▪️小林響が撮った人間の原型①  (西部邁ゼミナール)

▪️小林響が撮った人間の原型①
 (西部邁ゼミナール)

ゲスト 写真家 小林響:写真集「tribe」光琳社出版 (滅びつつある3000人の少数民族を9年に渡って撮り続けたポートレート集)

評論家 西部邁 近著:「生と死、その非凡なる平凡」(新潮社)

【ニコ動】

西部邁ゼミナール)小林響が撮った人間の原型 2015.07.05
http://sp.nicovideo.jp/watch/sm26638020?cp_in=wt_tg


小林麻子

今日は写真家 小林響さんの初のご登場
です。小林さんは、地球上から消えつつある「未開の地」を歩いて人間という生き物のarchetypeアーキタイプ=元形)、つまり「古い形」を撮影してこられた方です。

特にsavage society(サベージ・ソサエティー)、つまり『未開社会』に生きる人々の表情や体形をフィルムに焼き付けることによって、それらの人間像そのものに未開社会のUr-type(ウル・タイプ)、つまり「原形」が刻印されています。それが、小林さんのお仕事のもっとも印象深いところだと思われます。

(小林響の写真誌「journal」を手にして)外でも高い評価を得ています。今週から2週に渡って小林さんの発表されておられる写真集から未開のポートレートをいくつかテレビに映させていただきつつ、『未開』と『文明』の差異についてのみならず、同一についても議論していただきます。

どうぞよろしくお願い致します。


西部邁

あぁ、よくいらしてくださいました。

実は、うちの娘がね、ある写真展で、小林さんご本人から写真集を・・・「tribe」、「部族」と訳すのかな、それを頂戴してきて、それで僕もうちで見て、ペラペラとめくって、うわっ、これはすごいやと思って。

実は小林響さんのことを存じ上げていなかったんですけど、うわぁ〜とすごい写真がいくつもあるんで、最初にそうだなぁ・・・視聴者のために写真から見てもらおうか。


小林麻子

これです。(※写真については上にニコニコ動画のリンクを貼っていますので、実際に動画を見て確認してください。)


西部邁

ちょっとこれについて小林さん、一言説明してくれますか?


小林響

えぇ〜とこれは、イリアンジャヤ(地名)というニューギニア地区の部族の女性の手なんですけど。

[*イリアンジャヤ(Irian Jaya)ニューギニア島の西半分、インドネシア領、島の東半分がパプアニューギニア領)


小林響

よく見られるとわかるんですけど、親指以外は指が無いんです。(左手の親指以外の4指が欠損している写真)


西部邁

う〜ん。。。


小林響

これは病気とかで(指が)無くなったわけじゃなくて、家族が1人死ぬと、指を一本一本切断していくという、石器時代に等しいような生活をこの部族はしているんで、石斧で(指を)切り落とすんですよね。

[*Dani Tribe(イリアンジャヤ) 女性の手:ダニ族というのは、イリアンジャヤの先住部族の一つ、ちなみに身内の不幸の度に指を切り落とす習慣は、現在はインドネシア政府から禁止されている。→ 参考サイト: http://karapaia.livedoor.biz/archives/52188163.html


西部邁

(切り落とすのは)別の人。本人じゃなくて男がね。


小林響

そうですね。その家族の首長というか、いちばん権力のある男性が、ここは一夫多妻制なんですけども、その妻で、今度は誰が死んだから、誰の指を切るということを決めるらしいんです。


西部邁

なるほどね。男がね、権力のある人が弱い女の指を切るのは残酷ね、みたいなことを言うけど、たぶん違うんですよね。


小林麻子

はい。


西部邁

つまりね、未開社会でしょ?簡単に言うと、子供を産む・育てる、その他諸々。つまり、生命現象に纏わるプロセスを担当しているのは女性なわけですよ。それで、誰かが死ぬでしょう?そしたら生が死になる。そしたら、『その死を引き受けるのも女性の仕事』と。


小林麻子

はい。


西部邁

というね、半ば無自覚のそういう未開社会の感覚でもって、それをね、女性差別なんて言う人がいれば、『未開社会のことを知らなさ過ぎる。』

小林さんは未開社会に、お幾つのころ、どんな気持ちで入り始めたんですか?


小林響

そうですね、一番最初に行ったところはアフリカなんですけども、


西部邁

アフリカ?


小林響

えぇ。35歳の頃ですねぇ。


西部邁

あぁ〜随分、歳をとってからですねぇ。


小林響

で、なぜ(未開社会に)行ったかといえば、単純に言うと、僕は人物の撮影をずっとやってたんですけども、日本でこれぞ、という顔に巡り合うことが出来なかったんですよ。


西部邁

うん。


小林響

ある日の図書館で、19世紀の後半に撮られた写真を、ポートレートなんですけども、だいたいダゲレオタイプといって銀盤写真なんですが、その19世紀の肖像になんかこう来るものがありましたね。


西部邁

なるほどね。


小林響

その中でインディアンとか、未開社会のアジア、中近東のポートレートが、とてもこのいま日本で見られるような顔が無いんですよね。それにちょっと憧れみたいなものをもって。


西部邁

いや僕ね、この写真集で一番ね、一つ印象深かったのは、背景がね、たぶんあれは白い紙、布・・・


小林響

紙です。


西部邁

(白い)紙を持って、背景が真っ白なんですよ。それでポートレート、人物の顔だけが浮かんでくるんですよね。

そういうのたぶん珍しいんですよね。未開、savage society(サベージ・ソサエティー)でも、例えば森が写ってたりさ、イノシシがその辺りにいたりね、いろんな背景があるでしょう。ところが『人物だけ』ね、それが浮かびあがってくる。

やっぱり人間・・・結局、人間ですからね。我々もちろん自然も関心あるけどね、自然の中にいる人間ね。その人間の顔がグーッと浮かびあがってくる白黒写真になってて。ものすごい強い印象ですよね。もう一枚ぐらいちょっと(写真を)出してくれる?


小林麻子

はい。こちら。(Irian Jaya Dani Tribe)


西部邁

なんじゃこれは!?ということだけども。


小林響

これは、先ほどアップで見たその(指が)カットされてる手の人ですね、女性なんですけども。


西部邁

なるほどねぇ。


小林響

(写真を)よく見られるとわかると思うんですが、両方の手とも親指しか残っていないんですよ。


西部邁

すごいね。


小林響

すごいですね・・・。


西部邁

もう一枚。


小林麻子

はい。


小林響

これも同じニューギニアなんですけども、こちらは指が全部無い。


西部邁

あぁ〜本当だねぇ。やはりこの指だけじゃないけども、これ未開、サベージね。

あぁ〜そうそう。日本人はしばしばsavageを「野蛮」って訳すけども、そういう意味じゃなくて、本当は『未開』というかな、そういう意味で。

[*savage society(未開社会) savageは野蛮ではなく“未開”]


西部邁

未開社会で、顔に・・・これニューギニアだけじゃなくて、この場合は瞼だけだけども、顔に模様、絵を描くでしょう?これはずっとそうですよね、ヨーロッパのケルトでも、日本のアイヌでも、アメリカのネイティヴ・インディアンでも自分の顔に絵を描いてく。これなんなんでしょうね、日本人、現代人は絵はキャンバスに描いて(笑)、未開人は顔を自分のキャンバスに。

おそらくさっきと関係があって、なんか人間の表現というものを、これ、言語表現でも、絵画、音楽でも何でもいいのだけど、『そういう表現もまたグルッと回って自分(=の顔へのペイント)で引き受けちゃうというね。』

表現を紙にしてどっかに行って、どっかに流しちゃうとか、人にやっちゃうとかじゃなくて『全部自分のところへ戻ってくる』という。おそらく文字社会に、文字が無い社会に特有のことだと思うんだけど、すごいですよね。

そのうち、これには無いけども、(身体を)刻む(=入れ墨)もね。


小林響

そうです。


小林麻子
(もう一枚、別の写真を)


西部邁

あぁ〜これだ。これも同じニューギニアなんですけども、身体に塗って、これ入れ墨じゃないんですけど、ペインティングという形で。『自己表現』なんですよね。


小林麻子

うん。


小林響

ほとんど「裸族」なんで、服をほとんど着ない部族なんで、これ(=身体へのペインティング)も一つのファッションですね。


西部邁

あぁ〜。そうですよね、これキレイですよね。


小林響

まぁこちら女性で15~6歳ぐらい。


西部邁

15~6か。


小林麻子

へぇ〜(驚)


小林響

成長が早いんで、この年齢で出産するのが普通みたいですけどね。


西部邁

そうでしょうね。


小林麻子

ペイントはあの・・・このままなんですか?


小林響

いやいや、これは取れたり、自分で簡単にペイントできるみたいですね。そういう機能。(洋服を着るように)身の白をつけるみたいな。あと灰ですね、燃えかすの灰を水に濡らして身に塗ってる。

ヨーロッパではね、ずいぶん早いんですけど、やっぱり、現代文明というもののどん詰まりを感じてね、それで、文化人類学と共になんですがね、『未開の文化を探索する』という、まぁ20世紀の始めからですかね。マリノフスキー(※【ブロニスワフ・マリノフスキー】)というのがたぶん20世紀始めですけどもね。

[*ブロニスワフ・カスペル(英: キャスパー)・マリノフスキー 1844~1942年 ポーランド出身のイギリスの人類学者 ]


西部邁

ヨーロッパは帝国主義で世界を支配するでしょう。それと同時に、支配する対象である、この場合は未開社会だけどもね、未開社会の文化を調べないと、支配も統治も協力も出来ないよね。で、そこに学者もついていくという。

日本もそうなんですよ。日本のいわゆる帝国が拡大する時に、必ずそれに連れて民俗学的、もしくは文化人類学的な者も同時に行って、未開社会の探求に入る。

ところが、それは単に対象として探索するんじゃなくて、己に返ってきて、『ある意味じゃ未開社会の方が魅力があるんじゃないか?』もっと言うと、『自分たち文明が堕落してるんじゃないか?』ってね、そういう反省まで迫られてくる。

ヨーロッパはそういう意味じゃ、随分早かったですよね、日本よりか4、50年は早いんじゃないかな。


小林響

そうですね。


西部邁

戦後日本は完全に呆けてしまって、技術文明に舞い上がってしまったことを入れれば、日本はこの面では100年なとこね。


小林響

うん。


西部邁

何か無関心を決め込んでいるという。もう一枚見せて。


小林麻子

はい。・・・いやぁ、ちょっと・・・これ、すごい。


西部邁

これはなんですか。


小林響

これもまぁニューギニアなんですけども、これはミイラなんですね。


小林麻子

う〜〜〜ん。。。


西部邁

すごいねぇ・・・。


小林響

え〜と、「ミイラのつくり方」を簡単に説明しますと、死亡してからスグに煙で燻すんですね。燻製状態ですね。


西部邁

燻製だねぇ。


小林響

何週間も燻すみたいですね。ここは暑いところなんで、そのまま放置してるとすぐに腐敗が始まるんで。多分そういう技術も長年の間に作られたんでしょうね。

で、これはなぜ、ミイラに・・・まぁミイラになれる人となれない人ってのはハッキリしていて、ミイラになれる人というのは「尊敬されてた人」というのは「酋長」ですね。


西部邁

酋長。


小林響

で、彼らの生活をちょっと調べてみると、要するに、モノが余ったら、その生活しているみんなに分け与えたみたいなんですよ。


西部邁

あぁ〜。


小林響

で、ヨーロッパ社会とか日本など、文明社会において、余剰価値という余剰のものを流通させない文化らしいんですよ。それで、自分で多くの獲物とか農作物が手に入った場合はみんなに分け与えるという、そこで尊敬されていくみたいなんです。


小林麻子

はい。


西部邁

有名な文化人類学者で【クロード・レヴィ=ストロース】という人が、最初はあの人はブラジルのナンビクワラ(Nambiqwara)という裸族の中に入ってって有名な本(『悲しき熱帯』)を書くんですけど、そのあと北上して、あれはカナダのバンクーバーあたりかな・・・いわゆるね、【ポトラッチ】(potlatch:ポトラックに同じ)ね。

[*クロード・レヴィ=ストロース(1908~2009)ベルギー生まれのフランスの文化人類学者 著書「悲しき熱帯魚」など ] 


小林響

えぇ。


西部邁

ポトラッチ(※北アメリカ先住民の祭り)というのは、いま(小林響が)仰った「贈り物合戦」なんですよ。

[*「参考」エミール・デュルケームの甥であり弟子である、フランスの社会学者、文化人類学者、マルセル・モース(1872~1950)の代表作『贈与論』において、ポトラッチ、クラといった、交換体系の分析を通じて、宗教、法、道徳、経済の諸領域に還元出来ない「全体的社会的事実」の概念を打ち出す

ポトラッチは、ハイダ族、ニューホーク族、トリンギット族、ツィムシャン族、ヌートカ族、クヮクヮカワク族、沿岸セイリッシュ族を含む、アメリカ及び、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州の太平洋岸北西部海岸に沿って居住する北アメリカの太平洋側北西部海岸の先住民族によって行われる祭りの儀式である

この言葉(ポトラッチ)は、チヌックジャーゴン語で「贈る」または「贈り物」を表す言葉に由来する。ポトラッチは、裕福な家族や部族の指導者が家に客を迎えて、舞踊や歌唱が付随した祝宴でもてなし、富を再配分するのが目的とされる。主に、子供の誕生や命名式、成人の儀式、結婚式、葬式、死者の追悼などの機会に催された。太平洋北西部先住民族の社会では、一族の地位は所有する財産の規模ではなく、ポトラッチで贈与される財産の規模によって高まった。]


西部邁

その(ポトラッチの)文化というのは、A部族が主として仮面=マスクなんですけどね、マスクを贈る(※贈与)でしょう。そして今度は(※それを受領した)相手も(こちらに)マスクを(※返礼として)贈るね。もちろん、毎年毎年(贈り・贈られるモノは)違うんですけどね、立派なマスクですから、それなりの物財も時間もかけて作って贈る。贈り物合戦。

そのうちに最後のポットラックは、最後はある種凄いんですよ。作って、破壊するんですね。


小林響

えぇ。

[*「参考」マルセル・モース『社会学と人類学』

ポトラッチとは、本来は食物を供給するとか、消費するとかいう意味である。これらの部族は、非常に裕福であって、島嶼、海岸あるいは海岸とロッキー山脈との間に定住し、その冬を絶え間の無い祭礼一饗応、定期市、取引であり、同時に部族の盛大な儀礼的集会でもある一の中で過ごす。

これらの部族において注目されるべきことは、これらの全ての活動を支配する競争と敵対の原則である。果ては、戦いを挑むまでに至り、対抗する酋長や貴族の死をまぬく。

つまり、金持ちになった者は、しかし金持ちのままでは誰にも尊敬されないので、そこで《全財産を散財》する。他者にあげたり、燃やしたりする。そうして「一文無し」になることで、他者に尊敬される。これが一つのパターン。もう一つは「他人に贈り物」をする。貰った者は、それに+α でお返しをする。すると、さらに上乗せして贈り物を返す。

こうして、誰かが破綻するまで、贈り物のチキン・ゲームを繰り広げる。果ては、相手を死に追いやることさえある。]


西部邁

つまり余剰物ね。自分たちのギリギリの生活だけど、余剰物で豪勢なものを作って、自分たちでそれを『破壊』してみせるという。それは何かと言ったら、それはあれですよ、この場合は、ある種の権力的な自慢なんですね。『自分たちはこれだけ浪費が出来るんだ』と。破壊という浪費ね。おれたちも出来るという。

今度は自分たちのつくったものの浪費合戦・破壊合戦まで行くんだけど、それがね・・・簡単に言うと、何万年もやってたって感じなんですよね。

僕が喋ってまずいけどね、一度ぼくバンクーバーへ行った時に、ヴィクトリア島(※北カナダ北部の北極諸島にある島)という小さな島があって、そこにね、マスクのポトラックの博物館があるんですよ。 行った日がたまたま日曜日で、博物館が閉まっていた。にも関わらず、ドアは開いていたんで、忍び込んだんですよ。

そしたら、マスクの展示場が地下でね、蛍光灯もあまりついていなかったの。薄暗がりの中におそらく何千年にわたる何万個のマスクがずーっと並んでいるんですよ。その薄暗がりをずっと一人で歩いたことがありますけどね、なんか・・・別に気味は悪くなかった。


小林響

うん。


西部邁

でも何か異様なものは感じましたけどね。本当は現代人だって、それをやっていると言えるんですよね。自慢し合ってさ、GNPが幾らとか、経済成長率が幾らだとか、現代人がおかしいのは、その余剰物を蓄積してそれを威張って、それを使って人を支配しようとしたりね。manipulate(マニピュレート)、操作しようとしたりする。

それで、自国でも『階級社会』を作るしね。例えば、世界でも「発達した国」「遅れた国」という階級差を作っていくというね、未開社会はそれを作らずに、ポトラック(=贈与合戦)をやり続ける。


小林響

そうですね。


西部邁

少しはね、どっちを取るかはあれだけど、たまには、【現代文明へのアンチテーゼ】をね、少しは見た方がいいんじゃないの。・・・と思ったんですよ(笑)


小林響

そうですね、僕も。


小林麻子

(写真をもう一枚出して)はい。


西部邁

これは?


小林響

これは、ブラジルのアマゾン川の奥地にインディオの永久保護区があるんですよ。


西部邁

ほぉ〜。


小林響

このシングー川というところの部族で、カマユラ族(Kamayura Tribe:ブラジル)というところの。

[*シングー川:アマゾン川の主要な支流の一つ、流域に住む多くの先住民を保護するために、シングー国立公園が設立された。この地区にはおよそ2万6千平方kmに16民族以上、約3000人のインディオが居住している。]


西部邁

いい顔してますねぇ。


小林響

これはあの、5年か6年に一回近郊の部族が集まってレスリング大会をやるんです。


西部邁

あぁ〜そうか、見た覚えあるなぁ。


小林響

その時の「戦士」の肖像ですね。メイクも彼ら独特のメイクなんですけど、勇ましさを表すという。


西部邁

いや、実にいい顔していますよね。


小林響

まぁ僕もいろいろ世界中歩いて撮っているんですけども、これぐらい引き締まった、まさに戦士って感じですよね。


西部邁

そうですよね、えぇ。日本の女優さんも男優さんも結構、カメラの前で品(しな)を作ったりしてますけど、何も作ってないもんね。戦士ですから。militant(ミリタント=戦士、闘士)。


小林響

目がこう静かなんですよね。静かでありつつ、何かこう強いものを感じるという。


小林麻子

そうですね。


小林響

なかなかこういう顔には出会ったことはないです。


西部邁

そうだねぇ。こんなにを見ると、これは「文明」に当たるんだけど、昔、スパルタの300名がペルシャ(アケメネス朝:クセルクセス1世によるギリシャ遠征)の5~60000兵に突撃して、いわゆる玉砕。

[*ペルシャ戦争における「テルモピュライ(テルモピレー)の戦い」B.C.480年8月]


西部邁

それとはね・・・ギリシャはスパルタ文明だから、未開社会じゃないけど、たぶん、こんな顔が300人集まって、ペルシャ軍に突撃したんでしょうね、何も考えずに。


小林響

あぁ〜もう一枚。


小林麻子

はい。


小林響

これも同じ部族です。これも戦士ですけども、正面から。


西部邁

あぁ〜。しかもあれだね、目鼻立ちで言うとハンサムなんだね。


小林響

この部族は結構、えぇ、ハンサムな。


西部邁

目が大きい。鼻筋がね。顔にやっぱり紋様を描くというのはいいですね。気性さを表す紋様なんでしょうね。何なんだろうねぇ。


小林麻子

(別の写真をもう一枚)


小林響

これは少女(Kamayura Tribe)というか、この紋様もそうですよね。なんかそれなりに意味があるんだろうと。


西部邁

う〜ん。それはあれ、下半身は入れ墨なの?


小林響

いや、これはペインティングですね。


西部邁

ペインティングか。


小林響

まだ、13歳とか14歳ぐらいの。


西部邁

乙女か。大人になりかかっている。


小林麻子

姉妹ですか?


小林響

いや、違います。


小林麻子

違いますか。


小林響

えぇ。日常的にこういうペインティングはやるみたいですね。その日の気分で。


西部邁

なるほどね。


小林響

ちょっと次を。


小林麻子

はい。


小林響

これも同じ部族なんですけども、これはちょっと変わってて、これは呪術師なんですよ。


西部邁

あぁ〜呪術。メキシコで言うところの「medicine man(メディシン・マン)」っていうやつね。


小林響

えぇ。病気を治したりお祓いをするっていう、独特の能力があるみたいですね。


西部邁

うん。ところで麻子ちゃんさ。


小林麻子

はい。


西部邁

メキシコのね、まぁ言って見れば、アメリカ・インディアン系統なんだけど、その人たちの呪術師が「medicine man」と言われるんだけど、medicine(メディシン)、薬。


小林麻子

はい。


西部邁

どうしてか見当つく?


小林麻子

えぇ〜?????


西部邁

本当はね、本当はいいんだけど、えぇ〜?って言うから答えちゃう。


小林麻子

(苦笑)


西部邁

薬も調合するんでしょうけどね、病気になった人にね。同時に、たぶん僕の想像で言うんだけど、それは半分か八割か、いわゆる現代人からみれば「麻薬」ね。


小林麻子

うん。


西部邁

そうすると麻薬をやる。それはmedicine(薬)でしょう。麻薬で治りもするけど、同時に幻覚も見るでしょう。

ですから、現実=reality と illusion(=幻想・幻覚)の世界が微妙に交錯している、そういう境界線上にmedicine man(メディシン・マン)が登場する。

しかし、(写真の人物の)これは、メディシン・マンにしては、すごい戦闘的な姿をしていますね(笑)


 小林響

でも、村人から見たら、これは優秀なメディシン・マンだそうです。


西部邁

あぁ〜、そうですか。


小林麻子

メディシン・マンの方は生まれた時からメディシン・マンなんですか?



小林響

いやいや、なんか修行をするみたいですけどね。


小林麻子

あぁ〜。


小林響

そして、アメリカ・インディアンの話を聞いたんですけど、


小林麻子

はい。


小林響

ある年齢に達した時に、まぁ18歳からあ19歳ぐらいの時に一人で山に入るらしいんですよ、山の奥。そして、一人で生きたり・死んだりというような、それぐらいの極限状態にいって、ある種の幻覚を自分でまぁ薬(=麻薬)を使って出すんでしょうね。

そして、その見た幻覚があって、その強度によって呪術師になれるか、普通の人で終わるか。


小林麻子

へぇ〜。


西部邁

僕が言ったことなんだけどね、それね、麻薬とかなんかとか言うとさ、今言ったように幻覚と言うとね、現代人はね、なんかさ、science(サイエンス)、科学の対極にあるものと思うじゃない。ところがね、これは、レヴィ=ストロースの説なんだけども、『未開民族にとっての呪術というのは、実は現代人にとっってのサイエンス=科学と同じものなの。』


小林麻子

うん。


西部邁

つまり、原因をたずねようとするわけね。科学というのは因果関係、原因があって結果があるね。原因・結果の関係をいろいろ調べるわけでしょう。

実は、メディシン・マン=呪術師もね、実はある人が、あなたが病気になった時にさ、なぜ病気になったかを調べるわけさ、原因を。


小林麻子

(うん)


西部邁

そして(薬の力で)幻覚を見たり何なりして、実は・・・ごめんなさい、自分でいいんだけど、先祖の祟りじゃ!ってね。5代前の先祖がこういう悪さをしたから、それは5代前から来たと、やっぱり、一応それなりに原因と結果の説明になっているわけですよね。

だから、呪術師を「非科学的」とか何とかって言うのはね、考え方は間違いであって、『呪術師こそは人間にとっての科学的精神の、原因・結果探求の始まりだと。』僕が言ったんじゃないの。レヴィ=ストロース先生が仰って。

それに対して、religion(レリジョン) =宗教というのはまた違うんだと。

宗教(レリジョン)というのは、原因・結果じゃなくて、原因・結果を含む全体がどうなっているかということに、宇宙がどうなっているか、宇宙の秩序ね、世界の秩序、それについてのある種の大掛かりなvision(ヴィジョン)を示すのが宗教で、ここから原因・結果を考えるという。

だから、これはあれなんですね、『呪術というのは、科学者の始まりなんですよ。』


小林麻子

うん。


西部邁

先ほどね、(写真の呪術師を見て)戦闘的と言ったけど、実はね、scientist(サイエンティスト=科学者)の始まりという、そういうことですね。

いや、こういうふうにしてね、ぼく実はあれなんですよ、こういうね、savage society(サベージ・ソサエティー)、やったことはないけど、ずっとイメージとして関心があってね、今日は何度もレヴィ=ストロースクロード・レヴィ=ストロース)の名前を出したけども、彼はフランスで、両親がお絵描きさん(父親が画家)のユダヤ人ね。それで、1920年代だか30年代だか忘れたけども、まだ学生さんをやってて、ヨーロッパは次第に戦争で怪しくなるでしょう。しかもユダヤ人狩りもはじまるでしょう。その時に彼は突如としてね、ブラジルに入るんですよね。(※当時新設だった、ブラジルのサンパウロ大学の社会学の教授として赴任の打診を受ける。)そして(民俗学のフィールドワークに取り組むべく)裸族の中に入って行くというね。

そういう意味で、文明を捨てるという程じゃないんだけど、「自分たちがなんで大戦争をやるのか」「なんでユダヤ人狩りまでやるのか」ね、そういうことを内部にいたら見えない、(だから)『見えないものを見るために外に出る』というね、そういう意味で未開。

ところで、先生!・・・サベージ・ソサエティーはまだ地球上に残っているんですか?


小林響

いや、まだ僕が見た限りではほんの僅かです。


西部邁

ほんの僅かですか。


小林響

ただ、僕がこれ(写真集『tribe』)を撮ったのは1990年代なんで、いまは消滅しているかもしれません。


西部邁

あぁ〜ほんとにねぇ。


小林響

それがもう、残念でならないという。


小林麻子

はい。


西部邁

えぇ、こんなふうにして未開(社会)が絶滅しかかっていることについて、小林さんの感想を聞いて、今週はお終いにしようか。この世界の惨状について。


小林響

そうですね。ちょっとあの、一つ文章をちょっと軽く読みたいんですけども。

『全世界に目をやれば、日々耕作が進み、次第に多くの人々で溢れようとしていることは確かに極めて明白である。

いま、あらゆる場所に近づくことが出来るし、あらゆる場所が知り尽くされようとしている。

快適この上ない農場はかつては荒涼として、危険な荒れ野であった痕跡を跡形も無く消し去ってしまった。

耕作された土地、開墾された森、羊の群れと家畜の群れは野情を追い払ってしまった。

砂漠に種が蒔かれ、岩は取り除かれ、沼地は干拓され、かつての小屋一つ無かったところに大きな街が出来ている。』

という・・・


西部邁

それ、50年ぐらい前の話ですか?(笑)


小林響

いやいや、これは実はですね、テリトリュウスというカルタゴの学者らしいんですけども。

西部邁

カルタゴですよねぇ。


小林響

紀元4世紀にこういうふうに。これ、僕も見てビックリしました。


西部邁

そうなんだよ、ずっとこういうふうにしてね同じような事が言われているのね。

こちらから見れば、結局はもう紀元5世紀から言われたことをね、繰り返しているだけのことじゃと。

そろそろね、早く変化することに、大量に変化させることにちょっくらブレーキをかけてもいいんじゃないでしょうか、と、この『tribe』という写真家の小林さんは仰ってる。


小林麻子

はい。


西部邁

ということで、今週締めくくっていいかね?


小林麻子

は、はい。その通りだと思います。


小林響

(俯いて笑いをこらえる) 


西部邁

ありがとうございました。

小林響

いやどうもありがとうございました。



【次週】小林響が撮った人間の原型
ゲスト:小林響(写真家)