憲法改正論点総浚い③ ゲスト 東谷暁(ジャーナリスト)「国民の権利義務」はアメリカ流に解釈するな(西部邁ゼミナール)

憲法改正論点総浚い③ ゲスト 東谷暁(ジャーナリスト)「国民の権利義務」はアメリカ流に解釈するな(西部邁ゼミナール)

ゲスト:東谷暁(ジャーナリスト) 「発言者」の編集長などを歴任し、フリーのジャーナリストとなる。近著『不毛な憲法論議 〜護憲改憲それぞれの病理〜』(朝日新書)ほか多数

【ニコ動】
西部邁ゼミナール)憲法改正論点総浚い【3】2015.12.27


今村有希

憲法改正総浚いその3回目は、第3章の「国民の権利」及び「義務」についてです。

一言でいえば、『聞こえの良い言葉で個人の権利を際限なく肥大させ、逆に耳障りの悪い言葉で個人の義務を露骨に軽んじてみせる』、それがこの敗戦日本に当てがおうとした【アメリカ型の人間観と国家観】のようです。

お招きしたのはジャーナリストの東谷暁先生で、不毛な『憲法論議』(朝日新書)を上梓されております。大学の教室やマスコミの世論では出ることの少ない“良識ある国民論”が伺えることでしょう。それでは宜しくお願い致します。


宜しくお願いします。


今日はありがとうございます。何か貴方の準備したこの膨大な資料を見てそれに圧倒されて、僕は発言する気力が無くなったのだけど・・・


(笑)


前から、国民の権利・義務が本当はあれですよね・・・“憲法の根幹部分”ですよね。


はい。


このことの議論がね、どうして必要かと言うと、それだけ僕に言わしてもらいたいけど、憲法改正を案外ね、護憲派の連中も言い始める時には、例えばね、「夫婦別姓の権利も入れろ!」とかですね、その調子の【権利の拡大】ね、さらなる拡大を言わんが為に、(いわゆる護憲派も)改正論に案外蔓延っているんですよね。そういうことを(東谷)先生にチェックして貰いたいなって意味を込めてね、この第3章も入れたんですが。


はい。


貴女(=今村)、何か質問無い?(東谷)先生に。

今村有希

はい。最初にお伺いしたいのですが、「基本的人権の尊重」とは、一体なんでしょうか?


私もですね、えぇ〜、(西部)先生は40幾つになってから憲法を初めて読んだと仰っていましたがけども、私は60になってから初めて全文を読みまして、やっぱりこの、基本的人権とは一体なんなのだろうなぁと。

あのサラッと読むとですね、なんとなく分かったような気になるんですが、例えば、11条ですね。

第11条:「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、“侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。”」

・・・でもこれ、怪しげな文章ですよね。「私はあなたに捧げる愛が、この愛は永久の愛として現在及び将来のあなたに与えられる」と言ったらちょっとオカシイんじゃないかと思いますよね(笑)

今村有希

(笑)


その人がもしイケメンでしたらかなりのプレイボーイである。顔の方があまりよくなかったらですね、やはりあたがう方が機能がちょっと低下してるんじゃないか。そのくらい思ってしまう不思議な言葉ですが。

あの私はジャーナリストを名乗ってますが、一体この『基本的人権』というのが何で初めて登場したかということを探ってみました。これです・・・【ポツダム宣言の第10条】にあるんですね。

ポツダム宣言 第10条:「吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ“基本的人権”ノ尊重ハ確立セラルヘシ」

この下の方に、「基本的人権の尊重は確立せらるべし」とあるんですが、その上の方も見ていただきたいんですね・・・

我らは日本人を民族として奴隷化せんとし、又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有する者に非ざる〜」と言っているんですが、これは本当は『(日本人を)奴隷にしたいよ』と言っているんじゃないかと。


まぁそうだね。


そこから考えないと、これはちょっとダメなんじゃないかという風にずーっと思ったんですが。


一体、人間の権利の基本的って何なのかってね、言葉だけがどんどん流行りますけどもね、基本的という言葉の定義が少なくともこの憲法の何処にも出てこない。


はい。


で、僕の解釈は簡単でね、基本的にもいろいろあるだろうけども、“日本人が長い間まぁまぁ基本的と思ってきたことが日本人にとっての基本的”。先々週かな、それを伝統の精神と呼びかえたけど、“日本の伝統の精神”がね、「これは基本的よ」と。男たるもの女を助けなきゃいけないとか、夫婦たるもの子供を産んだら子供を大事に育てなきゃいけないとか、隣近所に住んでいる以上こちらから乱暴しちゃいけないとか、まぁそれだったらいろいろあるでしょう。そんなことが基本的なことであってね、そんなことを憲法で言われたって何のことやらという。そういうことだ。

[*基本的人権の「基本」とは日本の伝統精神のこと ]


で困ったことにですね、割と安易に「侵されざる永久の権利である」というふういに言っているんですね。


あぁ。


「侵されない永久の権利をお前たちに与えるんだ!」という、そういうことが一体出来るのかということですね。

今村有希

はい。


で、やはりこれもですね、じゃあ誰が最初に言ったんだろうということを調べました。


あぁ。


イギリスから独立してしまおうかなと思っていたですね、(当時の)アメリカのバージニア州、後にバージニア州なるところのメイソンさんという人がはじめて【バージニア権利章典】というもので、この永久に認められる権利というものを宣言しました。

[*バージニア権利章典が出典「侵されざる永久の権利」 ]


次の月になりましたら、これをほとんど、【トマス・ジェファーソン】さんという人がですね・・・


あぁ出た!


・・・そうなんですね(笑)パクりましてですね・・・

今村有希

(笑)


アメリカ独立宣言:「我々は自明の真理としてすべての人々は平等に造られ、造物主によって一定の奪いがたい天賦の権利を付与されそのなかに生命、自由及び幸福の追求が含まれる」

我々は自明の真理としてすべての人々は平等に造られ、造物主によって一定の奪いがたい天賦の権利を付与されている、と言い出したんですね。これが『アメリカの独立宣言』であります。

しかもジェファーソンさんは更にですね、この天賦の権利の中には、生命、自由及び幸福の追求が含まれる、ってこれどっかで聞いたセリフですねぇ(笑)・・・(憲法の)13条でございます。


あぁそうか。


憲法13条:「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

すべて国民は、個人として尊重される、これはまた大問題ですが、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、云々かんぬんというのがありましてね、今で言うほとんど(アメリカ独立宣言の)“コピペ”でこの(日本国)憲法というのはつくられたわけですね。


これ今村さんね、面白いんですけどね、これ英語で「権利」のことを「right(ライト)」というでしょう。

今村有希

right、はい。


これ【福澤諭吉】の時代、明治10年代ですね、あっ9年か・・・彼の有名な本があるんだけど、そこでね(rightを)どう訳したかというと、これ。「ケンリ」の「リ」は理屈の「理」、これ理屈の「理」じゃなくてむしろ“道理の理”なんですね。(【権理】)

今村有希

はい。


道理というものがあるだろうと、守らなきゃいけないね。まぁ日本人はそれを普通は“道徳”と言い換えているけど、そういう道徳的なる道理にこの「権」というのは実は「はかる」という意味なんですよ。照らし合わせて。

[*理(ことわり)を権(はか)る=「権理」 「権利」の元々の意味 ]

今村有希

はい。


道理に照らし合わせていることはやってもよいと。それを法律的に確認するでしょう。そうするとこれが(ケンリの)「リ」が利益の「利」になる。そこまで諭吉は言ってませんけどね。いまこの利益の「利」だけ使ってますけどね、考え方から言ったらこっち(『権理』)の方が先行するよね。


で、実は問題は『「道理」というのは、国家が違えばそれぞれ多少とも違う』ということね。


はい。


日本人の道理に合うものを法律化すると“利益”の「権利」になるというね。そんなことも分からずに外国人がですよ、しかもどっかで習い覚えた、いま聞いたらジェファーソンだね、何だって奴がさ、それを引き写しみたいにして、学生の答案用紙みたいに書かれてそれが(日本国)憲法になっちゃったわけさ。


そうですねぇ(笑)

(西部)先生いま諭吉のですね「ケンリ」というのは「理(権理)」なんだと。それはその日本の国情とか歴史というものを背負ってなくちゃオカシイじゃないかってことを言ったんですが、困ったことにですね、日本の憲法学者はこの(※アメリカ独立宣言を模倣した日本国憲法における11条の)「侵すことのできない永久の権利」というのをどういうふうに解釈したかというと、「前憲法的な権利である」・・・「プレ(pre)」


あぁ〜。


pre-constitutional rights(プレコンスティチューショナル・ライツ)なんだと。つまり、憲法なんかなくたって“天賦の権利”なんだから関係無いんだ。最初から人間が生まれながらにして身に付けている“人権”なんだと。


それ今の「天賦」ってのは(上を指差して)「天」よ。

今村有希

はい。


神様よ。

今村有希

はい。


あるいは、もっと不思議な語でいうと「自然権」ね。

今村有希

はい。


そうですね。


natural right(ナチュラル・ライト)として与えられていると。日本の歴史なんかどうでもいいと。


ヒドい憲法学者になりますとですね、“前国家的権利”といってですね(吹き出す)・・・おかしくないですか?(笑)国が無くても与えらている権利なんだと。こういうその憲法学というものがですね、日本には根付いてしまったと。

[*歴史も伝統もない「天賦の権利」と解釈した(憲法)学者 ]


でもこっから来たんじゃないかしら、もともとね、大雑把に言うとさ、どこか18世紀、19世紀かな・・・


はい。


やっぱりね、人間・・・humanism(ヒューマニズム)ですけどね、フマニスムス(=ヒューマニズム)、「人間は素晴らしいものだ。素晴らしいものが欲望することは素晴らしいものだ」と。ね?

今村有希

はい。


だから、「素晴らしいものならば“権利”としてみんなが認めるべきだ」というね、この根本にあるのは『人間性礼賛』があるんですよね。


はいはいはい(大きく頷く)


それをごく最近、数百年前に始まったことです。


これはあの「自然権」が流行ったですね、ヨーロッパに流行った18世紀というのに1回そのピークを迎えるんですが、19世紀になるとどういうわけか少し抑えられた。


あぁ。


ところが20世紀、特に20世紀の後半、1945年以降になるとこれがまた猖獗(※しょうけつ)を極めると言いますか、ヨーロッパでやはりナチスという問題があって、


あぁ〜それだねぇ。


えぇ、ユダヤ人虐殺という問題がやっぱり出てきたんだということなんですね。


簡単に言うとね、要するに、ナチスとかイタリアで言えばまぁ“ファッショ”だけど、まぁ日本で言えば東條英機軍部ね、「こいつらは人間に有るまじき悪い奴である!」と。この人たちに虐げられた人々はみんな良い人たちだと。そういう人たちが生き残ったと・・・で、というところから『戦後』が始まるわけですよ。僕に言わせれば、嘘こけ!!ってね。


(笑)


ヒットラーはドイツの国民投票で独裁権を得たし、ムッソリーニ万歳!!を叫んだのはイタリア人の全国民だし、日本の軍部だってあの時は“朝日新聞”をはじめにして毎日“戦争やれ!!”と叫んでたようなそんな時代ですよ。


はい。


そういういこと終わった途端に一部の責任者に全部押し付けて、それで自分たちはいい子たちにしたんですね。そっからこのhuman rightsというのがね。

[*戦後拡大した「いい人」たちの権利 ]


はい。世界的に言ってたのは先進国中心にですね、「人権というのは認めるべきなんだ」という風潮みたいなものがどんどん広がっていったわけです。

今村有希

はい。


ところがですね、90年代に私がイギリスの経済誌であります「エコノミスト」というのを読んでましたら、社説コラムにこんなくだりが出てきたんです。

『人権は確立された概念ではない!!』と(笑)


(苦笑)


で、これを認めたら人権だけじゃなくて、鳥権、豚権、犬権、猿権ももう認めなくちゃいけないじゃないかって・・・


魚は魚のです!


そうなんです(笑)

今村有希

(笑)


ところがこれを見た時に「な〜んだ」と思ったんですねえ、実は西部先生が80年代にエッセイで書いていたんですね(笑)


(苦笑)


その人権のですね・・・そのなんと言いますか、生まれ故郷であるヨーロッパでもいまだに論争が続く話なんですね実は。で、『ローマ法』では実は、「jus(ユス)」という「権利」という言葉はですね、個人が生まれながらに持っているではなくて、“ローマが保証してあげる”んですね。「お前の土地はユス(jus=ローマ法による“権利”)で考えると、ここはお前の土地だ。だからルールなんですね。

で、それ以上のことはやらなかったのに、14世紀、あるいは説によると12世紀辺りからですね、次第に“生まれた時に人間というのは何か権利を持って生まれるんじゃないか”だろうかと、そういう思想が。


そうよ、今村さんね、普通で考えたらわかるハズなんです。今の説が正しいのはね、法律っていうのは基本的には『禁止条項』なんですよ。これ宗教もそうですけども、「殺してはならぬ」「騙してはならぬ」「盗んではならぬ」ならぬならぬならぬ・・・どうして「〜ならぬ」と言うと思う?人間にはそれをする可能性があって(笑)

今村有希

ルールを破るでしょうか(笑)


そう。それを野放しにすると、社会もそして自分たち自身も崩壊するから「そうしてはならぬ」とね。やっぱりね、禁止条項から始まったってことは、人間の禁止されて然るべきことをやる可能性があるというね、

今村有希

(うんうん)


僕は何もね、性悪説を唱えているじゃないんですよ。人間は自分の性悪を自覚する程度の性善はあるでしょう。だから、それを自覚して法律をつくるほどには性善なんだろうけど、どっちかを取れとは言わないけどね、ピンからキリまで性善説で人間の欲望したことはみんないい事で、それを早速実現するのは(人間の)権利だなどと言われるとさ。


基本的人権」というのはですね、どういうふうにこれから解釈していくかという問題で、まぁ削除してしまえばいいのかもしれませんけども、どのように言おうとしてもですね、結局それを実は保障してるのは『国』なんですね。あるいはその地方公共団体みたいなとこで条例をつくったら、それを保障してくれているのは条例であり、それから地方公共団体なんですね。

ところが面白いのは、その『人権論者』という人たちは(基本的人権は)「天与のもの」なんだと。そんなものは基盤が弱いじゃないか、という話をするとこういうことを言い出すんですね。

「最近、国際司法裁判所でも人権は認めていて、国際司法裁判所での判決の中に人権を前提としたものがちゃんと入っている。だから“制度的に保障された”んだ」と(笑)


あぁ〜。


しかしそれはですね、自家撞着論ですね。つまりそういうふうな制度をつくって、制度的保障、制度的保障というのは憲法学の専門用語なんですけども、『制度的保障しないと人権というのは成立しないということを逆に証明してしまっている』(=国や地方自治体などによる“制度的保障”という前提を要するならば、天与のものなどではない、話が自家撞着に陥っている)ということになります。

[*「制度的保障」を必要とした「天与の権利」唱える人権論者 ]


そうね。いま仰ったのは(憲法)11条でしょう?

今村有希

はい。


12条が、「自由及び権利」でしたっけ。


第12条:「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」

はい。保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。これもシンドい話です。この次ですね、又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に“公共の福祉”のためにこれを利用する責任を負ふ、という・・・


そうそうそう。


この「公共の福祉」っていうのがね・・・

今村有希

何ですか、公共の福祉って?(笑)


これもね、僕もよくわからない(笑)


これね、僕も憲法読んだからね、99条、補足も2つ3つあるんだけど、それを読んでもどこにも出て来ない。公共の福祉が何であるかってことがこの憲法から出て来ないの。で、この憲法全体から解釈するとね、まぁいわゆる民主主義でしょう?

今村有希

はい。


多数が参加して、多数決で決めるという制度だから、結局、公共の福祉ってなぁに?っていうとね、いや、『多数派の人が欲望することが公共の福祉財よ』と。

今村有希

はい。


(苦笑)


多数派が欲望に従う限りにおいてという、そういう文章なんです。公共の福祉の一文の説明も無いのにね、「公共の福祉のために利用する」とかさ、何という憲法だと。


憲法学者たちもですね、私は随分、憲法学の入門書みたいのを何十冊も読んだことがありましてね・・・


(渋い顔で)スゴいなぁ。

今村有希

(笑)


一覧表で表現しようと思ったんですね、この本(※東谷著「不毛な憲法論議」)には書いてありますが、やっぱり(「公共の福祉」とは何かが)出て来ないんで変だなぁと思っているんですが、憲法学者も職業上議論しなくちゃいけない。そうするといろいろな説を唱えています。

で、どんな論じ方をするかと言うと、一方的に基本的人権を認めてしまうといろいろ不都合が出てくるんじゃないかと。それでそれをある程度、制限しないとダメなんだと。最初に出てきたのはですね、「全ての条項について公共の福祉に適ってなくちゃいけない」ということを適応していくという議論なんですね。

今村有希

はい。


その次に出てきたのが、いわゆる「社会権」・・・


あぁ〜。


えぇ。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある」と。そういうものを実現するためにはみんなに自由とか権利ばかり認めてたってダメじゃないか、という考え方が出てきました。

その後はですね、自由とか権利というのはいろいろ順序があるんだけど、その権利とか自由を「調整する」「調整作用」のために、公共の福祉というのを使えばいいじゃないかという技能論ですね(笑)

[*憲法学者による様々な公共の福祉の「解釈」 ]


あぁ〜なんだかもう、憲法学者の屁理屈屋ども!!と言って罵詈雑言浴びせたいわ(呆)


もっともっとスゴい屁理屈はですね(笑)、その時その時で決めてくしか無いんじゃないかと、ad hoc(アドホック)説って言うんです(大笑)

今村有希

(笑)


それから、アメリカから輸入されたのが、double-standard(ダブル・スタンダード)説というのがあります。


あぁ〜(呆)


これはですね、double-standard説というのが、今の標準的な公共の福祉を解釈する時に手掛かりとなっているようで、どういうことかと言いますと、これはアメリカで発達したから分かりやすいのですけど、「言論の自由」というのは制限しちゃいけないんだと。「公共の福祉」も制限してはいけないんだと。ただ、「経済活動の自由」なんかは制限してもいい。つまり、基準が2つあるわけですね。

今村有希

はい。


たぶんこれも、私はいろいろ調べてみましたが、【フランス人権宣言】に既にあったんですね。

フランス人権宣言 第1条:「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない。」


あぁ。


ただし、このフランス人権宣言ですね、せっかく「自由かつ権利」と言っておいて、社会的差別は、“共同の利益”に基づくものでなければ設けてはならない、ということを付け加えた人がいます。これは【ラファイエット】(公爵)、フランス革命期の大活躍した人ですね。この人はやっぱり、アメリカ人よりはちょっと大人みたいですね。つまり、一方的に権利とか自由とか平等を認めてしまうんじゃなくて、いずれ社会的差別の問題が出てきてしまう。その時に「共同の利益」というもので考えようじゃないかと。


「共同の利益」というのは、日本の歴史がね、まぁそれは地域地域によっては違いますけども、おおよそ示唆する枠分ね、「これを破っちゃいけない」 「これは守らなきゃいけない」という種類のものが実は、この憲法で書いてある「公共の福祉」ということであってね、ですから、自由だ、自由だ、権利だと言うけども、それも結局は、仮にまたそれをしつこくね、『伝統の精神』といえば、『伝統の精神に基づく日本人の良識にあった限りでの自由とか権利』、まぁそれがこの福澤諭吉の【権理】なんだけど、そういうものだと解釈すれば何の問題も無いのにね・・・

[*歴史が作った良識が「公共の福祉」と解釈すべき ]


(大きく頷く)


歴史感覚の乏しい“アメ公”と言ったら差別語だから【アメリカ人様たち()】がね、歴史というものを全部外した上で言葉を弄るから。


今のアメリカの憲法学、あるいはその法哲学というのは、憲法のあらゆる条文からですね、『新しい権利』を導き出す、そういう方向に来ていますね。


あぁ〜。


あのドウォーキン(※【ロナルド・ドウォーキン】)という非常に有名な法哲学者が少し前に亡くなりましたけども、この人の本なんか読むとですね、必死に、先ほどご覧頂いた「独立宣言」、それからそのあと何度も改正した(合衆国)憲法の中から次々と新しい権利を引っ張り出す。「切り札としての権利」という概念(吹き出す)を提示しているんですね(笑) 幾らでも新しい権利が出来てしまう、そういう法学といいますか法哲学を確立してしまったといいますか。


もう一つだけね、東谷さんに言っといてもらうと、次の13条に「個人の尊重」ってあるんですよ。

第13条:「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

個人の尊重は最大限に尊重されなけりゃならない、何を言ってるかと思うけど(呆)、それにね、「公共の福祉に反しない限り」という条件が付いているんですよね。


はい。


でまた、「公共の福祉」とは何か?については全然説明が無いというね。しかもこれはさ、個人、個人というけど貴女、貴女は個人だね、今村さん。

今村有希

はい(笑)


俺も個人なんだけど、でも、お父さんもお母さんもいればさ、芝居仲間もいれば・・・

今村有希

はい。


俺もインテリ仲間がいないわけじゃないんだけど、人間の個人の中にいろんな人の歴史や社会的影響が入っているんですよ、既にね。

今村有希

はい。


それでね、自分の意見とか欲望とか癖まで飲まれているわけですよね。そんなことも抜きにして、生まれたままの裸のね、社会も歴史も関係の無いindividual(インディビジュアル)=個人、それを尊重せよ!・・・でも、それだと上手くいかないことが見当つくから、突如ね、公共の福祉に反しない、でも、公共の福祉の意味がまた分からないという。


最初っから国とかですね、歴史というものを前提としないで「個人」「個人」に権利が与えられてしまう、そういうものの考え方をしてしまったということの最終的な帰結だというふうに考えられます。


そう。しかもこれ最後の結論にさせてもらいたいけどね、アメリカは日本の事を何も知らなかったの、占領国は。でね、【カイロ宣言】がそうなんですけどね、日本を野蛮国と言っているんですよ!


(失笑)


いい?本当にそう思ってたの。

今村有希

はい。


「日本人は何にも物を知らない。ほとんど野蛮な連中で、とんでもないヒドい国だろうなぁ〜」と思って(日本に)やってきて、「憲法つくってやんなくちゃ!」と思って。

ただ、僕は自民党のように「それを押し付けられた」とは言いたくない。だって、最初に押し付けられたのに、日本人はそれを(両手をかざして)ありがたく頂戴しているんですから。

【「許せないのはアメリカ人じゃないんですよ、日本人なんですよ!!」】


(笑)


野蛮人でもないのに、野蛮人と思われた自分たちをそれを認めて、勝手なワケのわからん憲法を押し付けられて、それを押し戴いて、しかも70年ね。

今村有希

はい。


・・・なんという奴らだと。だから声をハッキリと、東谷さんと僕は、彼を巻き込んで宣言する!


(笑)


今村さんも入れてあげよう。

今村有希

はい(笑)


『我々は日本人ではありません!!』

東谷・今村

(大笑い)


・・・という冗談ですけども、ありがとうございました。

今村有希

ありがとうございました(笑)


どうもありがとうございました。

【年末特別番組】大晦日 ひる12:30から放送
ゲスト:佐伯啓思京都大学名誉教授) 伊藤貫(ワシントン在住 評論家)

次は年末の特別番組ですが、京都大学を目出度く定年退職された佐伯啓思先生と、アメリカから久方ぶりにお帰りの伊藤貫先生をお招きして、世界の大問題である、つまり『アメリカ』、『世界の大破壊に着手しているアメリカ』、『アメリカとは何たる国か』ということを1時間半に渡って議論してもらいます。ご期待ください。