「青年よ、寂しさに屈するな」① ゲスト:中森明夫(作家・アイドル評論家) 〜西部邁ゼミナール〜
「青年よ、寂しさに屈するな」① ゲスト:中森明夫(作家・アイドル評論家) 〜西部邁ゼミナール〜
ゲスト:中森明夫(作家・アイドル評論家)、1959(昭和34)年 三重県出身、著書には小説「アナーキー・イン・ザ・JP」三島由紀夫賞候補、「アイドルにっぽん」、「午前32時の能年玲奈」、【近著】「寂しさの力」(新潮新書)
【ニコ動】
(西部邁ゼミナール)「青年よ、寂しさに屈するな」【1】2016.02.07
今村有希
今回は、当ゼミナールとしては異色の方をゲストにお招きしました。作家でアイドル評論家の中森明夫先生です。
この中森先生ですが、故郷で一人暮らしをしていた母親が、ポツリと漏らした「寂しい…」という言葉から一念発起、「人間の最も強い力は何か?」と考え、このほど『寂しさの力』(新潮新書)という書物を上梓されました。ということで、今回は、『青年よ、寂しさに屈するな』というテーマで今昔若者論を存分に語って下さいます。それでは宜しくお願い致します。
宜しくお願いします。
(笑)
ホモサピエンス、新人類に来て頂いたというそういう感じで。
今村有希
はい(笑)
僕がね、まぁ暗いところも多いんだけど、もっとも明るくない分野がこのこういう分野、まぁサブカルチャー分野でね。漠然と知っているだけで。
今村有希
ご質問させて頂いてよろしいでしょうか?
はいどうぞ。
今村有希
「寂しさ」という言葉の類似語に「かなしさ」とか「侘びしさ」があると思うんですけども、『寂しさ』に特別の意味はあるのでしょうか?
「さみしい」って字ではみたりするんですけども、あんまり言わないんですよ。言ったことありますか、誰かに?
今村有希
(!)・・・そ、そうですねぇ・・・(汗)
ねー。(西部)先生も・・・あっ、たまに仰いますか?
ただ僕は言わないんだけどね、若い時よ、僕だって新人類の時代があったんだけど、
ええ。
裁判所の被告人をやっている時に、裁判官にからじられながら漱石ばっかり読んでいたことがある。たぶん最後は「門」じゃないかと思うんですよ。
うん。
主人公がね、東京弁なのかな・・・「さむしい(淋しい)」ね。
[*「さむしい」と主人公の科白(=台詞)、小説『門』夏目漱石 ]
さむしい。
さむしい、さむしい、という言葉を連発する小説でさ、それが頭に残っていますけども。
寂しくない人っていないと思うんですよね。
今村有希
はい。
にも関わらず、まぁ、悲しいとか辛いとかキツいとか何とかいう言葉は口に出して言うのに、「寂しい」というのは言わないでしょう?
今村有希
なんか恥ずかしいような気がしちゃって。
恥ずかしいような気がするし、なにか人前で言っちゃいけないような。
今村有希
えぇ。
だから、そこに何かこの「寂しさ」という言葉の秘密というんですか、なにかあるんじゃないかなと思ったんですね。
この本(「寂しさの力」中森明夫)読ませていただくとね、途中でね、「悲しさは一時的なもので、寂しさは永遠のものだ」というまぁまぁ名ゼリフが。まぁね、人間は有限だから永遠ということはないんでしょうけど、個人で言うと、長く持続する人生の・・・悲しさってのは、ちょっと女に振られて1年ぐらい悲しいとか、その程度の話なんだけど、あの「寂しさ」ってのはまぁ、やはり人類、人間独特の、つまり『自分がいずれは“死ぬ”んだということを意識する』というね。これね、マルティン・ハイデッガーという哲学者の根本原理だけど。
[*死を意識する (哲学)マルティン・ハイデッガー ]
えぇ。
まぁ、そういう『死の意識』ということから来ると思うんだけど、だから先ほど紹介された(中森の)お母様がね、もう時期亡くなる前に東京の息子さんに電話してきてさ、寂しい、寂しい、と言って、それに彼(中森)が反応しちゃったというのはね、哲学的原理にもあった話(笑)
えぇ。僕が「新人類」なんて言われたのは、もう30年前のことなんですね。
あー、そうか。
僕ももう中年人類ですよ。旧人類。
ハッハッハー(笑)
だから、あぁいうふうな過去の仕事も範囲。他方ね、その西部先生のさっき仰ったみたいに、ちょうど僕が1960年生まれだから「60年安保」の頃に、それこそ新人類というかアプレゲール(仏: après-guerre 戦後派 ⇄ 対語:avant-guerre アバンゲール 戦前派)で。
そう言われたんだ。
今村有希
はい。
だから、その頃の(西部の)写真を見たことあります?
今村有希
無いですね。
学生服着て。あぁ〜無いですか。もうね、違うんですよ、西部先生は僕が生まれた頃からスターだったんですよ。
いや実情はね、栄養失調で黒ずんだ顔をして目だけギラギラした、その顔だけ見ると、一種のテロリスト風。
今村有希
えぇ??(笑)
そうそう。
実際には栄養失調という。
テロリストみたい(笑)
今村有希
えー!!(笑)
(笑)
最近ね、西部先生が『正論』という雑誌で、あの自伝ですか?
はい、風ね(笑)
『ファシスタたらんとした者』って、(西部の)若い頃のことを書いた。
今村有希
(うん)
「灰の中のひとつのダイヤモンド」をというね、名ゼリフ。
[*灰の中のひとつのダイヤモンド 「ファシスタたらんとした者」 ]
あぁ(笑)
今村有希
はい。
アンジェイ・ワイダの映画で、その中でテロリストが出てくるんですよね。
今村有希
はい。
マチェクでしたっけ?
そうそうそう。
ズビグニエフ・チブルスキーというカッコいい(俳優)。本当にそんな感じだったんです。
今村有希
へぇ〜(笑)
若い頃の西部先生。
俺は今日はゲストじゃないのね。
一同
(笑)
ところでさ、ごく最近、例えばあれでしょう・・・SEALDs?
うん。
あれは、自由民主主義の為の学生緊急活動ぐらいの意味ですけどね、何かそれに期待をかけるようなそんな声もちらほら聞くけど、貴方なんかはあんな風な動きを見ていると?
[*SEALDsにみられるような若者の政治運動をめぐって ]
全く真逆だと思うんですね、80年代は非政治的な時代でしたから。僕はむしろ、今回そのSEALDsというのが国会前で若者たちがデモをしたんですね。するとフッとね、70年安保と言わないまでも、60年安保の頃にちょうど同じ場所でね、同じ年頃の、もう半世紀前ですよ、西部さんなんかが同じ場所で学生やってた。僕はむしろ西部さんの方があれをどう思っているのかお聞きしたかったんですよね。
これは(笑)もう年だからなんでも言っちゃう。最末期にね、僕らの組織の長が「国会にガソリンを撒くぞ!」と。
[*60年安保闘争とは何だったのか ]
うん。
それで僕はこう言ったんですよ。「まだガソリン撒く元気が残ってるのは俺一人だけど見てみろ」と。明治(明大の学生)は、「お〜お〜明治ィ〜♪」(※明大の校歌)と、これは運動会の応援歌だ。
うん。
早稲田はね、「早稲田ァ〜の杜にぃ〜♪」ってね、お祭り騒ぎじゃないかと。
うん。
樺美智子(※かんばみちこ:学生運動家)さんが(60年安保で)死んで、みんなワァーっと集まって、いわゆるセンチメンタルな動きになって学校単位で動いて。僕はね、『お祭り騒ぎにガソリン撒く趣味はねえ!!』と言って、ガソリンは撒かなかったんですけどね。
うん。
だから、全体としては単なるバカ騒ぎだったんですけども、その中の活動的分子はね、なんかとことんまで突っ込んでしまえ、という感じの人間を含んでいたことは確かですねぇ。
[*全体としてはバカ騒ぎ、とことん突っ込む活動的分子 ]
うん。政治的というよりは、『お祭り的』で『破壊的』だと。破壊的な世代な西部さんから見て、いまのSEALDsの若者デモはどうですか?
緊急学生活動までは日本語としては分かるんだけど、“自由と民主主義のための”とこう来るとね、自由・民主主義でいえば、日本では「自民党」だし、全世界的にliberal democracyが天下の社会正義になり仰せると言ってそれを理由にしてね、そんなアラブだウクライナでさ、いろんな侵略が行われているのに、そういう自由・民主主義という言葉だけは疑わないという今の若者たちのね、それはまず気に入らないというのと・・・
[*Students Emergency Action for Liberal Democracy:SEALDs・・・自由と民主主義のための学生緊急行動 / 「自由」「民主」主義の言葉を疑わない若者たち ]
・・・まぁ実はむかしむかし大昔に今から50年も前に日本共産党が、ぼく知らないんだ、中学高校生時代、古い時は火炎瓶投げてたの。ピストルもみんな持ってた、戦争帰りが多いですからね。
えぇ。
武装闘争にチャツナ、それに失敗してね、今度は急に「うたごえ運動」に入ったの。 歌えや踊れ。歌う共産党と踊る共産党という、一種の『大衆迎合』と言われてましたがね、そういう極端から極端へと移って、それが崩れて、共産党は1955年から「国民に愛される共産党」に変わって、僕はその後の世代ですからね。僕はその3年前に(東京)大学に入るんですね。
今村有希
はい。
ですからね、あぁいうのを見るとね、なんかその昔の歌えや踊れの、踊る共産党、歌う共産党、そいんなものの現代版(がSEALDsをはじめとする今の若者たちの運動)、そのぐらいにしか思えなくて、あまり関心も持てなかったんですけどね。
うん。
(今村を指して)貴女はどうなんだ?
今村有希
えぇ〜?!(笑)
・・・なんて指差したりして(笑)
女性も随分ね。僕は行かなかったんですけど、TVのニュースを見ていると珍しく(女性が)。あぁいうのってオジさんばっかのところに若い男の子と女の子を入れて、僕は満更・・・僕は行きません、行きませんけどね、あぁいう所でこう男女が(入り乱れて)いいんじゃないかと思いますよね。
今村有希
はい(笑)
先生の仰る「お祭り」だというなら、別に三社町でもいいし、別にあれで国がひっくり返りもしないわけですよ。
こういう言葉が出てくるんですよ、【宿命】、【運命】でもいいんですけどね、人それぞれ国それぞれある宿命、時代の運命ですかね、運命というものに遭遇して、それで『自由』とは何か?自由というのはそれこそ、これが『活力』という“力”になるんだけど、『自由の力』というのはやっぱりね、自分がどういう宿命的に運命的にどういう状態に置かれているか、ということを分かった上で、その宿命を生き抜く、運命を生き抜くというね、それが『力』だと、中森先生が仰っているわけさ。
[*宿命、運命的に置かれた状態、生き抜く力が自由の活力 ]
今村有希
はい。
SEALDsはどうでもいいんだけど、あぁいうものを見ると、いま日本国家が、あるいは現代人がと言ってもいいけど、陥っている運命的宿命的状況は何なのか?ということについての理解をしようとする努力も無さそうで、あんまり力を感じないということはあるよね・・・
[*現代人が陥っている運命的宿命的状況を知る努力は ]
と、中森さんの本を読んで確認したと(笑)
中森・今村
(笑)
僕は政治的にはよく分からないんですよ。だけど、例えば西部さんが学生服を着て(過去に)やっているじゃないですか。ブント(※共産主義者同盟)という60年の運動を見ると、当時、吉本隆明さんなんかが『赤い太陽族』 (と呼ばれて)・・・カッコいいでしょう、なんか?
今村有希
はい。
赤い太陽族って、太陽ってもともと赤いんですけども。西部さんはご自分ではいろいろ韜晦(とうかい)したことを書いているんですけど、例えば西部さんの同世代同時代の、ちょっと年下かな?またカリスマ的な批評家で【柄谷行人】(哲学者、文芸批評家、評論家)という人がいますよね。で、柄谷行人なんかが最近かな、福島の原発事故の後のデモにもう70(歳)近くになって行って、50年ぶりにデモに来たんだってインタビューを受けているんですよね。それで(インタビューで)こう言っているんですよね。「若い頃、20歳の頃見た西部の演説が好きだった」って(柄谷が)言うんですよ。
演説が上手かったと。で、(当時の西部は)どういうことを言ったかというと、『私はこの世のあらゆるイズムを否定する。でもたった一つだけ支持するイズムがある。』・・・
ぼ、僕の話?
西部さんのお話。『一つだけ支持するイズムがある・・・センチメンタリズムだ!!』
[*センチメンタリズム以外あらゆるイズムを否定する:20歳の左翼青年だった当時の西部邁 ]
嫌だなぁ(苦笑)
カッコイイでしょう?20歳で。
今村有希
ハイ(笑)
やっぱり、SEALDsの連中、まぁいいですよ、日本は豊かになったんだからラップでも何でもやってれば。こういうね、宿命とか運命とかね、そういうのを(彼らに)感じないじゃないですか。やっぱり僕はそういう奴が出てきたら、僕はもういい歳だしね、奥さんも子供もいないし、なんていうのかな・・・もう、日本なんてどうなってもいいんですよ、僕は。だけど、どうせだったら20歳の西部邁じゃないけど、そういう若者にね、あぁコイツだったらついて行くよと、ファシスタについて行きたい。
彼ね、巧みだから、人を誑かすのが。
いやぁ(笑)
いつの間にか俺をゲストにしてしまってる(笑)仕方ないんで、一つだけ言うと、僕は19まで、20歳までかな、吃りだったんですよ。吃りは今は差別語らしいから吃音者、だから喋れなかったの人前で。ある時ね、大集会の演説者の立場に不意に押しやられたの。まず覚えてるのは、ここに覆いがあったから見えないけど、膝はガクガク震えて、だって目の前に5000人ぐらいいるんだもの、ひょっとしたら1万人近くいたかもしれない、日比谷の野外音楽堂。 ビックリしたの、それまで人前で喋れなかった僕が、口から頭からベラベラベラベラ・・・今みたいなダミ声じゃなくってね、かなりテノールのいい声だったんですよ(笑)
今村有希
フフフ(笑)
際限もなく口から(言葉が)出てくる自分自身に驚いてね。そこでね、昆虫でいえば変態しちゃった感じのね。
うん。
ということでね、カミさんがビックリしてた。カミさんは何にも喋らない僕を知っているわけ。人前で吃るの嫌だから僕しゃべらなかった。
今村有希
(うん)
ところがね、何年かぶりにあったら、僕がベラベラ喋っているわけさ。他人じゃないかと思ったって。
あぁ〜。
だから、何かのそういう運動というのは、僕にとってはそういう意味で、【運命の中の決断】、自由と関係あるんですけど。
うん。
ある種、自分は言語障害児に生まれちゃったと思ってて、それは『運命』だと。でも、その運命をやっぱり突破したいとも思うしね、この運命の中で何かこう『決断』しないといけないとなったら、運命が逆転してしまってね。
あの、やっぱり西部さんはその芸能人に近いと思うんですね。
(笑)
芸能界の人ってお会いしたらわかると思うんですけど、普段は暗いのにステージに上がるとパァーッと明るくなったりとか、もともと友達が少ない人とか、この本にも書きましたけども・・・
(手で顔を覆って)なんだよオイ(笑)
西部さんは典型的なスターですよね。でも、何でぼくはこの番組に出てきたかというと単純で、僕も異色なんですけど、僕は西部さんが好きなんですよね。好きなのは酒場でよくお会いするんですけど、この名調子でね・・・
ウソだよ(笑)
朝まで喋っているこの歳で、もう驚きますねこのタフさは(笑)
今村有希
(笑)
もう一つは、そのさっき言った、なんていうのかな・・・時代の・・・今でもぼく変わらないと思うんですよ、西部さんは全然転向していないしね。
今村有希
酒場で朝までお話されるというのは、やっぱり「寂しさ」とも関係ありますか?
関係あると思いますね。僕だって寂しいけど、西部先生だって寂しいんじゃないですかねぇ。でも、いつも賑やかにね、
今村有希
はい。
周りにこうなんか引きつけてね、パッとこうなんか。それで最近、白い手袋をやっているでしょう。
今村有希
はい。
それで賑やかな酒場にわっとくる。その様が何かちょっとディズニーランドのね、ディズニー。
今村有希
(笑)
これはね、神経痛のためにしている病理道具ですけどね(笑)
いま言った【宿命】、これはいちばん単純な場合ですけど、むかし都心から東京に暮らしていた時に何度も気付いたことがあるんです。遅くタクシーで帰るでしょう、1時間かかる道のりの半分まではね、とって返して新宿で飲みたいわけさ。でも時間も遅いからじっとガマンするでしょう、それでどうも半分の距離を越えてウチに近づくとね、それこそね、帰心矢の如しでね、一刻も早くウチに帰って眠りたいね、それはね、この『運命』『宿命』のいちばん単純ケースですけども、場所、自分がどこに居るかというね、新宿界隈に居る限り自分の知り合いの店に戻りたい、で、topos(トポス)というか場所が移動して、ウチに行くと我が家に帰りたいという。
[*都心に居れば酒場に取って返す、家に近づけば帰心矢のごとし ]
中森・今村
うん。
案外ね、この『運命』『宿命』というものは、案外、不安定なものだなぁというね。
思いますねぇ。僕もやはり若くして東京に出てきましたでしょう、15歳で。東京に居なかったら多分、こうなっていなかったかなぁと思いますね。
あぁ、そらそうですねぇ。
東京以外ではなかなかもう暮らせないという気もしますよねぇ。
今村有希
はい。
ただ、僕はこんな本を書くとは思いませんでした。あの、この歳になって自分が「寂しい」というのを認めるのもあれだったし、でもまぁ人生生きてみるもんですよね、そういう自分がこういうのを書いて、まぁお袋が亡くなるには間に合わなかったんですけども、そこで耳元で出来た原稿を、僕もこんなことを自分がやるとは思いませんでしたけども、読み上げて翌々日に亡くなっちゃったんですけども、それは僕みたいな親不孝者が出来た、唯一の親孝行だったかもしれないと思いますね。
いや、それは思いますよ。急に話がね、それこそセンチメンタリズムになりますけども(笑)、僕自身2年近く前になるのかな、カミさんを亡くして、まぁこれ中森さんの原稿で「人間・このアイドル的なるもの」、これはその恆存(福田恆存)にね、人間この劇的、ドラマティックね、 劇的なるものもじった表現だというふうに思うんですけど、人間のこの力になるのかな、それは運命の中でなにかこうドラマティックに急展開を遂げて。
福田恆存さんの『人間・この劇的なるもの』という本があって、これは今でもよく文庫で読まれているんですね。一面ものすごく反動的なんですよね、さっきのSEALDs諸君じゃないけど、自由だ!とかアー!!とか言うでしょう、でも福田さんは違うんですよ、『自由じゃないんだ、人間というのは。それは何かといえば“宿命”とか“役割”だ』と。演劇ってそうですよね?ある役を与えられる。
今村有希(舞台女優)
はい。
で、いまのアイドルというのは、ほとんどがまぁAKBでも何でもそうですけど、運営とか秋元康さんに言われて「キミはこのポジションに立ちなさい、歌いなさい、○○しなさい」、例えば70年代のフォークソングとかロックンロールをやってた人たちからバカにされたんですよね。アイドルというのは、事務所とか何とかの言いなりでやっているだと。僕それは逆で、今これだけ若い人たちが何故アイドルが支持されているかというと、何でもいい・やれる時代に、役を与えられて衣装を着させられて、ここに立ってポジションをやって、福田先生が言うまさに『劇』です。その中ではじめて『自由』というものを獲得する。
今村有希
はい。
人間はある宿命とか役割、日本人であることとかね。いつの時代、どこで生まれてくるとか選べないじゃないですか、要は。それを『自覚』した時に、『真にその生きている実感』というんですかね、湧くんだと思うんです。至極真面目に僕は考えている。
[*自己の宿命を自覚した時、真に生きている実感が湧く ]
でも本当にこの「寂しさ」というのはいい言葉だと思うんだけどね、一方では、自分の役柄を外から与えられてしまう、生まれた時代でも社会でも職業でもいいんだけども、それ自体、人から焼鏝(やきごて)のように当てられるわけですから、それ自体「悲しい」んだけども、それを受け容れて、その役柄を運命をどう演じるかというところで力を発揮して、それで莫大な人気を得たとしよう、金銭も入ったとしよう。
今村有希
はい。
ところがね、(人気や金銭が)入れば入るほど・・・
そうですね。
ある種の、一体この人気はなんなのかと。この貯まっていくばかりの貯金をどうすればいいのかというね。自分の獲得したもののある種の空無さというね・・・
虚無感ですねぇ。
これ寂寥(せきりょう)の「りょう(寥)」ってね、
「寥」ですねぇ。
「さみしい(=寥)」だけども、この「寥」というのはどっちかというと『無』という言葉に、意味内容から言うとね。
[*寂寥の「寥」=無の意味、空虚でもの寂しい ]
うん。
ですから、宿命に準じることの自由な力。で、力によって得たものの、ある種の虚しさ。
[*宿命に準じることの自由な力、力で得たものの虚しさ ]
全く仰る通りだと思いますね。
うん、だから両方あるんだよね。
だから、僕なんてね、そのさっき言いましたように、政治と何にも関係ない。80年代バブルカルチャーに浮かれ浮かれて、これ気が付いたらですよ、寂しさの力だったり、福田恆存とかね、全く転向していたわけですよ。
(笑)
今や西部さんのこの番組に(笑)全く仰る通りで、何か成功してしまったらより虚しいものになるというね。
そうね。
それが僕のテーマですね、今のね。
それはね、確かにテレビなんかは、僕は最近、老人だから目も悪いから本もよく読めないんだけどね、だからテレビのスイッチをひねる。やっぱりそのアイドルその他の有名人が出てくるでしょう?
今村有希
はい。
またテレビって変なもんで、僕自身がこの番組もう8年目ですからね、長々とテレビに顔を晒している人たちの目尻とか何かに漂うある種の虚無感が見えてくるのね。
[*テレビに長々と晒される人たち、その目尻に漂う虚無感 ]
うん、ありますね。テレビに出続ける人のある特徴的なものはあります、見事に。
今村有希
はぁー。
(今村を見て)ありません何か?
今村有希
えっ(笑)
お店で(テレビの中の人に)合うと、あっこの人!?思う時あるじゃないですか。
今村有希
はい。
この人(テレビに)よく出ているって。
今村有希
はい(笑)
だからね、このタイトル、この本ね売れると思うし、いい本だけどね、『寂しさの力』、我々もさ、「青年よ、寂しさに打ち拉がれるな」、なんて言ったけども、実はもっと複雑で、『力を得ることの寂しさ』みたいなね。
あー、逆説ですね。
「力の寂しさ」みたいな、「寂しさの力」なのか「力の寂しさ」なのか、ほとんど同じことなんでしょうけど、
なるほどね。
でも、それを生きて何時かは死ぬ。そういうことを三重のお母さんが教えてくれたでしょう、電話で。
うん。
僕もそういう経験幾度かありますけどね。寂しさについてかな、その「知る」ということと「わかる」ということとは別なんだと。中森さんの定義によれば、「わかる」というのは経験を通じてね、例えば、自分のお母さんが三重で命がもうすぐ途絶えるというそういう電話の経験ね、その経験を通じての理解とね、経験をせずに本を読んで理屈を述べたてての理解とはね、次元が違うということを(中森が)言ってて、僕は本当にそうだと思うな。
ですから、よく日本語でね、「体験」と「経験」を同じ意味で使うけど、たぶん区別した方がよくて、「体験」というのはまぁ体験なんだけど、それに解釈して、親子関係はこうかと、死ぬとはこうかとか、親に先立たれるとはこういうことかという、そういう『解釈』を通じてジンと分かるもの、そういうのを『経験』というんでしょうね、多分ね。
[*「親子関係」や「死」 解釈を通じて分かるのが経験 ]
経験のことを英語で何と言うかご存知?
今村有希
・・・。(苦笑)
どうでもいいんですけどね、知ったかぶりよ。
今村有希
はい。
何か僕が英語を書くのは視聴者から評判が悪いんですけどね、
そうなんですか?(笑)
今村有希
(笑)
英語は便利だからね、書くだけで。
experienceですよねぇ。
今村有希
エクスペリエンス!
ex–perienceね。(ex–perienceの)perienceは、もともとはperil(ペリル=危機、危険)から来ているんですよね。perilというのは「危険」「危機」ということですよね。
あぁー。
exというのは「探す」という意味でしょう。ですから、experienceというのは、だいたい僕の経験はねというけども、実は、生きているということ自体が何時死ぬか何時失敗するかね、何時恥を掻くかわからないという意味で、peril(ペリル=危険)に満ちているわけさ。それに身を晒して得た理解が、それが『分かる』ということで。
[*experience「経験」 ex–peril:危機に身を晒す ]
うん、なるほどねー。
でもいくら分かっても、究極に分かることは、生まれて生きて死ぬということの、あるどうしようもない寂しさね、そういうことが残ると。でもね、それを知った上で生きるのと、知らずに生きているのとはやっぱり確かに力の差が出ますね。
うん。
知った上で生きていると、そう簡単にへこたれませんよ、それは。それを知らずにやってるとさ、ちょっとした恥を掻いたぐらいで落ち込むんだよね。
うん。
ということを『寂しさの力』という本は書いてある。第1週目、視聴者の皆様、僕のような旧人類が言うのですから、
(笑)
いう事聞いて下さい。ちゃんと買って読むように!
今村有希
(笑)
次の週も宜しくお願いします。
宜しくお願いします。ありがとうございました。
【次回】「青年よ、寂しさに屈するな」② ゲスト:中森明夫(作家、アイドル評論家)