◼︎レコンキスタに決起すべきとき②(一水会代表 木村三浩)~西部邁ゼミナール~
【ニコ動】
[*この番組は1月22日に収録したものです]
小林麻子
レコンキスタとは「奪われた土地を取り戻すこと」でしょうが、戦後の敗戦、日本人は、領土のことはともかく、自らの国民性において、多くの歴史的遺産を奪われてきました。それを取り戻すのが、国家としての【独立と自尊】ということかと思われます。
熱のこもった議論が両先生の間で繰り広げられると存じます。それでは先生方、どうぞよろしくお願い致します。
どうも、今週もよろしくお願いします。
なんかね、木村先生がいらっしゃると、ホッと気分が落ち着いちゃって、余計な話から始まるんだけど、弱冠、20歳・・・ハタチのことを「弱冠」・・・(黒板に)書かないけどね「弱いかんむり」の方ね、弱冠20歳の頃、僕は今のね、「イスラム国」でね、捕まってね、身代金を要求されてる二人とね比べても、遜色ないくらいすっとこどっこいだったことは認める(笑)
それを認めた上での話だがね、当時ね、「日米安保条約の改定」ということがあって、僕らね、ろくすっぽその中身を読みもしないでね、それを自分たちが、まぁ暴動とまでは言わない、騒動でしょうけどね、騒動の口実として利用したっていうね。まぁ、だから僕も逮捕されましたし、威張っているんじゃないんですよ、自分の脛の傷をね、もう75(歳)だから正直に言うとね、3つの裁判所にかかって、7、8年ね裁判所暮らし・・・暮らしって言わないか、暮らしていなかったから(笑)(裁判所)通いか。裁判所通いしてたようなことがあったんだ。
小林麻子
はい。
まぁ、その記憶にもとづいて言うと、笑って言うべきことじゃないよね・・・
小林麻子
(笑)
▷安保改定(1960)
片務から双務へ
思うんだけどね・・・『日米安保改定』って言ってたそうね。これでちょっとびっくりしたのはね、これはこうなんですよ、それまでの安保というのはね、「日本がアメリカに協力するということだけ」が、1951年の『サンフランシスコ講和条約』ね。
片一方だけが義務があるからね、日本の義務では「片務性」といわれた。片方だけが義務がある。アメリカは無いもの。「日本に協力させるだけで、アメリカは何もしなくていい」というね、日本のためには。
小林麻子
はい。
それをね、【岸信介】さん、安倍晋三首相のお爺様ですね、その方は頑張ってね、これを「双務性」と言ってましたが、お互い両方とも義務がある、「アメリカにも日本を守るのに協力する義務がある」と。だから「平等化」したという。
小林麻子
うん。
であれから随分時間が経ちましたが・・・55年か・・・
うん。
今もなお多くの人が「片務性から双務性にうつったんだから、日本にとっては良いことだったでしょう?!」ということで、(1960年の安保改定から)50何年間も終わっているのね。
▷安保改定の日本人の捉え方
アメリカに守ってもらう
で僕は一つびっくりしたのはね、日本人のそういう受け取り方は、『アメリカに自分を守ってもらう』と・・・
小林麻子
うん。
ね?「(日本人はアメリカに日本を)守ってもらうという意識」で、岸信介当時の首相さんもそんな風に思ってたみたいですね・・・ということが、現首相の安倍さんが、第一次内閣の時に掲げてた『美しい国へ』という本の冒頭にそういうこと書かれているんですよ。
自分(安倍晋三首相)はその時、渋谷の南平台という岸信介さんの私邸で(お爺さん=岸信介)の膝に抱かれてたの。でお爺さんがね、「せっかくアメリカに守ってもらえるのに、どうしてみんな反対しているのかな?」って。
でね、僕の「後知恵」も含めて木村さんにバトンタッチする。
▷まず自分の国は自分で守る
自分の国は自分で守るべくね、まず頑張るべきであって、それを中心に置いて、自分だけで守れないとなったら、「ちょっとあんた方にも、これやってやるからお前方も協力してくれよ?!」というのがね。
まず、自分の国は自分が中心になって守るということが打ち立てられるべきであって、「それも無いままに、アメリカに守ってもらえるはずだ!」なんて、そういう情けない、それこそ【属国根性】であって、いわゆる『戦後レジーム』なるものの根本もね、社会党が悪かったとかね、憲法がどうとかってことの前に、【「手前の国は手前で守る」】と・・・
小林麻子
うん。
いうことがね、この当時(安保改定当時)にも無くて、今も無い。
レコンキスタだなぁと。
そうですねぇ。
▷本来 双務性というのであれば・・・
この「双務性」ということで言えば、あの60年の安保改定の時に、実は日本の米軍基地が存在するならば、本来、双務性ということで言うのならばねぇ(笑)・・・
(言わんとしていることが分かって、思わず 笑)
きむ
(双務性ならば)アメリカに日本の基地があっていいわけですよ。
ねぇ。
小林麻子
あぁ〜。
そうなったら面白かったろうねぇ。僕はすぐね、背がちっこいから雇ってもらえないけど、もうちょっとたっぱがあれば、すぐ自衛隊になって、ワシントンのそばの日本基地に・・・へへへ(笑)
▷日米安保の双務性
本来は相互に守る
結局「相互に守る」ということだから、日本の国内だけに米軍の基地がある・・・
小林麻子
うん。
だけでもおかしくて、アメリカには国連の本部があるわけですから、それを日本の自衛隊が行って、国際外国軍隊として基地を置いて、「アメリカが何かあった場合には守りますよ」というのではじめて双務ですけど、そうじゃないわけですよ、実際は。
たまたま、「日本政府が一方的に条約を破棄すれば、それは一年で解消できますよ」という条文が(条約に)入っただけですね、実は。
第十条
もつとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。]
▷安保条約
目的は占領軍の継続
それまでは、ぜんぜんそんな文も入っていなくて、「日本が独立しました」と言いながら、『占領軍が(日本駐留を)継続するために安保条約がつくられちゃったようなもんで。』
そうなんだよね。
そう。『占領軍の継続を国際的に合理的にさせるために、安保条約はつくられたんですよ。』
だから、本当に不思議というか奇妙な構図になっている。
奇妙ですよね。
双務的で、アメリカに義務を負わせたと言いながら、そんな言いようを見るとね、米軍の基地がね、例えば、名護とか、岩国でもいいしさ、なんて言いましたっけ、青森の?
三沢。
三沢とかね、そういうところにあることもね、もちろんそうだけど、そういうことを「容認する」というね、そういう内容だった。
だから、それをずっとね、容認して、(日本人は)傭兵みたいな形で思っているんですけど、やっぱり、【「自分の国は自分で守るというのが原則」】ですよね。原則なんですよね。
だから、結局いつまでたっても、米軍さんにお願いしますよ、という根性になっちゃってるわけですよ。
小林麻子
あぁ〜。
その、憲法の第9条には、陸軍と海軍と空軍は持っちゃいけません、ましてや、戦争する権利すら有りませんと。
うん。
▷砂川闘争(米軍駐留は違憲か)
⇒統治行為(高度の政治性)
小林麻子
うん。
で、『砂川闘争』(1957年7月8日)とか、そういうのがあったわけですよねぇ、結局。
で、最終的に最高裁判所で争ったんだけど、最高裁判所は「判断できません」と。「これは統治行為で国が決めてください。私は判断放棄」(=統治行為論採用による破棄、地裁差戻し)という裁判所になっちゃったわけです。
それが全部ですね、この「アメリカ軍が存在していつまでたっても守って貰えばいいじゃないか?」というとこにね、なっている・・・惰性と慣わしですよ。
いやほんとそう。
▷アメリカの基地がある日本
独立国とはよべない
1980年前後かな、結構、僕は外国行ってたんですよ。主としてヨーロッパなんかではね、ほんと一般庶民とちょっと片言英語の類いの会話で言う。何度か3、4度経験があったんですよ。
簡単に言えば、「日本は何だかんだ言ってるけど、結局、アメリカのベースキャンプ、基地がね、日本にあるんだって?そんなの(日本は)独立国じゃないじゃねーか!?」とね。ごく一般市民の真っ当な価値、素朴な見解なんですよね。
世界中、日本人が一番の国だなんて思ってるのはほとんどいないんです。ただ、金があるからね、「お前ちょっと金よこせ!」みたいなことはしょっちゅう言われているようですけどね。
米軍、外国の基地が(日本に)あって、たまたまじゃないんですからね?今でいえば70年もあって。
▷independent(独立した)
in(否定)- dependent(依存した)
独立というのは、Independence(インディペンデンス)英語で。dependentというのは「依存する」、その否定がIndependent(インディペンデント)=「依存しない」という、それが『独立』なのに、『米軍基地で70年?それがインディペンデントじゃないんじゃないの?』というのが、真っ当な常識的日本観なんですよね。【日本人だけが独立国だと言ってるだけ】で。
といったところで・・・
木村さんはスゴイの。貴女(小林麻子)の方が、木村さんについてはね。なんと言ってもクリミアについていかれたようだけど。
フッフッフー(笑)
小林麻子
いやいやいや(汗)
貴女(小林)の方がお詳しいんでしょうけど。
小林麻子
いえいえいえ(汗)
いま問題はね、アメリカをチェックするためにね、「日本とロシアとの関係が面白い!」と言ったら語弊があるけどね、で木村さんが協力しているんだけど、民間外交としてね。
小林麻子
うん。
▷日露平和条約は未だ締結されず
つまり、日本の方がロシアとね『平和条約』よ、貴女?平和条約って何だ?講和条約って言いますけどね「戦争はやめました!」というのが『講和条約』なのよ。まだ、ロシアと結んでいないんですよ。ロシアってソ連だけど、ソ連なくなったからロシアなんだけど。
(日露)講和条約を結ぶことにね、アメリカが何ら反対出来るハズがない。いい?
小林麻子
(頷く)
戦争状態が法理的に(ロシアと)続いているんですから。
戦後70年、確かに日本は“戦後70年”なんですけどね、他の地域、特にアメリカなんかは、戦後70年なんじゃなくて、しょっちゅう戦争していますよね?
そうね。
うん・・・だから、アメリカにとってのその平和の期間というのは、「戦争をやってることが平和の期間のような状況」なんだけど、日本の場合にはね、確かにサンフランシスコ条約(※当時、旧ソ連と中国はこれに不参加)で、講和条約をしましたけど、『唯一、ロシアと平和条約結んでいないんですよ。』
日ソ国交回復だけでね、共同声明だけで終わっていますから、これこそね、今年は戦後70年で、他の人たちは戦争やっているかもしれないけども、日本は唯一、ロシアと平和条約を締結するということで、初めて完遂出来るんですね、平和条約が。
▷日露平和条約を結ぶ意味
これね、女性の麻子さんにも分かると思うけども、先ほど言ったことの繰り返しだけどね。
小林麻子
はい。
日露平和条約を結ぶでしょう?そうするとアメリカはどう感じるか。「あっ、これまでの日本人はアメリカ様ァ〜アメリカ様ァ〜ってね。でもちょっと変わったな」と。「ある程度インディペンデントに、独立心を持ってロシアと交渉に入っているな?」と思うでしょう。
中国もね、中国の上、北の方はロシアなわけですよ。今は日中、日中やってるけど、「日本はね、自分の後ろにいる巨大なユーラシア大陸北部のロシアといろんなことをやりはじめているな」と。
もうちょっと誇張して言うとね『日本とロシアに挟み撃ちされているのは、俺たち中国かな?』というね、多少とも思うことがあってさ。そういうとこの意味においてね、いわゆる【地政学】とも言うんですけどね、日本をめぐる地政学、土地の勢力、あるいは土地の政治かな、土地をめぐる勢力の政治がね、(日露平和条約締結によって)グッと動くんですよね。で、僕は動かした方がいいしね。
小林麻子
はぁ。
少なくとも、『戦後レジームとの脱却』というのならば、そのことをね・・・それなのに、そんなことを首相一人に出来ないから、「安倍さんやれ!」なんてことを言っているんじゃなくて、そういうふうに我々は議論を真剣に始める。そういうことだぁね?
そうですね。戦後レジームの脱却ということになると、いちばん見やすい形は、『戦後で平和条約を締結しなかったロシアと(条約を)締結する』というのがね、日本の自由な意志で自由な独立した姿勢でロシアと持てる、締結出来るというのはありますね。
▷ダレス(米国務長官)の恫喝
北方領土問題への横槍
『それをね、今までアメリカの方もですね、日本とロシアが仲良くならないように言ってきてたんですよ。』
うん。
嘴(くちばし)と横槍を入れてきたと。【ダレスの恫喝】というのがあってね。
[*ジョン・フォスター・ダレス:51年日米安保の生みの親と言われる。アイゼンハワー政権下で国務長官を務めた。ダレスの有名な『ダレスの恫喝』の中身とは、「1956年の重光葵外相とのロンドン会談にて、ソ連との北方領土返還交渉において、二島返還での妥結をすれば沖縄返還はない!と恫喝したと言われる、これがもとで日ソ共同宣言では北方領土は返還されなかった」などとされているが。]
そうそう。
鳩山さんは、鳩山由紀夫さんのお爺さんね。
小林麻子
(うん。)
脅かしたんですよ。
こんなね、(木村を指して)一水会のような上品な言い方じゃなかったの。返しませんよと、なんてんじゃないの。
(苦笑)
小林麻子
アハハ(笑)
だって『返さねぇぞゴルルァァ!!』ってそういう感じだったらしい。
小林麻子
へぇ〜。
だから、そういうことで嘴入れてくるでしょう。だから、それはやっぱり戦後レジームのね、何もならない、(それが)継続していて、脱却するチャンスは、ここで自分の頭で考えて日露平和条約を締結する。そのチャンスが今あるわけですよ。
小林麻子
あぁ。
プーチン大統領がいてくれるうちに。
しかも俺どうもね・・・もちろん、安倍さんね利口な方なんだよ。どうも利口なんだな。
へへっ(笑)
しかも、冗談じみて悪いけどね、なんか東大とかなんとか出たら、自分が利口だと思っているけどね、安倍さんどこでしたっけ、大学で言うと?
成蹊大学。
あぁ、そうそう。それをね、利口じゃないなんて勝手なことをね。そんな偏差値はどうでもよくてね、安倍さんは遥かに利口みたいね、どうもそれが定説になりつつある。ようやく第二次安倍内閣ではじまって、「あの人利口だぜ」ということになっている。
▷対プーチン外交をやりたい安倍首相
僕は何を言いたいかというと、安倍さんはね、どうもね、木村さんは詳しいんだろうけど、やっぱり『対プーチン外交をやりたい』のね。だから、それのあれ(=成果)を必ず残そうと努めているわけですよ。
だけど、アメリカがものすごく邪魔するでしょう。もちろん中国だって(それが)邪魔というか。それを、安倍さんはともかく「最後の一本の線」だけは残しておこうという形で、ロシアに取り組もうとしている。それはね、言葉の端々に伺えるね。
▷北朝鮮問題でも
戦後レジームからの脱却を図る
あぁ。
オバマがレームダックになって、キューバと国交回復して(※国交回復しようという流れ)ね、いまいろんな細かいことをやっていますけども、安倍さんはね、やはり拉致の被害者の方々や、北朝鮮問題で一つ大きな戦後レジームの脱却を、ロシアと北朝鮮でやるんじゃないかなというのが私ね、見ているんですよ。
で、なんか(安倍総理は)頭がいいと言うんですけど、本当にね、勘がよくて、そして腹が据わってててね、珍しいですよね?60幾つで、60歳ぐらいですよね、歳は。
あぁ、そうでしょう。
戦後生まれの首相としてね、やっぱりね、イスラエル行ったりしていろいろその喋っちゃうことはですね、去年の選挙の大勝によってね、喋っちゃったんですけど、『これは周りが悪い』でね、周りがちゃんと進言する人が居ないとダメなんですけども、その周りの人が良ければ、対ロシアもしっかりできるでしょうしね。対朝鮮もね、ちゃんとできると思います。
だって、本人がやる気あってね、腹はある、体力はある、それで、考えも頭も非常に明晰だと言う。だから、チャンスなんですね、これは。
そう。
▷一度傷つけた
安倍首相の強さ
ちょっとね、話がズレちゃう、ずっこけちゃうけれど、本当にね、日本人が利口だったかどうかは知らないんだけど、「第一次安倍内閣」の時に、つまらないことを徹底して、日本の世論が安倍内閣、安倍を傷つけたでしょう?こっちの思いで言うとね、安倍さんは一度死んでるんですよ、政治家としてそうやって。
うん。
やっぱりね、一度死んだ人は強いね。
うん。
一度死んだ人のことを、普通「ゾンビ」と言うらしいけど、そんな悪い意味じゃなくてね、やっぱり、一度傷ついた政治家が立ち上がるとね、やっぱり強いんですよね。「何かを覚悟してやっている」と。
そういう意味から言うと、何か人間的に期待できるんですけど、また、日本人もアホで、世論もアホで、取り巻きもアホですからね、せっかくの利口さが発揮出来ないでね。
恐らく、安倍さんの自身で言えばね、やっぱり長州のお爺さんの岸さんのね、やっぱり国家のために頑張られた。でそれが乗り移ってきてね、そして今年は吉田松陰なんかもいろいろブームですから、ある面では本当に『憂国の宰相』というか・・・
そうでしょうね。
そういうような気持ち、気合を持ってきているんじゃないかな。ただ、残念なのは、周りにいる・・・
そう。
人たちがもうちょっと奮起しなければダメなんじゃないかなって気はします。今回のアラブに行ったのを見ればね。
ちょっと話変わるけど、麻子さんさ、どうして僕に聞いてくれないの?偶然、黒板に「lame(レーム)」なんて書いて、関係ない話とかって(笑)
小林麻子
その前に、はい(笑)
▷lame duck の言葉使い
日本人の欺瞞
小林麻子
はい。
日本人は日本語では使わない。
アメリカでレームダックだと言ってるから、俺たち日本人も「オバマさんはレームダックね」と言うけど、誰か麻子ちゃんにさ「レームってどういう意味?」と言うと、じゃあ(西部に)聞いてくれ言うのに、それで(貴女に意味を)聞けば、(わからないと)まぁそういうことになっちゃうの。
僕そのことどうでもいいのだけども、なんかね、『戦後レジーム』というのは、ものすごく(根が)深くてね、安保条約の問題、憲法、みんなあるんだけど、実は、本当にこんな(※「レーム」の意味を知らず「レームダック」という言葉を便宜的に使っている日本人)些細なね・・・英語ならいいけど、日本語ならダメとかさ。そういうなんていうの、微妙な言葉使いまでも(戦後レジームの問題が)及んでいるからね。
木村さんに言う。
はい。
『戦後レジームからの脱却は、75歳の老人として眺めれば、残念ながら不可能であります。』
小林麻子
あぁ〜。(嘆息)
(後ろに仰け反りながら)いやぁ・・・
いやぁ〜って、いやぁ〜って(笑)
いやよいやいや・・・じゃなくて「ダメよ(ダメよダメダメ)」か、そんなのあったけど(笑)
まぁ、本当にね、そんなことを言いたいわけでもないんですけれども、それこそ仰った、(安倍総理周辺の)取り巻きがね、もちろんね。
でも、安倍さんがいま・・・一体(外交外遊で)何十カ国回ったんでしょうかねぇ・・・もう60カ国ぐらいもう近づいているんだろうと思うけどね・・・
うん。
やっぱり、普通に政治論的に評価するとね、外交的にね、やはり顕著な成果を挙げましたなぁと、東南アジアからはじまって、アメリカだなんだと動いてね、前回(先週の放送)言ったけど、イスラエルまで行ってさ、かなりのスコア、点数を挙げたなぁと。
うん。
けどしかし、なんかあれだね、ほんと雰囲気的には外交で頑張っているけども、それこそ、「どういう屋台骨の外交なのかな?」というと、肝心要なところでね、これ安倍さんのせいじゃないんだけども、『いったい日本はどんな国として、アジアの一角に場所を占めようとしているのか』ね、もう一つも二つも朧月夜みたいにしてね、こうぐ〜っと(雲で)霞んでいると。ちょっとそういうところは否めないね。
小林麻子
はい。
パッと明確に月が出るのは「戦後80年」(今から10年後まで)になりますかね・・・
そうかねぇ。
・・・へっへっへっへー(笑)
▷「敗北を抱きしめて」
ジョン・ダワー(米・1938~、MIT教授、アメリカ歴史学者、Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II(邦題「敗北を抱きしめて」)
ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』とかね。ふっふっふっふ(笑)
あっ、そう!
これはね、他で言ったことだけど、『許せないこと』があってね、僕は流行の本を読むのが嫌で・・・この場で言ったかなぁ?(※去年の『大東亜戦争とは何だったのか? ~戦後の超克~』の回で西部先生ご自身が話されています。笑)ジョン・ダワー(の本が)山ほど売れたみたいね。
そう。
『敗北を抱きしめて』・・・でもね、タイトルはいいでしょう?僕の人生ずっとそうなの、敗北を抱きしめて。
小林麻子
はぁ。
遅れ馳せに、あんまり売れてるから読まないで、遅れ馳せに読んでみたら『酷い本』で・・・
(うんその通り。)
中身はね、「日本人はあの大敗北を抱きしめて、よくアメリカの民主主義を学んで、よくぞアメリカに続く優等生になりました。日本の子どもたちはいい子ちゃんね♫」と、そういう内容の本なの。
小林麻子
(俯いて、ガックシ)
それを日本人が山ほど買って、山ほど宣伝して。
小林麻子
はぁ。(嘆息)
普通は、敗北を抱きしめてじゃなく、敗北を噛み締めて、というのか普通はね。負けたと。その敗北感を噛み締めて、いつか・・・
小林麻子
うん。
「復讐する!」とまでは言わないけども(笑)、『いつか立ち上がるぞ!!』というのが日本語のまともな扱い方でしょう。
「敗北を抱きしめて、相手の言うことを聞きました。」なんてさぁ・・・
小林麻子
はい(笑)
や〜だ〜ね。や〜だ。や〜だ。や〜だ。
そうですねぇ。
『敗北を蹴飛ばして』ということも言えますよね。
といった次第でね、結論を出すけど、木村さんね、僕ねぇ・・・一水会・・・
はい。
麻子さん、本当は(木村は)怖い人なのかもしれないのよ。
小林麻子
そうですね、はい。
でもね、どうもそうでもないかもしれない、わかんない(笑)
小林麻子
そうですね!
でもこれからも、時々お呼びしてね・・・
はい。
簡単に言うと、戦後レジームというものを、今年(戦後)70年らしいから、それを抱きしめる(※ジョン・ダワー)んじゃなくて、『蹴飛ばす!!』という趣旨でね・・・
はい。
蹴飛ばすマネぐらいはすると。
はい。
小林麻子
(うん。)
自分のたとえ、足が折れてもね、蹴飛ばすことはすると。
小林麻子
はい。
ということで、今日言い足りなかったことは、またお呼びしますんで。
はい。
二週に渡りありがとうございました。
一同
どうもありがとうございました。
【次回】敗戦国日本は「ごまかし国家」である
ゲスト 伊藤貫(評論家、国際政治米国金融アナリスト)