「現代の教育を問う」① ゲスト:下村博文、西田昌司 〜西部邁ゼミナール〜
ゲスト:
下村博文 自由民主党 衆議院議員、文科相、教育再生担当相、東京オリンピック・パラリンピック担当相など歴任、現在、自由民主党総裁特別補佐兼特命担当副幹事長、近著『世界を照らす日本のこころ』(IBCパブリッシング)
西田昌司 自由民主党 参議院議員、参議院自民党国会対策委員長代理、参議院法務委員会筆頭理事を務める、Web『週刊西田Satellite』 http://www.shukannishida.jp/top.html
【ニコ動】
(西部邁ゼミナール)「現代の教育を問う」【1】2016.03.06
今村有希
教育は知識人にとってのstumbling-block「躓きの石」、 良き教育の為には良き教育者が必要であると考えると、良き教育は大いなる困難にぶつかります。
[*教育は知識人にとってのstumbling-block「躓きの石」 良き教育は良き教育者が必要で良き教育は大いなる困難に ]
しかしながら、教育は最も大事なもので、国家百年の計を考えると、教育はその礎となる重要なエッセンスです。そこで今回は、活力溢れる二人の政治家に徹底して論じて頂こうという試みです。
それでは先生方、宜しくお願い致します。
はい、宜しくお願い致します。
今日はありがとうございました。ぼく最初に御二人に問うてみたいのはね、英語公用語化を始めとして、英語教育の普及ということがまぁ、重大テーマに言われてますけど、僕の仲間はみんな反対しているんですけどね・・・
(無言で挙手=自分も反対!)
ぼく一人反対していないんです・・・賛成もしていないんですけどね(笑)
(笑)
日本人の普通の人がね、外国人をちょっと関心させるような、オイ日本人けっこう面白い事を考えてるぜ、と思わせる力があるとね、ぼくは是非ね、トップエリートだけじゃなくて旅行に行くような人もね、英語を片言でも喋れるのは大事だと思うんですよね。
[*英語力の強化で外国人を関心させる発話がでけるか ]
ところがね、最近、新宿の飲み屋の話なんですけどね、けっこう立場のある文学者その他がね、本当に子供っぽいセリフ・・・「安倍には困ったもんだねぇ」「安保法制には困ったもんだねぇ」「いったい反戦をなんと心得ているんだろうねぇ」・・・みたいなね、もうなんか100年、200年前のカビの生えたセリフね。
うん。
で、後に何の展開も無いんです、会話に。「うん、そうだね」で終わる会話ね。
下村・西田
(うんうん)
こういう民族に英語なんか喋らせたら世界の恥になるんじゃないかという。
下村・西田
(爆笑)
下村先生は英語はペラペラ?
いえいえ、ペラペラではないんですよねぇ(笑)私はあの文部科学大臣の時ね、小学校3年生から英語を教えるということを前倒しでするということを決めたんですけど、これは数年後そうなるんですけど、いま日本は(英語の)「教科」としては中学校から始まるんですね。
[*小学5年からの外国語活動を小学3年へ前倒しする ]
あぁ。
で、小学校5年生から英語に親しむというか、週1回、5年生・6年生を(対象に)数年前から始めたのですが、それを前倒ししてね。理由はですね、良い悪いは別にして英語ってのは世界共通語なんですね。
なっちゃったんですね。
なっちゃった。共通語を日本人だけが知らないというのは。世界の中で活躍できないと。まぁ別に世界に行かなきゃいいじゃないかというのがあるかもしれないけども、日本国内だってグローバル社会で、昨年1年間で1974万人の外国人が来ている。
そうですね。
うん。
これはどんどん来ますよ。という中では、共通語を知らないと世界の中で日本だけ除け者にされてしまうね、という世の中だから、まぁ共通語ぐらいはキチンと習わせようということですね。
事実をちょっと言うとですね・・・
えぇ。
国会議員になって、様々な外国に行ったりありますよね。私も喋れないものですからね、通訳を聞いて喋ったらいいんですけど、(英語を)喋れる議員がいっぱいいますとね、勝手にどんどんどんどん喋っていきましてね、一人だけ置いてきぼりになりますよね(笑)そういうので言うと、(下村)先生が仰るのがよく分かるんですが、もう片っぽでですね、わたし昔にホームステイでイギリスに一月だけ行ったことがあるのですが、その時にスパニッシュと、スペイン人の男の子と一緒の部屋だったんですね、片言の英語でお互いに。その時に、要は歴史の話とかで、みんなでいろんな人間と話すことがあったのですが、日本人って全く歴史を知らないんですね、自分の国の。
うんうん。
で、(外国の)彼らは(自国の歴史を)けっこう教えられているんですよね。だから一方的にやり込められるんですよね。それで私は、英語は大して出来ないけども(笑)、「それは違う!」と言うことは出来ますからね、手振り身振りで話して。
うん。
結局ね、英語はまぁ大事なんですけどね、本当はもう少し中身の歴史とか、日本の文化とか本質的な話がですね、あんまり出来る人がいないなぁというのをすごく感じたりするんですよね。
[*英語が共通語化する中で、日本の歴史の発話ができるか ]
そうね。歴史をね、知っているかどうかというのは単に知識の問題じゃなくて、感心したことがあるのは、あれ『ウクライナ問題』の時かなぁ・・・
あぁ〜。
テレビ見てましたらモスクワでね、本当にね、不良少年みたいなのにインタビューするんですよね。
うん。
それはそのモスクワの青年が、「俺たちロシア人にはひたすら生きようとする情熱ってものがあるんだ」と。本当にね不良少年と思しき人間が自発的に発言するんですね。
うん。
何かこう自分に内発するある意見とか気持ちが、知識を知ってるかどうかの前に『姿勢』の問題として。
[*生きようとする情熱があると、内発的なロシア青年の発言 ]
うん、ただそのね、いま西部さんも言われてましたけども、外国人と話したり外国に行くことによって、逆に自分が日本のことを知らないと。日本の歴史を知らないと。
仰る通りですね。
・・・というね、勉強する動機付けになっているんですよ。そのidentity(アイデンティティー)というのは、
そうですね。
真の国際社会で活躍するという意味では、真の日本人としてのアイデンティティーがないと世界の中で生きていけませんよね。
そうですね。
その為には日本の事をもっと知らなくちゃいけない。ですから、英語を教えるということでね、それから日本の歴史や文化を教えるというのは別に相矛盾することじゃなくて、
そりゃそうですね。
両方を如何に発達段階に応じてしっかり教えるかという意味では、日本は両方とも他の国から比べるとその分野についてはきちっと教えていないという表れだと私は思って頂きたいと思うんですね。
そうですよね。
あれ書かれたのは1899年だけど、当時ね、やっぱり外国人が日本人には宗教教育は無いのか?と。まぁ道徳教育も含めましてね、
えぇ。
『価値観』を教えないでお前たちはいったい何をやる気なんだ!?と散々っぱら言われて、(新渡戸・内村の)二人は断固として、『自分達には既に滅びつつあるが、武士道というものがある!!』というので頑張ったのが100年ちょっと前ですよね。
下村・西田
えぇ。
またそういうサイクルが来ているのかなぁという気がしますね。
えぇ。
で、聞いてると面白いなぁと思ったのは、『かなり内向きの自分達の国のこと』を彼はものすごい言うんですよね。ところが、実際の外交とかそういうことを考えると、そんなことで世界中納得できるかねぇ、というところがあって、
めちゃくちゃなことを言ってますよね。
(めちゃくちゃなことに)なっているんだけど、あれけっこう『アメリカ人の本音』でありましてね、つまり自分達の国はやっぱりこうだとか、あぁだとかいうとこあるんですよね。で、振り返って日本の方を見ますとね、
うん、
日本はあんまりそういうことを・・・まぁ言う人もたまにいるんだけど(笑)、国境とか家族とか故郷というのはね、どこかタブーというか、ほとんどそういうことを考えずにですね、まぁペラっとした話を言いたがりますよね?
[*日本人は故郷や家族という大事なものを忘れて議論 ]
うん。
だから、まぁそこを考えると、トランプが別にいいとは思えないんだけども(笑)、何か日本人は人というか人類というか生命体としても、大事なところを何か置き忘れたまま議論をしているような気がしましてね。だから、英語で喋らないとトランプさんともやり合いは出来ませんけども、やり合いする前に、そもそもそういう人間の原点になる部分、そこが必要のような気がするんです。
ぼく戦争が終わった時、たった6歳なの。戦争のことよう知らんのですけど、でも昭和が終わるまでは日本の指導者、政治に限らず経済界も言論界もね、やっぱり一応形の上では戦後民主主義とか戦後なんとか主義に迎合しててもね、やっぱり戦中・戦前を体験していますでしょう?
えぇ。
そのやり方の中にそういう過去の歴史のようなものを組み込んでね、ある意味じゃCommon Sense=常識に合うようなことをやってらした方が多いのだけど、やっぱり平成の御世が来ると同時に一斉に「世代交代」が始まって、そういう戦争を知ってる味わっている人たちが、或いは、戦後の混乱期を、そういう人たちがリタイアしたんですよね。
[*昭和まで政財界言論人には歴史を組み込む常識があった / 戦争と混乱期を知る世代が平成の御世に入りリタイア ]
下村・西田
うん。
それから早26年、27年か・・・随分変わったんですね、この四半世紀たるね。
ただ、さっき仰ったように、英語でね、日本もそういう道徳のバックボーンはあるんだと、西洋に対して。それを英語で新渡戸稲造が「武士道」書いたり、それから内村鑑三が「代表的日本人」書いて世界の人たちに発信しましたね、それで100年ちょっと前ですね。
しかし、いま仰ったように戦後70年経った中で、やっぱりそういう『思想的な空洞化』というのはこの70年の中でどんどんどんどん薄くなっていることだけは事実で、100年経った中で改めて、我が国の特定のそのキリスト教とかイスラム教とか、宗教がバックの日本は道徳とか価値観があるわけではないですから、しかし『武士道』はね、今もその息づいている部分もあるけども、武士道で語れませんよね、100年前と違いますよね。ですから、改めていま我が国における精神的なそういうバックボーンなり、あるいはそのスタンスは何なのかって事をキチッと議論して整理するというのは、やっぱり日本にとって求められているそういうタイミングだと思いますね。
[*我が国の精神的支柱は何か、議論して整理する機会 ]
そうですね。
えぇ。
(うんうん)
innovationというのは「革新」ですよね。簡単に言うと「古いものが壊れていく」。
[*innovation「革新」により古いものが壊れていく ]
道徳のことを英語でmoral(モラル)というけど、先ほど舞台裏で喋っていたんですが、あれは元々はラテン語のmores(モーレス) から来ていて、moresというのは集団ある固定・安定した感情みたいなものをモーレスと言うんですよね。
[*「道徳」moralの語源は、ラテン語のmores 集団において固定、安定的に共有される『感情』 ]
ところが、innovationがここまで立て続きますとね、慣習が壊れる。ということは、集団の安定した感情がどんどん薄らいでいく。だから一方で、もちろんイノベーションは起こるんですけど、あんまりinnovation maniac(=革新狂)になっちゃうと、道徳の基礎を自分自ら壊すというね。
[*innovationマニアックで道徳の基礎を自ら壊すことに ]
あぁ〜。
だから、そこのところ難しいですねぇ・・・イノベーションに先行しないと経済競争で負けますからね、それに突っ走る。と同時に、それは自分たちの道徳的基礎を取り崩しているというね。
まぁ、必ずしもそれは矛盾しているようには私は思えないんですよね。
そうですか。
これか日本が少子高齢化であるにも関わらずですね、発展していく為には科学技術、イノベーションによる新産業の育成等を図っていくというのはこれはもう必要なことだと思うんですよね。でも科学技術イノベーションとね、それからモラルの破壊というのは繋がらないんじゃないかと思ってまして、逆にいま私のその(周囲の)経営者の人の中でも、アメリカのような金融資本主義的なものではなくて、株主の為に会社があるということじゃなくて、『広域日本資本主義』と言いますかね、昔の近江商人の『三方良し』じゃないけども、そういう日本古来の経済的な在り方をキシッとここで確立をしなければ、日本そのものだけじゃなく世界が経済によって破壊されてしまうんじゃないかという意味では、モラルそのものが破壊されているようには思われないんですね。ただ、それをもうちょっとキシッと徹底をすると言いますか、何がモラルで何が道徳で、それを今度、文部科学省では『道徳』を特別の教科化として位置付けてね、学校教育の中でちゃんと教科として位置付けて教えることを始めることにしましたが、別に懐古主義とかそういことじゃなくて、一方で社会常識とかルールとかマナーとか、徳育的な部分は教える必要があると。
[*米国型金融資本主義でなく広域日本型の資本主義 / 「三方良し」近江商人の様な日本古来の経済的な在り方▷「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」近江商人の心得 / 特別の教科「道徳」として新たに位置付けた文科省 ]
えぇ。
(モラル等が)破壊されているというよりは、ちゃんと継承されていない、教えられていないというふうには思うんです。
むかし「日本的経営」ってありましたでしょう。
えぇ。
日本的経営がどうというよりも、僕が例えば西田先生を雇う時には月々・・・50万でいい?
いやぁ・・・ありがとうございます(笑)
(笑)
まぁ例えば50万ね(笑)頼むねと。よっぽど怠けたら僕も首切らせてもらうしね、またはよっぽどヒドい社長なら(雇われた側の)ご本人が辞めちゃうでしょうけど、でも50万でなんとか頼むぜと、時々ボーナスも払うけどと、それでやるということは、それでご自分の生活がまぁまぁ見通しが立つということですよね。
[*固定安定した収入により生活の見通しが立つ ]
うんうん。
今度逆に言うとね、50万で買ういろんな品物が上がってこの程度、下がってこの程度、マーケットの価格 price体型がある程度安定しているという見通しの中で人間の契約が成り立つんですよ。
それはそうですね。
ところがですよ、今の原油価格が典型に見られるように、いま(1バレル当り)30ドル?忘れましたがね、1バレル30ドルになったり150ドルになったりね、(乱高下するような)こんなふうなバブルだ、バーストって破裂ですけどね、膨らむ・破裂するということが起こるマーケットで起こっちゃうとね、あれ自体もマーケットシステムの破壊なんですよね。
国民がある程度のmoralを共有し合うところでマーケットすらもが安定すると。単に需要と供給ではめがったりね、なんというかなぁ・・・持ち込んだりするもんじゃないんだってね。
[*市場の安定によって人間の契約が成り立つ / 国民がmoralを共有しあいマーケットも安定する ]
まぁ経済というよりビジネスですよね。ビジネスが先に出ちゃうと、この頃はアメリカ式の短期的利益をですね、ROE(return on equity:株主資本利益率)がどれだけあって、どれだけ(株主に)配当出来ますかとかね、という話がどうしてもビジネスの世界というのは出ちゃうと。出ちゃうと一番効率の悪いところが切られますよね。でも、その典型が地方と東京の関係で言うとね、(効率面から切り捨てられるのは)『地方』なんですよね。地方がどんどん切られて、そしてその結果ですね、家族、故郷が破壊ですよね。しかし東京でそれだけの昔の家族や故郷が作れるかというと、その方々も結局、定住したり子供と一緒に住んだり、そういう仕組み無いですよね。結局(東京に)居るんだけども、そこに家族も故郷も無いんで、結局、地方で家族・故郷が壊されて道徳・文化の基が無くなって、東京に来てそこでまた定住して、そういうのを作れば昔の江戸のようにですね、それも出来ないままにあっちこっちに浮遊してしまうと。
[*合理効率化により地方衰退、家族、故郷が壊れる / 地方から東京へ一極集中、子供と住まず定住しない / 地方では家族や故郷が崩壊、道徳や文化の基が無くなる ]
うん。
で結局ビジネスが、まぁそういういろんな破壊の基になっているんじゃないかと。(西部)先生が仰りたいのはそういう方向の話でもないのかなと。
「住民」のことをね、これはラテン語圏等で「inhabitant(インハビタント)」というんですよ。habit(ハビット)って「習慣」、「in〜」は(〜に)入っているという意味でしょう。ある安定した習慣がその地域にあってその中に入っていく、入っていくということは簡単に言うと「定住する」ということですよね。
[*「住民」inhabitant、habitは「習慣」のこと ]
うん。
ですから、日本人は簡単に「住民」と言うけどもね、住民という言葉の中に歴史、社会的に解釈すれば、そこに長期間滞在して停留してね、そこの慣習のようなものを、まぁ好き嫌いはあるでしょうけども、そこそこ何であるか理解するという、それを指して住民というんですよね。
[*長期間滞在して慣習を理解定住するのが「住民」 ]
いま単に市役所に住所登録出せば住民ということで、なんか1ヶ月後には別に移ったりね、そういうのが住民になっちゃっている。なんかいろいろと「安定性」が失われている。かと言って、安定性にこだわりすぎると、(下村が)仰ったように、日本が取り残されるという。
いわゆる「ムラ社会」のね、
あぁ〜
その歪みはヒドいもので、もちろん私たちもそれは思うんですけども、まぁその「バランス」ですよね。なんかちょっと最近欠けているような気がします。
まぁその多様な変化をね、これは止めることはもう出来ないわけでしょう。
そうですねぇ。
一つには、その経済原則を含めて世の中の流れとしてありますから、例えば東京における受け皿の部分を、そのなかなか新住民としてそこのルール、郷に入っては郷に従えみたいな形での、そこまでの地域におかれる共同体意識というのは実際に無いから、バラバラですから、それに代わるような新たな共同体意識と言いますかね、共同体意識と違ければ、例えば道徳の部分だったら学校の中でキシッと教えるとか、違うところのその教育の受け皿みたいなのを、或いは、共同体の受け皿みたいなのをどう作っていくかということも時代変化の中で求められるんじゃないかと思いますけどもね。
巷の噂では、今度自民党がね、衆参両院選挙で圧勝したとすれば・・・
(笑)
憲法改正を手掛けるんじゃないかと・・・僕は大賛成です。ついでに巷の噂で言えばね、非常事態法・・・当たり前ですからね、戦争のことを考えるというのは非常事態だから。明治憲法もあったんですよ、31条にね。戦争、国家危難の際には天皇大権を行使するを妨げず。
非常事態ですからね、憲法その他の法律を一時的に停止して、非常事態に対処をするというね・・・あれこれ仰山、また反対しているのがいるのが多いんですよ。
下村・西田
(笑)
また安倍が悪いことをやっていると(笑)
一同
(大笑い)
でも考えてみたら、非常事態・・・常に非ざると考えれば、イノベーションがこれほど激しくなりましたらね、単に国家の戦争というよりも、生活そのものが常に非ざる。
下村先生、ご存知かなぁ、滅多に電車に乗られないでしょうが。僕も不愉快だから、最近電車乗らないことにしたんですけど、理由は見渡す限り前の10人がスマホを弄くっている。
そうですねぇ。
ぼく首が回らないんで左右見えないんだけど、どうもそうでしょう。で、人から聞いたら、あの7、8割はゲームをやっているというんですよ。
[*電車内でスマホを弄くる日常、7、8割はゲームに興じる ]
うんうん。
これスマホゲームが何かは知りませんけどね、これはかなりもう非常事態なんですね。なんかこう人間の心理状態までね、次々と非常事態に誘い込まれているという。どっかで落ち着かないとダメだなって気がするんだよね。
[*人間の心理状態までもが非常事態に誘い込まれている ]
うん。businessはbusyから来ているらしい、忙しいんですけども、本当に忙しいんですね。他人と関わっているヒマも何も無い。
[*business「仕事」 busy=忙しい ness=状態 ]
あのnegotiation(=交渉、折衝)、businessの交渉も、neg(ネゴ)というのは「否定」なんですよ、oti(オティ)というのは「暇」かな。つまり「暇が無い(=negotiation)」と。
[*negotiation「交渉」 neg=否定 oti=「暇」 ]
うん。
busyは「多忙」でしょう。negotiationも「暇が無い」でしょう。それは、時は金なりというのは分かりますけどね、遅れをとるというのは滅びますけどね、何もそのいつも先頭を必死こいて走っていないと日本はダメなんだ、というのは気に入らない。
うん。
どこか、まぁしゃーない、ちょっくらやるかという程度でね、イノベーション騒ぎは収めてもらえないかなぁと。そうしないとね、道徳も歴史も何もかも虚しくなっちゃうんですよね。
まぁ、イノベーションというのと、それからそれに付随する人の生活がより便利になっていくということはまぁ望ましいことだと思うけど、合わせてその人の精神が社会的に荒れてしまうようなことがあってはならないですよね。
そうですよね。
それを(西部は)仰っているんだと思いますが、かと言って、世界はグローバル社会の中で日本だけ鎖国社会じゃありえませんから、取り残されるわけにいかないので、やっぱりより望ましい科学技術イノベーショというのはどんどん進めていかなければならないと思うんですよね。同時にそれに合わせた人の社会の変化に対応した望ましい生き方とか、教育とか、それから共同体の在り方とかいうのを常にその変化に対応しながら、ひとりひとりだけでなく社会全体が快適で望ましいようなそういう工夫を常にしていくというのが、政治にも求められると思うんですけどね。
[*社会変化に対応した生き方、教育、共同体の在り方 ]
あぁそうですね。世間でなんか教育論で、文系は役に立たないから・・・確かに役に立たないことが多い。
下村・西田
(大笑い)
大学の話ですけどね、一本槍でやったほうがいいんじゃないかという説がだんだん増えているんだ。それもね、一理二理ない話じゃないけども、しかし理系から出てくるいろんなtechnical、technologicalなイノベーションというのも、それが本当にコミュニティとか個人の生活とかにね、或いは、自分の子供・孫の生活の意識の安定に役立つかどうかまで考えると、それはね、理系からは出てこないんですよね。
それは私ね、是非(西部)先生から聞きたいんですけど、文系は役に立たないとは言ってないですよ。
(笑)
私が当時(文科)大臣の時に通知出したんですけどね、「今までの文系の在り方でいいんですか?」と。時代の変化に対応した文系の在り方という意味では、余りにも日本の文系というのは「タコ壷型」であって、
そうですね。
その専門だけやってても、それが社会に出た時にどの程度役に立っているのかということになると、これはもうちょっとですね、幅広く学ぶ、或いは、その多様な変化なんかに対応する柔軟性が大学の学部や学科にも文科系は必要なんではないですか?という、まぁliberal arts(=一般教養)も含めた幅広い教養を如何に身に付けさせたらという提案なんですけどね。
僕もそれは大賛成で、僕は実はspecialist=専門人という言葉が大嫌いで、あれspec(スペック)というのは「見る」、look at という意味なんだけど、自分の見た事にしか関心が無いんですよね。
[*専門人specialistは spec見ることだけに関心 ]
うん。
でもね、見た裏側もあるわけでしょう。斜めも上も下もあるわけ。「総合的」な、それをやろうとするのが(下村が)仰ったあれなんですよねリベラルアーツというんだけども、日本語で何てあれなんて訳すの?教養学部の「教養」?
そうですね、教養ですね。
そういうね、全てを総合、synthesis(シンサシス=総合)そういうことは出来ないけども、何も物事の局所だけ、自分のspecするところにだけ拘って、specialist・・・
[*synthesis 総合できずとも広い視野で物事をみる教養 ]
特に日本の学問ってそれがより細分化されてきてね、スペシャリストかもしれないけど、トータル的にみたら違うんじゃないかという認識を持たなくなってしまっているところが、
そうですね。
やっぱりこう本質的なこと・・・
昔いい諺があって「群盲象を撫でる、評する」という。
[*『群盲象を評す』(若しくは、群盲象を撫ず)誤謬に対する教訓のこと ]
今村有希
はい。
群盲というのは、今は「瞽(めくら=盲)」というのは差別語ですけどね、群盲ね。盲従の群れが象を摩ると。鼻を触った盲従は象は鼻のようだ、足だ、尻尾だってね、本当に今のスペシャリストはそれぐらいになっちゃっているんですよね。経済ひとつとったって本当はそうですよね。
そうですねえ。
経済を全部ロボットがやっているんなら工学的知識で十分かもしれないけども、依然として経営者の決定だ、企業の組織の団結だ、或いは、他企業との言葉を使ったネゴシエーションだってね、『人間的な力』が無ければ、企業ひとつ動いていないんですよね。
その通りですね。
理系そのものからは簡単には出てこない、かと言って、スペシャルな文系からも出てこない。
そうですね。
ということで、一週目終わりましたが、2週目より活発な議論を致しましょう。
【次回】高校生への道徳系譜学の在り方