◼︎「戦後」を超克せねば未来はない(大東亜戦争とは何だったのか③) 桶谷秀昭 × 福田逸× 富岡幸一郎

◼︎「戦後」を超克せねば未来はない(大東亜戦争とは何だったのか③)

【ニコ動】
西部邁ゼミナール)大東亜戦争とは何だったのか【3】


桶谷秀昭:文芸批評家

福田逸:演出家 明治大学商学部教授、福田恆存(劇作家・評論家)の次男
[※(注)wikiでは「逸=はやる」になってますが、こちらでは「逸=いつる」で紹介されてますね]

富岡幸一郎:雑誌「表現者」編集長、鎌倉文学館館長、関東学院大学文学部教授、近著『川端康成 魔界の文学』(岩波現代全書)

西部邁:評論家 雑誌「表現者」顧問、近著『経済倫理学序説』(中公文庫)

小林麻子
大東亜戦争論、そして戦後日本論を三週に渡って続けております。

今日は【無極】、つまり中心点の無い混沌状態に入りつつある21世紀初頭の世界の中で、我が国の来るべき若い世代は如何なる歴史観を胸に抱いて生きるべきかというお話になりそうです。

それではどうぞ先生方宜しくお願い致します。

坂口安吾】という小説家がいて、僕はあの文章が大好きなんですけど、占領軍の検閲で、バツ、バツ、「×印」だらけで『特攻隊に捧ぐ』(というタイトルでしたかねぇ?

『特攻隊の真心を疑ってはならぬ』

『かくも平凡な青年たちが、かくも偉大なことを成し得たということだけでも、これからの「敗戦日本」にとっての希望である』

というような文章があってね。大東亜戦争のことを思うといろんなことがあるんですけども、その中で、何かものすごい黒光りするようなね、精神の核として、いわゆる【特攻】のこと、つまり【帰らない】こと、【生きない】ことを【覚悟の上】で行った・・・あれ、総勢三千名ぐらいですかね、特攻隊の。

それについて、(福田逸)先生はどんなふうにとらえている?

[占領軍の検閲受けた坂口安吾の特攻隊に捧ぐ(※1947年2月1日発売の雑誌「ホープ」に掲載予定も、GHQによる検閲で削除・発禁に)]

あの【大西瀧治郎】(海軍)中将の言葉で、

『後生において、我々の子孫が“祖先はいかに戦ったか”その歴史を記憶している限り、大和民族は断じて滅亡することはあり得ないだろう』

というふうに言っているんですね。

特攻の一つである戦艦大和、【最期の特攻】と言ってもいいわけですけども、そこに乗っていた、例の【吉田満】さんのあの『戦艦大和の生涯』・・・あの中に出てくる大和の沈没の時を描いている時に、そのまさに戦友が死んでゆく、大和が沈んでゆくのに、

『この美しさ、やさしさ、心躍る瞬時』

ということが書いてあるですけども、その自分の乗ってた船が、特攻で死ぬ覚悟で行って沈んでゆき、みんなどんどん死んでゆく、巻き込まれてゆく、それを【美】と感じているという『当時の現実』というのをまず考えていただきたいということと。

ああ。

大西瀧治郎吉田満 特攻をどう見たか]

[※「参考」吉田満戦艦大和の生き残りであり、当時は海軍予備少尉。敗戦後は日銀に入行。吉川英治の勧めで『戦艦大和ノ最期』を執筆する。

吉田満は『60年代の高度成長』による「繁栄の坂をいっきに上る日本」を見ながら次のような感想を記している。

吉田満『戦没学生の遺産』より

「ソシテ如何ナル事態ニ遭遇スルモ,身体ニ充分注意シテ断乎トシテ事ニ当リ,何時マデモ達者デオ暮シ下サイ.父母上様,去ル六日ノ原子爆弾ハ非常ニ威力アルモノデシタ.自分ハ其ノ為ニ顔面,背中,左腕ヲ火傷致シマシタ.然シ軍医殿ヲ始メ,看護婦サン,友人達ノ心ヨリナル手厚イ看護ノ中ニ最後ヲ遂ゲル自分ハ,此ノ上モナイ幸福デアリマス.」

『私はいまでも、ときおり奇妙な幻覚にとらわれることがある。それは、彼ら戦没学生の亡霊が、戦後二十四年をへた日本の上を、いま繁栄の頂点にある日本の街を、彷徨い歩いている光景である・・・“われわれの祖国が世界史における主体的役割を担ってくれること”、“人間性を無視するものを抹殺し、本当に感謝し、隣人を愛し、肉親とむつび、皆が助け合うことのできる、新たな日本を創り出すこと”、“日本人一人一人がもっと立派になり、人間がもっと広く大きな心になり、もっと人の汗と涙を知ること”、こうした彼らの願いは、戦後の輝かしい復興の中で、どのように満たされたのか。その切なる呼びかけは、誰かに聴きいれられたのか。それともこだまのようにむなしく反響しただけなのか・・・

彼らは、一人一人のかけがえのない生命に賭けて、課せられた役割に最後まで最善をつくそうとした誠実さのどの部分が、なに故に否定されるのかをたずね求め、もし戦後世代が、そうした模索を過去のものとして一顧だにしないならば、そこには真の未来がないことを主張するだろう・・・

彼らの亡霊は、いま何を見るか。商店の店先で、学校で、国会で、また新聞のトップの記事に、何を見出すだろうか。』]

それから、遥かにずっと後になって、吉田満は【島尾敏雄】さん(※第十八震洋特攻隊隊長 海軍大尉)との対談で話している中に、

『戦中から戦時にかけて日本人が苦しんだ。何のために何を願って苦しんだのか、そういうことを一切棚上げされてしまった』

ということを言っているんですね。【「人が自分の為に死んでいって、死んだが故にいま自分がある」】という考え方って(自分に)無かったんですけども、いまこの年になってみると、【あの時の死】というものは、要はこの国を守ろうとしたんだ。

よく、「天皇陛下万歳!」だとか、「軍国主義」だとかって言いますけども、別に軍国主義だからあの人たちは軍の命令に従って、死なされたんでもないし、天皇のために「のみ」死んだってことはあり得ない。そういう機能だけで人間が生きることってあるのか。

人間というのはもっと本質的に情緒の存在であるし、血のある、生きた人間ですからね、そうすると、やはり一番肝心なのは、血肉であり、家族であり、あるいは共同体としてのムラであったり社会であったりという、それがだんだんだんだんと大きくなって国家となって、そこに一つのイメージとしての天皇が統治する国というのがあった。

そういう意味で、国とか、組織というのはまとめるにはルールが必要ですし、縛るものが必要ですから、特攻隊は縛るものもあったかもしれない、あるいは、応じるか・応じないかは「YES」としか書けないと言われていますけども、それはそういうものだったでしょう。だけども、皆が(特攻に)「行きたい」と願ったのは、《自分が行くことによって、誰かが生き延びてくれる》、自分が生き延びればこの国は何らかの形で生き残ってくれる、大和民族は残ってくれるという、まさに「大西瀧治郎中将の言葉」、これは【当時の人たちの心情】だったと思う。

そうでしょうねぇ・・・

(特攻隊員の)遺書だとか、学徒出陣、きけわだつみのこえ、あぁいうものを読んでいくと、(それが)よく分かりますけども、『あの時の心情』というものを見ると、やはり私たちは胸打たれるし、自然と涙が出るのは何かというと、やはり、【「自分を否定して、自分の命というある意味もっとも大事なものを捨てても守ろうとしたもの・・・その結果、残っているのは我々なんだ」】

[特攻隊は何のために死んだのか]

[※参考図書:新編『特攻体験と戦後〈対談〉』(中公文庫)島尾敏雄吉田満


あの、お父様の恆存先生(福田恆存)がお好きだった、ギルバート・チェスタトン(【ギルバート・ケイス・チェスタトン】)、僕も好きなんですけども、面白いことを言ってまして、こういう言い方をするんですよね。

『勇気とは何か。自分及び自分たちの命を守るために発揮するものだ』

『真の勇気とは何か。真の勇気とはこの命を捨ててかかることだ』

ってね。

[*勇気とは、死に急ぐ形を取りながら生きようとする強い欲望。:Gilbert Keith Chesterton「正統とは何か」]

もうちょっと分かりやすく言うと、【「生き延びる為に死に急ぐ。急がねばならない、そういう歴史上の瞬間というのがあるんだ」】ということ。そういう一種の『矛盾』というか、『逆説』みたいなものを、《あの時の日本民族はそこに直面していた》んでしょうね。そういう、人間存在の逆説みたいなもの、形をね、それを分からずに、「侵略か」「何だ」かとか、特攻隊のことを「犬死」、負けたから犬死とか、「下らぬ死だ」とか、まったくあれで・・・(大呆)

どういう(ふうに)自分たちの先輩・先祖たちが死んでみせたかということを、僕らが記憶して、キチンと解釈ができれば、【それらは僕らの精神の糧となる】わけですからね。

2001年の9月のアメリカの同時多発テロで、ハイジャック機が突っ込みましたね。あの時にアメリカ人が「カミカゼ」って言葉を言って・・・

あ〜ぁ。

これはもうアメリカ人には、特攻隊、日本の「神風」とは何か、もちろんわからない。《日本人の中にもそういう言い方をした人がいた》わけですよね。まぁ、いわゆるかなりの「知識人」で。

つまり、「戦後の日本」というのは、神風特攻ですかね、あぁいう「特攻隊の死」というものをどういうふうに受け止めてきたかと言うと、【本当に歪められた、非常に強制的な死であったとか、いうことがほとんど】であって、大西瀧治郎(中将)がね、言ったような思いが、実は、戦後ほとんど伝わってなかったんじゃないか。それは、むしろ、戦争体験の無い、私なんかの世代を含めてですね。

でまぁ、経済的には一時的にガーッと上がって、「商人国家になって、平和でよかった」という形で来たわけですね。ですから、本当にあの大東亜戦争は何であったかというその『核心部』にあるのは、あの【「特攻隊の死は何であったか」】ということを、やはり考えなきゃいけないと思うんですね。

フランスのジャーナリストで【ベルナール・ミロー】という人がいまして、

『西洋人にはああいう特攻死は考えられないけれども、また非常に恐ろしい感じがするけれども、日本の英雄たちはこの世界に【純粋性の偉大さ】について教訓を与えた』

ということを戦後に書いているんですね。

『彼らは千年の遠い過去から今日に人間の偉大さと既に忘れ去られた使命をとり出して見せてくれた』

と、これをフランス人が言っているわけで、そういうふうに見ますとですね、【戦後の日本人というのは本当にそういう思いを持てなくなってしまった】、これはもちろん、占領政策(=GHQ主導の洗脳、プロパガンダ)とか、いろんなことがあるにしろですね、あまりにも、だらしないですね。

[※「参考」:「これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。」(ベルナール・ミロー『神風』内藤一郎訳、早川書房、1972年、359頁)


吉田満が、「そのまま一切、棚上げしてしまっている」と言ったのは昭和50年代ですか。

はい。

これはバブルに向かっての、戦後、経済的に豊かになってった時期で、「ある意味仕方ない時だったかもしれない」ですね。

だけども、現在、平成がもう25年過ぎ、四半世紀が過ぎて、《いまやもっと客観的に物事を見られる時になっている》んですね。

そうだねぇ〜

本当に「特攻」というものをなんか『美化する必要はぜんぜん無い』

一同
うん。

(特攻を)美化する必要は無いし、貶める必要も全くない。ただ、人が死んでったという事実。あるいは、かく死んだというその死に方、《特攻という、そこまでしなくてはならなかったという現実というものを冷静に受け止める》というものは必要で。

うん。

たとえば、話が飛ぶようですけども、 何かを受けいれる、『受容する』ということは、まず、虚心坦懐にそのものの姿を見る、見なきゃならない。特攻というものが、その時に、喜んで志願してまで「特攻した」、あるいは、嫌々でも志願した人たちの「その心根」というのは、【もっとこちらから(その瞬間に)近づいてみようという努力】は必要だろうと。それは僕は、出来ないことではないと思うんですね。

あの、桶谷(秀昭)先生が『昭和精神史』という大変素晴らしい御本を前にお書きになってて、これはある意味「あの戦争、大東亜戦争は何であったか」という大きな問いですけども、同時に、終戦直後の「占領政策」についてもお書きになってまして。

[『昭和精神史』桶谷秀昭(文春文庫)


その中では「マッカーサー回想録」というのを引用されてですね、

マッカーサーが(回顧録の中で)「一つの国民が終戦時の日本人ほど徹底的に屈服したことは歴史上前例をみない」と。』

つまり、完全敗北の中でですね、言わば、【日本民族の魂が崩れ去ったんだ】とマッカーサーが言っているんですね。で、それに対して桶谷先生は、

『いやそうではない。たとえ負けても、いや負けたからこそ、日本人は「あの戦争は何であったか」「日本人はどういう民族であるのか」という精神史、精神の歴史が引き継がれるはずだ。』

という、私はこの本を、桶谷先生の非常に祈りにも似たですね著書として拝読しましたけども。

そういう精神史を踏まえなきゃならないのに、「集団自衛権の行使容認」とかいう議論においてすら、たとえばですけども、「日本には“平和憲法”の制約がありますので、戦場の前線には赴けません。負傷者救出のような人道的な理由がある場合は別であるが、我が日本は後方支援に徹します」っというような話を聞くとね、たとえば、「神風特攻」に縮約されたようなね、そういう何か大事なもの、『これ以上生き延びようとすると、大事なものを失ってしまう』と。全てとは言いませんけども、『誰かが、何か大事なものを守るために死に直面し、突入し、実際に死んでみせるという』、そういう意味では【命を捨ててかかる】というね、そういうことが恐らく、現代日本では、精神史の痕跡というのは、跡形なんてのは言い過ぎだな。もう、微々たるものしか残ってないという・・・まぁだから「絶望」を振り撒こうとは思っていないんですけどもね。

この(自著の)『昭和精神史』というのは、この後の続編は『戦後篇』というのも書いたのですが、たとえば、【長谷川三千子】さんなんかは、『桶谷のやったことは、それ自体が敗北である』と。まさにその通りだと思います。私の著作は【敗北】なんですよね。それ以外に言いようがないです。それは現状を見てみればそうなので。

[『昭和精神史 戦後篇』(文春文庫)桶谷秀昭


いま、特攻隊の話がだいぶ出てきましたけどもね、あの『特攻隊の遺書』で、非常に特徴的なことは、【アメリカに対する憎しみ、憎悪といものが“ぜんぜん無い”ということ】ですね。つまり、敵愾心がゼロで、そして、【「自分の恋人、あるいは妻、子供、両親への“熱い思いだけ”がある」】、純粋に昇華している。あれがね、非常にいいんですね。特攻を美化するもなにもなくて、【特攻の遺書が美しい】んですよ。

[遺書から伝わる特攻隊員の熱い思い]

この「美しさ」というのは、たとえばね、飛躍的な言い方になりますが、京都学派が『世界史的立場と日本』という座談会をやりました、大東亜戦争直前に。あそこで最後に出てくるのが、【モラリッシュ・エネルギー】(※レオポルト・フォン・ランケの言葉『モラリッシュ・エネルギー』を京都学派は「道義的生命力」と訳した)という今の日本にとって最も必要なものではないかと。

あれはね、《特攻への死へのエネルギーとは、モラリッシュ・エネルギー》だと思いますよ。

[※参考「京都学派四天王」と「世界史的立場と日本」

京都学派四天王(高坂正顕西谷啓治高山岩男鈴木成高の京都学派に属する四名の学者)は、大東亜戦争下の昭和1年から翌年にかけ『中央公論』誌上で三回にわたり掲載され、大東亜戦争を「世界史の哲学」の立場から思想的に位置付けようと試みた『世界史的立場と日本』座談会(「世界史的立場と日本」昭和17年1月号、「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」昭和17年4月号、「総力戦の哲学」昭和18年1月号)の出席者である。/wikiより引用

参考サイト:
藤田親昌編『世界史的立場と日本』昭和十八年、中央公論社。(参加者。高坂正顕西谷啓治高山岩男鈴木成高。)

第一回座談会「世界史的立場と日本」昭和十六年十一月二十六日


特攻隊の身になってちょっと考えたことあるんですけども、日本、祖国、防衛、でも「祖国」と言ったって、いまで言えば、たとえば、稚内から沖縄まで、いまで言えば、1億2800万人がいる。でもそれ、抽象的・観念的には、「祖国防衛認識のために戦え!」と。でもその「戦う」とか「死ぬ」というのは、非常に『具体的なこと』ですよね、自分の命はあと数十秒後には終わるわけですからね。そうなった時にね、具体的状況、具体として死ぬ時には、具体として知っている祖国、それが実は「恋人」であるとかですね。そういう意味ではね、天皇のために死んだのか、恋人のために死んだのかなんて言うね、その「どちらかを取れ」っていう論法、それ自体がおかしくて、『天皇に象徴される日本という祖国、全体のために死ぬのだが、しかし、それを“状況の自分一個の具体的な死の問題”に圧縮された時に、恋人の名前とか姿が浮かんでくる』というね。何ら矛盾しないというふうに僕は思うんですけどね。

[※死に直面した特攻隊員の心情]

そうですね。

昭和31年頃ですか、経済白書が「戦後は終わった」と。戦前の国内総生産より、戦後が豊かになったと。

もはや戦後ではない(笑)

「もはや戦後ではない」と言ったんですね(笑)

ただ、日本人の中でどんどんどんどんそういう『戦後の意識』が逆に強くなって、まぁ「戦後体制に従属していけばいい」、簡単に言えば、「アメリカに守ってもらえばいい」「日米同盟でいけばいい」「それによって豊かな生活と平和が守られればいい」と。ずーっとそういう、まぁ言葉はあれですが、【負け犬根性】というんでしょうか、どんどん時代が経てば経つほど、なんかそんなふうになってきているような気がするんですね。

やっぱりそういう意味では、もう一度原点というか、私はもちろん戦争体験は無いんですけども、『大東亜戦争は何であったか』して『あの敗北は何であったか』ということをしっかりといま考えなきゃいけない時期に来ていると思うんですけどね。

【ジョン・ダワー】(歴史学者、日本近代史、MIT教授)というアメリカ人がいますよね。『敗北を抱きしめて』(※「Embracing Defeat:Japan in the Wake of World War II」 この作品でダワーはピュリッツァー賞受賞)

普通ね、『敗北を抱きしめて』というタイトルだけで、なかなかいい本かもしれないと。敗北を抱きしめ、この敗北という「屈辱」「絶望」の中で、尚且つ、自分、家族、祖国のことを思い、ということを書いている本かと思ったら、《まったく逆》ね。

逆です(笑)

「敗北を抱きしめて、この日本人は立派にも“アメリカの自由主義と民主主義”をよく学びました」という、そういう本ですね。これがこんなに褒められていたのかと思って、唖然としたことがある(大笑)

そうですね(笑)

でも、【戦後というのはそういうこと】(=アメリカ流の自由主義・民主主義の模倣と礼賛)ですよね。

まったくそうですね。

そして、「脱戦後」と言ってる人たちも、人それぞれニュアンスが違うんでしょうけども、脱戦後と言いながら結局はいま言った、アメリカ的というよりは、【近代主義的】と言った方がいいんでしょうけどね。

ある哲学者が、モダン、モダンと言うが、近代ね。これは語源は模型(model)と同じなんだと。ついでに言うとモード(mode)ね、流行と同じなんだと。

[modernとは model模型が mode流行]

そうするとね、『モダニズム』というのはいろんな場合がありますけども、その本質はね、今のアメリカなり、旧ソ連も、今の中国もそうですけども、『単純な分かりやすい模型、もしくは模型的なパターン化された思考・行動の様式、それを大量に流行させて、その中に我がちに飛び込んでいく時代、それ自体あれですよね、人間の精神の複雑性とか、根源性を破壊するようなものがやっぱりモダニズム。

[人間の精神の根源性を破壊する modernism]

戦前は、前回(の放送で)話された、【近代の超克】、西洋近代をどう超克するかがあの戦いの実は思想的な核心にあって、しかし、戦後は今度は【アメリカニズム】というんですかね、アメリカ的近代、(西部)先生が仰られるモダンを、どんどんどんどん真似してきたということですよね。

確かにいま、【脱戦後】と言って、「あぁ〜ようやく政治用語として“脱戦後”と言われるようになったか」と思ってたら、実際には、脱戦後の具体的内容は、(手を合わせながら)ごめんなさい、安倍首相ごめんなさいね、ってなもんだけども、「靖国には行きます」とかね、「憲法改正のことも少し議論します」と言ってるだけで、実際に手がけていることは、たとえば『TPP』にせよ、今度の集団自衛だって結局は『アメリカの応援を、後方支援を一生懸命やりますんで、尖閣がいざドンパチになったらぜひお願いしますね』と言っている。けど、アメリカは絶対に尖閣を守りませんけども。まぁ〜そんなことは、政治論議は今日はともかくね(笑)

《あの程度の「脱戦後」なんですね》・・・ありゃりゃってなもんで。

[脱戦後という言葉遣いの空虚性]

あのぉ〜敗戦直後にですね、【米内光政海軍大臣(元首相)がですね、昭和天皇にですね、『日本民族は大変優秀な民族であるから50年後には必ず蘇ると思います』と奏上、仰られたら、昭和天皇は、『私はそうは思わない。三百年かかると思う』と仰ったそうなんですね。


まぁ〜どういう御心で(陛下が)仰ったかは計り知れませんけども、しかし、この言葉は非常に衝撃的で・・・

三百年ですか。

三百年と言っているんですね。

何回人生あっても足りんねぇ〜僕の場合(笑)

笑。ですから、あの戦争、大東亜戦争をもう一度、どういうふうに捉えるかというところから、配線をどう捉えるか、そこに常に戻りながら、この『精神史の繋がり』を、次の世代に語っていくしかないと思うんですね。

先ほどいった、オルテガのスペインでも、ロシアでも同じようなことは実は【夏目漱石】も同じことは福田恆存先生も仰っているんですけども、なんかこう『外部』に、この場合はアメリカですけども、ソ連でも中国でも別にいいのですけども、【「外部に適応するのを専らにするのは、その文明にとって命取りとなる」】というね。

[外部への適応 専念することの危険性]

確かにそう考えると、これは戦後に限らず、明治の頃から次第に「そっち」(=外部・西洋近代化への適応)に傾いていくというね。やっぱり、『自分が何であるか』という、自分のそれこそオーセンティシティ(authenticity)、あるいはオリジナリティ(originality)でいいのかな?「本源」ね。『本源流を辿ろうとせずに、外部に適用しよう・適用しようとすると、自分自身を失っちゃう』というね。

日本の宿命なんじゃないですかねぇ。

ですかねぇ。

それこそ、宣長(※【本居宣長】)の・・・

ああ〜そうか!!

『玉勝間』(※本居宣長の代表的な随筆集)で言っている「からごころ」の問題も、結局それですよね。おぞましいという。

[※「参考」からごころ

「漢意(からごころ)とは、中国風の生き方を好み、中国思想を崇敬する心のみをいうのではない。世間の人が、あらゆる物事の善悪や是非を論じ、物の道理(事象の背後にある、我々に理解可能な、概念化された原理・原則)を論定していうことなどの類は、皆漢意(からごころ)であるのをいうのである。そんなことを言うのは、何も中国の本を読んだ人ばかりではない。本などというものを、一冊たりとも読んだことのない人でさえ、そうなのだ。」

参考サイト:

といって、それに適応しないわけにはいかないので、現在その“せざるを得ない”というところで、『じゃあどうするか?』というのをやはりなおざりにしている。

ですから、わたしは【戦後の超克】をしているのかどうかというのと同時に、要は我々は佇んでしまって、おそらく桶谷先生の後を継いで、平成精神史って書きようがない25年間じゃないかって気がするんですよ。そういう時代を我々は生きてしまっていることに、忸怩たる思いって気軽に言ってしまってはいけないのかもしれませんけども、そこの問題ってこの蔑ろにせずにいくという、この「戦後」とか、「大東亜戦争」という呼称と同時にやはり我々の問題として、【まさに我々はどう生きるのですか?】というのを突きつけられていると思いますね。

簡単に言うとですね、「平和」ってのは、パクス・ロマーナの「パクス」ですから、あれは元々『平定された状態』・・・

[平和の語源「パクス」(Pax) 平定を意味する]

ええ。

勝利者にすれば「平定する」、敗者にすれば「平定されて」、戦いがなくなったというのが、それが『平和』ですよね、簡単に言うとね。

その、「平和万歳!!」と言い始めた。大日本帝国が負けたのは、僕に言わせれば一向に構わないのだけども、あぁいう負け方をしたのはやむを得ないと思うけども、なんと言いますか、 負け方についての『振り返り方』、言わんや「反省」だ「謝罪」だ何だってね・・・負けた後の考え方が、かくも無惨な精神史がとうとう砂漠・・・砂漠の河で、ずーっと流れていた水が急に無くなって砂漠に没しちゃう流れってあるんですよね。

【日本の精神史は「戦後」という砂漠の中で遂に流れが途絶えた】という。もちろんずっと地下を掘ればどっかに(流れが)あるのかもしれませんけども(笑)

あるんですかねぇ。

三百年後にそれが・・・伏流水が出てくるのかもしれませんけども。

一同
大笑い

昔、一週間程度の旅行が多いんですけども、40カ国前後かな、大雑把に言うと、まぁ下手な英語でお互い喋るんですけども、ほとんど世界のある程度年配の人間たちが、『カミカゼ・・・あれはグレイトだった』というね。アメリカ人ですら、もちろんそうですからね。

[世界が賞賛する日本の「カミカゼ」]

うんうん。

インド人は言うに及ばずでずーっと。

で、そのことを【日本人だけ】が、「あれは可哀想」とか「悲惨」とか「犬死」とか、ちょっと戦後日本は特殊と言えば特殊ですね。

そうだ。締めの言葉をどうだ。富岡君に頼もう。僕自分で締めくくるのはできなくなっちゃった。

いやいやいや(笑)

まぁ〜三百年かかったどうしょもないんでね、今から【戦後の克服】って言うんですかね。それは逆に言えば、今のグローバルな時代で、本当にこの国が『自分は何であるか』って言うね、そこをやっぱり【再発見するしかない】わけで、これは何もナショナリズムとかね、あの軍国主義とかじゃなくて、【当たり前のこと】だと思いますね。

そういう意味での、【民族の魂の回復】っていうことが必要で、それから、というかそこが前提とならないと、憲法をいくら改正しても・・・

そうですねぇ〜

結局、自衛隊をいくら強くしても、なかなか立ちゆかないだろうと、そういう気がしますね。

ということで、三週間、大東亜戦争を振り返り、今を見つめましたが、この番組が一年後にあったら、またお呼びしますので、宜しくお願い致します(笑)

【次回】
木村三浩 クリミア現地視察リポート
MX・表現者