▪️英語化は愚民化① ゲスト:施光恒 (西部邁ゼミナール)
▪️英語化は愚民化① ゲスト:施光恒 (西部邁ゼミナール)
ゲスト:九州大学大学院 比較社会文化研究院 准教授 施光恒 、近著『英語化は愚民化 ~日本の国力が地に落ちる~』(集英社新書)
評論家 西部邁 近著:「生と死、その非凡なる平凡」(新潮社)
【ニコ動】
(西部邁ゼミナール)英語化は愚民化①2015.07.19
http://sp.nicovideo.jp/watch/sm26739432?cp_in=wt_tg
小林麻子
今日は九州大学の施光恒先生に来ていただきました。先生はこちらの『英語化は愚民化 ~日本の国力が地に落ちる~』という書物を集英社新書から発刊されました。
それにちなんで、今の日本にあって学校や官庁だけでなく、企業にすら広まっている、英語公用語化運動が日本語を破壊し、それに連れ、日本の国家と文化とを融解に導くという意味で『愚行の限り』なのではないか、ということについて施先生と西部先生が語り合います。どうぞ宜しくお願い致します。
施光恒
どうぞ宜しくお願い致します。
のっけからね、施さんの言う通りなんですけどね・・・外国語なんぞに通じあげてると、だんだん日本人が愚かしくなる。
でもね、ぼくむかし35、6(歳)でね、遅ればせながらに家族を連れてアメリカで暮らす。
施光恒
はい。
生活ですからね、単に向こうの学会に出てればいいってんじゃなくて、家族を引き受けなきゃいけないでしょう。英語はね、中学、高校、大学で少々、、読めますけどもね、喋るというと参ったなぁ〜と思って。いまで言うとスピードラーニングやったんですよ。
施光恒
はーはー。
レコード聴いて、今で覚えているのはたった一つ、1枚目にね、「タリアン」という言葉が出てくるんですよ、タリバン(Talibaan) じゃないよ。どうも前後はレストランの関係なんですよ。タリアン、タリアン・レストランなんてあるのか?って。
結論はさ、あれは「イタリアン」なんだけどね。
[*Italianが耳が英語に慣れてないと「タリアン」に聞こえる]
小林麻子
あぁ〜。
英語では(Italianの)「イ( i )」ってのはさ、ほとんどサイレントに最初は聞こえてくるの。
施光恒
はい。
よくよく耳が慣れるとね、「 i 」と言ってるのが耳に聞こえてくるのだけれどね、それが耳に入るにはさ、随分時間がかかった。
小林麻子
はぁー。
でね、ぼくは頑なですからね、気持ちがね。これが聞こえる(ようになる)までレコードを聴いてやろうとするとね、タリアン、タリアン、タリアン・・・
小林麻子
あはははは。
100回ぐらい聴いてるうちに、それが「イタリアン(Italian)」だとわかった。ということを思い出すわけ(笑)
施・小林
(笑)
でも、面白い体験だった。それ以外やったことはありませんけどね。成果は微々たるもんですけど。
こんなこと言ったら怒る?人生、英語なんかどーでもいいものだけどさ、英語が世界に蔓延っている。で、偉そうにね、それじゃあ、テレビだ新聞だってカタカナ英語が氾濫しているんだから、それならね、会話ごときはですよ、中学校から英語(の授業を)しているんだろうが、少々の会話ぐらいはやってきた方がいいと。日本語が中心でないとおかしいんだけどね。英語なんてあんなもん、大したもんじゃないんだからさ。イタリアン・レストランなんだから(笑)
施光恒
(笑)
そういうことも言えない日本人がね、東大出ても多いってのはさ、これはかえって気持ち悪い、という反論をしたら、貴方はなんて仰る?
施光恒
そうですね。だけど、なんかこの今の半ば「英語公用語化」みたいなものの流れってのがですね・・・
第二公用語化じゃないの?
施光恒
えぇ、第二公用語化ですね。そういうような流れが。
ただ、会社によっては第一公用語にして・・・
施光恒
あぁそうですね。
あれどこでしたっけ、会社の名前?
施光恒
楽天か。
施光恒
数日前からは、HONDAですか、自動車メーカーの。HONDAも英語を公用語化するという話だったんですけど。
私はこれは、やはりマズイと思うのは、結局ですね、英語が仕事で使えるまでのレベルに引き上げられる日本人というのは、やはり日本国民の1割か2割ぐらいじゃないかなと。ほとんどがそこまでいかずに、『社会参加出来なくなってしまう可能性がないだろうか』と思うんですね。
そして、自分の能力を磨いて社会に参加して、尚且つそれで発揮していくことで、日本の社会というのはそういうふうに、一般庶民のたくさんの人が自分の能力を磨いて社会参加して、そこに『活力が生まれてきた』と思うんですね。
そういう条件が、最近のこの『英語偏重の世の中』でですね、なかなか、1割2割の人しか自信を持って社会に参加出来なくなってしまうんじゃないかと。そうなると、日本社会の活力ってのは非常に衰えてしまうんじゃないか、なんかそういう危惧があるんですね。
【福澤諭吉】がね、明治維新の寸前に『学問のすゝめ』と書いて、明治維新後に名著と言われてますが、『文明論之概略』と書いて・・・
[*福澤諭吉(1835~1901)「文明論之概略」(1875年刊)]
施光恒
そうですね。
時々、カタカナ英語が出てきますね。「リベルチ」とかさ、liberty(リバティ)のことですよね。すごくぎこちないカタカナ訳なんだけどね、あぁいうのに結構、日本人は興奮したんですよね。
たとえば、殉教精神のことをマルチドン(※Martyrdom:マルチルダム=殉教)かな?忘れたけど(笑)、武士道の殉教精神は結構大事なものだという時に、マルチドンとかさ、そんな調子だと思った。それは頻発はされないけれど、けっこう出てくるんですよ。
何を言いたいかというと、ぼくは反対してるんじゃないの。ぜんぶ、貴方(施)の言う通りなんだけど、若干チェックしてるんですよ。
施光恒
はい。
日本人なんて昔からですよ、中国から「漢語」は入ってくる、もともと日本語はベースは縄文人ですから、字はないんだから。それで漢字を【空海】が「平仮名」にしてさ、それで縄文語、大和言葉と折り合いがつくようにして。
そして、そのうち西洋、ポルトガルでもアメリカでもいいけど、それが入って、うまく翻訳化して、それを一般人がうまく作っているわけよね。使っているわけよね。
施光恒
えぇ。
日本なんてさ、純正のもの何も無いんですよ。数千年も前からいろんなものが【混血】して、言葉もね。
施光恒
はい、そうですね。
そうなら今や、第何番目かの混血が始まって、そこにアングロサクソンの英語とやらがさ、ダーっと来ていると。
だとしたら、ぼくは嫌いなのは、クソ喰らえと思っているうちは同じなんだけど、こんなものが氾濫したらね、これまでの日本語そのものが衰えるから、活力も無くす、ですけれども、なんか、『止むを得ない歴史の必然みたいなもの』が、ただ、その止むを得ない歴史の必然さを喜び勇んでね、「スピードラーニングですよー!!」って叫んでるのは嫌いだし、そんなことをやろうとしてる文部省もね、各大学の教授がさ、『外国人なんかいないのに、日本人しかいないのに、英語で教授をするって馬鹿な大学があるらしいんだよ。 』
施光恒
そうです。
お笑い小屋ですけどね。
施・小林
(失笑)
それはお笑い。笑ってやるべきだけどさ、『混血文化に入った民族の憐れな末路』ね。それは褒めさえすることもないし、先頭を切ることもないが、まぁ〜しゃーないかなぁーという気は僕はするんだけど・・・ダメそんなんじゃ?
施光恒
ただ、その日本は混血とか雑種、私はそこをけっこう評価するんですよ。日本は昔、中国語そのものは受け入れずに『漢文⤵︎』を受け入れたと思うんですね。で、漢文で・・・
それ、その「漢文」って発音はそれでいいの?
(※施は「漢文」のイントネーションで前に強調をつけて、右下がりに読む⤵︎)
僕は(抑揚や強調をつけずフラットに)「漢文→」って僕らは言ってたけど。
施光恒
あっ、そうですね。(抑揚をつけず)漢文→ かもしれません、失礼致しました(汗笑)
どうして貴方は(施の読み方の)漢文⤵︎になるの?
施光恒
私はちょっと九州出身ですから、発音がおかしいのかもしれません(笑)
九州だと「漢文⤵︎」と言うの?
施光恒
いや、ちょっとアクセントおかしいかもしれません(苦笑)
アクセント(笑)
施光恒
いや(笑)、あのそういうふうに中国語そのものじゃなくてですね、えぇ・・・「漢文→」・・・ですかねぇ(照笑)
漢文→(笑)
施光恒
漢文(笑)を受け入れたという形で、なんと言いますか、日本人は好奇心旺盛で、先ほどの「リベルチ」もそうですし、「ナショナリチ」って言葉もそうですけど・・・
「ナショナリチ」になるのね、福澤諭吉に倣うと。
施光恒
ナショナリチですね、はい。そういうふうに新しい外国のものを、みんな好奇心旺盛で喜んで受け入れて、ただ、そこをただ受け入れるだけじゃなくて、やはり『キチンと翻訳した』と思うんですよね。
「ナショナリチ」でしたら、やはり『国体』と訳してですね、そしてですね、一般の人が読めるような形に、理解出来るような形に翻訳して、それで広めたと思うんですね。
漢文を中国語そのものじゃなくて、漢文を受け入れて、そして読み下しにして、それでこれも一般の人に広めていったと思うんですね。
そういうふうに外国のものを好奇心をもって、たくさん受け入れて、それをうまく翻訳して一般庶民まで行き渡らせたところに【日本の強み】があると思うんですね。
まぁそれは仰る通り。
それによって、庶民がちょっと努力すれば(社会に)参加出来る状態になったと思うんですね。
自分がちょっと努力して勉強して能力を磨いて発揮すると、そういうことが今までの日本はうまく出来たと思うんですが、最近は、今回のこの「英語化」と私言ってますが、その英語化の流れというのは、今までのその翻訳して広めていくというのと、少し違う形だと思うんですよね。
たとえば、下村文科大臣(下村博文)は少し前にですね・・・
「これから一流大学は今後10年間で大学の授業の半分以上は英語でやるようにするべきだ!」と言ったんですね。
そうだよね。
施光恒
はい。そうなると、恐らくなかなか付いてこられる学生はいなくなりますし、教員の方も準備するのは大変ですし、大学の専門教育のレベル自体がかなり落ちてしまうんじゃないかと思うんですね。
そういうことが、英語の企業の公用語化の問題でも、やはりキチンとした思考というのが出来なくなったり、経営判断なんてものもかなり幼稚なものになってしまうんだろうなぁって感じがするんですね。
ですから、何よりも一般の日本人で何より、自分で能力を磨いて発揮するということが、なかなか難しくなってしまって、その前にまず、英語を仕事で使えるまでに引き上げるという中で、人生の中の数年とか10年ぐらいは無駄に使ってしまうことにならんだろうかと。
途中で悪いんだけどね、英語を仕事で使う、仕事って business(ビジネス)ですけども、ビジネスの人に悪いけど、ビジネスで使う英語なんてのはね、『相当程度の低いもの』に決まってるわけ。
施光恒
そうですね、はい。
ついでに言うと、官僚、役人の仕事もそうですよね。その他は大学でもそうかもしれない、ほとんど。そういうジャンルってのは、全部表現がプロトタイプ化されるというか、典型化される、モデル化されるされる、パターン化される。
施光恒
そうですね。
それで、パターン化されたものをお互いに流通し合いますからね、冗談半分で言えば、ビジネス英語なんてのは How mach?ぐらい知ってれば大丈夫なんじゃないの???(笑)
施光恒
ハハハハハ(笑)
これは冗談ですけどね。あとは精進のtechnical term(テクニカル・ターム=専門用語)っての、技術的な熟語を知ってればね、商売が出来るというさぁ。そういう意味で、非常に程度の低いもので行こうってことでね。
施光恒
えぇ。
それで(大学の)授業をやると言うとね、経済学だっていちばん簡単ですけど、英語圏から入って来ましたからね、テクニカル・タームは全部決まってるんですよ。
market(マーケット)、commodity(コモディティ)・商品ですけどね。sales(セールス)でしょう、demand(ディマンド)・需要、供給・supply(サプライ)、price(プライス)・価格・・・100個ぐらい覚えてれば授業も出来るし・・・
小林麻子
そ、そうですね・・・(※小林さん的には、ぜんぜん簡単じゃないじゃんのそうですねw)
えぇ?そんなもんはっきり言って『お馬鹿さんの英語』なわけですわ。
本当の言葉ってのはさ、「金儲けてどこが楽しいかね?」とかさ、「そんだけ儲けたら、人に配って歩くのが人間ってもんじゃないかね?」と。
小林麻子
(笑)
「しかし、ろくでなしに配ったら、ろくでなしは一層悪くなるわね」とかさ。
小林麻子
はぁ。
そういうこと英語で言えなきゃダメなわけね。
小林麻子
アハハ。面白い話ですね(笑)
そんなもんさ、井戸端でも大学でも、そんな会話無いわけよ。
小林麻子
(うん)
だから、仰る通りで堕落するんだ。途中で悪いけど、こんなことあるんですよ。貴方はご存知なんでしょうけど、『ラテン語』、まぁ行ってみれば『ローマ語』ですね。
[*ラテン語(元々は古代ローマの公用語)カトリック教会の公用語として普及 ]
ローマ帝国が地中海沿岸を全部支配するでしょう。ってことは「ローマ語でやれ」と。それがコミュニケーションの手段になるわけ。
これ、僕が見たわけじゃないんだけど、昔の人でオルテガという哲学者が言ってます。
[*ホセ・オルテガ(1883~1955)哲学者 主著「大衆の反逆」]
『ローマ帝国の制覇が進むと同時に、ラテン語(=ローマ語)の恐るべき俗流化が始まった』と。
ぼく英語で読むんだけど、英語で言うとvulgarization(ヴァルガーライぜーション)
施光恒
そうですね。
『俗悪化』(=vulgarization)ね。
これじつは、英語で起こってるわけ。簡単に言うと『アメリカ語』でしょう。アメリカ語というのは、英語の俗流化したものなんですよ、簡単に言うと。
[*英語の俗悪化(vulgarization)]
施光恒
はい。
今度、それが日本語だ、インド語だ、フィリピン英語だになるでしょう。さらにアメリカ語は俗悪化するわけさ。
で、グローバルですからね、全世界の人が通じることでやるでしょう。そうするとね、アメリカ語自身がさらに俗悪語化するわけ。そのうちグルグル回ってると、英国人もアメリカ人も英語もアメリカ語も忘れて、『世界に流通している平均的な俗悪なる、出生を尋ねれば英語・アメリカ語』ね。
施光恒
(失笑)
それが世界の言葉になるわけ。だから、これは日本だけの問題じゃなくて、アメリカ語の普及ということは、全世界の精神的水準がどんどん俗悪に、勝手に低くなるってことね。
施光恒
そうですね。
それを貴方は憂いてるのね?
施光恒
それもあります。
俺は憂いない!
施光恒
ハイ・・・えっ?!なんでですか?(笑)
なりやがれ!!(笑)
施光恒
(笑)私はもう少しですね、アメリカとかイギリスのそういう英語国の文化とか、ものの見方とかですね、情報発信力というのが、やはり、世界の中で優位を保ってしまうんじゃないかってことの方を結構、危惧してまして。
それにひょとすると、日本語の英語化が進む、わたし、『日本人が自信をなくしてしまうところがないかなぁ』と思うんですね。
つまりですね、英語のものの見方とか、英語の発想の方が、この日本語とか日本文化よりも遥かに優秀なんだ、高級なんだ、という、なんかそういうモノの見方というのがあるんですね。
下手するとあと5年~10年経つ間に、英語でビジネスをしてないと、日本語が社内で聞こえるとなったら、なんか「三流企業だ!」とかですね(笑)、または、日本語で大学の授業をしているとなったら、「三流大学だ!」とかですね、なんか、そういうふうに思われるふうにならんかな、と思うんですね。
それはさぁ、そのうちにそういうふうになるんでしょうね。
施光恒
はい。
でもさ、そうなるのは、日本人が三流だからそう思うんであってさ。
施光恒
いやまぁ、そうかもしれないですね。
僕は一流ですからね。まぁ、日本人はみんなまぁ〜三流になってるな、と思うだけで。
施光恒
(笑)
これはでも仰る通りでね、むかしポーランドの言語学者でザメンホフ(【ルドヴィコ・ザメンホフ】)というのがいて、エスペラント語を作り出したんですよ。
施光恒
そうですよね。
[*ルドヴィコ・ザメンホフ(1859~1917)ユダヤ系ポーランド人の眼科医、言語学者、人工言語エスペラントの創案者、Esperanto(エスペラント)とは「希望する人」の意味 ]
Esperanto(エスペラント)というのは、espoir(仏語:エスポワール) だから「希望」という意味さ。彼はなぜその人造語に希望を見出したかというと、仰ったように特定国語、(この場合は)英語にしましょうか。これが世界の公用語になると、言葉は言葉にとどまらないの。ひとつの『power』なんですね。
施光恒
そうですね。
(特定の国語の世界公用語化は)『政治的権力』ですらあるわけさ。そういうことは許せないと。世界は平等であるべきだから、特定国語を国際公用語にしちゃいけないと。で、仕方なくエスペラントという人造語でいこうと言って、今はもうその運動は完全に消滅ですよね。無理なんだよね、人造語ではね。
施光恒
そうですね。
となると、結局ね、『世界で最強のパワーを持ってる文化圏の言葉』、この場合は英語ですけどね、それはトータルでしょう。
フランスで断固頑張ってたのはパリですよね、フランス語を守れ!と言って。フランス人なんか日本人より遥かに立派ですから、一時期はアメリカ映画だって、映画よ?輸入制限してたんですからね。
施光恒
えぇ。
アメリカ映画がこれ以上入ると、フランス文化を破壊する、と。でも、それだって結局は公式映像はオープンでしょう。
施光恒
そうですね。
もう日本人なんて・・・そんなことばっかりやってるわけさ。みんな外国のを喜んでるでしょう。
施光恒
はい。
もっと言うと、『日本人の俗流化』がはじまっていてね、そういうもんなんですよね。だから、僕は貴方の本に同意するけども、これは抵抗しても空しいところもね・・・
施光恒
はい。
こんな国は諦める方がよっぽどいいと思う。
施光恒
ただ、私はやっぱりなんか悔しいんですよね(笑)
悔しいか。
施光恒
悔しいというか(笑)、やっぱり今、日本の政府が日本人の税金を使ってですね、こういう一種の「英語化」「英語公用語化」的な流れを作り出してると。これ、みすみすアメリカ・イギリスの英語国を頂点とするランキングの中にですね、なんか日本社会を組み込んでしまっているんじゃないかと思うんですね。実際、そうなるんでしょうけども。私これ、悔しいんですよね。
やっぱり、日本政府としては、長期的な戦略として最終的に負けるとしてもですね、やはり、【英語による文化支配を打破するという気構え】を長期的に持つという、そういうふうにやってくれないかなと思うんです。
いや、賛成ですよ。
施光恒
えぇ。
「気構えの意思」ってこういうやり方ありません?
仮にですよ、下手な英語であろうともですよ、アメリカ人なんて学者になったって、自分の専門以外は何も知らない赤子みたいな人がゴロゴロいるんですからね。
施光恒
そうですね、はい。
そういう時にですね、うまく酒でも飲みながらですよ、歴史とは何ぞや、文化とは何ぞや、シルクロードから何が渡ってきたかとかですよ、どうのこうのと、向こうの人は何にも知らないんですからね。ひけらかしだと嫌われるけどさ、上手く会話の中に紛れ込んで・・・
「うわぁ〜この日本人、英語力は下手だけども物凄くいろんな事を巧みに喋って、歴史から国家から哲学から料理の果てに至るまでうまく喋るなぁ〜」と。
小林麻子
(笑)
英語でやつらを誑かしてしまうと。
施光恒
はい。
そういう手もあるんですよ。
施光恒
そうですね。
それを我々、頑なに英語面倒くさい、誰か専門人、必要な人だけ喋っておきなさいと。
施光恒
(苦笑)
誰か翻訳しておきなさいと。僕は翻訳出来ないから、ってんだとね、それでもいいんだけども、僕はそれで十分だけれども、なんか、そういう時代ではないと言うのならばね、もうちょっと割合を、1~2割を、3~4割に増やして、ただ、その3~4割が、何もビジネスの為にとかそんなんじゃなくて、『英語民族をギャフンと言わせるために英語を使う!』と。
施光恒
ハッハッハッハ(笑)
小林麻子
はぁー。
施光恒
私もそれ、かなり賛成の部分もあるんですけど、ただその、日本人がいろんなことを知っているというですね、私も全く同意するんですけども、そこのところを日本語でいろんな本とかですね、情報に接することが出来るってことが大きいんじゃないかと思うんですね。
ですから、私も一応、専門分野を英語で本を読んだり、英語で論文書いたりしますけども、専門はまぁまぁどうにか出来るんですけど、留学している時も、専門分野の本というのはたくさん読んでいるんですけども、ただ、英語だと関連分野、自分の専門ではない関連分野の本を読む時間も無ければ気力も無いんですよ(笑)
うん。
施光恒
ですので、日本の社会が、たとえば大学の授業が英語化されてしまうとかですね、またはその英語で翻訳があまりなされなくなって、日本語でそういういろんな情報を知ることが出来なくなってしまうといったら、その日本人の広くいろんな事を知っているという状態も無くなってしまうんじゃないかと思うんですね。
その通りだけどね、貴方は専門の事は英語で出来るし、英語で書くと言ったけども、そんな専門やめちゃえばいいじゃないか。
施光恒
はぁ・・・。(困)
その意味はさ、専門のことなんか、英語であろうが、日本語であろうが、大したことは書いてないんだから。
施光恒
まっ、そうですね(笑)
そんなもんで論文書こうが、発表しようが大したことはならないんだから、それなら最初からね、哲学言語および生活言語とかさ、ある種、総合的な歴史言語でもいいや、そういうものをね、大学なんてのは最初からのっけから馬鹿にして、あんなもんは大したもんじゃないんですから大学なんて。
施光恒
はぁ。
大学教授だってロクなのいないんですからほとんど。そう考えていけばですよかなりテーマは違ってくるよね。
我々が、曖昧かもしれないけど、総合的な知識、教養を持ってて、それなりに表現力があって、それが日本語だけじゃなくて、英語なら英語に移しかえることも出来て、そうすることによって、英語人人種が如何にモノを知らないかと、如何に彼らが歴史を忘れてるかとね。ということをあんまり言うと嫌われるから、遠慮深げを装いつつ、彼らにギャフンと言わせると。
小林麻子
アハハ(笑)
施光恒
そうですね(笑)
それは、日本語でいくら言ってもダメだよ、英語使わないと。
施光恒
えぇ。
僕が手を挙げたいのは、是非とももうちょっと割合を増やして、英語を学びなさい。ただし、学ぶテーマは、世界を威張り散らかしている、主としてアングロサクソン系の英語族、コイツらの心胆寒からしめるという厳大な目標のもとに英語を喋ろうと。これはスピードラーニングじゃ無理です(笑)
施光恒
そういう気概があればまだいいと思うんですね(笑)
私は日本語で学んで日本語で思考をするというところはきちんと守りたいんですね。そこをきちんと守った上で、英語で発信すべき人は発信していくという感じですね。そして、そのように、それこそ「アングロサクソンに負けてたまるか!今に英語による文化支配をぶっ壊してやるぞ!!」みたいなですね、なんかそういう気概があれば、そういう戦略でしたら大いに賛成なんですけどもね。
そういう・・・気概自体を失っちゃっている気がするんですね。
だから、そういう気概を失ったところに、しかもやる事がない奴らが、スピードラーニングなんという他愛もない子供の遊びをやってね、子供の道具を売り込んでいると。子供たちが一生懸命それを買っていると。うん、JAPは子供であると。
というので一回目を終わります。
施光恒
(笑)
次の週に続きます。
施・小林
ありがとうございました(笑)