「なぜいま『武蔵無常』を論じるのか」① ゲスト:藤沢周、黒鉄ヒロシ 〜西部邁ゼミナール〜

「なぜいま『武蔵無常』を論じるのか」① ゲスト:藤沢周黒鉄ヒロシ西部邁ゼミナール〜

ゲスト:
藤沢周 作家 法政大学教授 、図書新聞の編集者などを経て作家デビュー「ブエノスアイレス午前零時」で芥川賞受賞、【近著】『武蔵無常』(河出書房新社

黒鉄ヒロシ 漫画家、隔月刊誌「表現者」の表紙を手がける、【著書】『刀譚剣記』(PHP研究所)ほか多数

西部邁ゼミナール)「なぜいま『武蔵無常』を論じるのか」【1】2016.04.16


今村有希
今回は作家で法政大学教授の藤沢周先生と漫画家の黒鉄ヒロシ先生にお越し頂きました。

藤沢先生は図書新聞の編集者などを経て作家となり、『ブエノスアイレス午前零時』で芥川賞を受賞しています。このほど、『武蔵無常』を上梓されました。自己摩擦という人間武蔵が抱えた非常事態、殺人剣を持たざるを得なかった青春期を描いています。

時代が危機に突入する中で、人生に於いても常に危機にさらされている“人間の非常事態”について武蔵無常を題材にしつつ、現代にも通じる話が伺えるかと存じます。

それでは先生方、宜しくお願い致します。

お越し頂いてありがとうございます。

宜しくお願いします。

ところで今村さん、藤沢先生に何か質問があるとか?

今村有希
はい。まず最初に藤沢先生、剣道の4段だとお伺いしたのですが、いつぐらいから始められたのですか?

そうですね。それがですね、いま僕は57歳なんですけども、

今村有希
はい。

46歳から(剣道を)始めたんです。

西部・今村
えぇ〜!!(驚)

非常に遅いんです(笑)武道には幼い頃からわりと親しんでいて、ずっと柔道をやっていたんですけども。

今村有希
きっかけは何だったんですか?

あの、(子供に将来なにになりたい?と(聞くと)、すると『武士(モノノフ)』という子供だったんですよ。

一同
(笑)

それで、じゃあ剣道をやらせようかなと思って(子供に)一緒についていったら、道場の雰囲気が懐かしくてそしたら僕の方がハマってしまいまして。

[*46歳から始めた剣道、息子の付き添いだったはずが・・・ ]

黒鉄先生がね、

今村有希
はい。

雨傘がね・・・実は剣の形をした雨傘を持ってらして、今日起こし頂いたもう一つの理由は、来年になるんですか、ニューヨークの個展は?

[*日本刀を模した雨傘と個展に向け宮本武蔵を創作 ]

えぇ。まだ計画中なので。

あぁ〜計画中。ちょうど今、宮本武蔵のなんて言えばいいのかな、人形を創ってらっしゃると。僕の10倍ぐらいの知識、読書量をお持ちの方で、武蔵を語るには僕は格落ちなので、それで黒鉄先生に助けを求めようと。

今村有希
(笑)

(困惑顔で)いやいやとんでもない(苦笑)

今こういう時期に『武蔵無常』という本を出された、何か思惑がお有りなんでしょうか?

そうですね、僕はジャンルでいうと「純文学」の方ですから、何で時代小説を書くんだと思われてる方が多いかと思いますけども、元々、現代のものを書こうと思ったんですね。自らの基準を失って危機に陥った青年を主人公に書こうと思って考えてたんです。

詩人でもあり作家でもある【ポール・ヴァレリー】が、人は19から24歳の間だったかな・・・その間に“知的クーデターを起こす”というふうに仰っていますけども、そのクーデターでも自分の基準を失っている者、(自己を)一切抹殺してしまった、そういう“危機に陥った人間”とはどうなるんだろうということを考えていた時に、なんかこう乱れた蓬髪の鋭い眼差しの武蔵が浮かんできて・・・あぁ、武蔵か、確かに武蔵ってのはギリギリの精神の狭間で考えていた男で、実際に彼の殺人剣・殺人刀、或いは、活人剣にもなりましたけども、そのギリギリのところでやっていた男、これをモチーフにしたらどうだろうと、まずは思ったんです。

[*人は知的クーデターを起こす 作家・詩人 ポール・ヴァレリー / 自分の基準を失い自己抹殺、危機に陥ったらどうなるのか / 精神の狭間ギリギリの考え、殺人剣・殺人刀の武蔵 ]

で、最初はその現代の青年が武蔵の小説を書いていて精神のバランスをとっていた時に考えたんですね。その交互に書いてるうちに、これダイレクトに武蔵をやった方がいいんではないかと。

今までも沢山の優れた武蔵に関する吉川英治先生から始まって傑作が沢山ありますけども、全く今まで書かれていない武蔵を描くことによって、その人が抱えている「狂気」であるとか、或いは、「危機」においてどういうふうに対処するのかということを考えてみたいと思って、時代小説になったわけですね。

黒鉄先生ね、幕末の志士たちで死んだ侍たちが沢山いるが、黒鉄さん時々誇張されるんで真実は分からない・・・

今村有希
(笑)

(苦笑)

だけど、死んだ人間の8割は土佐人だと。土佐人というのはすぐに人を殺すので。

[*幕末に死んだ志士たち、土佐藩出身が多かった? ]

いや、ちょっと(笑)土佐の使ってた日本刀というのはやっぱり古かったんですね。

ほぉ〜。

それで重くなって、重さで斬られるとか。あと(土佐人は)意気が強くて突入するんで、8割と言ってはどうか・・・

ハハハ(笑)

でも、いちばん死んでますよね。刹那的な・・・だから、武蔵に近いのかもしれないですね、県民性全体が。突撃みたいなもんですから(笑)

はい。

武蔵がその自分の基準を失っていくというのは、やはりあれですか、立て続く闘いというか、殺人ですよね。

はい。

大量殺戮を含めて。

[*なぜ自分の基準を失い、殺人剣を持たざるを得なかった ]

そうですね。ですから、今まで語られている武蔵というのは剣豪、剣聖としての武蔵なんですけども、その巌流島までの武蔵は、むしろ自分の中の・・・言葉は悪いかもしれませんが、『理由なき殺人者』みたいな、すごい魔物みたいなものに気付いて、

あぁ。

そのアリバイとして剣を握っていたのではないかと、まずはそういう角度から入っていったんです。まぁ罪を背負ったりしたわけですけども、で、それをなんとか乗り越えよう、乗り越えようとして剣を鍛えていくことによって、自分自身の存在を確かめようとしたのではないのかなと。

剣豪武蔵というよりも、例えば、ドストエフスキーヒョードルドストエフスキー)が『罪と罰』で書いたラスコーリニコフとか、カミュー(アルベール・カミュ)が『異邦人』で書いたムルソーとか、

あぁ。

あぁいう人たちに近かったんじゃないかなぁと思うんですね、精神性が。

[*「罪と罰」のラスコーリニコフや「異邦人」のムルソー の様 ]

カミュね?

今村有希
はい。

太陽が照っていると。だから殺したと(笑)

[*「太陽が眩しかったから」主人公ムルソーの殺人動機 小説『異邦人』(アルベール・カミュ)]

今村有希
えぇ〜!!(目を丸くさせて驚く)

要するに(殺した)理由。

今村有希
理由!?(笑)

理由は(太陽が)眩しかったからと(笑)、その理由をだけでこういっちゃう(殺しちゃう)と。

今村有希
えぇ〜!!

黒鉄さんはあれでしょう。そういう武蔵の気持ちのそういう動きというのはすぐ分かるんでしょう?

いや、すぐは分からないですよ(笑)

(笑)

ただ、彼の呼吸、深呼吸と言ってもいいんですかね、絵画とか美術の面も非常に遺してくれてるという、

はい。

でも、余計分かり易い一面、余計分かり難くなってるんですね。ですから、“言語との格闘”というのが武蔵の中で行われて、あの『五輪書』(ごりんのしょ)もそうですし、あの『獨行道』(どっこうどう)もそうですし、だから、そこで(藤沢が)作品になされた理由というのは非常に分かる気がするんですよね。

[*武蔵のなかでの言語との格闘、「五輪書」「獨行道」 ]

はいはい。

だから、吉川さん(吉川英治)の武蔵も非常に楽しいのだけども、もうちょっとこう武蔵的に踏み込んでいただくというのが今回の本(「武蔵無常」)だろうと思うのですよ。大変期待していますんで。

はい。自らのライブを一切抹殺して、自分自身がもう分からなくなるわけですね、(自分の)基準が無くなりますから。そういう時に、その無意識の底から「もう一人の自分」がこうせり上がってきて、これがどうにもならないもう“奇の人間”というんですかね、そのせり上がってくる部分というのがなにか、言葉のあるもの・言葉ならざるものか混沌としたところだと思うんですね。

なるほど。

だから武蔵を考えた時に、まさにその(黒鉄が指摘した)「言語の問題」ってかなり重要だなと思って、それも大きなモチーフになりましたけど。

昔にね、まぁナナメ読みと言ってもいいけど、『五輪書』を読んだ時にね、

今村有希
はい。

かなり平凡に考えちゃって、あれは「地の巻」かな?なんか、二天一流という言葉があって、地の巻だから、この土地ってのはざらざらしてたり谷があったりね、デコボコがあったりいろいろあるでしょう。もちろん、こっちの方には畑があったり草むらがあったり、そういう“矛盾に満ちた二つの天(二天)”ね、Aと矛盾するBも自分は引き受けると。この「矛盾」の中で一本筋(一流)にね、後々、『武士道』と言われるものもね、その道を築くんだというね。

ごくね、そういう単純な意味での剣豪の術の、そういう人かなぁと思ってたら、今度の藤沢さんの本(「武蔵無常」)は、そんな生易しい話じゃないんだと(笑)

[*『五輪書』地・水・火・風・空、【地の巻】「兵法の道、二天一流と号し・・・」 ]

いやいやいや、そんなことはないです(苦笑)

(笑)

僕が言ってるのは本当は生易しくなくって、例えば山脈で言えば、山の尾根伝いとかちょっとでもしくじると滑り落ちるわけですから、尾根伝いというのは際どいのだけど、その単なる際どさじゃなくって殆ど「狂気」に近いね、

今村有希
ふふふ(笑)

そういうものがあったんだという、無ければもう渡れないんだとね。

(頷く)

僕としてはね、保守思想を語る身としては分かるけど・・・(両手で口を塞ぐジェスチャーを交えて)隠しとこうというやつを(藤沢の本に)暴露されちゃったというそういう感じで(笑)

(笑)

あの二天一流・・・確か「地の巻」に出てきますよね。あれは元々は「二刀一流」って言ってたらしいんです、資料を調べると。まぁ二つの刀ですね。

おぉ。

で、とにかく実戦上においては、太刀と脇差を持っているのだからこれは(脇差を)使わないのは勿体無いだろうという。とにかく「徹底的に勝つ為に何でも使う」というところから二刀一流という言葉が出たと思うんですけど、

[*二天一流、二刀一流、どんな武器でも勝つ精神 ]

なるほど、うん。

でも、(西部)先生の仰る通り「矛盾」ですよね。それをこう抱え込んでいる、そしてこう人間迷ったりするわけですけども、最終的に武蔵は、迷いの雲の晴れたるところ・・・これが空であると。空を道とし、道を空とみるところなり、という言葉になってくる。

[*迷いの雲の晴れたるところ、実の空と知る 〜 空を道とし、道を空とみるところなり 【空の巻】 ]

そうなってくるんだね、そうか。

はい。それが『万里一空』に繋がってくると思うのですけども。

やっぱり「迷い」というところと、どういうふうにそれを乗り越えるか・・・まぁ剣道をやっていると剣道では独特の言葉が沢山ありまして、(『四病』と書いて)「よんびょう」とも「しびょう」とも言うのですが、四つの病(四病)と書きまして。

ほう。

剣を構えて相手と対峙した時に、『驚懼疑惑』(きょうくぎわく)驚く、懼れる(=恐れる)、疑う、惑う、自分自身がそれに見舞われてしまう。

なるほど。

相手はどう来るのだろう、どう攻めたらいいのだろう、そしたら斬られるかもしれない・・・こんなことを考えたら、まぁやられちゃうわけです。

今村有希
あぁ〜。

その『四病』、四つの病(=驚・懼・疑・惑)をなんとか克服しなければならないということがあって、やっぱりそれも武蔵は本当に沢山抱えていたと思うんですね。

[*『驚懼疑惑』驚く、懼れる、疑う、惑う⇒【四病】といわれ剣の道で克服すべき戒めの言葉 ]

あぁ〜。僕と黒鉄先生と、ときどきお酒呑むんですけどね、

時々というか・・・かなり呑まれていると思いますが(笑)

黒鉄・今村
(笑)

まぁ〜冗談半分で(黒鉄から)しょっちゅうケンカ売られるんですよ。そのテーマはね・・・「自分は言葉なんか信じない!」と、黒鉄さん。

(渋い表情を浮かべ苦笑)

「言葉なんか嘘だ!!」

はい。

ねっ。言葉ってのは今言った「狂気」みたいなものを傍に置いて、認識をパターン化することが多いでしょう。そういうことを(黒鉄は)嫌っているんでしょうけど・・・

で、でもね・・・しょうがないとは認めているんですよ(苦笑)

一同
(笑)

ですから、武蔵が入り込んでいった「美の世界」というんですか、芸術の方は言語前、仏教でいう『真言』ですかね、

はい。

そっちの世界で深呼吸したという。

[*真言的な言語の前、武蔵が入り込んだ美の世界 ]

それから、このお書きになったので(「武蔵無常」)感じますのは、この当時、実は「武士道はまだ無い」んですよね?

そうです。

ですから武蔵は個人的に武士道的な、自分の武士道というもの、生き甲斐みたいなもの、死に甲斐みたいなものですか、これをこう格闘しちゃったという、そこを(藤沢)先生が書いて下さったというのはとっても楽しみですね。

[*自分の死にがい、生きがい、格闘していた武蔵 ]

まぁ吉岡一門と戦う時も、まぁ昔のお侍さんは名乗りますよね、我は○○で○○流派と。そんなことをやっている間に斬らなきゃダメだ、というのが武蔵のやり方で、

うんうんうん。

だから、あの徹底的に形式主義とかform(フォルム)みたいなものを破壊するタイプだったと思うんですね。

[*徹底して形式主義、formを破壊するタイプだった武蔵 ]

なるほどね。

それはまた尋常じゃないほどのレベルで、作家の【坂口安吾】さんが『青春論』武蔵を取り上げて、徹底的に勝つ、生き抜くにはどうしたらいいのか、という考えたのは武蔵だと。で、その為には、道徳であれ倫理であれ、全てのものを捨てるということを言う。

[*武蔵の勝ちへの拘りを紐解く『青春論』坂口安吾

まぁそれは、(坂口安吾の)『堕落論』に繋がっていくのですけど、そういう意味で坂口安吾さんが武蔵の型破りな思考法といんですか、それに惚れ込んだのはなんか分かる気がしますねぇ。

「生きる」ということは、この場合は「闘う」ということですからね、やっぱり『堕落』することだと。この場合、堕落というのはいろんな美意識を含んだものでしょうけどね。

[*生きること(闘うこと) 美意識を含んだ堕落 ]

でも、最後のなんか本当に数十行でね、「人間は堕落しきることできない」と。大事なものを他人に与えられるんじゃなくて、自分で自分の基準、あとは言葉は違うんですけど、見つけなきゃいけないんだ!というところでその堕落論』は終わるんですよね。

そういうことも武蔵はあれでしょう、基準をなくして殺人剣へ行ったけども、やっぱりそれを求めてた・・・

[*人は堕落しきることはできない、自分で基準を見つけねば ]

だと思いますね。そうでない限り、やっぱり自分が生きてゆけないというか立ってゆけないと思うんですよね

うん。

ただそのあり方がやっぱり「自分の地獄」の中に潜り込んでいってめぐってもがいてという“別の強さ”が僕は書いていて見えてきたというんですかねぇ。

いやぁそれは正しいんでしょうねぇ。僕も77年も生きていますからねぇ、77年も生きてるとね、まぁだいたいその時はよく分からないのだけど、振り返ると相当際どいことがほんの数回か、そういう時に確かに(武蔵と)吉岡一門との闘いでいえば、子供まで殺しちゃうでしょう?

はい。

そんないちいちね、子供だから脇に置いておこうとか、そんなことは考えない。向こうが子供をかざして卑怯なことをやってくるならば、(子供ごと)斬ってしまえ!!ってね。そこまでしないと生き延びれないということは武蔵のみならず、多くの人によくよく考えればあるってことなんですね。でもさ、それ書くとさ、ものすごい怖い話になるじゃない?

今村有希
(うんうん)

いつも隠してた。で、黒鉄さんとお酒を呑むと、それをぐっと出す。

今村有希
(笑)

で、藤沢さんを呼んだらそれを文章にまでしてしまう。僕としては、たいへん不利な状況に。

(笑)

自分で隠してきた状況を・・・。(両掌を上にかざしてパー)

黒鉄先生が仰ったその、言葉・・・をまぁ、信じないというか、そういうふうなのがよ〜く分かりまして、それは作家ですからいちばん言葉を使うのですけど、世界の実相を、本当の姿を書こうとして言葉で書くのですけど、言葉で書いたと同時に敗北しちゃうんですね、現実から多少のギャップが出ますからね・・・

そうねぇ。

(大きく頷く)

だから本当に矛盾しているようなんですけど、言葉によって言葉以前の世界、世界が世界になる一歩手前を書きたいな書きたいなと思っていると、言葉を使うことによってもうそこで負けるわけですから、だから、せめて「書く」ってこう“世界と刺し違えるぐらいの覚悟”でやるべきなのかなぁなんて思って、それはちょっと武蔵とつながるんですね。

[*言葉以前の世界を書くこと、世界と刺し違える覚悟要する ]

言葉以前をね、言葉をやると必ずいわゆるrealityというか、もっと言うと、状況とズレますからねぇ。

[*言葉以前の言葉 reality 状況とのズレが出る ]

えぇ。

そのズレを誤魔化す為に、僕の場合は歌をうたっちゃうんですよ。でも、歌にも言葉が付いてることが多いからね。

(うんうん。笑)

僕は楽器を弾けないから一曲うたう、(でも)また言葉がくっ付いてるなってね・・・こうなったら誤魔化しは効きませんよね。そういう本(「武蔵無常」)なんだね、おそろしい本。読者にあんまり読まないように・・・って冗談だけどね(笑)

一同
(大笑い)

ハハハ読んで下さい(笑)

是非読んで下さい(笑)

武蔵はその自分の中の獣染みた、狂気みたいなものに気付いて、自分の基準を失っていって、というようなまぁ設定にしましたけども、その時に「画家としての武蔵」ですね・・・

あぁ〜。

まぁ関心があってですね、画家の方に絞ろうかなと思ったくらい、これがまた画が素晴らしくてですね、『枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)』という有名なのありますよね。

すごいですよね。

えぇ、あの大阪の久保惣美術館(和泉市 久保惣記念美術館)にあってそこにも見に行きましたけども、なんだろな、やはり「言語以前のものを形象化する」そっちのベクトルがかなり強かったのかなと思います。

[*「枯木鳴鵙図」宮本武蔵が描いた水墨画、高みから見下ろす一羽の鵙(もず)と枯れ木を登る芋虫 / 参照:http://artscape.jp/study/art-achive/10102134_1983.html

ちょっと言語的ですよね。

そうなんですよね、画が・・・

芋虫がいて、鵙がいて、こう・・・(木を登るっていくジェスチャー)

はい。

静寂を描いているんですが、ちょっと説明的でしょう。だから、恐らくいってものすごく(武蔵は)かなり「言語的な人」だったと思うんですけどね。

あぁ〜。

逆に、完全に現実に近い人だと厄介なことになる。行ってしまう。武蔵は行ったり来たり、行きつ戻りつつだったから、悩んで僕らに足跡を遺してくれたところがチャーミングでもあるし、欲望をあれだけ「獨行道」に書いて、これをガンガンガンということは、これは(己の)欲望に気が付いているってことですからね。

[*「獨行道」宮本武蔵、世々の道に背くことはなし・・・ ]

そうですね。

だから要するに格闘したんだろうという。ですから僕らを惹き付けるんだと思うんですけどね。

はい。

藤沢さんの御本に対する書評を、小説家の辻原登さんが書いていて、

はい。

最後の最後の、要するに「巌流島の決闘」で、「佐々木小次郎のアートによって救われた」と、武蔵がね。それはどういうことですか?

[*佐々木小次郎のアートにより救われた巌流島の決闘 ]

僕は設定としては、「佐々木小次郎は世界以前を掴んでいたのではないか?」というふうにまず設定したんです。

あぁ〜、それがアートか。

はい。もう武蔵はそれに嫉妬して、どうしてもその(小次郎の)剣を見てみたい、その表現を見てみたい。

うん。

闘うシーンのところで、世界として立ち上がってる刹那をちょっと書いたつもりなんですけど、その時に彼は佐々木小次郎というアーティストの表現ですね、

えぇ。

これによってひょっとして「救われた」「光を与えられた」のではないか。

[*アーティスト佐々木小次郎の表現により光を与えられた ]

なるほどね。

はい。そこで、武蔵は今までの剣を捨てて、剣を生きる、今度は本当の修行の時代というんですかね、に入ったのかなぁと、えぇ。

[*武蔵はそれまでの剣を捨て、剣に生きる修行の時代へ ]

ともかく「art(アート)」に似た言葉ですけども、techné(テクネー:ギリシャ語→artの語源)、今はtechnology(テクノロジー)というと要するにスマホみたいなね。古代ギリシャで「techné
(テクネー)」というとね、例えば、奥さんの面倒のみかたとかね、そういう生活上の智慧ね。

ほぉ〜。

それから宗教ったって、宗教もまだハッキリしないような時代だけども、何か自分の魂の面倒の見方みたいなね、そんなものすごい複合的な意味でtechné(テクネー)と言ってたらしいんですよ。

[*「techné(テクネー)」古代ギリシャでは生活の智慧、自分の魂の面倒の見方と複合的な意味 ]

(うん)

たぶん佐々木小次郎の「art(アート)」というのもね、こういうもの(=techné:テクネー)も含むんでしょうね。

あぁ〜そうでしょうね。

単なる剣術の・・・燕返しでしたっけ?(笑)

燕返しですね。

なにかこう生き方とかなんとかを全部含めてのアートみたいなもの。

『正法眼藏』(しょうぼうげんぞう→道元執筆)の道元道元禅師)の執筆の中に、「鳥飛んで鳥の如し」という不思議な言葉が。

おぉ〜。

鳥が飛んでいる。で「鳥」と我々は認識するのだけども、これを見て(鳥と)言うことではないと。つまり「鳥が飛んいる」と認識したらもうちゃんと掴んでいないと。

あぁ〜

だから“鳥のようなもの”というふうに言うんですけど、だから小次郎はそのへんの位相を掴んでいたのではないかな、というふうに僕はこれ(「武蔵無常」)では書かせてもらったのですけど、やっぱりこう言語になってものを認識するというその「刹那」みたいなことを、絶えず武蔵は疑ったり、やはり戻ってきたりしていたんだろうと。

そうか。

はい。

言語以前のものね、定まったパターン以前の、ふつうでいえば chaos(ケイオス:英語)=khaos(カオス:ギリシャ語)、しかしながらすごい重みを持った、ひょっとしたら美しい・・・こういうものが言語以前にあるんだと。そこへ突き進もうとした。そういうのが武蔵だ、そういう御本だ、ぐらいにまとめたら怒る?

はい。いやいや怒らないです、嬉しいです。

ハハハハハ怒られないね(笑)

というわけで、第2週目に突撃ね。突入します。来週をご期待下さい。

【次回】「なぜいま『武蔵無常』を論じるのか」② ゲスト:藤沢周(作家、法政大学経済学部教授)、黒鉄ヒロシ(漫画家)