正道を進め、日本国家(脇雅史×西田昌司)西部邁ゼミナール

【ニコ動】
西部邁ゼミナール)正道を進め、日本国家 2014.10.19


ゲスト


小林麻子
先週は「参議院は如何にあるべきか」を主として語っていただきましたが、今週は「日本国家の進むべき長期の路線はどんなものか」が論題になりそうです。

参議院衆議院とは異なって、『国家のロングラン』の、つまり【長期の未来を論議すべき場所(※が参議院)】のはずです。

両先生の正論を深く伺いたいと存じます。それでは先生方、どうぞ宜しくお願い致します。

先週ね、明治維新の後に『参議』という、西郷だ大久保だ5人ぐらいいてね、国家の胎動を5人で議論して・・・。

今日は(その参議は)2人で結構ですから(笑)

(笑)

でもダメか。西郷と大久保はあとあとケンカし始めて・・・

脇・西田
(大笑い)

僕ね、石破茂さんに文句言う気はなにもないんだけど、「地方創生」なんとか〜ってね。なんかね、『地方創生』って表現自体がさ、はっきり言ってマズイでしょう?

うん。。。

「創生」というのは創り出すことでしょう。それでは、『地方はこれまで無かったのか?今これからできるのか?馬鹿言ってるんじゃない!』ってこともあるし、この「地方」という言葉もね、あんまり簡単に遣うのは、僕はダメだと思いますね。

[※『地方創生』 「地方」表現と言葉遣い]

つまり、「地方」というのはあれでしょう?英語で言うと「Local」ですよね。

おそらくね、「地方」よりは『地域』英語で言うと『Region』ね。

『地域』ですよね。えぇ。

地域と言った時に、『一つのまとまり』がある。だから、ある程度の『総合性』を持ってね、そこである程度『自律』する、『autonomy』というんですけどね、そういうものとしての『地域を創り出す』というならわかりますけども。

[※総合性と自律 autonomy 「地域」Region]

地方分権」に始まって、地方、地方と言ってね、これは、『新幹線から外れる在来線がローカル線』でしょう?そんなものをね、どうして日本人、政治家ともあろう方々が・・・学者はだいたい馬鹿ですからね、言葉遣いを間違うんですけどね。

小林麻子
(困惑顔で)そうですかぁ・・・はぁ。

政治家っていうのはね、バランス感覚豊かに、いい言葉をピックアップするのが大変重要な役割なの。

この言葉(=地方創生)、西田さん、ちょっとなんか違和感覚えるでしょう?

そうですね。『地方』というのがね、「痴呆」に通じますからね・・・

あ〜そっかそっか、「やまいだれ」(のほうの“ちほう”)ね。そういうこと言っていいの?(笑)

いやいや(笑)『言葉が先』になってましてね、地方分権論とかいうのを20年間やってきて、それで結果的に東京、首都圏集中(一極集中)になっているんですよ。

だから、「地方創生」とか言うんだったら、それを今まで間違ったことをやったから、つまり、『地方を再生しようと思ってやったのに、結局は首都圏だけ大きくなった』と、そこの整理をしていないと、【地方が「痴呆」になっちゃう】ということだと思うんですけどもね。

それは結局、戦後69年間やってきたことの結果として、『地方の大変な過疎化』が起きるわけですね。そして『少子化』も起きているわけですが、誰もそういう過疎化にしたり、少子化にしようと企んだ人はいないので、まさに、『戦後、私たちが選んできた道の、まぁ「成れの果て」というか「結果」としてこれができている』んですね。

[※省みるべき戦後69年 地方の過疎化と少子化

だから西田さんが言うように、『なんでそうなったのか?』ということを、もう一回、国民一人一人の価値観にまで遡って変えないと、たぶん変わらないし、そんなすぐは変わらない。

で、地方のことを言うのに、中央から「あれやれ」と言って変わるわけないんですね。で、基本的にはまさに、『地域が、自分たちの将来をどうしようか?』

そうでしょうねぇ。

その前に市町村長をはじめとして住民の方々、商工の方、農林水産業の方、建築などのいろんな人が集まって、『私たちの地域はこうするぞ!』という【意志】を持たなければ、どうにもなるもんじゃないですね。

ところが、幸いのことにですね、「この戦後やってきたことを少し反省して直そうよ」というのが既にいっぱい動き出しているんですね、我々が言う前に。ですから、地域の独自性・自律性を活かして、いかに国が手伝うようにするかという。

聞いてると、安倍さんもそういう精神のことは言っておられていて、間違ってはいないと思うのですが、東京にまとめてですね、「お前の事業はこれだ」「お前の次はこれだ」なんてそんなわけにいくわけがないですね。

[※地域の独自性自律性を活かし国が手伝う]

地域のことを考えるでしょう。結論は飛ぶけども、どう考えたってね、【公共活動】ね、これが必要なわけですよ。

そうですね。

公共活動というのは、一つはあれでしょう、【長期的】な、『ロングラン』の問題ね。

長期ですね。そうですね。

と同時に、これを具体案として出すためには、地域のことを具体的に考え得るならば、『地域の人』なんですね。【具体案】としてね。

そうですね。

さてそうなってくると、結論はですよ、どうしたって「地域的な集団」といってもいいし「組織」といってもいいけども、いろんな人たちが集まってね、「自分たちの地域をどうするか?」って、これ広い意味での【組織作り】ですよね。

今の自民党でも、まぁエコノミストが悪いと思うんですけどもね、『公共活動の重要性』、これは結局は、地域の具体策として練り上げるためにはね、地域ごとの利害関係者が集まって、長期も短期も全部ある程度考えるという。

ですから、組織作りとなった途端、「マーケットで分権だとか競争だとか」ね。

そうですね。

規制緩和」だとか阿呆話している場合じゃないんですよね。

実は、1920年代30年代も同じぐらいに《資本主義が限界》にぶつかってね、それで、各国各様に社会主義も含めてね、『どういうふうにして国家の組織づくりを再建するか?』本当はね、そういう議論が自民党がいちばん経験があるはずなのにね。

そうですね。

エコノミスト如きに誑かされて、もっと言うと、ビジネスマン如きにね、証券業界の詐欺話みたいなものにね、迷走させられて。

[※国家の組織づくり再建論 資本主義の限界 1920年

公共の話で言ったらですね、公共と長期と、そこに住む人々、要するに何代にも渡って住む人々がいなくてはならない。

そうそう。

ところがこれ(※公共活動、長期、具体案)全部潰してきたんですよ。

「公の時代ではなく“民間の時代”だ」と。

規制緩和」して「競争」でやって、長期的な利益でも「短期で利益があげられなければダメ」なんだという話に変えちゃいましてね。その結果、短期の利益はふるさとではあげられませんから、『街に出て行った方が話が早い』ですから、自動的に潰れてしまうと。

[※公共・長期的な活動を民間の時代だと潰す]

しかも、それをその地域毎にどうしようかという時に、その自分たちで考えずにですね、誰かの知恵を借りるというんで、なんとか「審議会」とかね・・・

あ〜あ・・・

「第三者機関」とか、同じ人が出てくるんですよ・・・日本全国でね。

そうそう(呆笑)
竹中さんとか。

(爆笑)
そんなもんで、地域がうまくいくわけがないんですよ。

その戦後のは悪さの一つはね、うまいことを言って、東京から予算を分捕ってこようとかね。“あなた頼み”なんですよ。『うまくいかないのは、法律が悪い制度が悪いと、全部“人のせい”なんです』ね。

そうですね。

それはね、戦後のこの70年近くの、非常に大きな我々の心象をそのようにしてしまったというね。(その原因は)自民党政治かもしれませんが、反省点がまさにあって、『本当に地域のことは地域で考えて、「動かすんだ!」ということを心底考えたらね、少し違う動きになる気がします』ね。

しかもね、これ『地域』のことを考えると、おのずとこれ『Interregional』といって・・・

そうですね。

『域際』(※いきさい=インターリージョナル⇒地域間の取引収支のこと)と呼んでいるみたいだけどね。地域と地域の「際(きわ)」=「関係」ね。

当然ね、「北海道をどうするか?」となったら、東北とどうつながるかとか、関東とどうつながるかとかってね。インター・リージョナルな視野が入ってくるでしょう。

[※Inter regional 地域の際域関係をどうするか]

そういう意味じゃ、本当にね「地方分権」なんて戯言言ってる場合じゃないんですよ!域際関係をどうするか。

クックックック(笑)

これちょっと違うんですけどね、実は私この夏にですね、東海道五十三次中山道六十九次をついに全部歩いてしまいまして、それ自体、自分でちょっと馬鹿げていると思ったのですけども(笑)

そこで、気がつきますのは、かつての『街道筋』というのは要するに『物流の拠点』で、それで『宿場町』だったのですが、ほとんど潰れていますよね。辛うじて残っているとこもありますが、まぁ放っておくと、たぶん10年以内に全部無くなっちゃうなぁと感じますね。

[※消えかけている かつての街道と宿場町]

しかしじゃあ、その街道筋から違うところに『国道』ができて、首都圏なんか特にビルが建って、繁栄しているように見えるけども、『そこは日本じゃない』んですよね。かなり【無機質】な、もう【国籍不明】な街になっちゃってて。

結局、昔のそちら(旧街道)の方にしか残っていない日本ですね。

[※首都圏ではビルが建ち繁栄にみえるが無機質]

あれなんで残ったのかと言うと、『経済効率じゃない』んですよね。やっぱりそこを守らなきゃならないという、なんかそういう『使命感』で町を守ってきたし、その中でその方々が、交流できる仕組みを作って、さっき言われたインター・リージョナリズムができて、うまいこと機能していたんですよね。

[※経済効率ではない 町を守りたい使命感]

それが、全部それを「効率」でやっちゃうと、もう地域よりも『国際』の方へ行っちゃいますしね。で『都会』の方へ行くのがもっと早い話という、ちょっとそういうところを反省すべきだと思いますね。

[※全て経済効率だけでは地域でなく都会や国際へ]

全部、「効率主義』だったからね、戦後は。

そうですね。

地域が成り立つためには、人々がそこになにほどか【定住】するというね。

ラテン語系のあれはうまくできていて、住民のことを「Inhabitant」と言うでしょう。「habit」というのは慣習でしょう。これに『in-habit』で、『慣習の中に入る』、つまり『慣習というのは定住性がないとできない』、そこに長期に渡って子々孫々ね。まぁまぁ『あまり動かない』というね。

[※Inhabitant:住民 habit:慣習 習性 / 慣習は定住性から]

ところが、日本人は「高度成長」以来、人口移動を褒め称え得て、「効率を目指して」みんな東京に集まって、大規模なんとかの利益とか称してね。

『この定住するということは、これが地域の根本条件』なんですよね。

[※高度成長以来の人口移動 定住は地域の根本条件]

不便なんですよね、実は。

僕はあれで言うと、僕もずーっと歩いていると思うんですけど、田舎というのは定住で、インハビタント(住民:Inhabitant)じゃないですけど「習慣・風習」で縛られてですね、本当に大変でしょう?

まぁ〜それもある。

都会へ行くとそういうのは無いし、便利なんですけども、しかし、やっぱり人間というのはやっぱり程度もので、『まったく何も縛りが無くなってしまうと、やっぱり人間として生きられない』んですね。

そう。

江戸時代、それ以前も前からですけども、『日本という国は、そこで生まれた人は、そこで死ぬ』と、だいたい。

そう。

そうね。

そういう世界なんですね。やたらと(外へ)出ていけない。「移住の自由」というのは、ほとんど与えられていなくて。

そうですね。

そうするとね、そこに生まれてそこで死ぬという運命になったら、人はどう思うかといえば、【そこを良くしよう】と思うという以外にないわけですね。

そうそうそう。

だから、それが、【日本文化を生んできた】わけで。

[※定住し、良くしようと日本文化を生んできた]

これが、戦後はですね、「東京はいいぞ」と。「どこでも外国でもいいし、行きたいとこ行きゃいいんだ」と、「個人が生まれていちばん楽な人生を送ればいいんだ」と、『お金だけ考えて動く』ようになってしまったら、やっぱり国は潰れるんですよ。

[※戦後は金だけで考え 東京や外国へ移動]

全ての問題は、なんかその点に帰着して、『グローバル』なんて言うけど、グローバルのあれはね、人も物も自由勝手に移動できるという。

[※人、物、金が自由に動くというグローバル]

でも、見てたら確かに、資源とか金とか情報は移動するけどね、【「人間」というのは、本当に移動しているのはほんのわずか】ですよ。これ、主として知識人系統は、(人が)移動しやすいとか、簡単に「下級労働者」ね、それも移動しますけどもね、国民の大半はね、そこにとどまる。【実は留まるから国家ってものが成り立つ】んですよね。

[※国民が留まるから国家が成り立つ]

国家、国家なんて言っているけどね、やっぱり、国民はだいたい日本人は日本列島に立ち止まるものたちだと。

インハビタント(住民:Inhabitant)という言葉の他にね、住民を表す言葉で『dweller』(ドゥエラ:居住者、住民)、ゲルマン語系でね、やっぱり『立ち止まる』という意味なんですよね。

[※dweller「住民」立ち止まるという意味]

だから、人間は何処かに、もちろん、あちこちふらつくんだけど、【何処かに立ち止まって定住する】というね。それがあるから【地域】のみならず、【国家】だってそれがないとね、日本国家なんて意味が無い。

「国家を解体せよ!」これ実は、左翼が言ったことですよね。

そうですよね。

左翼が「国家解体」「国家廃絶」を言って、これをマルクスやレーニンが言って。

[※国家解体、国家廃絶 マルクス、レーニン]

そうですよね。だからこのごろね、『女性の社会進出』・・・

あ〜あ・・・

・・・とかあるんですけど、あの確かなんでしたっけ?『人形の家』か、イプセン(※ヘンリック・ヨーハン・イプセン)の・・・

[※「人形の家」イプセン(劇作家)]

あ〜あ・・・

あそこなんかもヒドイ話でしたね。女性の(家族からの)解放をやっていると何になるかという話なんですけど・・・

そう。

まぁ、かつてソビエトができた時なんかも、子供を家庭から取り上げて、子供を教育して、『家庭から解放する』というか、『女性を家庭の縛りから解放する』『子供を親から家から門地から解放する』ということをやって、全部、大失敗をしているんですけどもねぇ。

[※女性解放と家族解体 ソ連の大失敗]

本当に不思議なことと言うか、もともと、【左翼の空理空論】としてね、「国境なきなんとか〜」とか、「国家の廃絶」とか言う。これは、今は左翼じゃなくてね、ビジネスマンだろうが、エコノミストだろうが、なんだろうがね、それでイデオロギー的には『反左翼』とか言ってる人たちが、【市場の論理として、国家廃絶】ね、この場合で言えば、【定住性の廃絶】を言って、【ぶっ壊している】わけね。

[※国境廃止、国家廃絶、左翼の空理空論]
[※国家廃絶、定住性廃絶をいう反左翼]

経済的なことしか頭にないですよ。「会社がうまくいく」とか「事業がうまくいく」とか。そういう時には、「国境が無い方がいい」ということは、よくあるかもしれませんが、そこから離れられないんですね。

そのまさに『戦後の価値観』の最たるもので、そういう大資本家で、大資本がものをやった方が『効率的』に動きますから、小さいものは潰れていきますね。

[※経済効率を優先させる戦後の価値観]

大店法】じゃありませんけども、どんどんどんどん中小というか、商店みたいなものが全部潰れていく。

でその『商店』というのは、八百屋さんにしたって、魚屋さんにしたってですね、実は、『店主』というのはなかなかいい身分で、小さいながらも一国一城の主なんですね。朝早く起きて市場(いちば)に仕入れに行って、自分で今日は何がいいかなと思って仕入れてきて、自分の好きなように(店頭に)並べて、あなたが来たら安くしてあげますよ、とか、なんでもその・・・要するに、『商店主というのは自己決定権がある』わけですね。

[※商店主には自己決定権がある]

そうですよね。

そのいわゆる、『人間ってのは、自己決定権が大変に必要なこと』で、この人が「もう商店をやめなさい」と、「スーパーへ行きなさい」と言われてスーパーの店員をさせられてしまう。一見、楽になったようだけども、【自己決定権は何も無い】んです。(小林を見て)あなたが来てもまけられないね。

小林麻子
はぁ〜そうですね(笑)

(笑)

どんどんもう、シナリオ通りに動くしかないでしょう?みんな『サラリーマン化』するんですね。日本人があまりにもサラリーマン化し過ぎて、自己決定権が無くなって、ですから、『地域のことについてでも、自己決定権なんか思いもよらない』んですよ。それこそ、【地域が衰退する】んですね。

[※自己決定権がなくなり地域の衰退へ]

そうか・・・。

一人一人が、『自分の生きる道も、地域の生きる道も、自分たちで決めるんだ』ということをもう一回取り戻さないとね、これは、まさに『地方創生』なんて言っていますけども、その辺がいちばん大事なことです。

[※自分も地域も生きる道は自ら決めることが大事]

サラリーマンと仰ったけども、それまたきれいな表現で、実際上はね、やっぱり人間が『ロボット』(robot)、ロボットってね、もともと『労働機械』という意味ですけども、今は情報社会だから、『サイボーグ』(cyborg)、サイボーグというのは『情報制御人間』というのかな、ボタン一つで他人に決定されて動くのね。それが実は、『マーケットの実像』なんですよね。それが「素晴らしい」ってわけだから、あたしゃね、ロボットになるのも嫌だし、サイボーグにされるのも嫌だしね。

なんでそういう常識に戻らないんでしょうね?

[※robot 労働機械人間から cyborg 情報制御人間へ]
[※他人に決定され動くマーケットの実像]

戦後の日本はね、個人の自己決定権を無くす。地域の自己決定権、さらに国家の自己決定権をもね、これも全く無いんですよね。

フッ(笑)

だから、全部そこからスタートしているんですよね。

そうですね。

あのねぇ、テレビでたまにニュース番組をね、見ないと情報社会から取り残されるから、見たらね・・・『女性の活用』・・・なんか、成長戦略の一つが『地方創生』だし、もう一つが『女性の活用』・・・(小林を指して)あなた女性でしょう?

小林麻子
はい。

『女性の活用』って言われてさ、なんか変な語感、感じがするでしょう?

小林麻子
(渋い表情で)そうですねぇ・・・。

ねぇ・・・。

脇・西田
ハハハ(笑)

僕そもそもね、この言葉も嫌いなの・・・『人材』?・・・材料でしょう、木材とかなんかさ、材、マテリアル、材料ですよ(呆)

ビジネスマンが使う話なんですよね。これから「少子化」とか含めてね、「労働力不足」「女性を(社会に)出して使わないと足りない」とかですね。

彼女たちがお金を持ってくると、消費も増えるし、経済も大きくなるとかね。そういう、まぁ『経済的』にはそうなんでしょうけども、そもそも『家庭』とか、別に女性がでも家庭をやれっちゅーわけじゃないんですけども、いちばん問題はね、少子化のいちばん大きな実は、女性がですよ、20歳代で子供を産まない。先に家庭より仕事に行かれて、気がついたら30、40とかなっちゃって、さぁ〜どうしましょうと。「1人だから産めない」という話もありますよね。

[※女性が20歳代で子供を産まず仕事へ]

だから、いま生殖医療もいろんな話があるんですけども、『女性の活用』というと、先週(の放送で)脇先生が仰いましたけども、母親と奥さん、これは絶対にですね、男にとっていちばん弱いのは、母親と奥さんの存在でございまして・・・

ふふふふ(笑)

まさに、『間違ったそういう社会をつくってきた男性を叱り飛ばして頂く』と(笑)

僕は、『女性論』を展開するほど女性に詳しくないけども、しかしね、昔から言われているでしょう?女性の能力を活用する・・・結構な話だけども、じゃあ、「女性の性質とは何か?」と。間違っているかもしれませんけども、やっぱり『直感力』とかね、あるいは、『物事を総合的に感じ取る力』とかね。つまり、直感力とか総合力というそういう問題。

[※直感力や物事を総合的に感じ取る力を持つ女性]

でもそれはね、今のビジネス社会というか産業社会、情報社会とね、そう簡単にマッチしないんですよ。むしろ、そういうもの(=女性の直感力や総合力)を削ぎ落としてね、人々の感情をサイボーグ化してしまったりですよ、あるいは、非常にスペシャルな、特別なことに特化して、特殊な製品をInnovate(イノベート)、創り出すという形でね、『女性の本来の力にあんまり合わないものを近代社会は作り出している』のね。

『女性の活用』と言うのならば、大雑把に言えば、【過剰な近代化】ね。

うん。

『モダニズム』『モダニティー』(modernity:近代性)というのかな。これについて反省するならばね、反省材料として女性に参加してもらうと、『あんた方、男たち変よ!?』と。

そうそう。

『あんた方の勘が狂ってるんじゃない?』とかね。そういうことに活用しなければならないわけ。

小林麻子
そうですね、はい(笑)

ところが、その活用される人に限って、【男性化されている女性】なんですね(笑)

一同
(爆笑)

そ〜れなんですよねぇ。

困ったことにねぇ(笑)

今の女性の一生は非常に長いですよね、80数年平均的に生きて。それで、赤ちゃんを産むというのは、いちばん大事なことだと思うんですけども、それ意外と『教育がなされていない』くて、その20(歳代)前後で産むのがいちばん母胎にとってはいいし、楽なんですよよね。

そうなんです、そうなんですね。

生殖医療なんていらないんです、あんまりね。で、昔はそうだったわけですよ。

それがなんかね、ずーっと結婚しないでおいて、ある程度キャリアを積んでからというのはね、これは女性にとって無理がある話で・・・

無理がある。かなり無理があるんですよね。

(20歳代で子供を産んで、20代ではなく)『むしろ、30(歳代)から、新たに勤められる!!』

そうそう。

[※30代から新規で採用 新たなキャリアを積む]

その人たちを本当に『新規』で採って、ちゃんとキャリアを(そこから)積ませるという方がね、途中でキャリアを中断させるよりね、よほど合理的だし、30から勤めたってね、男と同じぐらい長生きするし、女性の方がね、活発だしうまくやるんですよ。

そうですね。

だからね、少し見方を変えて、この社会の中で、女性が社会進出してもらう時にも、もうちょっと『多様性』を持たせるという雇い方もね。

小林麻子
うんうん。

そうねぇ。

あんまり産業をやってる側の、企業側の論理だけでいちばん都合のいいようにということでやり過ぎなんですよ!

そうですね。

そうねぇ。『社会進出』という言葉だって考えたら、変な言葉ですよね。

[※女性の「社会進出」という変な言葉]

だって、じゃあファミリー(Family)家庭、ハウス・ホールドでもいいのだけど、『家庭』とか『家族』というのはね、じゃあ『社会』とどういう関係にあるんだ?むしろ、(家庭・家族は)【社会の基本単位】でしょう?一単位ですよね。

[※家庭・家族は社会の基本単位である]

『社会の根基礎、基本単位を女性の皆さまなんとかお願いします!』と。男はね、こんなこと言ったらあれだけど、昔あれ・・・金融大臣(※金融再生担当大臣)なさってた柳沢伯夫先生が・・・

あ〜あ、あれね。

「女は子供を産む機会である」(※この発言当時は第一次安倍政権下で厚労大臣)と言ってね物議を醸してね。僕だけがそれ(※柳沢発言)を助けに、言葉の上でね、馳せ参じたの。

いいじゃないか?と。柳沢先生はバッシングされていたのだけど、「女は子供を産む機会でいいじゃないか?」と。ついでにね、柳沢先生はこうも言うべきだったの。

『男は女に金を運ぶ運搬機械である!』ってね(笑)

一同
(爆笑)

小林麻子
アハハ(笑)

(そのように)言えって冗談飛ばして、柳沢先生はえらく喜んで下さったんだけどね(笑)

まぁ〜これね、冗談ですけどもね、家族と社会、『家族は社会の基本なんだ』ということを押さえないから、社会進出ってね(呆)

そうですね、そうなんです。

ビジネス・ファーストの話で、まぁ『成長戦略』ということ自体がそうなんですけどね、今までかなりね、デフレになってきたから、安倍総理は「経済成長させて、デフレから脱却しなくては、国民生活を支えられない」と、それはその通りですから、成長というのももちろん大事なんですけども、あまりね、その時に、まわりに「ビジネスマンの方々」ばかりがたくさん重用されると、どうしてもその『ビジネス・ファースト』の話に引張られてしまうので、そこはやっぱり我々国会議員はですね、ビジネスマンではないですから、それぞれの地域やそれぞれの業界、いろんなところの代表ですから、そういうやっぱり声をですね、しっかり議会や党や国会の中で反映させなきゃならない。

[※デフレ脱却は良いが ビジネスに引張られすぎ]

そう。あの「なんとか会議」がね、予算を編成する権限を持つんだなんて言うけど・・・

いやあり得ないですよね。

なんとか会議のメンバーが、なんでその企業家ばっかりなんだと。それ変ですよね。もうちょっとその、歴史家がいるとかね、教育者がいるとか、いろんな人がいて日本の予算が決まるのであって、ビジネスにだけ都合のよい予算であっていいわけがないんで、あの小泉さん(小泉純一郎)の時から始まったあの委員会は「予算は俺たちが作る!」なんて思ってらっしゃるのかもしれませんが、少し違和感を感じますよね。

そうですね。

これね、やっぱり男共が悪いのよ。サラリーマン、ビジネスマン、家に帰れば男だって家庭人だし、地域でいえば、男だって地域の住民として。

だから、政治とか文化とかそういうものを全部、人間は持っているはずでしょう?

単に電車に乗って、月給取りに行くってね、そういうことじゃないハズなんだけど。

[※男も家庭人で地域の住民 政治・文化を持つ人間]

フッフッフ(笑)

そうですね。

男たちが自分を非常に『特殊なサイボーグ』と化していくでしょう。

それでね、自分たちで、社会も文化も政治も責任持てなくなったから、『女性の活用』なんて言われたって・・・やっぱりね、【女性たちは怒らなきゃダメ!迷惑です!!】と。

うん。

小林麻子
はい。

[※男が社会も文化も政治も責任持てないcyborg化]

『そんなね、私たちを「活用する」前に、あなた方少しは反省しなさい!』と。なんでもビジネス一辺倒の国家をつくって滅びますよということを女が言わないと・・・

小林麻ね
はい。
素朴なところでね、『女性観』とか、転々と来て『国家観』に至るまで非常に素朴なところで歪んじゃっているというね。それを正すのが、実は参議の【参】なんですよね。

[※ビジネス一辺倒の国家づくりという歪み]

参議院の中で、僕が目ぼしい人、調べたわけじゃないんだけども(笑)・・・この二人(脇・西田)しかいなかったんですよ。

『面白く、活力豊かに議論する人たちが参議院

[※面白く活力豊かに議論するのが参議院

で、見渡したところね、なんか「衆議院になれそうもないから参議院になった」ってのがゴロゴロいるし。

それで言うと、脇先生はすごい人でしてね、もともと官僚(※旧建設省官僚)でしたけどもね、そもそもね、「政権の役員はやらない」と。まぁ大臣ももちろんですね。今回も大臣どうだ?というのを断られていますけども。

それじゃなしに、とにかく議会の議論する場の中心でいると。だから、ずっと国対におられて、そちら側の方、本当に表で目立たないんですけどもね。そういう役をずっとされてこられたという人を私も初めてみましたからね。

でも、簡単に言うとね、麻子ちゃん?

小林麻子
はい?

本当にね、200人も300人もいらないの。2人か3人かおりゃあねぇ、そのほんの少数の人が断固として頑張っているとね、長期的に言うと『勝つ』んですよね。

小林麻子
はい。

瞬間的に計算すると、いつも『少数派』なんですけどもね、やっぱり残るものは、比較的正しいものが残るというぐらいの期待は持てるわけさ。

だから、少数派であることはむしろ、【名誉だ】ぐらいに思って・・・

フフフフフ(笑)

あとは、楽しく、2人(脇・西田)頑張って下さい!

脇・西田
ありがとうございます。

【次回】MX・表現者シンポジウム
10.24『瀬戸際の日本外交』