◼︎現代において「思想」は可能か ~国家と思想~③(佐伯啓思×柴山桂太×西部邁)西部邁ゼミナール
【ニコ動】
(西部邁ゼミナール)現代において「思想」は可能か ~国家と思想~ ③ 2014.11.23
柴山桂太:滋賀大学経済学部准教授、表現者編集委員
小林麻子
佐伯先生が京都大学を退官されるのを期に、師弟対談をやってもらっており、今回はその第三回、最終回です。
テーマは『国家と思想』ということになりそうです。思想が紊乱(ぶんらん)し、国家が混乱する中で、西部先生を交えてのお三方、その再建の方向をどう見出して下さるか刮目して待つと言ったところでしょうか。
それでは先生方、よろしくお願いいたします。
これまで二週間分聞いた人はね、それは真剣なのか、ふざけてるのか・・・
小林麻子
アハハ(笑)
でもね、真剣な冗談とかね、あるいは、野蛮な優しさっての?
小林麻子
はぁ。
たとえば、困っている人に猫撫で声でね、さも優しそうに言うと、相手がすごく傷付く・・・というのを「野蛮な優しさ」とか、一見、矛盾しているようでしょう、野蛮さと優しさって。
小林麻子
はい。
そういうのを英語で、どうでもいいことですけども『oxymoron(オクシモロン)』というんですよ。
oxy(オキシ)というのは「酸素=オキシゲン(oxygen)」ですから、その「酸」というのは「酸っぱい」という意味でしょう?『辛辣』という意味で、この moron(モロン)ってのは面白くてね、あれなんですよ『阿呆』っていう意味なんですよ(笑)
『阿呆めいているけど、実は酸っぱい真実が隠されている(=oxymoron)』というね。
[*【oxymoron】阿呆めいて酸味の効いた真実
オクシモロン:矛盾撞着語法⇒矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)=辻褄が合わないこと/撞着=突き当たる、ぶつかること]
視聴者の皆さんね、我々三人が「moron(モロン)=阿呆」に見えるかもしれないけども(笑)
比較的好きなヴェブレン(ソースティン・ヴェブレン)という100年近く前の人ですけどもね、その頃、アングロサクソンがアメリカでね、よ〜く、カルチャー、カルチャー、「文化(culture)」ね、それはね、「アングロサクソンの文化」だったんですよ。それをね、アメリカに広めようとして。
ヴェブレンはね、「ノルスキー」と馬鹿にされた。それで彼はこう言っているんですね。
『カルチャーという言葉を聞くと、鉄砲で撃ちたくなる。』
小林麻子
はぁ。
[*「cultureという言葉聞くと鉄砲で撃ちたくなる」Thorstein Bunde Veblen(1857-1929)
僕ね、その気持ちわかるの。僕は文化が嫌いってんじゃないんですよ。文化学やっているんだけどもね、アングロサクソン如きのね、スペシャルな、特別なカルチャーをね、ノルウェージャン(※Norwegian=ノルウェー人▷ヴェブレンのことを指す)にまで押し広げようとしてね、押し付けがましくされると、鉄砲で撃ちたくなる。
それにならって言うとね、僕は最近・・・
『グローバル(global)ということを言うやつをみると鉄砲で撃ちたくなる』
柴山君はどう?(笑)
柴山桂太
いやよくわかります(笑)
まぁ〜今の(世の)二大キーワードは『イノベーション(innovation)』と『グローバル(global)』だと思うのですけども。
まぁとにかくグローバルというのは、大学も「グローバル大学」、あっ「スーパー・グローバル大学」などといわれて・・・
すごいねぇ・・・(呆)
柴山桂太
「スーパーグローバルになれ!」などという上からの命令で。
小林麻子
へぇ〜
柴山桂太
企業も「グローバル人材」と。政治の世界でも、口を開けば「国を開いて、国境線の無い経済活動を活発にしましょう」(※これは安倍首相w)とこういう話になっているわけですよね。
[*大学はスーパーグローバル 企業はグローバル人材]
どうみても、この20年間、30年間の歴史をみれば、確かに金融を中心に世界は一体化したんだけども、お陰で、あちこちでバブルは起こって弾けるは、国の関係が怪しくなって戦争・紛争になっているは。とにかく『この2、30年間のグローバリゼーションは、どう考えても世界全体を“不安定”にしているハズ』なんですよね。
それは、事実を一個一個みればわかるハズなんだけども、しかし、その今だに「グローバル化が必要である」というわけのわからないその信念みたいなものが一向に崩れる気配が無いというのは、本当に問題だなぁと。
[*世界全体を不安定にするグローバリゼーション]
今の世界のいろんなパニックを、グローバリゼーション、グローバライゼーションと関係付けて言うと、人間の他のね、目とかモノとか情報は、ものすごい規模で、ものすごいスピードで動き得るがしかし、『人間は言われているほどには動かない』、動いてもせいぜい、観光旅行に行って帰ってくると。
あるいはね、1年、2年外国に居たら、また本社に戻るというね、人間というのは、ある定着性というのがあるでしょう。【定住性】というのかな。『モノは動くが、人間はあまり動ききれないというそのアンバランス、インバランスが全体の経済の世界的不安定の根源である』んですよね。
『グローバルと言う奴に限ってね、本当は対して動いていないんですよ!』
[*モノ、金、情報は動くが 人間は動かない定住性]
まぁ大学で言うとね、いま柴山さんがスーパー・グローバル・・・なんでしたっけ?
フッフッフ(呆笑)
柴山桂太
・・・大学。
(スーパー・グローバル)大学か。そういうものが奨励されているという話になってて。
たとえばね、巨額のお金がついて、それで、海外から偉い人呼んできてシンポジウムなんかよく開かれるんですよ。そうすると一見、知識が、学問が同等、「グローバルに開かれた感じがする」んです。
まぁ、中にはそれがうまくいってるのもあるでしょう。だけどまぁ、恐らく、7割8割、あるいは9割ぐらいは、まぁ偉い人の話をちょっと聴きました。それでちょっと箔を付けましたという話で終わってしまって、結局は、大学のお金だけが向こう(海外)に流れていってしまうという事態が、現実にはものすごく起こっていて。ちょっと考えてみると、かなり深刻な話じゃないかという気がするんです。
で、それは僕は、理系の方はよくは知りません。物理やら化学の方はちょっと別にしておいて、文系の方の人文科学やら社会科学の方で言うと、たとえば、アメリカ人やらイギリス人やらが集まって来て「民主主義」とかってことについて議論するとしますよね? だけど、民主主義って言葉で考えてることのイメージが、随分(彼らと日本人は)『違う』んですよね。
アメリカ人の考える民主主義と、日本人が考える、我々が「この前は民主党政権があったよな、二大政党制ができかけたなぁ」とか(笑)そんなふうなことを我々は「民主主義」って言葉で呼んでいて、向こう(英米)の人たちが「民主主義とはこういうもので、日本は民主化していないじゃないか?」というふうに言われると、我々はその議論に『巻き込まれてしまう』というか『乗ってしまう』んですね。
だから、結果として、すごく浅薄な民主主義の理解のようなものが「共通了解」としてそこでできあがってしまう。
うん。
日本は、いつも西洋を追いかけてきましたから、「西洋の土俵に早く乗らないとダメだ」というような、そんなことになってしまって、これはかなり実は『大きな問題』じゃないかという気がするんですけどね。
そうでしょうね。
去る著名な経済学者がね、随分前の話よ、日本に講演に来た時のね「講演料」をある新聞社から聞いたの。本人に渡るのは「2000万円」ですって。日本人が払うの。
すごいねぇ(呆)
小さい声で言うけど、馬鹿なビジネスマンが、自分の金じゃなくて「会社の金」でね、その巨大な千人ぐらい入るホールでさ、5千か1万円の講演料払って来るから、金はあっという間に集まるのね。
小林麻子
へぇ〜。
招いた側は損はしないんだけどさ、そこで言われているようなことなんて、ほんとにあれですよ、何の苦労もしなくてもね、誰でも言えるほどの話をして、この場合で言えば、2000万円の金がたった一晩か二晩で転がり込むというね。そういうことをもう数え上げたらキリが無い。そんなことを言って、スーパー・グローバルと言われたってさ・・・阿呆か、ってな話なんですよ。ほんとにそうよ。
柴山桂太
これ歴史を辿ると、「グローバル化」ってのは、言葉自体は最近のもの、特に、1990年代から流行した言葉のようですけども、まぁ、『国境とか地域の文化の差を超えて、人やモノや金が移動するという現象は、歴史上何度も何度も繰り返されている』というふうに歴史学で言われているそうなんですね。
[*歴史的にみても繰り返されるglobal化]
統計なんかを見ると、この20世紀後半なんかに明らかにそのグローバル化しているんですけども、その前の今から100年前の19世紀、ちょうど『産業革命』で、日本の明治時代というのはそうですよね。考えてみればあの時代、漱石(夏目漱石)、鷗外(森鷗外)は留学して、西洋の文術が入ってきて、まさに、『「日本の近代」というのは、当時のグローバル化の中で実は起こった。』
もっと遡ると、戦国時代も鉄砲が伝来したりとか、キリスト教が伝来したりとかあの時代もグローバルだった。
もっと遡ると、まぁそもそも現生人類というのはアフリカにいたのですから、アフリカから飛び出したという意味において、人類史って最初からグローバル化。
まぁ、そうなんだよね。
柴山桂太
(頷きながら)そういう(グローバル化)のを繰り返して、しばらく収まって、繰り返してという、そういうことのようですね。
そうなんだ。だから、我々って三人まとめちゃうけど、我々はたぶん『近代化=モダナイゼーション(modernization)』、この意味がね、「モデル(model)=わかりやすいモデル」が、巨大な「モード(mode)=流行」となって広がってっくというのが、実は最近のことじゃなくて、石器時代と共に古いんですよ。
柴山桂太
えぇ(笑)
どうもあぁいう矢じりで、マンモスの骨で矢じりを作るとさ、どうのこうのってことは、あっという間に広がるんですよ。
[*模型model が流行mode 近代化modernization]
19世紀のね、たとえば、いま柴山さんが仰った、100年前もだいたいグローバリズムの時代だったというのはその通りだと思うんだけど、それからね、日本の鉄砲伝来とか、どっかね、こちらに「西洋文明」があって、こちらに「東洋文明」があるという、そのかなり『歴然とした文明の違い』みたいなものがあって、で、西洋人たちも東洋に行けば、まぁ「ジパングに行けば黄金の国で大変な金が儲かる」と思った人がいるみたいだけど(笑)
そうねぇ(笑)
なんかねぇ、『西洋には無いものが有る』とたぶん(当時の西洋人は)感じていて、それが東西交流を促して、一種の広い意味でグローバリズムになっていた気がするんです。
たとえば、E・M・フォスターか誰かが『インドへの道』というのを書きますよね。
あぁ。
あれだって、イギリスが植民地でインドに出掛けて、インドまで行ったのはいいけども、インドへ行ってみたらまったく西洋文明とは異質な、とんでもない文明に出会ってしまったという、ある種の『恐怖感』みたいなものが出てくるわけです。
そうそうそう。
それはね、あの時代の少し前のグローバリズム、ある意味で「面白さ」なんだけども・・・
そうか。
いま起きているのは、『物凄く平板なグローバル・スタンダード』という形でね、非常に平板にならしてしまおうという、アメリカが中心となってそういう一種の【普遍的文明】を創り出そうとしたんだけど。
[*米国による普遍的な文明 平板なglobal standard]
その都市で言うと、僕はそんなに歩いていませんけども、ニューヨークもロンドンも東京もシンガポールも香港もだいたい似たような都市になって、似たような生活をしているわけでしょう?
小林麻子
はい。
東洋に来た面白さが全く無いわけじゃないでしょうけども・・・
西部すす
いや仰る通り。
えぇ。ほとんどがもう『均一化』してしまってね。
不思議なのはね、そういうグローバリズムね、国境を越えていこう、世界に普遍的な価値観なり規範なりが広めようと考えたら、どちらかと言うと、いわゆる【左翼陣営】なんですよ、レフトね。
つまり、『自由・平等・博愛みたいな抽象的理念でもって全世界を丸ごと設計し直そう』という【トロツキスト】、トロツキーってね、スターリンに追い払われた、ロシア革命の大立者がいるんですけども、『トロツキズム』というのはそれなんですよね。【世界革命】、『世界にある普遍的なものを、しかも一挙的に、大革命によって実現せよ!』と言ったのが【左翼の思想】なんですよ。
[*自由平等博愛の理念で世界を再設計と左翼陣営 / 普遍的なものを革命で世界に広げる左翼思想]
その経験をしているのに、その後でね、左翼の「さ」も知らないどころか、自分で「反左翼」だと言っているね、たとえばね、ビジネスマンでもね、【自称保守派】と称しているような知識人が、元々は左翼というものを作り出した、その「コスモポリタニズム(cosmopolitanism)」「ウルトラ・インターナショナリズム(ultra-internationalism)」そしてその「グローバリズム(globalism)」をね、「これこそが未来を切り拓く!」と言って叫び回っているわけさ。本当に一種の『倒錯』ね。『ひっくり返り』ね。恥ずかしげもなくね。
[*自称保守派の知識人がglobalismに未来と倒錯]
ちょうど100年前に第一次大戦がありましたけども、結局、あの辺りが「一つの転機」になったのかなという気がするんです。
アメリカがヨーロッパの戦争に参加する時に、まぁやっぱり「口実」が必要なんですよね。もともとヨーロッパの戦争ですから。その時にウィルソン大統領は(【トーマス・ウッドロウ・ウィルソン】)要するに、『世界の民主主義を守るためにアメリカはこの戦争に参戦する』と言ったんですよね。
ウィルソンというのは大統領だけど、あれはもともとプリンストン大学の学長やってた一種の学者ですからね。『理想主義者』なんですよね。だから、左翼とは言わないけども、一種の非常に『抽象的観念論者的』なところがあって・・・
[*世界の民主主義を守ると欧州の戦争に参加:第28代米国大統領 Thomas Woodrow Wilson]
もっと言うと『空理空論主義者』だったわけさ(笑)
うん。それが一方で、『アメリカの自由・民主主義の普遍主義』をもたらし、同じ頃にロシア革命が起きて、まぁトロツキーは追放されますけども、まぁ一種の『世界革命・社会主義は普遍的なものだという理念』になる。
そうね。
普遍的な理念がずっと戦って、冷戦があったのだけど、冷戦が終わってみて、アメリカ型の普遍主義が勝って、『アメリカ的普遍主義で世界を覆われてしまったというのがまぁ、現在のグローバリズム』でしょうね。
[*普遍的理念で戦い冷戦 米国的普遍主義が世界を覆う]
「グローバルの時代」なんて言ってながら、みんなしてどういう解釈をしているかと言うとね、要するに、「イスラム国の人たちは、自分の敵方・スパイと目された人間を処刑して、処刑の場面を全世界にインターネットで流している野蛮なテロリストの集団です」と。
「そのテロリスト・グループに志願する、志願したい人間が北大だかどっかから出てきて、困ったことで日本の公安警察は神経を尖らせています。困ったものには参加しないでおきましょうね」みたいなんですよね。
小林麻子
うん。
[*islamic state イスラム国 グローバル時代での解釈]
ところが、僕はislamic stateを援護するわけじゃないけど、常識で考えてですよ、アメリカが何をやったかというと、911テロの翌年から、徹底的にあの世界(中東世界)を『破壊した』わけですよね。しかもそれを『アラブの春』とか称してね、やっているでしょう。アフガニスタンも含めて。それでも尚且つ、生き延びようとする人々はですよ、破壊された状態の中から立ち上がるでしょう?そしたらね、何ができるかというと、『自分たちのもともとの宗教心も生活習慣もislamic(イスラミック)な、回教的なものだ。これを取り戻そう!』と。
[*2001.9.11 テロ以降 米国による徹底的な破壊]
つまり、言葉のことで言いたいのだけど、我々「state(ステート)」っていうでしょう?islamic state、それで「国」と訳して。「イスラム国はテロルだから怖いです」と言っているわけ。
ところがね、『state』というのはもともとは『状態』という意味なんですね。これね、『状態』とは何かと言うと、『歴史的に蓄積されたもの』で、『時間をかけなければ変化させられません』というのが、『state』という言葉の意味なのね。
[*state「状態」の意味 歴史的に蓄積されたもの]
『state』のアラビア語があるらしいのだけど、それも『状態』という意味で、そうすると、何をやっているかと言えば、アメリカが破壊したわけさ、あの砂漠の民人の国を。そうすると、砂漠の民人たちは、『俺たちのもとの状態に復したい』というね。その『もとの状態に帰りたい』というのが『state』の(意味である)『状態』なわけですよね。至極当然なことでしょう?
小林麻子
はい。
[*米国に破壊された砂漠の民 復したい islamic state]
それをね、我々はお馬鹿さんですから、(柴山を指して)スーパー?
柴山桂太
・・・グローバル(苦笑)
・・・グローバルか。お馬鹿さんですから、世界のことが何にもわからなくなっていますからね、どんどん、グローバルになればなるほど、globe、グローブってね「地球」って意味ですけども、地球のことがわからなくなっている。
小林麻子
はぁ。
柴山桂太
19世紀もある意味で同じだったんですよね。『19世紀のグローバル化』は、先ほど言ったように、まだ「未開の地」が残っていた。そこを西洋の人たちが「資本主義」で拡げていくと。そうすると、当然ながら言うことを聞かないといいますかね、反抗するんで『植民地支配』すると。
[*19世紀は帝国主義 西洋諸国列強が支配する]
当然、いろんな反発が起こって、次第にその中で、自分たちのもともとある何かを取り戻そうという『反植民地・反帝国主義』の運動が出てきて、それが20世紀において爆発してくる。
[*反植民地・反帝国主義が20世紀に爆発する]
で、実は、グローバル化の時代は必ずそれに対抗しようとする動きを各地で作り出して、考えてみると、日本もそうなんですよね。
明治以降の日本の歩みも日本はだからグローバル・スタンダードに合わせなくっちゃならなくて、グローバル化していった。でも、最終的に日本も当時のグローバリズムの中で、なんとか自分たちの状態を取り戻そうとすると。
従って、『今、イスラミック・ステートで起こっていることは、地続きで過去の日本と繋がっていることなんじゃないか』と。
特に、ロシアのウクライナなんか、貴女(小林)行かれたところどこだっけ、クリミア?
小林麻子
はい。
あの辺りは本当にあれですよ、もともとのロシアの状態をstate(ステート)、取り戻そうという運動ということがベースにあるんですよね。
[*クリミア編入もロシアが元の状態を取り戻す運動]
石器時代の昔からね、やっぱりグローバリズムはあるんでしょう。拡がろう、拡がろうとする。石器時代の昔からモダニズム、モダニティってあったんでしょうね。この前のモダニティというのは、模型=モデルをね、大量にみんなに蔓延らせようという。
ヨーロッパはさすが、一日の長があって、『自分たちでモダニティ=近代性というものを創り出しておきながら、産業革命が終わる辺りから、これはヤバイぜ!』と。だんだん国土は破壊されるし、人間は落ち着きが無くなるし、新しげなものにみんな飛びつく連中が増えてくるし、これはヤバイぜと。
[*産業革命終盤に欧州はmodernityの問題に気付く]
少し落ち着いて、それこそinnovationでもいいし、changeでもいいのだけど、『それには警戒しないといけない』ぞ、でも(innovationやchangeは)起こるだろうけど、『少しゆっくりやろうな』という感じがヨーロッパにはあったんですよね。
[*innovation changeに警戒 ゆっくりやろうと欧州]
だから日本だってね、明治このかたmodernization(モダナイゼーション=近代化)やったのは必然だし、ましてや、西洋諸列強に対抗するためには強力な軍隊も・・・あれ、軍隊組織そのものがあれ(=西洋近代式)ですからね。ましてや、徴兵制まで来ると、完全なモダニティですよ、『近代主義の権化』みたいなもの。
でもね、そのうちにだんだんね、やっぱりそれを「素晴らしいこと」としはじめたんだね。
柴山桂太
うん。
ただそれも仕方ないね。どんどんアメリカが太平洋の向こうから来るわけだし、ロシアも北の方から来るわけだから、日本も万やむを得ず(=どうしようもなく)ね、どんどん近代化を推し進めて、強力な軍隊までもつくって、そういうものをつくれば、半島にも行くし、大陸にも行っちゃいましたってね、『仕方ないけど、素晴らしいこととしてしまった』んだね。
柴山桂太
う〜ん。
そこまで来るとやっぱりな〜と思うぜ。戦前、昭和と仰ったけど・・・
【「やっぱり日本人、近代主義というものに対する警戒心が乏しかった」】と思うよ。
これはヤバイものだ、ダーティなものだ、もっと言うと、ちょっとクレイジーなものだっていうね、そういう自己認識が日本において、アメリカほどではないけども、乏しいんじゃないかな、今もなお。
[*日本は近代主義に対する警戒心が乏しかった]
まぁ、大きく言えば、(西部)先生の仰る通りだと思いますけども、ちょっとやはり、戦前と戦後で少しまたステージが違うような気もするんですけどもね。
そうか、そうね。
一流の文学者は、たとえば、『自我の不安』というふうな形で、西洋的な近代的な自我をつくることが本当に日本で可能なのか、そんなこと、逆にそういうことをやってしまったら自分たちの存在の意味が無くなってしまうんじゃないかって、そういうことは非常に文学者の大きなテーマですよね。
[*近代的自我つくる不安 戦前の文学者のテーマ]
で、哲学の方で言うと西田(西田幾多郎)のように、『西洋的なものを受け入れた上で、がしかし、そこに“日本的な精神”をベースにちゃんと持ってこないとダメだというそういう哲学』をね。うまくいったかどうかは別として、そういうことをやろうとして。
少なくとも知識人は、そういう『葛藤』をある程度は見据えていたような気がするんですよね。
そうか。そうですよね。
『戦後』はちょっと酷すぎますね、そういう意味では。
だって、『その知識人が先頭に立ってね、いまで言えばスーパー・グローバリズムを持ち上げるわけ』ですからね。
[*戦後は知識人が先頭にスーパーグローバリズム]
でもこれ、今にはじまったことじゃないですよね。でも、そういうことって結局、【左翼】がやったことなんでしょう?
うん。
結局はね、グローバリズム、【普遍主義】ね。
「普遍的な進歩ってのはね、あるハズなんだ!それが自由主義であり民主主義である!!」と言った。
[*普遍的な進歩あると左翼 自由主義・民主主義]
それを左翼が延々と広めて、その上で、『左翼は実践的に潰れた』わけさ。でも、それを「延長戦」としようとして、ビジネスということは、ほとんど全国民ですからね。全国民が企業活動という形での『自由競争』としての『自由主義』ね。
[*全国民が企業活動の形で自由競争としての自由主義]
それからさ、『民主主義』としての『セールス』、たくさん売れれば民主主義にあっていますってね。
そうですねぇ。
視聴率なんか典型的ですよ。テレビ・メディアにおけるね。それをビジネスが受け継いで、左翼の延長線上をやってるわけさ。
[*民主主義としてのセールス たくさん売れればいい]
僕は、全共闘世代になりますけどもね、68年から70年あたりのその頃が学生生活ですけども、『あの頃の左翼』には、二つの立場みたいのが混在しているんですよね。
一つは『民主主義論者』です。「日本にまだちゃんとした民主主義がまだ確立していないじゃないか?人権意識が確立していないじゃないか?」っていうね。そういう差別がまだあるじゃないかという左翼ですね。でそういう「反体制運動」と。
それから、もう一つは、何かね『土着主義』というか『日本主義』というか、日本のもっと昔の原風景みたいなものがあったハズだと。もっと、土着の日本的なものがあったハズでそれがどんどん失われていく、ということに対する、つまり『近代化に対するどこか反発』というのが、左翼の中にはあったハズなんですよね。
[*左翼の中にも土着主義と近代化に対する反発]
それがね、実は50年代の共産党時代にもあって、60年代前後の僕らの頃にもあって、全共闘時代の70年近くもあったんだけどね、やっぱでも左翼の看板下げちゃうとね、いま仰った『土着』の、もっと言うと、歴史的なジャパニーズネス、『日本人らしさ/日本人的なるもの』を表立って出すということはね、しなかったんですよね、左翼は。
そうなんですよねぇ。
できなかったというのかな。
[*日本人日本的なるものを表立って出せなかった]
だから、それも『抑圧された民』というね・・・
そうそう。
そういう話に。その「抑圧された」という差別の方に重点が置かれていってしまってね。そこでもう少し正直にというか、正面から『日本という国の在り方』というものね、あるいは、ある種の『ナショナリズム(Nationalism)』を交えてやってしまえばよかったと思うんです。
本当よ。
えぇ。
[*日本という国の在り方 Nationalism やればよかった]
そういうふうな時代のね、思想の遍歴を振り返るとね、グローバリズム(globalism)なんてことは、出てくべくもないハズなんですけどね。
[*思想の遍歴を振り返ると globalism 出てくべくもない]
そういう過去の流れを知らない人たち、知ろうともしない人たちがあれかな・・・スーパー・グローバル、グローバル人材?恐ろしいねぇ・・・・。
柴山桂太
しかも、言ってる本人たちも本当に信じているかというと、そういう感じもないんですよね。
そうでしょう?
柴山桂太
ある大学関係者が「スーパー・グローバル大学に当たっちゃってビックリしてむしろ困っちゃった、どうしよう」って(笑)・・・そういう感じではあるりますねぇ。
京大もスーパー・グローバル大学院みたいなものをつくって募集はしたんだけど、ぜんぜん人が集まらないという(笑)
アッハッハッハー(笑)
一同
(笑)
むしろ、学生は冷めてて、面白いですねぇ(笑)
「スマホ」っていうんですか?携帯電話ね、まぁなんでもいいんだけど、弄ってるのがいるでしょう?あれ見てると「独り井戸端」というの?あれ、井戸端会議ってのは、奥さんたちが洗濯しながら「ウチの亭主はアホだ」とかさ、「隣の子供はひどい」とかこうやってたもんなんだけど、そういう場もなくなって、独りでね、ボタンを押して世界と繋がっているんでしょう。でも、結局は井戸端会議なのよね、独りのね、寂しい寂しい井戸端で、その井戸がスマホだか携帯電話だかでさ。
それで、各人「錯覚」で「自分は誰とでも繋がっている」とお思いなんでしょう、ボタン一つで。
[*ボタンで世界と繋がる寂しいひとり井戸端]
でもね、あれはおもちゃの世界をね、電車の中で、あるいは自分の部屋で弄っているだけでさ。ほんとに一種の『自己慰安』ね。『寂しい孤独』な行く末失った人たちの独り井戸端が『高度情報社会』であり『super global world』になっている。
小林麻子
はぁ。
フッフッフ(笑)
[*おもちゃの世界を弄る自己慰安と寂しい孤独 / ひとり井戸端が高度情報社会 super global world]
僕なんか、そんなふうなことを言ったら「鉄砲で撃つぞ」としか言いようがないんだけど(笑)鉄砲も手元に無いから諦めてますけどもね。
まぁ、あとは小林麻子さんにおまかせしますんで・・・
小林麻子
えっ?いやいやそんな(笑)
よろしくグローブ(globe)を取り仕切っておいてください。
小林麻子
いやぁ(笑)
三週間に渡り本当にわざわざ京都からいらしてくださってありがとうございました。
小林麻子
ありがとうございました。
【次回】青山惠子「日本の歌」教室