映画人が語る「テロと資本主義の関わり」② ゲスト:寺脇研(映画評論家) 荒井晴彦(脚本家・監督) 〜西部邁ゼミナール〜

映画人が語る「テロと資本主義の関わり」② ゲスト:寺脇研(映画評論家) 荒井晴彦(脚本家・監督) 〜西部邁ゼミナール〜

ゲスト:寺脇研(映画評論家) 荒井晴彦(脚本家・監督)

【ニコ動】
西部邁ゼミナール)映画人が語る「テロと資本主義の関わり」【2】2016.01.17


◉アメリカ流民主主義の押し付けがテロを誘発する〜映画人が語る「テロと資本主義の関わり」〜

今村有希
今回は、テロの元凶は資本主義と民主主義であるという年初企画の第2回目で、『テロと民主主義』について論じていただきます。ゲストは映画関係者の荒井晴彦先生と寺脇研先生とで現代文明の全般を見渡した上でテロと民主主義の深い関連が明らかにされることでしょう。

では、宜しくお願い致します。

宜しくお願いします。

あぁもう1月も半ば過ぎたか・・・ありがとうございます。あのテロの問題でね、民主主義の問題を取り上げたのは、こんな感じかなぁ・・・去年の末に「ノーベル平和賞」がチュニジアに配られて、

はい。

僕は後追いでテレビで知ったんだけど、もうその当日でもチュニジアではテロが・・・爆発して。あれを見て明らかに一種のね、なんかカモフラージュというの? 西洋が仕掛けたアラブの民主化というもの、結果は次々と失敗するんだけど、「チュニジアは辛うじて失敗しきっていない」という、それで『チュニジアを褒め称えることによって自分たちを正当化する』というね、そのためにノーベル平和賞を、まぁ昔からそうですけど、あの平和賞はね。ついでに言うと文学賞もそういうところがあるけどね。まぁそういう策略だなぁと思って見ていたんですが。

ノーベル賞の事はともかく、チュニジアもともかくとして、こういう場面においてですよ、例えばですよ、リビアで言うと、「カダフィの方がよかったんじゃないか」というのは世論調査で過半数だもん。エジプトもね、ムバラク?独裁者。

今村有希
はい。

ムバラクの方がずっとよかった」と、街方の人たちは言い合っていると。当然ながらイラクで言えば、「フセインの頃のがもっとよかった、後はヒドい」と。おそらくシリアもね、「アサドでいいんじゃないか」ってことになってくるんですよ。

今村有希
えぇ。

そうしましたらこの間ね、あれは「湾岸戦争」からで言えば、もうあれこれ四半世紀ですよね。しかも、『アメリカ流の民主主義』をね、アラブに押し付ける。あるいは、そうじゃない(=アメリカ流の民主主義ではない)からと言って、独裁政権打倒の正当性の御旗を掲げるその企てが全て失敗に帰したと。うん、で、『その失敗の表れ』としてIS(Islāmic State)系のテロが難民を通じて出てきてると。

今村有希
はい。

僕や荒井さんもそうだとおもうけど、戦後すぐね、こう教えられたんですよ。

今村有希
はい。

キレイな女の先生から、「皆さん、民主主義の時代が来たんですよ。これから大事な事はみんなで相談して決める時代が来たんですよ」と。僕は自慢したいんじゃないんだけど、直感的に、『民主主義って変なものだろうな』と。まぁ他人も巻き添えにしたくないけど、自分でいいよ・・・『俺のようなとんでもないガキに大事な事を任せていいことになるわけがないだろう』と。

今村有希
(笑)

ましてやぼく「吃り(どもり)」でしたから喋れなかった。皆さんで議論してと言ったってあなた、吃りですから議論ができないんですから(笑)

(笑)

変なものが民主主義だなぁ〜ってのが6歳の時の直感でね、それ以後ね、民主主義と言われるとちょっと僕はアトピーが、(手袋をした手を見せて)こんなアトピーなんですけども、起こるクセ。まぁこれは冗談なんですけどね。少なくとも民主主義を否定しているんじゃないんですよ。

はい。

でも、『アメリカ型民主主義』をね、強引にアラブに注入すると。この企てがこの数十年もう次々と失敗している。結果としてテロも出てきたというのに間違えはないだろうと。

いや、仰る通りですね。あのアメリカとかは、それこそ先週やった資本主義というものがすごい組み込まれている中で民主主義をやっているわけです。それが(アラブ世界のように)出来ていないところに、資本主義と民主主義って車の両輪みたいなものをこっち(片輪)だけもっていったら変な風になってしまう。少数派もお零れにあずかれる、少数派もおいしい目にあえるような仕組みでなければ成り立たないのに、そうなってないのに民主主義だけ入れて多数の言う通りにしろと言ったら、当然、少数派は暴れ回ってテロみたいなことをやるしかなくなっちゃうんで、そういう意味では本当にその、『民主主義だけを単体で何処にでも通用すると思ったら大間違い』だと思いますよね。

うん。荒井さんはいわゆる「全共闘世代」なの。僕はその前の「全学連世代」、まぁ自分のことはさて置いて、全共闘派で言うと、民主主義を過剰に追求してね、教授会を運営しているのは民主主義的じゃないと(笑)教授会解体!!、そのうち大学解体までね・・・大学に入っておいて、荒井さん見て言ってるんじゃないのよ(笑)荒井さんは途中でパッとやめたらしい、僕もパッとやめたんだけど、大学に入っておいて、大学解体、民主主義を報じておいて、民主主義解体と言っているのと似た様なところがあって、まぁそういう経験を踏まえるとね、『民主主義、民主主義と言ってる者の嘘っぱちさ』ってのはね、分かるんですけどね。

民主主義って言うのは、単に民主主義だけだと、それは多数決だから、多数の人に都合がいいことばっかりになっていっちゃって、で、民主主義でないと、例えば「大岡裁き」なんていって、お奉行様が出てきて大岡越前守みたい人が裁くわけだから、ちょっとこの少数派の奴らにもいい事をやってやろうみたいなことが考えられるんだけども、単純に多数決だけやっていったら、もうこっち(=少数派)はずっと割りを食いますよね。

うん。荒井さんこうじゃないのアレ?あなた方もそうだろうけど、もっと正確に言うと、『議会制民主主義』と教えられたじゃない。

そう。えぇえぇえぇ。

ところがね、この場合の【議会制】という言葉の意味がね、正確に教えられずに、教えられたのは、有権者で言えば6000万も7000万もいるからみんな集まるわけにはいかないから、「代表者を選ぶんだ」と。

「代表制民主主義」だよね。

うん。でもね、おそらく『議会制』にはもっと深い意味があって、議会の「議」というのは「議論の議」でしょう?

今村有希
はい。

あれは英語でparliamentパーラメント=議会)というけど、昔調べたんだけども、使われていない言葉なんだけど「parle(仏語:パール)」という言葉があって、それは「くっちゃべる」という意味なんですよね、「話す」という意味なの。ですから、『議会制民主主義の本当の意味はね、議会でしっかりとした議論をする』と。

[*Parliamentの語源は、ラテン語由来の 「話す」 (フランス語ではparle:パール) から来ていて、「話し合いの場」 というようなことらしい ]

で、議論をするといま寺脇さんが言ったように、少数派にも結構言い分があるじゃないか、じゃあ俺たち多数派はちょっと意見を変えようとかね、『そういうまともな議論が行われた上での多数決』、いつまでも議論してられないから。

今村有希
はい。

そういう意味があったんだけどね。今だってさ、議会制と言ってるけどさ、何の議論もしていないのよ。

結局、数(多数決)じゃない。

数だね。

今村有希
(笑)

だから、民主主義と言ったって数でしょう?だからその西部さんが学生の時にインチキ選挙をしたわけでしょう(笑)

それはね、僕ね、自分の本に書いたから公言して構わないのだけど、

今村有希
はい(笑)

インチキ選挙だったの。僕の得票率は1、2割しかなかったの。共産党系が6、7割でそれをね、「票の入れ替え」をやっちゃったの。それで僕ね、40半ばでね、そういう問題にも時効があるんじゃないかと思って(笑)書いたの。

今村有希
(笑)

・・・でも、そういう問題に時効は無いみたいね(笑)

一同
(笑)

共産党は怒ってね、共産は知ってたんだ、僕の(インチキ選挙の)ことをね。毎日「赤旗」がね、メールボックスに放り込まれて、一面じゃないんですけど、二面のトップに1週間連続連載。まだ東大の助教授をしておりまして。

今村有希
はい。

「東大助教授 西部を許すな!!(by 赤旗)」という総合タイトルで不正選挙をやった西部、今時になって、僕は別に自慢で(自著に)書いたんじゃないんですよ。「なんと政治というものは厄介で愚かしいものか」ということをね、自己省察を込めて書いたんだけど、向こう(=共産党)から見れば、「(西部は)自慢気に書いている!」と。

だけど、ロシア革命もそうだけど、少数派が多数派になる、その手しかないじゃないですか。

(笑)

一同
(笑)

いつまで待ったってアホな大衆がいたら変わんないですよ、それは何にも。

ロシア革命で、レーニンたちのことを『ボリシェヴィキ』と言って「多数派」(という意味)、それに反対したのが「少数派」で『メンシェヴィキ』、つまりロシア語で少数派という意味(Men'sheviki)なのね。

[*Bol'sheviki=露語:多数派の意味、ロシア社会民主労働党左派、ロシア革命後にロシア共産党に改称する。/ Men'sheviki=露語:少数派の意味、マルトフ、プレハーノフ一派でボリシェヴィキと対立した。ソヴィエト政権成立後は弾圧され消滅 ]

今村有希
はい。

でも実際にはね、勢力ではメンシェヴィキの方が多くなっちゃったの。

今村有希
えぇ〜!

議会レベルで。

うん、議会レベルでね。それでボリシェヴィキ(多数派)、実質にはメンシェヴィキ(少数派)のレーニン派たちは何をやったかと思う?

今村有希
分からないです(笑)

議会を鉄砲で囲んだ。

今村有希
えぇぇぇぇ(笑)

反対したら撃ち殺すぞ!

今村有希
こ、怖いィ((((;゚Д゚)))))))

それでロシア革命が決行される(笑)

議会で変わったことは無いんですよね。

だからね、鉄砲と比べたら、確かに僕のやったことは単なるコソ泥みたいなね。レベルが低いんですけど(笑)

一同
(笑)

今村有希
注目を浴びたいなと思って、それを書かれたということは無かったんですか?

そうじゃなくて全く逆で、僕は左翼を離れたのは早いですからね、22(歳)の時に離れて、それを書いたのは45(歳)の時ですからね、もう本当に20年近く経っての時で自分の過去の幼い若い頃の経験がどれほど錯誤と混迷に満ちたものであるかということを、思想的に自己批評をした書ね。

今村有希
はい。

なんだ、あなた(当時の)共産党みたいじゃないか!(笑)

一同
(爆笑)

だけどね、選挙っていうのは確かに一つの民主主義を客観的に証明するためのものではあるんだけども、『選挙を神聖視するというのは結局、数を神聖しているのと同じこと』なんでね、私は最近、今の自民党で、「得票率は20%ぐらいなのに70%の議席を持っているじゃないか?」というけど、そこが問題じゃないでしょうと。そうじゃなくて、70%を獲って(彼らは)何を言っているのか、そのことに少数党がどう反論していくのかということをやっていかなきゃいけないんで、あれですよね、大政翼賛会が出来た時に、あれ教科書なんかで習ってると、大政翼賛会で全ての議員が大政翼賛会になったみたいに錯覚するけど、あの時だって翼賛系じゃない議員がすごく少数だけどいて、やっぱり議会では発言できていたわけですよね。

うん。

その中でのいまの安倍総理のもう一人の方のお祖父さん(※安倍寛[あべかん]非翼賛系の日本進歩党、東條内閣退陣を要求、戦争反対、戦争終結を訴えた)なんかはそうだったわけですよね、あの岸信介じゃない方の安倍家のお祖父さんなんかは。

あぁ〜。

大政翼賛会のそれこそものすごい選挙のインチキですよ、翼賛会系の議員はどんどん演説出来るけども、(そうじゃない)こいつらは警察が来て取り締まられるみたいなことがあっても当選する人がいて、一つの意見にはなる。

でも数は力だから、敵わないわけじゃないですか、これが民主主義だと言われたら。

うん。

そしたら、他の手が無いじゃない。西部さんみたいな(インチキを)やるか、テロしかない。

そんなんじゃ、俺のことはいいんだよ(笑)

今村有希
ウフフフフ(笑)

だから民主主義がテロを生むわけですよ。

そうだよね。

それは別に民主主義じゃなかったら、テロをする必要は無い。

うん。で、数を頼んで、議会では数なわけでしょう。その多数派は、少数の他の人たちの利益も代表しているわけじゃないですか?経団連であったりさ。

でも、こういうことは言えるよね。世の中があまり大きく変化しない、もちろん少しずつは変化するけど、落ち着いた社会でしたらね、『常識』というもの、『Common Sense』というものがね、多数派の、クマさんハツさんお百姓さんでもいいけどね、普通の人々が、どうもこの人は落ち着いた人のようだけど、常識がね、向こうの人はちょっと落ち着きが足りんとか、こっちの人はすっとこどっこいであるとか、種類のこの【人格判断】ね、あるいは【常識判断】のようなものが、一般庶民の方が健全なものとして持っている。

でもこれだけね、激変してですよ、社会が変わって、いろんなopinion(オピニオン)が次々と、そうするとね、一般庶民はなんのことか分かりませんよ。すると結局のところpopulism(ポピュリズム)ですよね、人気主義に流れるというね。

(うん)

「やられたらやり返す!」みたいになるわけだ。

アメリカの湾岸戦争の昔からそうですけどね、アラブに対して手を加えた時のあれ(=戦争大義)が、『独裁vs民主』ね。もとを正せばね、あの大東亜戦争の時もそうなんですよ。つまり枢軸国、ドイツ、イタリア、日本まで、日本なんか独裁なんかありゃしないのに、日本の軍国主義を大袈裟に言って、「枢軸国は独裁である!!」と。それに対してアメリカ、イギリス、フランス、その他はいわゆる「連合国は民主主義である!」と。やっぱり、民主主義vs独裁主義という構図で「民主主義が良くて、独裁主義は悪である」と。

ところがね、今度のアラブもそれでやっているわけ。でもどうしても僕が一言いいたいのは、『ふざけるんじゃない!!』と。ヒットラーが独裁権を握ったのは、あれは国民投票でしょう、1933年かな。それからね、その前のムッソリーニファシズムだってもうイタリア民衆が「ムッソリーニ万歳!!」を叫んだわけですよね。

今村有希
(うん)

もっと言うと、毛沢東がですね、文化大革命であれだけで3000万死者が出たと言われるけども、毛沢東を支えたのは民衆、紅衛兵という少年民衆ですよ。少年少女民衆はね、つまり、『民衆のサポートのもとに独裁が生まれてきた』という例が、これ考えたらローマのカエサルジュリアス・シーザー)以来いつもそうですよね。いつもとは言わない、大概そうなんですよ。

そしたらね、「独裁vs民主」という自分法はダメで、恐らく民主主義が行き詰まると、行き詰まった果てに、『民主主義の逆転現象として独裁制が生まれてくる』ことが非常に多いと考えればね。

その当時のあれで言えば、連合国側が世界的に言えば多数派で、で、少数派の日独伊があって、しかもそういうところを経済的に追い詰めて行くともうそっちの方向へ行っちゃうわけで、言わば、『民主主義と独裁制は正反対のものじゃなく』て、良性の菌が変異して悪性の菌になっちゃうと病気になっちゃうみたいな話じゃないんですか。

そうね。

だって、ヒットラーだってそうじゃない、ベルサイユ(条約)で(第一次大戦後の)賠償金を高額なものを押し付けなければ出てこなかったのかもしれない。

そう。すごいのよ、貴女(今村)ご存知?

今村有希
知らないです。

ベルサイユって第一次世界大戦講和条約ね。ベルサイユで(講和会議を)やったんだけど、特にフランスのクレマンソー首相(※【ジョルジュ・クレマンソー】:フランス第三共和政首相、対独強硬論でベルサイユ会議を主導した)がね、復讐心に燃えて要求したドイツに対する賠償金は、GNPの20倍・・・まぁいまで言えば、今のGDPが500兆でしょう?その20倍ですから、10000兆・・・10000兆というのは「京(けい)」というのかな?

京。

今村有希
ハハハ・・・(汗笑)

京都の「京」と書いて「京(けい)」という。

今村有希
はい、はい。

(今の日本のGDPに例えれば、当時のドイツに対して)1京の賠償を要求したわけさ。それはドイツはどうにもなりませんよ。

今村有希
はい。

そうすると貧窮と混乱のどん底に沈むでしょう?当然、ヒットラー的人物がその廃墟の中から立ち上がるわけですよ。ということね。

それは民主主義で選ばれてくる。つまりそれは、もっと根っこのところで、ベルサイユで会議をする時に、ドイツなんかは1票しか持っていないどころか1票も持っていない立場の中で、あとはみんな多数のところが、俺にもよこせ、俺にもよこせと言うわけですからね。

さらに話を戻すとね、多数決という民主主義そのものをね、これはね、トクヴィルというフランス人が19世紀前半に言ったことなんですけど、the tyranny of the majority(ザ・ティラニー・オブ・ザ・マジョリティ)=『多数派の専制政治』ね。つまりさ、多数決ってことは、それだけをとると、『少数派を排除する制度』なんですよ。

(大きく頷く)

もちろん、議論した挙句に(少数派を)排除するとか、排除した者にも一定のあれこれの保障をやるとかってことがあれば別よ。

今村有希
はい。

こちらは多数だってだけで少数者を排除してしまうと、それはね、無残な排除のされ方をしたら、それは少数派はどっかで復讐に立ち上がるわけですよ。今度のテロだって全世界的に言えばそういうことなんです。

そういうフランスの国内だって、フランス人が選択して、あの例えばイスラム教的な女性がかぶり物(ヒジャーブ)をするのは禁止!なんていうのだって、あれ別に独裁で決めているわけじゃなくて民主主義で決めているんですからね。

民主主義的に排除したわけさ。

今村有希
はい。

それもその排除の仕方がね、あまりにも無理筋で強引だったらね、それは最後はテロに。『テロ』って言葉の元々の意味は今村さんご存知?

今村有希
・・・暴力・・・とかですか?

violence。暴力はviolence。

今村有希
バイオレンス(汗笑)

Terror(テロル)ってのは『恐怖』って意味なの。だから、『人に恐怖を与えること』なのね。

今村有希
はい。

それはもちろん「殺し」なんですよ、いちばんの恐怖はね。だから、フランス革命の頃にはギロチンまで作って、反対派をポンポンとさ。あれが『テロル政治』のはじまりなの。顕著な例ですけどね。

今村有希
はい。

だから多数決だって、少数派がもしも真剣に真面目に考えて、どうしてもこう思うってことは、単なる多数決で否決されると、多数決そのものが少数派にとっては『恐怖』なわけ。『テロ』なわけですよ。

今村有希
はい。

それなら、テロに対してはテロ、目には目をでね、ということも起こり得るのよ。弁護して言ってるんじゃなくて、そういう道筋で起こっているわけ。

だって考えてごらんあなた、何百万って難民がねシリアからヨーロッパに流れ込んでいるのよ。それでそこに仮に(移り)住んだって、いま(寺脇が例に出したムスリマが頭部に巻いて頭と顔を覆うのヒジャーブのケースで)仰ったように巧みに差別されているわけですよ。イギリスで言えば、パキスタンかな?

はい、そうですね。

僕が(イギリスに)行ったのは随分前ですけどね、パキスタン人が随分流れ込んできたけども、やっぱり有り付く職業はいわゆるアレですね、日本でかつて言ってた「3K」?なんだったっけ・・・

キツい、汚い。(もう一つは、危険)

そういうところから、やっぱりTerror(テロル)が少しずつ醸成されてくるんですよね。

だから、あらゆる人がそこでちゃんと共生出来る、共に生きることが出来るような社会を作ることと民主主義が両立しなきゃいけないんだけど、民主主義はむしろ少数派を排除する方向に働いていけばいくほどテロが、だからまた今年はテロが起こるかもしれないなと思っちゃうのはそういう状況だからですよね。

だけど、『ヨーロッパがつくった植民地の後始末の問題』じゃない、全部?

そうなんだよね。

民主主義って植民地から収奪して民主主義を成立させたわけでしょう?アフリカにしろ・・・

そうそうそう。

パレスチナの問題だってそうだよね。

「海難1890」という明治時代の日本とトルコの関係を描いた映画の中で地球儀が出てくるわけですけど、当時は「オスマントルコ帝国」だから、今のトルコの地図じゃないですよね、あのへん全部。(オスマン領だった)

あそこ(オスマン領をヨーロッパ人が第一次大戦後に)どう分割しようか?だもんね。

そうです。

荒井さんいま仰ったようにね、イギリスのパキスタンのこと言ったけども、どうしてイギリスにパキスタン人が多いかと言うと、インド・パキスタンはもともとイギリスの植民地(大英領)ですから、そうすると植民地から流れ込んでくると、『旧宗主国』はね、それをある程度迎い入れなきゃならない。フランスで言うと、アルジェリア人ね。圧倒的に多いわけですよ。そういうふうにして、ものはperspective(パースペクティブ)に見なきゃいけない。

だから、ISは、「お前ら(ヨーロッパ人が)勝手に引いた国境をゼロにしようぜ!」ということを言ってるでしょう?それは分かりますけどね、やり方はちょっとあれだけど。

まぁ大体ね、世界地図見ると、国境が直線になっているところは怪しい。

定規で引いたようなところがあるね、アフリカとか。

国境が(ギザギザ状に)ゆれてるところはいいけど、直線になっているところは怪しいということですね。

そうですね。

直線がダメだからギザギザで書けと言ったって、どこでギザギザ付けていいかまたわからなくなるから直線に(笑)

今村有希
(笑)

そりゃそうですね。自然に出来たものじゃないということですから。

自然じゃないの。(直線、ギザギザ)どっちでやっても自然じゃないの。

今村有希
はい。

ところで寺脇さんさ、この場で一度言ったんだけど、最初は新聞で「ISIL」と言われてた。

はい。

いまこれね、「ISIS」になっている。これね、(後ろのISは)「Iraq & Syria」(の頭文字)にしたんだけど、最初は「IL」と言われてたの。これ知ってた、「L」の意味は?

・・・?

一ヶ月ぐらいで無くなったの、説明が難しいそうで。アラブの方もどうも通用しないからって(ISの方に)変えちゃったらしいんだけど、これね、「レバント(Levant)」 って。

[*レバント(Levant)とは東部地中海沿岸地方の歴史的な名称。厳密な定義はないが、広義にはトルコ、シリア、レバノンイスラエル、エジプトを含む地域。現代ではやや狭く、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル(およびパレスチナ自治区)を含む地域(歴史的シリア)を指すことが多い。歴史学では、先史時代・古代・中世にかけてのこれらの地域を指す。]

レバント。

そうすると、これ僕は想像で言ってるのよ。レバントって言えばさ、レバノン(Lebanon)、それから「b」も「p」も撥音似たようなもんで、『レパント(Lepanto)の海戦』ってあったでしょう?

ありました(笑)

[*レパントの海戦レパントのかいせん)は、1571年10月7日にギリシアのコリント湾口のレパント(Lepanto)沖での、オスマン帝国海軍と、教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍による大海戦である。この戦闘は、西欧の軍隊(神聖同盟軍)がオスマン帝国に大きく勝利した最初の戦いとなり、ヨーロッパに大きな心理的影響を与えた。]

あれね、ジェノヴァオスマントルコがやって、ジェノヴァが勝ったわけさ。それでオスマントルコ衰退のきっかけになるんだけど、おそらくアラブ人にとってのLevant(レバント)なのか、レパント(Levant)なのか知らんけども、(末尾の“L”が指すエリアは)ものすごく広い地域でね、おそらくあのあたりのレバノン(Lebanon)から地中海の東側も含めてね、全部がレバント(Levant)だったんですよ。

(ISI“L”の意味するところは)そういう地理感覚を復活せよ!ということだったんだろうね。でもそれはどうも強引なようなので、「IS」に変えて「Iraq & Syria」にしといたらしいけどね。

確かに西洋は得手勝手にそれやったんですよ、第一次世界大戦の時にね。

そこのところをぜんぜん知らない人は、「ISってものすごい野蛮で、人の首なんか切っちゃって」みたいに思う、もちろん人の首切るのはいいわけじゃないですが、やっぱりその根っこのところにあるものが分かっているのと分かっていないんじゃ随分違いますよね。

うん、そこなんだよね。

そうだよ、だから「アラブを独立させるよ」と言って、トルコに対してロレンス(※トーマス・エドワード・ローレンス、イギリス軍人、「アラビアのロレンス」のモデル)が(オスマントルコに)行って、(トルコ反乱軍の)手助けをさせてユダヤの金が欲しいんで、「イスラエルつくってあげるよ!」と言って、パレスチナユダヤの両方に。

そう。二枚舌(※イギリスの二枚舌外交)やったわけね。西洋のイギリスとフランスがね。

[*参考:二枚舌外交とパレスチナ問題の発端:http://www.ijournal.org/IsraelTimes/mepeace/plo.htm

今日の複雑な中東情勢をつくりだしたもとは、第二次大戦前、同地域を植民地支配していた【英国の二枚舌外交】と、第二次世界大戦後の国連による同地域の処置に慎重さを欠いたことによるものが大きいようである。イスラエル建国前は現在のイスラエルのある地域全体をパレスチナと呼び、長い間イスラム教徒によって治められていた。ユダヤ人も少数ながらキリスト教徒と共にイスラム政権下のもと共存していた。

第一次世界大戦以前、東アラブ地域(現在のレバノン、シリア、パレスチナイスラエルイラク、ヨルダン)はオスマントルコの領土だった。オスマントルコの弱体化により、西欧の列強が同地域、特にエルサレムに注目し始めていた。エルサレムイスラム教徒の手から奪還するというのは十字軍のとき以来のキリスト教徒にとっての悲願であった。『第一次世界大戦中、英国は自国に有利にことが運ぶように以下のような二枚舌外交を展開した。』

⑴アラブ人への約束:フセイン・マクマホン書簡(1915.7~1916.1にかけて、メッカの守護職フセインとイギリスの高官マクマホンの間でやりとりされた手紙)▷英国のオスマントルコとの戦いへの協力の見返りに、東アラブ地方(イラク、シリア、ヨルダン、レバノンパレスチナ)およびアラビア半島にアラブ王国建設を支持する事を約束

ユダヤ人への約束:バルフォア宣言(1917.11.2 バルフォア外相からユダヤ人の富豪ロスチャイルドへの手紙を通じイギリスのシオニスト組織へ伝えられた。)▷第一次大戦におけるイギリス内外のユダヤ人の協力を得るために「英国政府がパレスチナでのユダヤ人の民族郷土を建設を支持し、努力する」事を確約した書簡を出した。 

『英国は、パレスチナという同じ札をアラブ、イスラエル双方に出したのである。』第一次世界大戦終了後パレスチナはイギリスの委任統治領となったが、英国は第一次世界大戦中にした二枚舌外交の代償を払わなければならなくなる。第一次世界大戦終了後から第二次世界大戦終了までユダヤ人移民がパレスチナへ大量流入し、それに対するアラブ人の大反乱が起こった。

第二次世界大戦終了後、英国は手におえなくなったパレスチナ問題の解決を国連に委ねた。これを受けて1947年11月、国連総会はパレスチナをアラブ、ユダヤの2ヶ国に分割し、エルサレムおよび周辺地域を国際管理下におくというパレスチナ分割案をアラブ諸国の猛烈な反対にもかかわらず、採択した。アラブ諸国はそれを不服としてアラブとイスラエルの長きにわたる『中東戦争』へと突入することになった。イスラエルは対アラブの戦略的重要性から、欧米、特に多数の強力なユダヤ人勢力を抱える米国の支援により、1948年5月1日独立後、次第にパレスチナ地域に不動の位置を定め、パレスチナ地域全域を手中に治めるに至る。このような国際社会の成り行きに振り回されたパレスチナ地域に元々住んでいた住民たちは悲劇にさらされたのであった。]

結論は、なんか「民主主義に反する」みたいな、そういうことをあまり表面的な感じで振り回すと、むしろ逆の事態が生まれるんだと。今はまさにそれだということで、2回目を締めくくりましょうか

今村有希
はい。

【次回】「近代文明とテロ」近代社会は底なし沼に沈むのか 
ゲスト:寺脇研(映画評論家) 荒井晴彦(脚本家・監督)