憲法改正論点総浚い① ゲスト富岡幸一郎 『主権は国民に存する』とはどういうことか(西部邁ゼミナール)
憲法改正論点総浚い① ゲスト富岡幸一郎 『主権は国民に存する』とはどういうことか(西部邁ゼミナール)
ゲスト
【ニコ動】
「主権は国民に存する」とはどういうことか。
今村有希
これから3週間に渡って、『憲法改正論点総浚い』と題しまして、いわゆる「安保法制」をめぐって日本国憲法のことがなぜ急に取り沙汰されているのか、憲法の問題点をこの際すべて明るみに出してしまおうというわけです。
このアメリカ型の憲法には、9条第2項の「非武装不交戦条項」のほかに、いかにも実験国家アメリカに相応しい偏見や誤謬がいくつも散りばめられてあります。これをユネスコの世界文化遺産に申請しようというのは、戦後日本の国家規範に関する無思想・無定見・無理解のあらわれに過ぎないとの観点から“日本国憲法を出来れば爆破したい”というのが(笑)当ゼミナール塾長・西部先生のお気持ちのようですが、さてどうなりますことやらw
ではよろしくお願い致します。
宜しくお願いします。
僕はね、よく新聞もテレビもみてない、読んでいないんですけどね、ビックリしたのは「安保法制論議」を巡って、長谷部(長谷部恭男 早稲田大学法学学術院教授)先生だったかなぁ?国会に出てらして、「あの論議は憲法違反です!」と言って、世間が大騒ぎになって。
今村有希
はい。
簡単に言うと、この憲法は良い憲法なのか・悪い憲法なのか、そりゃもちろん両極端に言わなくてもいいけど、『この憲法の問題は何なのか?』を言ってからね・・・それに合ってるか・違っているかを言うべきであってね、“憲法はなにか絶対的に正しいもの”と勝手に見做して「違憲でぇーす!」から始める学者ってのは・・・長谷部って人とお会いしたことないけど、他にも何人も似たようなことを言ってる人がいるらしいけどねぇ・・・【そうした奴を爆破したい】・・・
一同
(笑)
・・・「爆殺」というとこれ、殺人教唆罪ですからやめてね、爆破したいと(笑)
今村有希
ハイ、爆破(笑)
いまご紹介いただいたように、あの憲法学者でもないし、法律家でもないんですね(笑)
今村有希
はい。
で、たぶん今日お呼びいただいたのは、まぁ私は文芸の方なんですけども、私も同じようにあの安保法制に関して、いわゆる専門の憲法学者が出てきて『妙だなこの人たち』って思ったんですね。
やっぱりね。
まぁ研究者って対象が無いと研究が出来ないから、対象を絶対的に信じなきゃいけないとすれば、「日本国憲法というのは絶対に間違いがない」というのが前提としてあるのだろうけども、それにしても・・・
今村有希
はい。
世の中というか、現実から離れてるなぁという。まぁそういう意味では私は法律的には素人ですけど、そういうまぁ“日本人としてのコモンセンス”というか、そういうところから今日はちょっとお話をしたいと思っていますけども。
“憲法前文”についてやってもらうのだけども・・・今村さん。
今村有希
はい。その前文に出てくるもので、一つ最初にお伺いしたいのですが、「主権とは」いったい何なのでしょうか?
うん。まぁ「主権」って一般的に言いますと、その『国家の最高の意思』、あるいは『国家の政治を最終的に決定する権利』というふうになると思いますね。
今村有希
はい。
ただその、もともとじゃあこの『主権』って考えていくと非常に難しい問題が。例えば、『君主制』ってありますよね、王様の、ヨーロッパ。
えぇ。
この場合、「君主」に主権があるわけですよね。
今村有希
はい。
だけどもこれは、あのヨーロッパなんかは当然、神様の世界です、キリスト教ありますから。もともとは『神権』、神の権利・・・
王権神授説。
王権神授説。
王の権利は神様が授ける。神授。
[*王の主権は神が授ける ヨーロッパの「王権神授説」 ]
授けると。
「神は絶対」だから、絶対。
だから、そういう意味じゃ、まぁ理屈は通っているわけです、王権神授。だから、神から与えられた神聖な力を君主である王様が行使して「主権」としてやる。これはヨーロッパの君主制の統治権の基礎の観念なんです。
今村有希
はい。
だけど「国民主権」となると、じゃあ我々なんですけど、我々はそんな絶対か?というと、全然そうじゃないし・・・
これ、sovereign(ソブリン)というんですけど英語でね、sovereignってのは「崇高」とか、やっぱり「絶対」ね。
[*主権(sovereign power) 崇高なる、絶対的な権力 ]
はい。
神にまつわるあれですね。これ(=sovereign)がまだ残っててね、「主権は国民に存する」と書いてあるんだけども、その主権がね、いま富岡さんが言ったのは、政治的な最終決定権という“政治的な次元”でしょう?
今村有希
はい。
でも「主権」と言っちゃうと、政治を超えた、道徳・宗教、なんかそういう『崇高な』というね、そういうことをどっか含んじゃうんです。
[*政治的次元を超える「主権」という言葉 ]
今村有希
はい。
子供の時に感じた疑問がぼくそれなの。僕ね、自分のことに崇高性を感じたことは悲しいかな、76年間一度も無いわけさ。
うん。
それにね、「崇高な権利を持っている」と言われたって、『嘘こけ!』としか思わなかった。
今村有希
(笑)
そうですねぇ。人間ってやっぱりどこかで間違うし、無謬なものじゃないですよね。だからそうなると、この「国民」・・・まぁ国民という概念もちょっと議論しないといけないけども・・・その「無制限の権力」みたいにとっちゃうと非常におかしなものでね。
そうだよねぇ。
今村有希
はい。
だから、我々は神様ではないと。
そうそう。貴方と話しているといろんなことを思い出しちゃうけども、もともとこれdemocracy(デモクラシー)って言う英語、dēmokratía(デモクラティア)というギリシャ語、これ直訳すると、demo(=デモス:demos)というのは「民衆」なんですよ。cracyというのは(政治)という意味なのね。
今村有希
はい。
(democracyは)「民衆政治」という意味なんですよ。それをね、「民主主義」って訳したでしょう?
今村有希
はい。
そしたら、民主の主の「主権」が入ってくるわけさ。これ(=democracy)は『民衆政治』ですから、民衆というのは数は多いぜと。多いやつが参加して、その「多数決でことを決める」方式だぜと。この方式から、正がでるか邪がでるかは、だいたいに言えば、「民衆の多数がアホならばアホな決定が出る」だろうし、賢明ならば賢明な決定が出る。
今村有希
はい。
問題は、『デーモス(demos)の民衆、ピープル(people)の“質”によるんだぜ』という意味が暗に含まれている。それを「民主主義」というふうにしちゃった途端、なんか無謬のものになっちゃったと。
[*不完全なdemocracy(民衆政治) 無謬の「民主主義」と訳される ]
うん。
今村有希
はい。少数の意見がいい場合もありますよね。
うん、そう。
今村有希
それは、取り上げられないんですか?
(大声で演説風に)“少数の意見が多いことがほとんどである!!”(笑)
今村有希
(笑)
そうですね(笑)あの前文の冒頭で、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることの無いようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」ってあるんですね。
今村有希
はい。
で、結局この憲法はご存知の通り、GHQ、占領下でつくられたものですよね。だから、もうアメリカは日本と戦争して、「日本の戦争が悪かった。再び日本に戦争をさせない!!」というこれは大前提なんですね、憲法の。
今村有希
はい。
だから、それをやったのは政府なんだと。政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こらないようにという文章が入って、その後に「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」となっているんですね。
[*前文から読み取れる憲法制定の目的、プロセス ]
今村有希
はい。
だからこの前文を読むと、この憲法がどういうプロセス、あるいはどういう目的でつくられたかものかというのは、まぁすぐ分かってしまう。
しかも、その場のアメリカ人が21人だったかな?軍人だから若いのよ。
今村有希
はい。
しかも、憲法構法学とも言いますが、専門家が一人も居ないの。日本語も知らない。日本の歴史も知らない。日本の国民感情も見当もつかない。構法学について専門的な知識が何も無い人たちがドサクサのね、この草案を書いたのは1946年の2月の末からの、どれぐらいだと思う、期間?
今村有希
えぇ〜(困)
たったの6日間。
今村有希
6日間!(笑)
そうなんですよねぇ。
それを日本人がね、2日間徹夜で翻訳してあっという間に決まっちゃったの。
今村有希
はい。
まぁ、あの戦争に負けてね、こういう憲法を、まぁいただいたということ、そのこと自体が非常に大きな問題だと思いますし・・・
そうだね。
それから、これはやっぱりアメリカのGHQの民政局というとこがつくったんですけども、非常にこうなんていうんでしょう・・・あるアメリカの中の“ニューディーラー”というんでしょうか、ちょっとこうものすごい理想主義というか、まぁ社会主義に近いような・・・
普通ね、ソフト・ソーシャリティ(soft sociality)と言われている。
ソフト・ソーシャリティ。
30年代にアメリカ経済はぶっ潰れるでしょう?やっぱりね、ある程度、ルーズヴェルト大統領を先頭にしてね、社会的ないろんな計画でもってやっていかないと資本主義が持たなくなったというので、社会主義的な考え方が薄いんだけども、アメリカにも入ってくるんだよね。
ソフトなね。入ってくるんですよね。
“一種の実験的な設計図”みたいなのをアメリカがこうつくってくれたと(笑)
今村有希
はい。
だから本当ならば、日本は昭和26年の9月に講和条約を結んで、翌27年からそれが発行されますけども、本当だったらその時にもう一度、まぁ日本人の手でちゃんとしたというか、日本に合うような。
たとえば『国民』という言葉もあるけども、「じゃあ国民って何なの?」ってあまり定義されない。
今村有希
はい。
そう。
やっぱりね、日本人がその自分の「国民とは何か」、そういう歴史とか伝統を踏まえた意味のナショナルなピープルが必要、という概念が必要ですから。
要するに「国民の主権」というその言葉が大事で、「国民」がね、もしもナショナル・ピープル(national people)ならば、国、ネイション(nation)って「歴史を持つ」でしょう。そしたら、何百何千年の歴史からもたらされた国民の、何と呼ぶかはともかく「常識」でも「良識」でもいいのだけども、そういうものをそこそこ持っている者が『国民の良いかたち』と考えられて・・・
そうですね。
「主権」というのは言い過ぎだけどもね、そういう人たちが政治的な、そういう人たちの意思が集まって代表を選んで、それが最終的な政治的決定権を持つというのなら納得できるわけさ。
うん。
ところが、国民の定義もしない。主権の定義もしないでさ、何だかすごいさ、なんか教会かお寺か神社か知らんけどね、なんか神々しい言葉として「主権在民」って言ってるだけなんですよ。
[*歴史がもたらす常識 踏まえた「国民」「主権」の定義を ]
憲法のちょっと前文で、
今村有希
はい。
(フリップを出して)作ってもらったんですが、少し後の方なんですが、これは有名なところなんですね。で、ちょっと読みますね。
“日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。”
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」まぁその・・・そもそも“崇高な理想”っていったい何なんだろうと(笑)
今村有希
(笑)
“人間相互の関係”、でもさっき(西部)先生が仰ったようにね、まぁやっぱり何某か人間を超えた価値観とかって入ってきてしまうし、これがまだハッキリしないんですよね。
それから問題はですね、これよく指摘されるところなんですが、“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した”、だから、日本人の安全と生存、日本人の防衛も含めて、今の安保法制、これをですね、『自分たちじゃなくて、平和を愛する諸国民さんをまぁ信じよう!』ということです。
今村有希
はい。
じゃあ「平和を愛する諸国民さんたちって誰なんだろう?」というね(笑)まぁそういう問題も出てくる。まぁいろいろな説がありますが・・・
これはアメリカが最初につくったからね、まぁいちおう連合国になるんだけども、日本を支配したのはアメリカですから、“アメリカが公正と信義”の。ところが面白いこと起こっちゃったのは、その5年後に朝鮮戦争が起こるでしょう?アメリカとソ連が激突したわけさ、北朝鮮を巡って、中国も含めて。
うん。
そしたら今度、左翼がそれまでね、ソ連・中国の味方してた左翼が、「この憲法は何だ!」なんて(左翼が)言ってたのよ?それなのに、これソ連のモスクワからの命令なんですけどね、「日本をアメリカから離すために、この憲法を守れ!」と。「平和を愛する諸国民は誰か?ソ連である!!中国である!!」というね(笑)
(笑)
あぁ〜。
大笑いのコンコンチキ。
[*「平和を愛する諸国民」めぐる左翼によるおかしな解釈 ]
この「諸国民の公正と信義」ね、まぁ、人は少しは信頼しないきゃいけないけど、人間ほど信頼できないものはなし、況して、国家というのはずっと戦争をやってきたわけだし、今のソビエトもアメリカもそういうことですね。
それから、気になるのはこの後段の「われらの安全と生存を保持しよう」と。本当ならこれは“自立と自尊”じゃないかな。つまり、自分たちが自立した国民国家として、そして自分たちの歴史や自分たちの生活に誇りを持てるようなそういうものが保持されなかったら、安全と生存だけだったら、下(の部分)にその『隷従』だけでもいいわけですよね。
あれは小沢一郎さんの時代かなぁ、「国際貢献」という言葉が出てた時にね、最初にあるのは国際社会で国際社会をこうやってる(=秩序立てている)のは“国連”だと。国連で決まったことを守ってから、その次々に(個々の)国の問題に戻るんだと、こう(小沢一郎は)考えている。「国連中心主義」が出てきたの。
実際はね、国連は安保理、常任の安全保障会議が動かしているんだけども、ところがそれは「拒否権」があるわけさ。アメリカの言うことにそれに中国は拒否します。ソ連とか中国の言うことはアメリカは拒否しますで『完全なる機能停止』に陥っているわけね。仮にね、それが無いとしてもね、なんで世界のたったですよ、(米ソの他に)あと中国、イギリス、フランスを含めた(旧連合国である)5カ国が決めたことに他の190何カ国がそれを第一の正義として従わなければいけないのかと。お前らの国の自立・自尊はどこにいったんだと、そういう『馬鹿げた国連中心主義』のこれが、日本の法律学者とかそのあたりのオジちゃんオバちゃんにまで行き渡っちゃっている。
[*自立自尊の精神の喪失と跋扈する国連中心主義 ]
うん。
安全と生存を守る一番か二番かは知らないけど、簡単な方法があるのよ。
今村有希
はい?
『奴隷』になっちゃうこと。
うん。
奴隷が言い過ぎなら『隷従する』こと。「分かりました、何でも言うこと聞きますから生かして下さい」と。微かに生き延びるエサだけ貰えれば何でも言うこと聞きますから、と言えばね、安全でありかつ生存できると。奴隷民族・隷従民族・属国民族にはなりたく無いぜと。俺たちは俺たちの判断でやるぜ、ということを言わないで、これは自分たちの憲法にならんぜと。
[*「安全と生存」を守るには奴隷となり隷属すればいい ]
もう随分前に本当はやんなきゃならなかったことですよね、憲法を改めるってことは。これをずっとやってこなかったんですね。
憲法前文、これはさほど長くはないけれど、世界で二番目に長いと言われている。
今村有希
えぇ〜!?
一番長いのはどこだと思う?
今村有希
えっ?(笑)
ソ連ですね。
今村有希
ソ連、へぇ。
長々と前文。これ(なぜ長いか)分かる?設計主義でしょう。こうこうこういう国を新しく実験としてつくるという“趣意書”があるから、偉そうに趣意を並べたてるわけさ。プロレタリアとは〜、農民とは〜とかさ、ねぇ。
今村有希
へぇ〜。
前文が長いってこと自体にまず疑問を持たないと。“何かの意図があってこの国は誰かが人工的に設計しようとしている”ね、それが憲法のグダグダグダグダした長さに出てるんだって、そっからはじめないといけない。
[*前文の長さが意味するもの 国家の意図的、人工的設計 ]
そうですね。やっぱり日本人が長い歴史と、それこそその言葉の歴史があるんで、そのあたりも含めてどう考えてもこれは“爆破”ですか?(笑)
今村有希
(笑)
それは冗談だけども(笑)
・・・しないといけないと思うんですね(笑)だから、いま(西部)先生が仰ったように・・・
ちょっと(前文)第3項について喋ってみてよ。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」
意味わかります?(笑)
今村有希
分からないです(笑)
綺麗事だらけというか、矛盾だらけというか、はじめに言った「政治道徳の法則」・・・法則?そんなものどこにあるんですよ。仮の話ですよ、政治道徳の法則とやらがあってそれが普遍的、universal(ユニバーサル)って意味は世界中に通じるという意味よ。仮にそれがあるとしても、あくまで抽象的なものでしょう。例えばですけど、じゃあ簡単に言うと、「婦女子を虐待してはいけない」というふうなことは具体的にわかるけど、それ以外のことについてですよ、普遍的なものがね、なにか正義だとか友情だとか何かあるとしても、具体的に何なの?とか、今の例で言っても虐待って何なの?と。赤ん坊のお尻をペンペンしたら虐待なの?とかさ、いい?
『各国各様の歴史とその国情によって具体性はみんな違うわけさ。』
今村有希
はい。
そんなことに一行も触れずですよ、「ここに書かれた言葉は普遍的な道徳の法則だ。汝ら日本の敗戦属国馬鹿者民族共よ、この通り行け!」と。で、具体性は誰が決めると思う?・・・実は“アメリカが決める”わけさ。
今村有希
はぁー。
今もやっているんですよ。
今村有希
はい。
『自分たち(=アメリカ)が考えた普遍性が世界に通じる具体性だと考えて、それに従わない者は侵略によって潰すというね、それをやってきたんですね。』
[*「普遍的な道徳」押し付け 侵略を繰り返すアメリカ ]
そうですね。この「道徳の普遍性」とか、あとすごい言葉で「人類普遍の原理」って書いてあるんですよね。何でしょうかね?って思うんですね(笑)
今村有希
(笑)
まぁ一見なんかすごいカッコよさそうだけど中身の空疎な、そしてよくよく現実世界、戦後の世界を見ていけば、これは“アメリカのやり口・やり方・アメリカの都合・アメリカの理念”ですね。これを(日本や世界は)やって下さいと。
ちょっと一歩下がってもね、人類の普遍的なものはあるかもなと。また、かもなと思わないと国際法ができないでしょう。お互い人間だよなと、よくよく考えればね、お互いを律する国際法ができるはずだなぁと。そういう意味じゃ、人類普遍の法則を考えることは意味はあるわけ。でもそれは、“考えることに意味がある”んであって、勝手にアメリカが決めることなんてのはさ、意味なんか無いわけですよ。そのあたりの微妙さが全然出てないのね。
まぁ同じ第二次大戦の敗戦国ドイツは、まぁ憲法を何度も改正していますよね。
今村有希
はい。
ちゃんと軍隊もある、国防軍もある、徴兵の義務もあるわけです。
これね、西ドイツの段階で、今は統一されましたけども、西ドイツの段階で憲法を細かいことを含めてどれくらい改正していたと思う?適当でいい。
今村有希
200・・・100とか。
いや、そこまでいかない。40回ぐらいですか。
今村有希
40回ぐらいですか(笑)
スウェーデンがもっと(改正回数が)大きい、多いかな、7、80回ぐらい。
今村有希
はい。
アメリカですらね、あれは修正条項と言うのだけど・・・戦後よ?今でいえば70年ですがね、随分前の調査だったと思うけどもっと変わってる、7回ぐらい変えているんですよ。ね?変えてないのはたった2つあるの世界で。
今村有希
日本。
我が日本ともう1つどこだと思う?
今村有希
どこですかねぇ。
あぁ〜。
今村有希
バチカン。
Catholic(カソリック)、あそこは宗教だから、数千年前から決めているんだから、宗教の原則を。
だってCatholicって「普遍」という意味ですからね、それは変わらないですね(笑)
だからね、日本がCatholicになるならまだいいけどねぇ・・・そうでもない、日本だけ。他が1回とか2回とかいうんならね、日本が0回でもまだわかるけど、他が30回、50回、70回よ、だとしたらこれしかないでしょう・・・
今村有希
はい。
この憲法をつくったアメリカの青年たちが異様な法理的天才であるか、ねっ?あるいは、これを受け入れた日本人が異様な馬鹿であるか・・・本当にね、そういうこと。
今村有希
(うんうん)
これがね、憲法前文なんですよ。それでね、今日の富岡先生を招いた結論は・・・
『歴史を持つ国民の歴史から生まれた良識に基づいて、一つ一つの言葉を、(前文のように)こんなに長々とやるんでなく、もっと簡潔にしたためる』、いうふうに。あとまぁ(憲法を)変えるのは70年ぐらいかかるでしょうからね、その頃ぼくは死んでますから、でも70年後にはぜひそうしていただきたい。
というところで、今日はどうもありがとうございました。
一同
ありがとうございました。
【次回】憲法改正論点総浚い② ゲスト澤村修治(評論家、評伝作家)