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MX・表現者 シンポジウム 平成の時代とは何であったのか① 〜TOKYO MX 西部邁ゼミナール×隔月雑誌「表現者」連動企画〜

MX・表現者 シンポジウム 平成の時代とは何であったのか① 〜TOKYO MX 西部邁ゼミナール×隔月雑誌「表現者」連動企画〜


司会進行:富岡幸一郎表現者編集長、文芸批評家、関東学院大学文学部教授、鎌倉文学館館長) 【近著】文学の再生へ 野間宏から現代を読む(藤原書店)


⚪︎基調講演:西部邁(評論家、表現者顧問)


⚪︎第一部:護憲の妄論を排して改憲の道筋を明らかにせよ


浜崎洋介(文芸批評家) 佐藤健志(評論家)


⚪︎第二部:米中露外交をいかに展開させるか 〜安倍・プーチン会議を受けて〜


木村三浩一水会代表) 馬渕睦夫(元特命全権大使ウクライナモルドバ


【ニコ動】
西部邁ゼミナール) 平成の時代とは何であったのか【1】2016.09.03
http://sp.nicovideo.jp/watch/sm29576326

 


【MX・表現者シンポジウム 西部邁基調講演】


西部邁
先般ですね、今上陛下が生前退位「御譲位」の意思を表明されました。


私が評論家になった翌年から「平成」の時代が始まったわけでありますけども、比較的よく覚えているのでありますが、今上陛下が御即位、践祚(※せんそ)の式というところで、御自分は「現在の日本国憲法を守る、そこに書かれている平和と民主を守る」、という御宣言をされて即位されたことをよく覚えております。


で、私は「護憲の妄論を排して〜」ということでありますから(笑)、その止んごとなき御方の台詞にいまあれこれ言おうというのではなくて、いずれにせよ、今上陛下がお辞めになるということは、皇室典範以上に、元号が変わるかどうかまで定かではないのですが、おそらく「平成」という元号も変わるのであろうと、それが1年後か2年後か知りませんが。


ということは、平和の「平成」の御代(※みよ)もですね、いよいよもって終わりを遂げて、新しい時代に入っていくということで御座いますから、もうあえて言えば、『平成の時代とは何であったか?』という言わば過去形をもって平成の時代を批評してかからねばならない時期が我々にとってやってきたのであるというふうに考えられる。


一体、「平成の時代」って何なんでしょうね。私はそれと同時に評論家になったので、比較的その流れが頭の中に残っているのでありますが、一纏めで言えばですね、仕置かれ曰かれというか、右に振られたり左に振られたりしたけれども、『構造改革』という言葉が止まぬ日は無い。そして、その内容はと言うと有り体にいうと、『日本の歴史的なるもの、それをできるだけ弱くして壊して、新しいものに構造を変えていく。』で、新しいものの方向は何かというと、一纏めで言えば、今の憲法に大凡合うような、ということはあの憲法はアメリカが草案を書いたものでありますから、『アメリカ的な考え方に沿うように、この国を変えていく。』


・・・というよりも、戦後ずっとそんな時代が続いて早71年になりますけども、結局、平成という時代は纏めて言えば、『戦後的なるものの陥穽を、意図するとしないとに関わらず遂げた、或いは遂げようとした18年間であったと。』言っていいんだと。


例えば、経済で言うと、資本主義というものが「アメリカ流」のものにどんんどん変えて、この場合の「アメリカ流」とは何か、いろんな言い方がありますが、目立つところを挙げれば、『ひたすらなる競争でもって規制を緩和して、いわゆるinnovation(イノヴェーション)というものを立て続けに引き起こす。これこそが資本主義であり、そしてそれを支える自由市場経済であると。』


皆さん考えてことはお有りですかね?innovationというものは、「新しきものの中に入っていく」ということで、そしてこれはかつてシュンペーターという経済学者が触れたことでありますけども、『イノヴェーションというものは必ずや独占利潤をそれに成功した者が獲得する。それを目指して行われる。』


[* innovation:novel(ノーベル)=新しい(新奇・奇抜)+ in(イン)⇒ 新しいものの中に入っていく(=in・novation) ]


ゆったりとした歴史的な流れの中でイノヴェーションが起こる事は、旧石器時代以来あたり前のことでありますけども、かくも“急激、過激に起こる”ということになるとですね、『イノヴェーションをめぐる自由競争は実は、“経済における自由の否定” であって、つまり独占体なり寡占体なりというものが次々と形成され巨大化していく。』


で、実際上そうなってるわけですね。有り体に言うと、巨大な金融資本が出来上がり、巨大なビックビジネスが出来上がり、その代わりの中小零細の企業が潰れたり、疲弊したり、沈没に喘いだりしているという逆転現象が起こっている。


実はもう一つ、アメリカ的なるものを支えているのは「民主主義」「American democracy」、これは憲法で盛大に書かれた事柄でありますけども、これもそうですね。民主主義というのはいろんな解釈ができますが、民衆に sovereignty (ソブリンティ=主権、統治権〔※通常は、絶対的な主権である君主権を指す〕)、厳かな権利があるなどと、そんなハズはありませんので、普通に考えて、まぁ「民衆の多数派を占める、民衆のいわゆる世論なるものに最終の政治的決定権が帰着するのである」という弱い意味においての、狭い意味においてのdemocracy(デモクラシー)ならば、おそらくデモクラシーは現代文明にとって不可避なものでありましょうが、実際にその「ヨロン」というものは「セロン」とも言いますが、それは各国各様の事情によって、歴史の流れによって異なってくるわけですね。


ところが、この平成の御代に行われた戦後の陥穽、別名『Americanization(アメリカナイゼーション)の陥穽』ということはどういうことか言うと、『American democracyという具体的なやり方を、それを世界各国に普遍的に追従させようとするそういう運動であった。』


実際にアメリカはそういうことを翳して、アフガンとかイラクとか、その他様々なる攻撃をした。皆さんご記憶でしょうかね?バクダッドが陥落した時にアメリカは宣言を発したんですね。『イラクの新たなる Nation building(ネイション・ビルディング)』・・・この言葉自体がね、『国家を建設する』でありますから、これ自体がアメリカ的なんです。つまり、国家というのは歴史の流れの中で自ずと、言わば自生的、植物が自生するように、英語で Spontaneous(スポンティーニアス=自生的な、自然発生的な)といいますが、(自生的に)出来るものではなくて、『歴史をぶった切るようにして合理的な設計書・計画書によってbuild(ビルド)、建築・建設するのであるという、ある種の “社会実験主義” 』と。これがAmericanism(アメリカニズム)の本質なのでありますけども、それが(戦後の日本国)憲法にも蓋となられているのですが、であればこそアメリカはですね、『イラクのNation buildingをGHQ方式でやる!』と。


GHQというのはお忘れの方もいるかもしれませんが、 General Headquarters(ジェネラル・ヘッドクオーターズ)つまりアメリカ軍の総司令部のことですね。そのやり方。つまりアメリカにとって日本の占領とその統治、それで新しい日本国家の建設、それはもう忘れられない楽しい素晴らしい思い出なわけですよ。「この方式をイラクに適用して新イラク国家を建設するのである!」と言って、結局は大失敗に陥っていまご覧のようなアラブ全体の混迷・混乱へとアメリカもまた引き摺り込まれてしまったというふうに言えるんですね。


そうならば、私たちは平成の御代というのは、天皇には何の責任も無いのでありますけども、天皇を象徴として掲げるこの日本の国家、つまり国民とその政府、国府ですね、他の言い方をすると国の家、つまり国家、日本の国家がですね、昭和のその間に十分にAmericanize(アメリカナイズ)されていたのに、それを(Americanizationの)陥穽を、さらなる陥穽を目指して『構造改革』という言葉でまとめられるような、若しくは、『抜本改革』だの『急進改革』だのといろんなことが言われましたが、その28年間であって、その時代がようやく幕を閉じようとしているのであると。


さて、私たちは振り返り見ればですね、このAmericanization(アメリカナイゼーション)はどんな規模でいま全世界的な形で挫折しているか、ということが日々報道されているわけです。例えば、先ほど言った資本主義で言えばですよ、結局のところinnovation(イノヴェーション)をやるのは資本をたくさん持っている人たちが更にですね、資本にとって有利になるようなイノヴェーションをやるわけでありますから、結果としては資本の分配率が高まり、逆に言えば、労働の分配率が低まり、それ故、国内の購買力が減退し、万止むを得ず、その国の資本は外国へと出て行くが、外国語マターみたいなことをやっているわけですから障害にぶつかり、結局のところはですね、イノヴェーション活動というのはどこかで壁にぶつかってしまう。


実際にこの5年10年アメリカがやっていることと言えば、その限界を突破すべく、今度は政府を動かして、これ動かしてって命令で動かすわけじゃないんでありますが、自ずから動きとして政府を巻き込む形で昔の人々が言ったところの『帝国主義戦争』と言われて致し方ないような形での戦争を至るところで仕掛けていく。それがいま現在で言えば、ウクライナであったり、逆にシリアであったり等々すると。本当にビックリしますね。


ひょっとしたら、あのロシア革命を率いたレーニンの言ったことは正しかったのか。これはレーニンが正しいというよりもですね、レーニンをして正しく見えさせるような、非常に単純素朴な愚かさの中に現代人がアメリカ人を先頭にして、またアメリカ人の真似をするこのジャパニーズなる人種を先頭にしてその愚かさの中に落ち込んでいった四半世紀であったと。これが平成の御代だと言えなくもない。


民主主義も同じですね。民衆に主権を与えると言いながら、実際に起こったことはと言えば、世間ではpopulism(ポピュリズム)と言っておりますが、造語ですが僕は厳密に『popularity(ポピュラリティー)=人気』ですね。populismというのは元々は「人民主義」でなかなか良い面もあったのですけど、アメリカで言えば、ニューヨークの金融資本が自分に都合のいいようなメディアを使って都合のいいような屁理屈を捏ねまわして拡めるのに対して、アメリカの中西部の農民たちが、自分たちの質素なそして健全な勤労精神でもって、この大資本の策謀に闘うことを指してポピュリズム(※短命に終わった、19世紀末のアメリカの人民党ほか)と呼んだ時期もありますので、正確に『ポピュラリズム(popularism)=人気主義』と呼びますが、実はアメリカのデモクラシーというのは全世界的なポピュリズムの蔓延として、特に日本においてはそうなっておる。


考えてみてください、この四半世紀を振り返ったら、最初はですよ、細川なる人物(細川護煕)が出てきて、「自分は破壊者になるのだ!革命家になる!!」とまで言ってみせた。で、小沢一郎なる人物がお忘れかもしれませんが出てきて、自民党の幹事長をやってた人物が「自民党を潰して抜本改革をやってみせる」と。等々流れのなかに、今度は日本社会党までもが自民党との連立政権でもって、結果としては日本社会党は消滅しましたが、おやおやおやと思って、世論がそのように動いていく。


そのうちにですよ、自民党から小泉なる人物(小泉純一郎)が出てきて、大臣をした人物がですよ、「自民党を潰してでも自分は郵政改革をやってみせる!」と。郵政改革は何であったかというと、日本の一般庶民が蓄えた少額預金の集積がいつの間にやら外国への投資として流れていくことを許すような、そういう郵政改革万歳!!で日本のポピュラリズム(popularism)の世論は8割大賛成!!


それが5年続くと、どうも(郵政改革は)問題のようだと。小泉はもうダメだと。それで全く逆の民主党(※当時)の内閣へと変わって、そしてそこで民主党支持また(世論の)8割。で、3年やったら民主党政権のあらゆる政策が失敗して、特に失敗したのはmanifesto(マニフェスト)政治。何もかも選挙で国民に政策も数値と期限と行程まで決めてもらうという、民主主義というよりも直接民主主義丸出しの馬鹿げた政策の結果、政府も国家もメチャクチャになる。それで民主党政府もダメだと。


で、今度は逆になって安倍政権誕生。どうも安倍は気に入らないからと言って、スキャンダルでもって潰して・・・一体この25年の日本の民主主義、つまり世論というものは何なのかというと、右へ振れ左へ振れ、しかも右の8割支持かと思ったら左の8割支持、何年続くかと思ったらせいぜい3年程度と。こういうことをやっているのがdemocracy(デモクラシー)万歳!!の結果であった。


と考えると、その淵源は何であったか?こんな憲法があったからこうなったんじゃなくて、憲法に示されているような “そういうアメリカ的なるものの感じ方・考え方・振る舞い方” ということを根本から反省することをせぬままに(戦後の)71年でありますが、そのクライマックス、それこそsummit(サミット)=頂上として平成の28年があったのだと。


まだ今上陛下は御即位のままでありますけども、もう譲位の御意志を表明されているからにはこの平成という御代は過去形として何であったかということを今日、憲法問題及び外交問題として議論してみたいと思います。ご期待下さい。これをもって基調報告と致します。ありがとうございました。


【次回予告】 MX・表現者 シンポジウム② 佐藤健志 × 浜崎洋介 × 富岡幸一郎