▪️小林響が撮った人間の原型② (西部邁ゼミナール)
▪️小林響が撮った人間の原型② (西部邁ゼミナール)
ゲスト 写真家 小林響:写真集「tribe」光琳社出版 (滅びつつある3000人の少数民族を9年に渡って撮り続けたポートレート集)
評論家 西部邁 近著:「生と死、その非凡なる平凡」(新潮社)
【ニコ動】
(西部邁ゼミナール)小林響が撮った人間の原型② 2015.07.12
http://sp.nicovideo.jp/watch/sm26688726?cp_in=wt_tg
小林麻子
先週に引き続いて、写真家 小林響さんをお招きしております。小林さんは未開(未開社会:savage society)に生きる人々のポートレートを撮り続けてこられた方で海外では大きな好意的評判を得ております。
しかし日本では、小林人気まだしの感があります。それは、今の日本人がinnovation(イノベーション)、つまり、技術革新にうつつを抜かして文明の原点に遡求することを忘れたからではないでしょうか。
そこで、絶滅されつつある未開の文明が、文明の絶頂を生きる日本の現代人に何を教えてくれるのか、小林さんの写真に触れながら西部先生と語っていただきます。よろしくお願い致します。
今週もよろしくお願いします。いま麻子ちゃんにこれから紹介してもらいますけども、外国では小林さんの写真集というのは本当に高い評価を受けていて。
ちょっとその一端を紹介してくれる?
小林麻子
雑誌の表紙にもなってらっしゃいますし。
小林響
これは、ニューヨークのSoHo(※ソーホー:South of Houston Street、芸術家が住む街として知られる) というところで、Soho journal(ソーホー・ジャーナル)という雑誌なんですけども、何人かのアーチストと一緒に。この表紙は僕の(撮った)写真なんですけど。
小林麻子
あとすごい。ファッション誌に載っていたりするんですよね、このようなオシャレな。(BAZAAR、VOGUE)
小林響
これはPARIS VOGUEで紹介された。これはHarper's BAZAAR、一流誌なんですけどね。
小林麻子
そうですよね。こちらもちょっと・・・
小林響
これはPHOTOというフランスの写真雑誌なんですけど、そこで紹介していただきました。
小林さん説明しにくいからわたくしのようなのが偉そうに解説するとこうなんですね。
日本人は変なことがあって、日本人の作品が海外で有名になってそれが日本に逆輸入されて日本で大人気というケースもあれば、逆に、海外でちゃんと評価されているのに、日本で一切誰も知らない。両極端があるのはなぜであるか・・・、小生考えたことがある。
これはね、実に嫌なことなんだけど、日本で大人気となるにはあらかじめちゃんとね、commercial route(コマーシャル・ルート)、advertisement(アドバタイズメント)、広告ルートがちゃんと出来ていて、あらかじめそういう準備をして向こうでそういう評判をとる。
ところが、そういう準備は小林響さんはしなかったし、たぶん出来なかった。
小林響
そうでしょうね。
そうすると、そういうルートに乗ってないものは、外国で評価されても日本人は誰も知らない。で一言いうとね、これは他人事じゃないんですよ。
英語でcritic(クリティック) というと評論家・批評家という意味ですけどもね、欧米ではクリティック(評論家・批評家)というのは、社会的立場としては相当高いんですよね。例えば、あの人は文明のクリティックだぜ、というと、あーそーでござんすか、ということになる。
日本で評論家だぜ、というとね、「評論家にすぎん」と。どこの馬の骨かと。まぁ自分のことを言っているんだけども(笑)
それは何もね、クリティックってことの意味がね(日本と欧米では)全然、かなり違うんですよね。欧米の場合、何かの写真のクリティックというのは、この写真は人間のcritical line(クリティカル・ライン)というのは「限界」(もしくは臨界)という意味ですからね、『文明の限界を見極めようとしている写真である』とかというね。
クリティック(critic)、「批評」ですけども、批評というものがなければ物事の範囲が定まらないという意味で非常に重要な位置づけなのね。
日本はそうじゃなくて、何かここにあって、それを井戸端会議風にあーだこーだ丁々とお喋りするってのが、日本での批評なっていて。
だから、批評というもののレベルが全然日本は浅いし、向こう(欧米)はまぁ、良かれ悪しかれね、深いってこと。そこに起因していることなのね。
先週はあれやりましたよね、ニューギニアとブラジル(のsavage society)が中心だったけども、これは?
小林響
これはアフリカですね。1991年に初めてアフリカに行った時の トゥルカナ族(Turkana Tribe:ケニア)というエチオピアとケニアの国境近くにいる・・・
おぉ〜。じゃあ山岳?
小林響
いやいや。山岳というか湖(トゥルカナ湖)の周辺で、遊牧の部族です。
あぁ〜なるほどね。
小林響
これ(写真)も同じトゥルカナ族、こちらは女性なんですけども。
お婆ちゃんだね。
小林響
(写真を)よく見ていただくけると分かるんですけども、こちらの目(写真の左目)なんですけども、ちょっと瞳が濁っているんです。
あぁ〜。
小林響
やっぱり白内障らしいんですよね。
なるほどね。
小林響
向こうは紫外線がものすごく強いので。
あぁ〜そうか。
小林麻子
何か、お話はされたりするんですか?
小林響
いや、あの、この(部族の)言語が分かりませんから僕は。もう顔の表情でコミュニケーション取る以外は手立てが無いんですよね。
そらそうでしょうね。body languageでかなり通用する場合もあるんですよね、気分はね。
小林響
うんだから、どれぐらいあの、近代人と同じ言語が発達しているのかがちょっとわからないんですけど、結構単純じゃないかと思うんです、言語体系が。
あぁ〜そうでしょうね。僕はこんなアフリカの知らないんだけれど、人から聞いたんだけど、マレー語だって、東南アジアは単純で。(マレー語は)「過去形が無い」んですってね。
小林麻子
あぁ〜。
ですからね、日本語で言えば・・・「きのう食べる」と言うわけさ。
小林麻子
(笑)
食べ「た」という過去形が無いから。でも、「昨日」と言えば昨日のことだから、意味として「食べた」というか、昨日食べる、と。
小林麻子
あぁ〜、分かる。
おそらくあれでしょうね、vocabularyなんて本当に少ないでしょうね。
小林響
えぇ。
千ぐらいあれば、もっというと数百あれば生活は足りる。
小林響
結局、文字が無いので、自分が記憶出来る単語の数ってそんなに無いじゃないですか。文字を辞書とかでいつも見ていれば何万語というようになるんだろうけど。意外と単純な感じでコミュニケーションを取っているような感じはありましたけどね。
僕はある女流画家、名前は言う必要はないけども、インドに10年も15年もいた女流画家(※おそらく秋野不矩[あきのふく]。西部が秋野不矩について自著で書いている)で、ヒンズー語も喋れない、英語も喋れない。ところがインド人から好かれ好かれ大人気で。
それはもちろん絵を描くということも出来ますけども、それ以上に、何か分かるんですね、その人の人格とか何かがね。
ですからね、たぶん(小林響は)それをやってこられたんですよ。
小林響
いやいや、そこまでのあれじゃないんですけど(笑)
まぁほんと。その点は女性の方が便利かもしれませんよね。男性はちょっとね、良かれ悪しかれ強面するから危ない目にも遭うんですよ(笑)
小林響
そうですね。
小林麻子
でも、写真を撮らせて下さい、っていうコミュニケーションはどういうふうにするんですか?
小林響
やっぱりあの、言葉が分からないんで、とりあえず、どういう事がやりたいかというものを、カメラを持っててカメラを構えれば、(向こうは)あぁコイツは撮りたいんだな、みたいな。
小林麻子
あぁ〜。
小林響
わきで(写真の背景になる)白い紙を、あぁ〜ここに立つんだな、みたいな。そういう感じです。
小林麻子
あぁ〜フフッ(笑)
小林響
いきなりこう盗み撮りはしないので、それが大変ですね。白いホリゾント(※舞台後方の壁、Horizont)の前に立ってもらうということに。
だから、ある程度「尊敬の念」をもって。
そうでしょうね。
小林響
うん、同じ視線で対話しないとダメなんですよ。だから、そこ(白いホリゾントの前)に立ったらある程度、勝負は決まっているような、えぇ。
小林麻子
あぁ。
そうでしょうね。やっぱり、たぶん僕らの想像でいいんだけど、正面から行って、例の盗み撮りかなんかをやると、向こうはカッとくるんでしょうけどね、正面から頭を下げるとかこうやれば、(向こうは)何か言ってるなってことになるんですよ。それでよろしくな、とこう言って。
小林麻子
あはははは(笑)
まぁいいや、写真を見して貰おう。アフリカの次は・・・
小林麻子
はい。
小林響
あぁ、これは中近東のヨルダンの。
あぁ、ヨルダンね。
小林響
まぁ、あのアラビアのロレンスが活躍してた場所に近いところで。
ベドウィン (Beduin Tribe:ヨルダン)ですね。
小林響
えぇ。
これびっくりしたんだけどね、ご本人(=小林響)から教えてもらったんだけど、この(写真の)少女の目の中に拡大するとわかるらしいんだけど、小林響さん、写す人の姿が目の中に写っているんですって。えぇ〜と思って。
小林麻子
あぁ〜。
小林響
偶然なんですけども、今までこの写真集に収められている『tribe』の中で、いちばん(この少女の目に)僕が写っているんです。
小林麻子・西部
へぇ〜。
小林響
僕も好きな写真のうちの一つなんですけども。
小林麻子
うん。
自分の話で恐縮なんですけども、モロッコまで行って、大西洋の浜辺で真っ昼間から地場のワインを飲んだんですよ。結構酔っ払っちゃってね、それで砂漠に入っていった。
その(写真の)少女はちゃんとした少女だけど、僕に近寄ってきたのは少年でね、それで言葉なんて通じないでしょう、それで彼はジーっと僕のここ(腹部らへん)を見て、その頃、大きなジーパンのベルト(※おそらくベルトのバックル)を持ってた。彼はそのベルトが欲しかったらしい。
あとはボディー・ランゲージでね、僕は彼のかぶっている毛糸の帽子が欲しかった。それで、いわゆるbarter(バーター)ね、物々交換をやって、貴重なお土産として家に持って帰って。カミさんは笑ってましたけどね、ビックリした。あの少年は10歳ぐらいかな、その帽子に10年分の砂漠の砂が詰まっていて(笑)毛糸の隙間という隙間にね。
小林麻子
うん。
洗っても洗っても砂が出るという(笑)僕が言いたいのは、すごいですよね、向こうの生活というのはね。洗濯なんか砂漠でするもんじゃない、水が無いからね。
小林麻子
(写真をもう一枚)
これは?アジア人みたいですけど。
小林響
これは・・・そうですね。これはあのチベット族(Tibet Tribe:かつてのネパール領ムスタン王国)なんですけど、チベットという国は今は無くなっちゃったんですが、これを撮ったのは、ヒマラヤの奥地にこの当時は『ムスタン』という国というか、保護区があったんです。正確に言うとネパールの保護領だったと。
[*ムスタン王国(ネパール領自治王国)2008年まで存在するも、ネパール政府が藩王制を廃止したことで国王が退位し、王国は終焉。]
あぁ〜。
小林響
同じチベット文化圏なんですけども、(写真は)そこの老女なんですけどね。
そうですか。あのチベットそのものはね、本当に一夫多妻の逆で「多夫一妻」でしょう?
小林響
えぇ。
今はどうか知りませんけどね。僕は本で読んだんですけどね、西本願寺派のなんとかって人がね、チベットを旅行した時に、チベット女はね、やっぱり多夫一妻ですから、すごい暴力的なんですって。
小林麻子
はぁ〜。
男が言うことを聞かないと、体力も腕力も山岳民族ですからすごいらしくて、ブワーんと殴って、男がぶっ飛ばされるという。
小林麻子
はぁーー(驚)
・・・という本を読んだことがあるんだけれど(笑)これはどうでした?
小林響
いや、そこまでは深くは入っていないんで。。。
小林麻子
(笑)
珍しいんですけどね、その多夫一妻ってのね。だいたいは一夫一婦、もしくは一夫多妻ですよね。
小林麻子
(別の写真を)はい。
小林響
これはあのネパールのネワール族(Newar Tribe:ネパール)という、一般的に人口の比率でいうと10%ぐらいの部族なんですけど。
部族というより、この(写真の)老女にすごく・・・顔が、目が異様に輝いているんですけども。
そうだね。
小林響
ただ、その朽ちていく残像というか、もうこの先は無いんですけど、その前に一瞬輝くような光を感じました。
そうでしょうねぇ、俺も初めて思った。僕の母方の「すれ」というお婆さんが、農民ですけどね、加賀から北海道に渡った。もうちょっと丸顔だったけど、こういう目をしてた時があったねぇ。
小林麻子
うん。
自分のお婆さんを褒めてもしょうがないけど、ものすごい苦労ね、労苦と同時にやっぱりひたすらですからね、ひたすら生きる、ひたすら子供を育てる、しかも、夫が死に別れてますからね、子供を抱えて村人たちとひたすら必死にやるということで。
なんというか、透明な目線ですよね。
小林響
そうですね。
ですからね、ふつう日本人は、苦労すると目が濁るなんて言うけど、違うんだね。真剣にやると段々と透明な目線になって。
小林響
僕もこの写真で面白いなと思ったのは、老女の顔をしているんですが、目が一瞬輝いているんですよね。それが不思議な魅力をこう感じました。
なるほどね。小林さんも僕もね、一種の『未開へのロマンティシズム』、未開にロマンを感じて、現代の文明はクソ喰らえってね。そういうふうな文化人類学系統の意見がたくさんあるですよね。
でもね、まぁ面倒だから「われわれふたり」というふうに言いますけどね(笑)、そう単純じゃないんですよ。
先ほどね、この番組の舞台裏で、小林さんが、(総人口が)いつ15億(人)になったんですか?
小林響
いや、20世紀初頭。
初頭で15億か。今は60億(人)で4倍ですよね、この100年の間に人口がね。
ところがね、未開社会いろんなのあるでしょうけどね、『こういうサベージ・ソサイエティというのは人口がおよそ一定』のはずなんですよ。
いい?先ほど言ったように、14-5歳で結婚するわけでしょう。僕は詳しいことは知りませんけどね、25-30(歳)で産むのをやめたとしてもですよ、子供を5人だ、6人だ、7人だと産んでいるわけでしょう。どうして人口が一定かとなると、もちろん病気とかね、あるいは乾季の飢えで死ぬということのあるでしょうけども、それだけじゃないはずなんですよね。
日本、江戸時代で言うところの【間引き】ってのかな。
小林麻子
うん・・・。
もちろん、そこに間引きのルールもあるでしょうね。「身体の弱い者は死んでもらう」というね。やっぱり(種族が)残るためには、強い赤ん坊は生き延びさせるという。
それ現代人から言えばさ、やっぱりbrutal(ブルータル=野蛮なさま)というか、残酷と見えるかもしれないけども、『未開のある安定した文明を守り続けるには人口が一定じゃなければいけない。』
食べ物も決まっているんですからね。
小林響
あの、アフリカを旅した時に、いくつかの部族に聞いたんですよ。
「死ぬとキミたちはどうなるの?墓とかあるの?」と聞いたら・・・
『馬鹿なことを言うな。我々は老人になって死にそうになったら、サバンナに行く。』
あ〜あ。
小林響
「なぜ、行くの?」と聞けば、要するに・・・
『猛獣に食べられに行く。』と。
何故、(自ら望んで)食べられに行くかって、またその(自分を食べた)猛獣がデカくなって狩りにやれれば『自然の摂理』じゃないかと(言う)。
われわれ現代人よりも、ちゃんとしたそうした(自然)摂理を守っているという。
小林麻子
はー。
小林響
まぁ、僕は猛獣には食べられたくないんですけど(笑)
うん。僕は猛獣に食べられたい!
小林響
あぁ〜そうですかぁ(笑)
いろんな病院でどーのこーのとかさぁ・・・
小林麻子
そうですね。
モルヒネ打ってどうのこうのとか、抗癌剤でどうのこうのとか、馬鹿なことやってるヒマがあったらね、ちょっと行けばライオン君がいたりして(笑)
小林麻子
(笑)
簡単に言うよなって(笑)ところで残酷なようだけど、人間っていうのはあれなんですよ、そういうことを「当たり前のこと」として、何百何千年ってリピートしているとね、むしろ『日常感覚』になってくるもんなんだと思うんですよね。
もっというと『死』というものに慣れ親しんでるとね、自分がつくった子供も(この場合は)生かしておくわけにいかないんですからね、この場合は死んでもらうとか。
本当はそれ、残酷だとか寂しいだとか悪いけど、視聴者に訴えるために言うんだけど、「えっ?間引き?残酷ね」って言ってるけど、何を抜かすか!と言いたい時ありますよ。
小さい声で言いますが、今だってこれだけ産婦人科がありながら、何十万って人間が男女の性行為の途中のあれとしてあれですけども【堕胎】してるんですからね。それは『統計上いない』から20万か40万か私は知りませんけども、昔で言うと30万前後ね。今だってあんまり変わりませんよ。そういうことを『舞台裏に隠している』だけであってね。
[*人口中絶(堕胎)件数 1990年:約46万件、2012年:約19万件 ]
小林響
この(写真集)『tribe』を8年間ぐらいずっと撮り続けていたんですけども、何でこんなに(被写体の)目が強いのかというか、存在感があるのかなとふと思ったんですよ。
で、僕なりのイメージなんですけども、やっぱりね、『生存競争を生き抜いてきた彼ら』だから、やっぱり普通の我々なんかよりもその何十倍も危険な目を潜り抜けてきて、本来的に生存力・生命力が強いんじゃないかと。
なるほど。ちょっと、その最初の写真を見せてくれる?そのケニアの外れの方の。凄い目をしているでしょう、これね。(本日の最初のケニアの部族の男性の写真)
小林響
あぁこれ。だからね、生存率から言ったら、多分、10%を切っているんじゃないですかね。
なるほどね。
小林響
だから子供の時も、もちろん病院も無いし、医者もいないわけだから、薬も無いわけだから、どんどん死んでゆくんですよ。(生き残っている)彼らは多分、病気もしないで、怪我もしないで、生き残ってきた。まぁ〜ほとんど運で生き残ってきたのかもしれないし、飢餓にも遭わないで。
そうね。
小林響
だから、現代社会だとやっぱり、本来僕らってここに生きていないかもしれないですね。だいたい子供の時から病気とかなっているじゃないですか。
小林麻子
はい。
小林響
彼らはそれすら無くて、ずっと生き残ってきたわけだから、生存率はたぶん10%を切ると思いますよ。
なるほど。10%切るか。
小林響
だから逆に言うと、それで人類は、【無理やり生かされている】という言い方はおかしいかもしれないですけども、自然淘汰の無い世界で、異常に人口が増え続けているというね。
小林麻子
うん。
(クロード)レヴィ=ストロースの『悲しき南回帰線』(※原題は「悲しき熱帯」:1955年)、あれはブラジルのナンビクワラ(※ナンビクワラ部族)の。それを読んでだ時にこんな風景があるんだ。
「乾季」が来るでしょう。乾季でものが食べられなくなる。そうすると、部族全体として女は働くらしいんだけど、簡単に言うとあれなんですよ、虫を獲ってくるらしいんですよね。みんなして僅かな虫を、それはケムシなのかゴキブリなのかよくわかりませんが、虫を食べて飢えを凌いでいる。それでもそうなの。部族の秩序を守らなきゃいけないでしょう?そうすると、一体そういう状態で『酋長』さんね。chief(チーフ=部族長)を誰がやるのかとなると、その本によればですけどもね、本当に飢えのドン底で、やっぱり「人の面倒をみたい人」「人の世話を焼きたい人」、それが自分から自発的に、もちろん威張るでも、権力を目指すでもなんでもなくて、女子供を含めた集団の面倒をみるために酋長さん(chief)が、いってみれば立候補するんだな。
今の民主主義なんてね、八百長ゲームもいいところであってさ、人の面倒なんか見る気もなんにもないのに、有名になりたいとかうんとかなんとかにありつきたい奴が・・・まぁいいや、そんなこと。そういう政治の仕組みまで考えさせられるようなね。
小林麻子
はい。
多くの日本人も知っていますけども、そのタイの山奥の方のショッキングな写真を見ながら・・・
小林麻子
(別の写真をもう一枚)
これ最後の写真かな?
小林響
そうですね。(Padaung Tribe:タイ/首長女性で知られるパダング族の女性が赤子に授乳している写真)
これ知ってる人は多いですよね。これ、子供の時からそうでしょう?金輪、金具でもって首を、子供の時から少女の首を伸ばしていく。
小林響
最初はなんか(首の金輪を)6個ぐらいからはじめるらしいです。
6個ぐらいからはじめるの。
小林麻子
はぁ〜。
小林響
で、成人すると37個ぐらいに。
37個!うわぁ〜すごいですねぇ。しかもこれまた残酷な話と聞こえるかもしれないけど、一説によるとね、結婚して、女の人が自分の亭主の意にそぐわないことをしたとか、そう思われたら、どこかをパチンと切るとダーンとちょん切れて首がグシャッと潰れてほとんど即死になるという。そのために(この金具を)やっているという説があるけど、私は真偽のほどは知らない。ただの装飾かもしれないしわからない。
小林響
僕の聞いた話なんですけども、昔この村人が住んでいる近所でトラが出て、そのトラに首をつかまれて時にそれを保護する意味で首の輪をやっていると(笑)伝説の話ですけども、そういう話をききました。
なるほどね。二週間に渡る小林響写真集『tribe』について語ってきましたが、残念ながら時間が来たのでこれをもってお終いとしますけども、(パタング族の女性の首輪について)本当にこれ印象深いですよね。いろんな説あるんでしょうけどね、実は現代人もこうかもしれないんですよね。
現代人だっていろんなものをくっつけてさ、宝石一個のために1人100人ぐらい殺すとかさ、いろんなことをやって、それでね、(この写真の女性は)ちゃんとおっぱいやって、子供に吸わせてね、いろんなことをやって。
人間ってのは、人間が性善であるか、性悪であるかないか、そんなことを議論したいんじゃなくて、人間というのは逃れ難い何かある種の【宿命的な限界】の中で未開といい、文明といい、生きているんだということが分かると、たかだか物質文明・金銭文明・技術文明ごときにシャカリキになって、ハッと気がついたら死んでるのをやめようというなら・・・・(※大きな声で)小林響の『tribe』という写真集を・・・買え!ったって売ってないんだけど・・・?
スタッフらしき声
(一同爆笑)
探してくださいって(笑)
小林麻子
そうして下さい!(笑)
お終いにしましょうか。
小林響
いやいや、ニューヨークの。
あぁ〜そうか。
小林麻子
直接?
小林響
そうですね。
こういうものがあるんで、ニューヨークまで注文するように!
小林響
いやいや・・・ニューヨーク・・・いま下に出てると思うんですけど。
power house booksという出版社があるんですけど、そこで在庫もわずかなんでまぁインターネット上でしか注文するしかないんで。
わかりました。
[*写真集「tribe」:power house books(ニューヨークの出版社) http://www.powerhousebooks.com ]
『tribe』の日本版はもう在庫ゼロのようですが、ニューヨーク版が少々残っている。ぜひ買っていただきたいということですが、そのニューヨーク版にですね、【ピーター・ビアード】という有名な写真家が序文を載せているようで、その一節を麻子さんに読み上げてもらうということでこの番組を締めくくらせていただきます。よろしく。
小林麻子
はい。
『小林響の被写体となる人々は、皆、自分たちの殻の外に無言のまま差し出される。その時、人々の瞳の中には重要だが、捉えようのない意識、遥かな意識の繋がりが見てとれる。
読者は、そんな人々の写真を通して、流れのゆっくりした、非常に示唆に富んだ経験を心に刻んでゆくのである。そして、あらゆる年齢層、性別、部族、あるいは、純潔も混血も、豪華さも質素さも、そういった全てをカメラのレンズを通して目の当たりにするのである。
もし明るい未来がケニアにあるとすれば、それは、トゥルカナ地区をめぐるルオ族やキクユ族とカレンジン族の抗争、すなわち、多数の持たざる者を潰そうとする、持てる者との抗争ではなく、ある種の奇跡、すなわち、抗争の最後に現れる意識の急激な変化によってもたらされるのである。
結局のところ、人間が団結するには地球外からの侵略が必要なのではないだろうか。確実に言えることは、小林響のこの本に含まれているような作品、より多くの謙虚さと寛大さを持つ作品こそが、われわれ人間のグローバルな戦略、つまり、この地球に住む目的を再考するチャンスを与えてくれるということである。ピーター・ビアード。』
【次週】英語化は愚民化
ゲスト 施光恒