「天皇制」論総浚い① - 天皇陛下の譲位の御意思を受けて:ゲスト 高森明勅[神道学者・歴史家・皇室研究者]〜西部邁ゼミナール〜

天皇制」論総浚い① - 天皇陛下の譲位の御意思を受けて:ゲスト 高森明勅神道学者・歴史家・皇室研究者]〜西部邁ゼミナール〜


ゲスト:高森明勅神道学者・歴史家・皇室研究者) 著書『歴史で読み解く女性天皇』(ベスト新書)『日本の10大天皇』(幻冬舎新書)『皇室論 - 伊勢神宮式年遷宮に寄せて』(青林堂)ほか


【ニコ動】
西部邁ゼミナール)『天皇制』論総浚い① 2016.10.08
http://sp.nicovideo.jp/watch/sm29794486

 

 

今村有希
今回は皇室問題について造詣が深い神道学者の高森明勅先生にお越し頂きました。高森先生は現在の皇位継承のあり方について、歴史的な背景を紐解きながら女性宮家などの創設など、積極的な提案をしておられます。


さて、ことし8月8日、天皇陛下が譲位を望まれる御気持ちが強く滲む御言葉を御示しになりました。いわゆる生前退位の御意向を受け、皇室典範の改正や特別措置法など、狭い意見が巷に広まりつつあります。


そこで当番組では戦後の日本国家において思考停止に陥ってきた天皇と皇室の関係について「天皇制」論の総浚いとして議論を試みたく存じます。それでは先生方、宜しくお願い致します。


高森明勅
宜しくお願い致します。


西部邁
あぁ〜どうも先生有難うございます。僕この方面の専門家じゃないので、最初にね、僕はだいたい天皇のことをこんな風に考えているんだと。でもくどいことを言うとね、高森先生にご発言頂きたいのに時間を取っちゃうんでね。


今村有希
はい。


西部邁
ぼく随分からこんな風に思っていたんですよ。(板書を指して)このだいたい丸のところがこれに書いてるように、これは「俗世」ですけどね、英語で言うとsecular(セキュラー=俗人)、やっぱり俗世の根本規範を示すのが(丸の中にある)「憲法」であると。で、国民は憲法から出来る法律に従って生きると。


[*俗世 secular の根本規範が憲法


西部邁
ところが、憲法なるものはね、あれは第一章ですけども、


今村有希
はい


西部邁
天皇は国民統合を象徴するという。ところが、「象徴」というのはね、明治憲法ですと「神聖」と書いてありますけどね、


[*天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴・・・ / 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス【明治憲法第3条】 ]

 

高森明勅
はい


西部邁
この「象徴」というのはあの・・・サインの記号や、或いは、シグナル、標識とは違ってね、『何程かは俗世を超越する』ね、


高森明勅
うん。


西部邁
そういうことに関わるんですよ。だから(真ん中に「憲法」と書かれた円は)口を開いていてね、だからここにsacred(セイクリッド)=聖なるということですけども、この(sacredとsecularの)境界線上に御座しますのが天皇であると。


[*聖 sacred と 俗 secular 境界線上におわす天皇


西部邁
それがもともと世を辿っていけばご存知のように神話に通じていて、天照大御神、あれ天照大御神が太陽神と先祖神の合体だというふうに思われますけどね・・・まぁそんなことはともかく、そういう俗世を超えた話にのぼっていくと。


今村有希
うん。


西部邁
これは今日のテーマじゃないけど、下へおりてくと、


今村有希
はい


西部邁
今の日本国憲法には無いんですけどね、普通でしたらこの俗世の世界がね、憲法の世界が、例えばものすごい戦争状態かなんかで、ここに書いたようにcrisis(クライシス)=危機に見舞われた時には、ここ(丸の中の「憲法」から下方へ口を開けたところに) に書いたように「非常事態」です。『非常事態では憲法は停止される』わけですよね。ちょうどここに天皇が現れると似たように、非常事態条項ではある種の『独裁権』を持った、一種の『非常大権』と言うのですけど、そういうものがあらわれると。これは憲法と皇室とまぁ今日はこっち(非常事態)は論じませんが、非常事態というね、そういう構造になっているんだと。

 


[*非常事態時には独裁権、大権を持ってあらわれる ]


西部邁
で僕がここでとりあえず言いたいのは、我々・・・僕なんか俗世のね、どっかにいる1億3000万の1匹なわけだけど、多くの学者たちだってそうなわけですよ。それがね、自分たちの世界(=俗世)を何程か超え出る皇室、でこの(sacredとsecularの)境界線上に御座しまして、時々こっち(俗 secular)に顔出すんですよ。例えば、震災の時にお見舞いの訪問とかね、戦地の御慰問とか、ですから境界線なんだけど、そういうところへおられる方、及び、方々の挙措について御振る舞いについて、


今村有希
はい


西部邁
あれこれ大声であれやこれや丁々とね、軽々しく喋るな!と。それ以上に、何か考え方として何て言うんでしょうか・・・「憲法でこう書いてあるっ!」・・・こっち(憲法=俗世の根本規範)を優先させてね、それでこれに従えとかさ、どうのこうのって議論をね、どっか狂ってるんじゃないかと・・・まぁ最初の発言はこうなんですけど。


[*挙措へ論評と狭き皇室論、暫し沈思黙考を ]


高森明勅
はい(笑)


西部邁
ではもうちょっと演説して下さい先生(笑)


高森・今村
(笑)


高森明勅
大切な点を(西部が)示されたと思いますのが、要するに、日本国憲法の第1条にある『象徴』という言葉、


西部邁
うん


高森明勅
これ一般の方々にだいたい質問すると、「天皇」という言葉を投げかけて何を連想する?という質問をすると、だいたい「象徴」という連想が働くわけですよね。


[*一般的に “天皇” で連想するのは “象徴” ]


西部邁
うん。


高森明勅
それ恐らく日本国憲法第1条、


今村有希
はい


高森明勅
天皇は日本国の象徴であり 日本国民統合の象徴であって その地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」・・・という条文。


西部邁
なるほど。


高森明勅
一国の憲法にですね、その「象徴」という『聖なる用語』ですよね?


西部邁
そうですよね。


高森明勅
(象徴というのは)神聖な概念なんですよね。


今村有希
はい。


高森明勅
日本人は(「象徴」と聞くと)sign(サイン)さっき仰った記号と、象徴の区別がついていないんですけども、


西部邁
ヘッヘッヘッヘッ(笑)


今村有希
はい


高森明勅
その世俗的な用語は「記号(sign)」ですよね。


西部邁
そうですね。


高森明勅
それに対して「象徴」というのはやはり聖なる概念であって、


[*“象徴” とは聖なる概念、世俗の記号とは異なる ]


西部邁
そうなんですよね。


今村有希
はい


高森明勅
しかも「記号」と「象徴」の違いというのはですね、これは『歴史を背負っているかどうか』


西部邁
それです!!


高森明勅
記号というのは、今村さんと私がですね、「これが赤になったら渡りましょうね」という合意が成り立てば、意味を変えることが出来るわけです。


今村有希
はい。


高森明勅
それでも例えば、十字架をですね、これはキリスト教の象徴としてもう古いからなんか替えようよと言ってですね、


西部邁
あぁ〜そうね。


高森明勅
現世の人間だけでいくら合意が成り立ってもおいそれと替えてはいけない。そういう『超越性』をやっぱり背負っているのが象徴と。


[*『象徴とは何か』 歴史、超越性を背負う ]


高森明勅
戦後のそれこそ憲法学ではですね、象徴という言葉をものすごく引き算で考えて。


西部邁
そう。実はアメリカ軍・・・といったって所詮、軍人ですからね、大して教養もない、もっと分かりやすく言えば、ヨーロッパでsymbol(シンボル=象徴)と言えば、いま(高森が)言ったような理解をするのだけど、アメリカというのはなにちょっと数百年前出来た歴史の無い国のあれでしょう?


高森明勅
はい(笑)


今村有希
(笑)


西部邁
言葉の意味そのものがね、アメリカで非常に子供っぽくなっていて、


高森明勅
(頷く)


西部邁
憲法)草案で言うとね、「天皇はシンボルに過ぎない!」という意味で(日本国憲法を書いた)アメリカ軍がまず見做そうとした。それ自体が、まぁ「アメ公」というとアメリカ人怒るから、


高森・今村
(笑)


西部邁
アメリカ人たちの言って見れば言語感覚のレベルの低さでね。


[*アメリカ占領軍は、天皇主義政治の元凶とみて、天皇をシンボル “象徴” に過ぎないと憲法草案へ ]


高森明勅
細かく言うと、


今村有希
はい


高森明勅
GHQのスタッフでですね、民生局(次長)のケーディス(チャールズ・ケーディス)、彼があの「象徴」という概念を採用するのに中心的な役割を果たしたとみられているのですけども、彼もちょっと別々の証言をしていてですね、信用できないんですけど、ある証言では、日本の憲法学者西修に対しては、「それは日本人から聞いた」と。


[* Charles Louis Kades:象徴の概念を採用した中心的な役割とみられる ]

 

西部邁
ほぉー。


高森明勅
要するに、「天皇というのは日本にとって象徴みたいなもんだ」と・・・


西部邁
うん


高森明勅
いう発言を聞いて、(ケーディスは)それに飛びついたと。


今村有希
はい。


西部邁
なるほどね。


高森明勅
というどうも経緯があったようでしてね、そのあたり、あの大日本帝国憲法でですね、天皇は統治権の総攬者であると。それは取り上げるよ、という取り上げるその引き算をして残ったのが「象徴」だったという経緯と、


今村有希
はい


高森明勅
もう一つは日本人が、(天皇に対して)とにかく何か神々しいようなものを・・・神というのは一生懸命にGHQは(日本人に対して)否定しようとするのだけども、ある種の超越性をですね、当時の日本人が感じていたそのあたりと、


[*天皇の統治権の総攬を取り上げる引き算の象徴、神々しさ超越性を感じていた当時の日本人 ]

 

西部邁
うん


高森明勅
後は、ダグラス・マッカーサー自身がやっぱり昭和天皇と会ってですね、


西部邁
うん


高森明勅
ある種、(西部)先生の先ほど仰ったですね、何かちょっと世俗を超えたものを感じてしまった。


[*天皇と会い世俗を超えたものを感じたマッカーサー


高森明勅
要するに(マッカーサー天皇と)直に会っているわけですよ。


今村有希
はい


高森明勅
で、命乞いをすると思って悠然と構えてですね、踏ん反り返って上から目線で見ていたらですね、全く逆の発言が出てきてですね、ビックリしたということを(マッカーサー)本人が証言して、それが学問的に無かったんだという説が一時あったんですけどやっぱりあったと。


西部邁
うん。


高森明勅
やっぱり天皇自身が、自分の身を投げ出して、


今村有希
はい


高森明勅
国民の為に、という発言はあったと見なさざるを得なくて、それに対してそれまで(マッカーサーは)「陛下」ということを言わなかったのがですね、1回目の会見が終わってから「陛下」というふうに。


西部邁
英語で言うと、Majesty(マジェスティー=陛下)ですね。


高森明勅
そうですね、それまでの態度を変えたと。マッカーサーの個人的な「天皇」体験と、


西部邁
うん


高森明勅
それからそのケーディスの、日本人から自分たちにとって(天皇は)そういう存在なんだよと、そういうのを込み込みして、要するに、「絶対的な権力者からは(天皇を)外すぞ」と。しかし無くすわけにもいかなかった、GHQとしては。


今村有希
(うんうん)


高森明勅
無くしたら占領行政が円滑に行かないという現実的な理由もあった。


今村有希
はい。


西部邁
こういうのもあるんですよね。前文にね、主権、先ほど(高森)先生が仰った『主権』、これ原文では sovereign power(ソブリン・パワー)と言うんだけども、直訳すると「崇高な権力」ですけどね。


[*主権 sovereign power 崇高な権力 ]


西部邁
崇高な権力(sovereign power=主権)が国民に存すると書いて、


今村有希
はい


西部邁
天皇の条項でも、「天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく」と。


今村有希
はい


西部邁
それを戦後日本人がね、誤解して、いま生きてる今村さん、ぼく、向こうにクボタってプロデューサーがいますけどね、


今村有希
はい(笑)


西部邁
(現存する)我々の総意に基づくと。


高森明勅
うん。


西部邁
ところがね、先ほど『歴史』ということを(高森)先生は仰ったけども、ちゃんと解釈すればですよ、国民と言ったってさ、先祖も意外と何百何千年のご先祖もいて色んな事を我々に遺してくれているわけさ。


今村有希
はい。


西部邁
その証拠に、日本語って僕らの発明品じゃないですからね。


高森明勅
そうですね、はい(笑)


今村有希
(笑)


西部邁
国民の総意とは何かと言ったら、歴史上の言ってみれば総国民だとそう考えると、それ普通日本人は『伝統の精神』と呼ぶわけですよね。


[*天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく、戦後日本人は、いま生きている国民と誤解 / 歴史上の総国民の総意で “日本の伝統の精神” 何百何千年の中で先祖が智恵を残している ]


高森明勅
うん。


西部邁
だとしたらね、本当は天皇のその地位は主権の存する国民の総意、言い換えれば、『日本の伝統の精神に基づく』と、


今村有希
はい。


西部邁
こう解釈するのが我々の天皇観にあっているのみならず、国民だとか主権だとかいう言葉の意味もね、無理なくですよ、あんまり喋っちゃいけないけど、“スマホ遊びしかやっていない!!(怒
”・・・ゴメンなさい、(※手をあわせるジェスチャーで)スマホ会社の人に謝る、


高森・今村
(笑)


西部邁
謝るけどね(笑)、スマホ遊びしかしていない人たちにね、


高森明勅
(番組に)もうCM付かないですね(笑)


一同
(爆笑)


西部邁
・・・崇高な権威(sovereign・power)があるとかって言葉自体がみんなおかしいでしょう。


今村有希
はい(笑)


西部邁
長い何百何千年という歴史に遺した『歴史上の智恵』にはね、崇高と言わなくてもいいけども、何かやっぱりやんごとなきね、尊ぶべきものがあるということには多くの人が同意できる。


[*何百何千年の歴史上の智恵には尊ぶべきもの ]


高森明勅
うん。


西部邁
そういうことを含んでいますよね。


高森明勅
そうですね。よくだから誤解するのがですね、


今村有希
はい


高森明勅
要するに、主権の存する国民の総意に基づくのだから、天皇の代替わり毎に国民投票しなきゃいけないじゃないか、みたいなね、


西部邁
これはだいぶいる!!


今村有希
(笑)


高森明勅
そういう底の浅い議論をする人がいるんですけど、


今村有希
えぇ〜?!(驚)


高森明勅
これに対してはですね、反天皇派の憲法学者、例えば、横田耕一氏(九州大学名誉教授)などでもですね、「いや、そういう意味じゃないんだ。この憲法第1条が維持されている限り、どんな天皇になってもそれは国民の総意によって裏打ちされてる」と。


西部邁
おぉ〜。


高森明勅
そういうふうに憲法は見なしているのだから、


西部邁
そうですよね。


高森明勅
その代替わり毎に国民投票とか、そういう話ではないということを言っていますし、第2条を見ると、『皇位世襲』ということがハッキリ書いてあって、


西部邁
あぁ〜そうなんだよ。


今村有希
はい


高森明勅
皇室の血筋で代々受け継ぐんだと。


西部邁
うん。


高森明勅
まぁそのあたりを見ると、結構、日本国憲法の「第1章」についてはですね、なかなか重要な点は崩していないと思うんです。


西部邁
そうなんですよね。第2条の「世襲問題」とも関係あるんですけど、


今村有希
はい


西部邁
先ほど高森先生が『歴史』ということを仰った。そして、『継承』ね、継承ということは、天皇の生涯、もちろん今度は生前退位ですけどね、


[*なぜ皇位世襲なのか、時代の変化と継承 ]

 

今村有希
はい


西部邁
まぁ普通で言えば、天皇崩御されれば次の代の・・・つまりこれがね、なかなかすごいところで、これも不敬罪にあたるけど昔ならば、


高森明勅
おっ!


今村有希
(笑)


西部邁
未開民族はあれでしょう、象徴はトーテム(totem pole)ですよ、木を削ってね。


高森明勅
はいはい。


西部邁
あれは気が腐るまで何百何千年も立っている、同じトーテムがね。


今村有希
へぇー。


西部邁
いい?


今村有希
はい。


西部邁
キリスト教圏で言うとね、見たことのがないけど、GODとかさ、


高森明勅
(笑)


西部邁
イスラム圏で言うと、


今村有希
アラー(笑)


西部邁
アッラーとかいうね、


高森明勅
会ったことがないですね、まだ。


西部邁
ねぇ。


今村有希
(笑)


西部邁
絶対神』をもってきて、それで歴史を通じてですよ、不変のGODだ、アッラーだとこうやるわけよ。


ところが、日本人の巧みさはね、何程か崇高でありながら、実はその崇高な方々も「生涯」を持たれていて、誕生され、生活なされて、そして死んでゆくというね、


高森明勅
うん


西部邁
それと同じようにね、個人だけじゃなくて時代というものもね、明治の時代は誕生し、そして45年で終わり、で大正に何事かを遺し、で15年で終わり、そして昭和に・・・というふうに『時代の継承』ってありますでしょう、


今村有希
はい


西部邁
そういう意味で、『歴史というのは時代の継承なんです』よね。


高森明勅
うん。


西部邁
それをね、実は天皇は人間であることによってね、実はそういうことも象徴しているんですよね。


高森明勅
うん、そうですよね。


西部邁
これね、ひょっとしたら偶然そうなったのかもしれないけども、歴史的に言えば、やっぱり非常に面白いと同時に見事なある種の国家象徴なんですよね、人間で。


[*現人神や超歴史的でない人間を国家象徴の見事さ ]

 

今村有希
はい。


西部邁
例えば、チベット、いま中国に獲られちゃってますけどね、あれはダライ・ラマというのはなんかこう現人神でね、


高森明勅
うん


西部邁
わーっと国中探して、何かこの少年はすごいらしいと。


高森明勅
うん、要するにその霊を受けているんですよね。


西部邁
そういうんで現人神にしちゃえと。


高森明勅
転生しているというか。


今村有希
(うん)


西部邁
でもね、それもちょっとね、それと比べたらやっぱり『世襲』の方がね、何かを継いでまた受け渡すというね、そういう『時代の歴史性』、『国家というのは時代の歴史性』ですからね、それも象徴しているという意味でね。


[*何事か次の世代へ継承、国家は時代の歴史 ]


今村有希
(うんうん)


西部邁
どういう偶然が重なったのか僕には詳しい事は分からんけども、見事なあるその文化制度なんですね。


高森明勅
うん。今の天皇陛下は125代なわけですよね。


今村有希
はい・・・へぇー。


高森明勅

だから初代の天皇と伝えられている神武天皇から125代、


今村有希
はい


高森明勅
代々替わってきているわけです。日本書紀神武天皇がなくなったのが太陽暦で4月3日だと。


今村有希
はい


高森明勅
でしかも、今年で2600年経っているというのが日本書紀の記述なんです。まぁそのまま私は学問的な立場から信じているわけじゃあないんですけども、日本書紀に基けば2600年前に、ちょうど2600年前の4月3日になくなったと伝えられていて、


今村有希
はい


高森明勅
その日に今年の4月3日、両陛下は奈良県神武天皇の御陵に御参りされているんですよ。


[*初代の神武天皇陵へ 天皇皇后両陛下が参拝 ]


西部邁
んん〜。


高森明勅
そして宮中では皇太子殿下、雅子妃殿下が御出ましでですね、皇霊殿で御祀りをされている。


西部邁
なるほどね。


高森明勅
そういうことが実際に行われていまして、


今村有希
はい


高森明勅
そうやって代々かわっていくのだけども、その間、三種の神器と言われるものがですね、受け継がれている。


[*皇室は代々三種の神器を受け継いでいる ]


高森明勅
だから、昭和が終わって昭和天皇がなくなられて、今の天皇陛下にかわって一番最初に何をやったかというと、『三種の神器を受け継ぐ』という、


西部邁
うん


高森明勅
この行事を最初に行ってまして、


今村有希
はい


高森明勅
で、三種の神器というのは私よく言うのだけども、三種だけども五つあると。


今村有希
はい


高森明勅
要するに、一番中心になるのが「八咫鏡」でこの御本体は伊勢の神宮に御祀りしているわけですね。


今村有希
はい。


高森明勅
ただその御分身がありまして、その御分身が宮中三殿の真ん中にある賢所(かしこどころ)


西部邁
あぁ。


高森明勅
これで二つですよね。


今村有希
はい。


高森明勅
次の「草薙剣」これは御本体は愛知県の熱田神宮に御祀りしてあって、


今村有希
はい


高森明勅
そのやはり分身がありまして、この分身の第一号は壇ノ浦に沈んでいます。


西部邁
ほぉ。


高森明勅
あの源平合戦の時に、安徳天皇と一緒に沈んでしまった。


今村有希
(うん)


高森明勅
ただその第二号が宮中の天皇陛下が御住まいになっている御所の、この御休みになる御部屋の隣の特別な部屋がありまして、


西部邁
うん


高森明勅
そこにありまして。


今村有希
はい。


高森明勅
でこれで四つですよね。で最後が三種の神器の三つめの 八坂瓊曲玉(※もしくは「八尺瓊勾玉」)という玉がありまして、


西部邁
ありますね。


高森明勅
これは本体しかなくて、さっき言った陛下が御休みになる隣の部屋に剣の二番目の御分身と一緒にですね。


[*“三種の神器は五つ” 八咫鏡〔やたのかがみ〕 草薙剣〔くさなぎのつるぎ〕 八坂瓊曲玉〔やさかにのまがたま〕 ]


西部邁
なるほどね。


高森明勅
で、陛下が奈良県に行かれたり伊勢神宮に行かれたりする時は、侍従が持って一緒に旅行するんですよね。


西部邁
あぁそうですか?


高森明勅
はい。そうやって継承を目に見える形で示している。


西部邁
なるほどね。国民一般で言えばね、家族ファミリーをめぐって父、お爺さん、お婆さんというふうに継承していく、


今村有希
はい


西部邁
そういうね、人間の歴史をね、そのいま言った三種の神器、そういう神器を抱きながら『歴史の継承を象徴する』というね、ですから人間というのはこれまた言うとあれだけど、ここ(=板書を指して)で言うと、こっち (俗世secular) から見るとね、(天皇は)当然、俗世から見るから「人間」なんですよ。


今村有希
はい。


西部邁
わざわざ人間宣言されなくたって人間に決まっているわけ。


今村有希
はい。


西部邁
これは実は我々の精神でもあるわけね。


今村有希
うん


西部邁
貴女にだってね、時々だろうけど、僕はもっと時々だけど、やっぱり自分の俗世の金とかなんかの問題を越えて、何か超越ゆえの何か少なくとも眼差しってあるでしょう。


今村有希
はい。


西部邁
勝手に皇室だけが超越しているんじゃなくて、国民の意識のどっかにお寺参りをしたり、神社参りをしたり等にみられるように、何か俗世を越えたものへの気持ちが、少なくとも傾きがあるわけね。


[*国民精神にも俗世を越えた超越性の眼差し傾き ]


今村有希
はい。


西部邁
そういうものを知るのをこう、もしもこっち側(=聖 sacred)から覗いてみたと想定すれば、当然「神」という想念になるわけね。


今村有希
はい。


西部邁
だから「人」であり同時に「神」であるという、そういう意味での『境界人』というね、Marginal(マージナル)まぁ英語で言う必要はないのだけど、Marginal Man、Marginal Family というのはそれが皇室なんだというね。


今村有希
(頷く)


西部邁
なんかそれでね、あとグダグダ議論するんじゃない!!ってのが僕の(笑)


高森・今村
ワハハハハ(笑)


西部邁
(高森)先生は、先生のよう議論はいいんだけどね、あれはもう(笑)


高森明勅
いやいやいや(笑)


西部邁
テレビとか新聞でさ、


今村有希
はい(笑)


西部邁
憲法違反だとかさ、その他いろんなことをね、本当にあったんですよ。


今村有希
はい


西部邁
新聞ってヒドいの。自分の社説じゃなくてね、「投稿者」に恐らく自分の配下の “左翼教授” でしょう、「憲法1条に “国民の総意” と書いてるじゃないかと。そうなら昭和天皇がなくなられたのだから、国民の総意をもう一度問うために “国民投票” をさせて、天皇制が必要かどうかやったらどうだ!」という意見の投書をさせるわけですよ。


高森明勅
(うん)


今村有希
はい


西部邁
それよく覚えてる、ヒデェことやるなぁと思ってさ。しかもそれ “憲法学者” がそう言う。投稿するんですよ。


高森明勅
そのあたりは是非次回(笑)


今村有希
(笑)


西部邁
ということで1週目は天皇でしたが、2週目は多分、皇室問題の改正問題をめぐってもっと具体的な議論をやって頂きます。


今村有希
はい。


西部邁
今週は先生ありがとうございました。


高森明勅
ありがとうございました。


今村有希
ありがとうございました。

 


【次回予告】“天皇制” 論総浚い② - 今上陛下の攘夷の御意思を受けて :ゲスト 高森明勅神道学者・歴史家・皇室研究者]〜西部邁ゼミナール〜