々人間も【チャップリン】の『モダンタイムス』のような(映画シーンの中の)ネジだけを回す、みたいな「分業化」が進み、それで「単機能化」が進んでしまうと、そういう人間はそれは出来るかもしれないけども、『別の文脈に置かれると何の役にも立たない・何も出来ない人間』になる。

それをつくる(生む)のが近代化だとすると、それは別の意味からすれば【脆弱化】だと言えるので、そういう意味では【強靱化というのは「反近代化」】という側面を色濃く持つものどころか、その中心的概念であると。

近代そのものは強靭ではなくて、一種の『驕る平家』みたいなものですね。『(驕る平家は)久しからず』であると。(藤井:あ〜あ。西部:なるほどね。)

今度の本で(※佐藤健志 中野剛志共著『国家のツジツマ』)目次のところで、ちょっと面白い試みをやったのですが、最初「日の丸」があるわけです。それがだんだんと「虫喰い」的に喰われていくと。それに従って、その下の方で「今の東京の街並み」が出て来ると。

つまり、『本来、日本の強靭だったところを、我々が喰い潰す形で「繁栄」を築いたんじゃないか?』ということが、(本の)目次のデザインだけで伝わるんじゃないか、という仕掛けにしてあるわけですが。

あなたのその「驕る平家は久しからず」はよくよくわかるのよ。それは佐藤健志さんのことでいいと思うのだけども、ちょっとね、僕ね、平家の清盛その他と会ったことは無いんだけども(笑)、何が言いたいかというとさ、あの時、確かに平家たちは驕ってね、それで要するに平安貴族の真似事までしてさ。

でもどっかさ、平家の公達たちにはある種、歌心その他で「自分たちの美意識」を非常に繊細に、簡単に言えば「侍・もののふ(武士)」であることをやめて、源氏に滅ぼされた。でも、何か「平家の美意識」のようなものはあったでしょう。(佐藤:はい。)『でも、戦後日本には(美意識が)無い』んだよ。(藤井:ンフフ。横で含み笑い)

まぁ、「平家以下」ですね(笑)

どうして「平家以下」だったか、ということについては、こちら(※『震災ゴジラ!戦後は破局へと回帰する』佐藤健志VNC新書)に書いたんですが(笑)

藤井聡
ものすごいわかります。この本を読むと(笑)

あの「美意識」も捨てたと。【近代】という、そもそも平家は少なくとも「前近代」ですから。いかに「久からず」と言っても、自ずから「美意識」があった。で、その生命力もあった。

それも全部捨てたと。形としての繁栄はあるが、逆にこの繁栄は脆弱なものであり、だから【虚妄】ではないかと。

「日本を取り戻す」とよく言いますけども、『どういう日本を取り戻すのか』と。(藤井:そう。そうね。)

多くの人々は、その脆弱になったとわかっているシステムが、『脆弱であるとわからなかった時代に戻りたい』ことなんじゃないか、そういう気がするんですね。

藤井聡
それを、取り戻すのであれば、取り戻す意味がないですよね。何故かというと、取り戻した瞬間において、数ヶ月ぐらいは(それで)持つかもしれませんが、その4・5ヶ月後ぐらいにもうそのシステムは役に立たなくなっている可能性だってあるわけですから、取り戻すべきことは、一時期の繁栄ではなくて、【どんなものが来ても生き残れるような生命力がある国をつくる】ということ以上に、取り戻すものは本来は無いはずだと。

ありませんね。

次週の第二回テーマは『防災は安全保障である』