◼︎公共施設が乏しければ、市場活力はかならず萎える 佐藤信秋 自由民主党 参議院議員 × 藤井聡 京大大学院教授 内閣官房参与(西部邁ゼミナール)

◼︎公共施設が乏しければ、市場活力はかならず萎える 佐藤信秋 自由民主党 参議院議員 × 藤井聡 京大大学院教授 内閣官房参与西部邁ゼミナール)

【ニコ動】
西部邁ゼミナール)公共施設が乏しければ市場活力は萎える 2014.04.27

ゲスト
【著書】「五強」防災立国論 - 東日本大震災が教えた日本再生の道(産経新聞出版

藤井聡 京大大学院教授 内閣官房参与 レジリエンス研究ユニット長

我が国の公共事業の「あるべき姿」が提示されていない。『公共事業悪玉論』という「お子ちゃま話」は民主党の政権からの退陣とともに影を薄めたようではある。しかし、いわゆる『防災・減災』のことを別とすれば、日本国家が公共活動一般について「どんな方向へ進み出るべきか」そのビジョンもポリシーもセオリーも一向に明らかにされてはいない。

国家の公共政策について、深い理論と豊かな経験を持つお二方からご意見拝聴させてもらうのが今回の趣旨である。

特に、佐藤信秋先生は、たぶん三年振りとか四年振りのご登場で、ありがとうございます。

藤井聡
僕は、昭和43年の生まれなんですが、佐藤先生(佐藤信秋)の直系の研究室(京都大学大学院工学研究科)の後輩になるんですけども、僕たちの少し先輩、10歳、20歳ぐらい上の方々が(京大)土木工学科に入る当時は、あの【黒部の太陽】という、あの『黒四ダム』といわれる、あのダムを造るのに100人以上の方々が実際、お亡くなりになってしまったんですね。(※171人もの人が労災で殉職したと言われる)

[*映画『黒部の太陽』三船プロ石原プロの共同作]

[*黒四ダム:黒部川第四発電所、正式名称は『黒部ダム』である]

あの、石原裕次郎石原プロダクションが作った映画?(藤井:そうです。)

藤井聡
石原裕次郎三船敏郎プロダクションが、当時の映画界のタブー(※五社協定)を破って(共作)、このシナリオを絶対に映画化したいという思いで作ったらしいですが。

あれは本当にダムを造るのが難しい中でも、当時は大阪の発展のためには関西電力があそこ(黒部)に発電所を造るしかない、と。もう造りやすいところのダムは全部造ってしまって、あそこしかないと。あそこを造らないと、大阪の万博なり、なんなりが持たないと。だから、そうしてもここに(ダムを)造らなければならないというドラマ。

[*関西地方の命運が懸かった 発電利用の黒部ダム

(映画の中で)最初、石原裕次郎が「こんなのは絶対に無理だ!」という役で出てくるのですが、三船敏郎がなんとか説得をして造りはじめ、最後に難工事の末に開通したときに、視聴者の方はなんと言いますか、なんとも言えない感動を覚える映画でした。

あの映画に象徴される、国づくりに懸ける・・・これも陳腐な表現ですが、『男の思い』といいましょうか、そういう思いで我々の先輩方はおられて。。。

律令の昔からだな。昔の字で書くと「くに」というのはこうでしたっけ?『國』、この「つくる」、製造の「造」と書いて、【國造:クニノミヤツコ】ね。これは要するに「国造り」なんですけども、地方のあれですよね。奈良平城京が出来て、それで日本全土を造らなければならない。地方のぎょうせいちょうかんみたいなかんじかな。こういう人が昔から「國造り」をして、これがあった上で今で言うところのマーケット、『市場活力』ね。

『市場活力』なんて、最初からあるものじゃなくて、この環境(※国造りが施された結果の環境)が整って、はじめて市場が活力があるかどうかになるわけ、決まるわけね。

そういえば、なんかあなた(佐藤信秋)国会で、環境なんとか・・・

環境委員長です。

国会で環境委員長として、あの「政治家ども」に対して(藤井:笑い)何を矍鑠し?

住みやすい環境をつくろうと。「国造り」と一緒ですよね。(西部:そういうことか。笑)

もともと、出が新潟ですから、雪深い。藤井先生の仰る、昭和40年のお生まれになった頃にちょうど私は(京大)大学院に入って、地方づくりしようと。

僕は札幌出身でしょう。昔、びっくりしたのは明治の初めに『御用火事』ってあったんだ。お役所の「御用」ね。

実は、北海道に流れ者が流れるでしょう。住む家もないから「笹小屋」というんですけどね、熊笹を買ってきてその笹で掘ったて小屋とも言えないようなものね、札幌大通りあたりはそうだったのですよ。

ところがね、アメリカからどっかから日本の北海道の国造りがどうなっているか見に来ると。やっぱり昔はすごいですね。「こんな汚いものを外国に見られたら、国の恥だ!」というんでね、全部火事で燃やしてしまうの。それできれいにして、それで今の「札幌大通り公園」とつながるわけさ。

[*「御用火事」:北海道の開拓時代において、当時重要災害であった火災を減らすために北海道開拓使が草小屋(笹小屋)の撤去に乗り出す。この時の撤去の手法はまず撤去の旨触書を発した後にわざと火をつけ火事を起こした。このため御用火事と呼ばれた。]

これはこっちから言えば「残酷」ですけどもね、国ってそういう時もありますよね。

藤井聡
国の形で少しデータで恐縮ですが、紹介差し上げますと、これが「明治9年の人口ベスト15」の大都市ですね。

[*参考:出典 古厩忠夫(1997年)『裏日本-近代日本を問いなおす-』岩波新書(こちらはベスト30になりますが)

1876(明治9)

 1 東京 1,121,883
 2 大阪  361,694
 3 京都  245,675
 4 名古屋 131,492
 5 金沢   97,654
 6 横浜   89,554
 7 広島   81,954
 8 神戸   80,446
 9 仙台   61,709
10 徳島   57,456
11 和歌山  54,868
12 富山   53,556
13 函館   45,477
14 鹿児島  45,097
15 熊本   44,384
16 堺    44,015
17 福岡   42,617
18 新潟   40,776
19 長崎   38,229
20 高松   37,698
21 福井   37,376
22 静岡   36,838
23 松江   33,381
24 岡山   32,989
25 前橋   32,981
26 下関   30,825
27 八幡   29,487
28 秋田   29,225
29 米沢   29,203
30 鳥取   28,275


藤井聡
ご覧のように、北海道函館から鹿児島まで全国かなり日本海側も含めて散らばって存在している。これが明治9年ですから、江戸時代まで日本人がいわば二千年かけて造ってきた国の形なんですね。

そこから150年ですか、百数十年が経って、これ平成22年なんですが、このように『太平洋ベルト』にすべて(※政令指定都市が)集中して、(明治9年の大都市図にあった)函館、富山、金沢、和歌山、徳島、熊本、鹿児島という、『国土軸から巨大なインフラ(※ここで言う「新幹線」)がつくられなかった所は、一つも例外も無く、大都市では無くなってしまった』んですね。

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[*上図における大都市(政令指定都市)を線で繋げば『新幹線』と重なる(東北新幹線上越新幹線北陸新幹線東海道新幹線山陽新幹線/ただし、比較的最近の九州新幹線は例外)

つまり、事実として新幹線が整備された都市は、大きく『発展』し、整備されなかった都市は、『衰退』したということが言えてしまう]

こういうインフラストラクチャ、この線は新幹線(の路線)の線を書いているのですが、たとえば新幹線ひとつをとっても、これだけの巨大なインパクトをもたらす。(※明治9年の大都市図から、現在の政令指定都市図との比較、人口の変遷が事実としてそれを物語っている。)

従って、『インフラを造るのが「国造り」である』ということの言葉の意味は、これほどの【巨大な国に対するインパクト】があるというがある、ということだと思うんですね。

もう一つだけご紹介しますと、これも新幹線なんですが、実は日本が作ってる新幹線の昭和48年に閣議決定しました『新幹線ネットワーク』で、この図のオレンジのラインは僕が「こんなのを作ったらどうかな?(missing link)」と思って引いたのですけども、いま政府が正式にこういう新幹線をつくるという計画を作っている「新幹線ネットワーク」なんですけども、実際に出来ているのはこの赤線(※下図ではピンク)だけなんですね。


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ですから、いま太平洋ベルトとか、要するに国の日本(列島)は細いですけども、片方(太平洋側)にだけつくって、で裏側(日本海側)というんですかね、そちらは(新幹線を)つくっていない。

昔の日本人、昭和48年当時の日本人は「日本全国に新幹線をつくるんだ」という。だけど、あらかた大都市に(新幹線を)つくっちゃったら、あとは多数決で、田舎の方は多数決したら「いらないじゃないか!」みたいはへんな論理なのかどうかわかりませんが、それからこういう(※新幹線ネットワークの図を指しながら)国造りをやめちゃた。それが今の国の形を決めてしまっている。

ちょっと僕は二人に抵抗するわけでもないんだけども、こういうことの大切さ(※インフラを造るのが国造りという論理)をよく分かった上で言うのだけども、【大平正芳】さんが首相だった時さ、『田園都市構想』と言ってましたよね?あれの背景には、たぶん、ヨーロッパの都市ね。まぁ僕はイギリスにしか暮らしたことはないのだけど、イギリスでもっとも美しくて、また皆が住みたがるのは、カントリー・サイド。日本語に訳せば田園地帯ですね。待ちの周りは、実に美しい田園地帯が広がってて、この島国を全部「緑だらけ」というのかな。

[*「参考」:大平正芳田園都市構想
13日(日) 日経11面 日曜に考える『田園都市国家構想(1980年)
最後の羅針盤平氏、命燃やした国土計画』


[PDF] 田園都市国家の構想 - 一般財団法人 日本開発構想研究所


そして、ロンドンは大都市なんだけども、ロンドンのことをイギリス人たちはちょっと離れるとね、まぁこれピューリタン的用語なんだけども、「Evil(イービル)」・・・「悪」ね。Evil City と呼んでいるんですよ、悪の街。

で、実際、ロンドンにはイギリス人がいないわけじゃないのだけど、外国人が次々へと入ってくるでしょう。だから、ロンドンは外国人の街だし、犯罪の街だし、本当にのギリスはカントリー・サイドに行かないといけない、ってなことをヨーロッパの都市の歴史を踏まえながら、たぶん『田園都市構想』を。

あなた方は、それを認めないわけでもないんでしょう?

藤井聡
もちろん、それが基本。

もちろん、えぇ。

せっかく、いま藤井先生から「国造りやめたじゃないか」と、こうご批判いただきましたんで、あたしは北陸ですけどもね、今から120年ほど前、税金をどこで払っていたか?国税


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(※上図参照 1887年の統計で)北陸4県(新潟・富山・石川・福井)で9.0%日本の。申し訳ないんですが、東京は2.5%。

これを東京を中心にいろんなインフラを整備して、(その結果)いまどうなっているかというと、(2007年の統計で)東京で国税の約4割(39.1%)、北陸ちょっとでいえば2%ちょっと(2.4%)ですから。

まぁ、結局それは「米づくりがなくなった」ってことなんでしょうね。

ということでしょうね。それと、それだけのインフラを東京中心に集めてきた。こういうご指摘を私いつもいただいております。

で、その結果、どうなったかというと、県別の人口なんかのですね、(※下図参照)たとえば、北陸なんかでいうと、だいたい(2005年現在で、1888年の人口と比較して)まだ5割増し(1.5倍)、東京は(同様の比較で)10倍弱(9.3倍)、つまりそれだけ、【地方の力が無くなってきた。】藤井先生の仰るように、「国造りをやめたのか?」と。こういうご指摘はですね、私のところに40年もインフラ造りをやらせてもらっている立場から言うと「申し訳ありません。」こういうかんじですね。


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藤井聡
こういう結果になったのは、やっぱり二つ相互に連関する理由があるんだろうなと。

それはやっぱり、もし、どんなインフラ状況であろうと、「僕は絶対に田舎に住み続けるんだ」と。「生まれた土地離れないんだ」という国民がいれば、おそらくはインフラがどういう格好であろうと、人口は(統計が出ている)明治9年のまま固定されていたんだろうと思います。だけど、なかなかそうはいっていない。

そして、もう一つはやっぱり、そう思っていても東京に来てしまうのは、東京に投資をやっぱりたくさんしてしまった。新幹線も、地下鉄も、空港も、港も、電力も、道路も、何もかもものすごいお金をかけて、東京に投資をしてきた。

人の心が東京を目指してしまうというのもあるのと同時に、政府がやはり東京を中心に投資をしてしまった。そして、その二つが相互に補強し合いながら、「皆が東京の方がいいじゃないか」と来れば来るほど、そこに投資をするし、投資をすればするほど、人心が東京に向かってしまい、田舎から離れてしまう。

もう最近、あまり使わなくなったけど、長い間ね、この数十年さ、「地方の時代」とかさ言ってながら、本当に地方の時代をつくりたいのならばね、地方も中央も協力しながら各地にちゃんとしたインフラを造らないと、地方の時代なんてのは、単なる掛け声に終わるというそういうことね。

藤井聡
そういうプロジェクトが本当に進めば、「じゃあ、地方を大切にしようじゃないか」というそういう気持ちも、カントリー・サイドに対するイギリス人の気持ちみたいなものも、日本人もやっぱり持ってるだろうと思いますし、先ほどたまたま山形から新幹線で帰ってきたのですが、山形のJC(※注「JC」=青年会議所/女子中学生ではありませんw)の青年たちとか見てましても、「山形をなんとかするんだ!!」という思いで盛り上がっている方もいるのですが、やっぱり、あれだけ【インフラが脆弱】だと、諦めムードが街中に広がっているというのもあって、だから、『物と心というのは相互に連関し合いながら、物が強くなれば心が強くなる、心が弱くなると物も弱くなって、いっそう心も弱くなる』みたいな【物と心の相互連関】というのがあるんだろうなと思うんですね。

雇用と教育、どうしても東京大都市に集まりがちになりますかね。そこで、藤井先生が仰る「国造りを忘れたんじゃないのか?」

【全国総合開発計画(全総)】というのがありましてね、昭和37年(1962年▷一全総、以後、2005年の国土形成計画法と抜本改正されるまでの五全総まで)以降。

最初の出発点は、「地域間の均衡ある発展」と。五回に渡りつくりましたが、均衡ある発展という「命題」は掲げてきた。結果として藤井先生がご指摘のように、計画はつくってもなかなか・・・大都市周辺では進むが、地方じゃ進まない。



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藤井聡
この地図(※上地図)をみてもわかるように、まったく都会以外はつくってこなかったというのが事実で、たとえば、先ほどでの山形でも、あるいは宮崎とかでも行って、こういう計画(※新幹線路線新規着工の計画)があるんですよと言うだけで、(地元の人は)「えっ、政府はそんな計画を作っていたのですか?」と知らない方が多いんですね。

ですから、やっぱり人々の「人心」というのは『政府の毅然とした態度』にも大きく影響を受けるという側面が。

わかりやすく言うと、経済学者たちがすぐ「交換 Exchange」とか、「Trade 取引」とか言うけど、(小林)麻子ちゃんと僕がトレードするためには、『二人の間に道路がある』とかさ、(小林:あぁ〜)で、のんきに歩いてじゃしょうがないから『新幹線がある』とか、『車で行ける』とかね、そういう【インフラが
無いとトレードもエクスチェンジも成り立たない】んですよ。

ところが、そういういわゆる「国造り」を、強く言えば『公共施設』がベースにあって、はじめてマーケットが成り立つんだという、下部構造と上部構造ね。

インフラというのはもともと『下部』という意味ね。上部構造は『スープラ』と言うんですけどね。マーケットは、スープラストラクチャ(Suprastructure)で、やっぱり公共施設がインフラなんだと。どんな建物だって、まずは地下室とか1階とか2階があって、はじめて三階が出来るんでね。

それを学者共が出て来て、「市場取引の効率性」と言って、屋上からつくりましょうとか言い出す。

藤井聡
アッハハー(笑)

これはどういうもんでござんしょう?
と、僕は言ってるんだけど、誰も聞いてくれないの(笑)

藤井聡
本当に『マーケット至上主義』なるものが仮にあったとすると、その(スープラである)マーケットが乗っかっている、土台のインフラストラクチャについては、誰もケアしなくなる。そうすると、どんどんどんどん『脆弱化』していって、『老朽化』していってしまう。それが【今まさに日本でおこっていること】で、インフラはどんどん老朽化して、「造る」と約束したものは造らない。そして、そうするとだんだんと上の方(※マーケットなどを含めたスープラストラクチャ)がガタガタとしてきて、そして、【失われた20年】に繋がっているという解釈は、僕は十二分以上にあるんじゃないかなぁと思うんですね。

しかもね、地方の地域づくりとしての国造り、それが大事だということを認めた上で言うのだけど、それはね、新聞テレビが言ってきたような「地方の時代」とは違うのですよね。『地域づくりは地方と中央の協力』、公共施設ですからね、しかもそれ、簡単に言えば、マーケットを始めとする、Privateな、私的な取引のための基礎工事でしょう。だから【民間と官庁との協力】ね。『中央と地方』、『民間と官庁』、それがうまくいくという保証は無いけども、やっぱり努力しながら協力する。

それがね、(最近の論調は)「中央を取るか地方を取るか!?』(という馬鹿げた対立構図を演出する)

藤井聡
そうですね(呆)

そういう、一種の二分法ね。

藤井聡
幸田露伴】がですね、明治時代に『首都計画論』の本を書いているんですね。

[*「参考」一国の首都(1899~1901年、雑誌『新小説』幸田露伴

「参考」PDF:幸田露伴 「一国の首都」 をいま読み返す


ほんとに!?

藤井聡
昔の文化人は、都市計画的なことも書いたりとかされている方もいて、彼(幸田露伴)が非常に面白いことを書いていて、首都の話なんですが、、

『首都というのは「顔」である。顔だからこそ人格にとって重要。大切にしなければならない。だけども、顔だけケアしている輩は頭がおかしい。』と(笑)

『身体をしっかりケアをして、身体が健康になって、はじめてニッコリと笑うんであって、顔と身体ぜんぶ大事にして、きちんとバランスを保っていくのが真っ当な都市計画なんだ。』

そういうことで、「都市計画」を言う時にも「地方計画」のことも大事にするという、そういうことを(幸田露伴は)言っているんですよね。

仰る通りですねぇ。

イタリア人ってね、いま言った『正面像』で思い出したのだけど、まずね軽蔑語じゃなくて「愛称」ね。「イタ公」たちはね・・・

藤井聡
爆笑

facciata(伊語:ファッチャータ)というのですけど、英語で言うとFacade(ファサード:建物の正面)、正面図かな。正面をこう結構(見栄えがするように)カッコつけるのですよ。だから、すごいデザイン感覚でしょう、(ジェスチャーを交えながら)たとえばこうやってね。

ところが、その(ファサードの)裏を見るとね、奴らね、ヨーロッパ人は皆思うのですよ。いちばん女房子供のために不眠不休で働く覚悟と実績があるのも、実はイタリア人なんだね。(一同:ほぉ〜。)そういう意味でね、ファッチャータ、正面像を大事にする人は、実は「背面」、背中の方もね。背面が無いと正面も無いよね。

いちばん極端に申し上げると、国のあり様、国土のあり様、『国境の離島』なんか考えていただくと、あれがあるから日本は世界で第六位!!EEZの領域でいくと。

「*日本の領土面積は約38万km²で世界第60位に位置するが、領海およびEEZの総面積は世界6位となる。]

小さい国に見えて、あれが、(国境の)離島ががんばっているから(世界)6位なんです、(排他的経済水域の)広さが。これどうやってそういうのを維持していくのか考えれば、「国だ地方だ」というんじゃなくて、一緒になってやるしかないんですよね。この御守りを。

藤井聡
端っこがきちんとしていないと、(佐藤:そうなんです。)「はしたない」ってわけですいから。(佐藤:なるほど。)はしたない国はちょっと避けたいですよね(苦笑)

また(話を)ずらしちゃうけどもさ、(小林)麻子さんね、あなたは映画詳しいけども、(小林:いえいえ。)【木下恵介】監督で、『喜びも悲しみも幾歳月』ってあったでしょう?たくさんの人が観て、涙流したけど、あれは実は離島じゃないけども、あれは「灯台守」の話ね。(佐藤:そうです。)

日本列島がいよいよ米軍の空襲、あの時は空襲といったけど、要するに『空爆』を受ける時に、最初に犠牲になったのは、実は「灯台守たち」なわけね。だって、端っこにいるんだから。(佐藤:そうですね。)端っこから襲うでしょう?しかも彼らは武器も持たずに身を晒しながら、「おいら岬の〜♫」とこういうふうにくるわけですよ。


[*「参考」:喜びも悲しみも幾年月

作詞作曲 木下忠司
歌手 若山彰

おいら岬の 灯台守は
妻と2人で 沖行く船の
無事を祈って
灯をてらす 灯~をてらす]

やっぱり、国を守る人たちは昔から【防人(さきもり)】と言ってねぇ。先端にいて頑張るんだ!というね。(佐藤:そうなんですね。)あらゆることに通じるですよね。

藤井聡
やっぱり、先ほどのイタリアの話も、防人の話も同じだなぁ〜と思いますのは、真っ当な紳士と言ったりとか、真っ当な立派な大人というのは、隅々までキチンとケアをして、隅々まで配慮を届かせて、そして全体像を常に保とうとするというわけですから、やはりそれが国全体で考えると『国造り』ということですから、いまもし日本が「国造りをやめて、地方を切り捨てている」のだとしたら、まぁ〜その紳士ではなくて、『その辺のチンピラに近い国』になりつつあるということかもしれませんね。

これはね、「チンピラの構図」は非常に複雑で、(藤井:笑)北海道にこだわるようですけどもね、これは僕の兄から教えられたのだけども、いま北海道というのは、基本的にいわゆる『左翼系』になって、民主党の基盤だったりなんだったりしているんだ。結局は、(彼らの論理は)「中央批判!」ね。

で、うちの兄が銀行員やっててビックリして、北海道の雪の中で、JR・・・国鉄がJRになる頃、多くの人が首切られたでしょう?兄がたまたまね、本当に雪の原しかないところで、ほとんど線路が廃止されたところでそこを通っていたらね、5・6人の「元国鉄労働者」が、看板をあげて「仕事をよこせ!!」というね。雪の中で。

それを言ったのは、その「あまりの寂しさ」ね。つまり、雪の中ですよ。仕事が無いのは当然なの。もしも、仕事が欲しいのなら、『自分たちで北海道の国造りをするために、東京の協力を仰ぎながら〜』ということをやんなきゃならない。「東京はけしからん」「中央が介入するのはけしからん」「北海道は北海道」と言いながら、パッと気がついたらあるのは雪の原だけ。それで(看板を掲げて)「仕事をよこせ!」ってね。

日本のこれを別に「左翼」と言わずに、『戦後のいわゆる広い意味での民主主義者』っての?そういう人たちに通用する、そうなってくるとやっぱりね、是非もなく『公共施設』をどういうふうに各地に、中央との関わりをもって造っていくかということをやっていかないと、なかなかね。僕は、けっこう地方に詳しいんですよ、北海道人のおかげであって(笑)

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藤井聡
北海道で一つだけまたグラフで。これはちょっと古いデータなんですけども、過去15年間で、要するに発展しているところは(日本地図上で)赤くて、普通のところが黄色で、衰退したところが紫なんです。

あ〜あ、我が故郷・・・。

藤井聡
北海道は真紫。指先をグルグル紐を結んで(血流を止めて、鬱血してその結果)壊死している状況。(それが地図上で真紫に染まった北海道の現状)

これは何故か、というのを分析すると、まぁ我々の分析結果では、『高速道路をキチンと本州では造っているのですが、北海道では(ごく一部以外は)造っていない。』

(右側の棒グラフを指して)高速道路に近いところにある地域(※高速道路のICから10分未満の地域)というのは、ものすごい商業が92%も伸びたりするんですが、高速道路が無いところ(※高速道路のICから30分以上離れた地域)というのは、1981年から2006年の15年間かけても8%しか伸びていないんですね。北海道は(高速道路が)ほとんど造られていないというのが大きな原因になっていると。

たとえば、こういうデータ一つとっても、【キチンと地方にインフラストラクチャを造っていくというのが、地方の衰退を防ぐために大事だ!】というのを我々は普通に感じるのですが、なかなか一般の方には・・・(感じてもらえない。)

いわゆる【戦後】的なね、わかりやすく言えば、【民主主義】だとか【左翼主義】だとか【権力批判】とかなんとかね、ほとんどね、僕いまね、(自分の)手足が痺れているんですけどね、別に脳の問題じゃなくて、ニコチンとアルコールの問題なんですけども、そういう人たちは『頭が痺れちゃっている』んじゃないですか?(藤井:こらえきれず失笑)

戦後的なるものの精神・観念・妄想?僕はまだこれでもね、手足しか痺れてしないから、まだ立派なもんなんですよ。(藤井:笑)

【戦後日本人はオツムが痺れきっちゃっている】、その典型が愛する(その地図上で真紫に染まった)愛する故郷(北海道)なのね。

藤井聡
(真紫の北海道を指しながら)これは、かなり衝撃的な事実だと思います。こんなに青い(紫)地域って、他は本当にね、我が郷里の奈良だったら、奈良の山奥とかね、そういうところに幾つかポツポツとあるだけなんですが、北海道は一面真紫になっているという、恐ろしい事実ですね。

40年ぐらい前に、我が愛する【田中角栄】大先生がね、「北海道に投資し過ぎだ!」というマスコミの皆さんに対して、、

『北海道に一割ちょっと国の投資をしている。万一、北海道にこれから行ってください、と言ったらですよ、どれだけの費用がかかるか?国の予算を全部つぎ込んだって、とっても行ってくださいって(言うことが)出来ないですよ。そのくらい、開発したり、維持したりするのが大事なんです。投資もしっかりしなければならない。』

私はだから田中角栄さんというのはなるほど、つくづく思いました、40年前に。

我が故郷・・・(このグラフが示すように)知っていたの、滅びゆく故郷。

必死になってさ、これからは国家の問題として、みんな認めているのですよ。老人問題が大事だとか、教育問題が大事だとか、情報基地をつくるべきだとかね。

そしたらね、普通の計算でいって、北海道は有力な候補なんですよ。土地が空いている、人口は密集していない、学校をつくれる、なんとか老人用の施設もつくれる。それならね、中央にね、「わかりました。中央の皆様仰っているのはその通りで、私共がそのうちのかなりの部分を引き受けてみせますから、高速道路も自分たちで造りきれないのだけども、これだけお願いします。」と、やればいいのに、一生懸命、我が北海道陣営は『中央批判』とか『権力批判』とか『地方の独立』とかこういうことばかり言っている。

小さい声で言う。我が故郷で、MXテレビ観れなくても、YouTubeでけっこう観ている人たちいるんですよ、北海道で。

YouTubeを観ている北海道人に言いたい。

『ばかたれ!しっかりせい!!』

【次回】「公共施設が乏しければ 市場活力はかならず萎える」