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◼︎外交における「法と力と徳」 ゲスト 東郷和彦(西部邁ゼミナール)

◼︎外交における「法と力と徳」 ゲスト 東郷和彦西部邁ゼミナール)

元外交官 京都産業大学・世界問題研究所所長 東郷和彦 × 西部邁

【ニコ動】
西部邁ゼミナール)外交における「法と力と徳」2014.06.22

小林麻子
今回は、東郷和彦先生のご登場です。
東郷先生はこちらの『歴史認識を問い直す』を上梓されております。

[※『歴史認識を問い直す〜靖国慰安婦、領土問題』東郷和彦角川oneテーマ21)]

東郷先生は、大東亜戦争時に外務大臣であられた故東郷茂徳氏のお孫さんにあたり、長い間、対ロシア外交に携わり、最後は駐オランダ大使を務められました。

先生は、外務省の政治的混乱によって、外務省をやめさせられましたが、その後、オランダ、アメリカをはじめとする様々な大学で教鞭を取られ、外交に関するたくさんの書物も発表されております。

[※2002年の鈴木宗男事件、外務省内におけるいわゆるロシア・スクールの一掃]

アメリカと中国に挟まれながら、いよいよもって正念場を向かえつつある日本外交について、東郷先生がいかなる指針を与えられるか刮目して期待すべし、といったところでしょうか。それでは先生方、どうぞ宜しくお願い致します。

本当に外交は、いよいよ切羽詰まった段階に来ていると思うのですけども、先生は、対ロシア外交十数年?何年でしたっけ、17、8年ですか?

いや、その、外務省に34年いました。そのうちの半分、17年を直接ロシア・ソ連との関係がありました。

地球の反対側の出来事と見えますけれども、例の『クリミアのロシア編入』から『東部ウクライナ』をめぐって米欧とロシアの間で強烈な綱引きがはじまっている。

その辺りのプーチン大統領のやり方は、日本にとっていったい【どんな教訓】となるかな、というようなところから先生のご意見を伺いましょうか。

世界政治における本質はどこにあるかと言うと、一部には「冷戦が復活している」と言いますけども、これ僕は【間違い】だと思うんですね。

冷戦というのはアメリカとソ連の対立、でももうそれから20年近く経ってですね、今の世界の本質というのは【中国の台頭】という(冷戦当時と)ぜんぜん国際情勢が違うんですね。

ですから、このロシアのクリミア問題、ウクライナ問題の処理をめぐって、ロシアを一方的に叩き過ぎると、その結果は何になるかと言うと、【ロシアを中国に押しやるんです】ね。(西部:そうですね。)

そうすると、このユーラシア大陸の中でどんどんどんどん力を強めていって、どこまでいくのかちょっとわからない。或いは、大混乱になって崩壊するかもしれない。しかし、この巨大な中国にロシアを押し付けて、ロシアは最近はイランですね、「イランとロシアは仲良くするぞ」というこのヒントをですね、クレムリンの放送ですけど、そういうところがいっぱい出している。

そうすると、世界の体制の中で、北京〜モスクワ〜テヘランという、これは【最悪の枢軸】を形成することになる。だから、そういうことにならないように、ウクライナ問題、クリミア問題を日本として考えるというのが第一ですね。

ウクライナ問題も、クリミア問題も、【ものすごく複雑な歴史的経緯の中で起きたこと】なんです。この歴史的経緯をよく勉強しない、もしくはそれをつまみ食い的な一方的な知識だけで判断すると、間違えると思いますよ。

それで、クリミアに関して一言でいえば、これはね、《ロシア人の目から見ると、クリミア=ロシア》ですよね。

民族の叙事詩で【セヴァストポリの戦い】(=クリミア戦争、1854年10月17日~1855年9月11日トルストイの『セヴァストポリ物語』)というのはクリミア戦争の中で、僕らでいえば『壇ノ浦(の戦い)』とか『関ヶ原』とかね、そういう民族の叙事詩ですよね。

でそれが、ソ連邦の崩壊の時、それからそれ以前のフルシチョフ(※ウクライナ系ソヴィエト人、最高指導者ニキータ・フルシチョフ第一書記)のとった判断によって、ウクライナに入っていったものが、ウクライナに残ってしまったと。

[※1954年のフルシチョフによるクリミアの(当時ソ連邦内の)ウクライナへの移管、それがソ連邦崩壊後もウクライナに残されたままに。しかもクリミアのセヴァストポリにはロシア軍の重要な軍港、海軍基地[黒海艦隊]が残されている、旧ソ連原潜の地下秘密基地もある]

民族の叙事詩でいえば、ウクライナそのもののがロシア民族にとっては【歴史発祥の地】であると(笑)

まさにそうまさにそう。
クリミアはまぁだから、もっとも近場の話。ウクライナそのものも、これはもうちょっと歴史が古いし、キエフといくのは、ロシアの歴史を勉強していくと誰でも言うのですけども、【「ロシア発祥の地はどこか、キエフ公国です。」】

[※キエフ大公国(882年頃~1240年のモンゴル来襲によるキエフ陥落で崩壊)は、ウクライナベラルーシ、ロシア三国の共通の祖国とされる]

だから、私たちの感覚で言うと、京都・・・京都みたいなものなんですね、ある種。私が外務省に入って、はじめてロシアの勉強をしていました時に、「あぁ、キエフは京都だな」と思いましたよ。

それがしかし、新しい独立国になってしまった。それは【ロシア人の歴史観】からすれば、あり得ることだけども、しかし、ウクライナとロシアが本当に分かれてしまう、全く関係のない国になってしまう、これは、(我々とは)現場感覚が違うのですよ。

アメリカ側が、冷戦構造の崩壊の後ね、いわゆる北大西洋条約機構NATO)が、バルト三国ポーランドチェコハンガリーですか、その辺りにぐっと拡げていきましたよね。


そして、今現在で言うと、グルジアとかウクライナまでもが引き込まれ、入ろうとしている。

そこまで来るとね、ロシアとしてはね、やっぱりこれは「アメリカ主導」なんでしょうけど、言って見れば、西側の公然たる【力の拡張】に対して、やっぱり【力をもって対抗せざるべからず】という、そういう『冷戦後の政治力学』がはじまっているのが一つ。

もう一つは、ロシアには公然と、単にロシア民族主義だけじゃなくて、ロシアを中心とするか、ひとつの焦点とする、この場合は「ユーラシア」といっても西ヨーロッパは別にして、巨大なユーラシア全体を米欧とは一線も二線も違った【運命圏】として作り出したいという『長期展望』もロシアにはあるでしょうね?

そのねぇ、文明の展望ということになった時はですね、ロシアの一番の特徴は「西の文明」と、それからロシア自身つまり「スラブ」と間の『引き裂かれた文明』ということなんですね。

その点はですね、日本が明治維新以降、(西部:あっそうか!)「西洋文明」と、それから江戸時代に至るまでずっとつくってきたある種の「日本文明」、太平洋戦争に至る前までは、日本文明とアジア文明との間に引き裂かれてきた、《ここに共通点がある》んですね。

「西欧に対する文明を今つくろう!」と言っているのは中国なんです。(西部:なるほど。)ですからね、その台頭する中国が「アジア文明は俺だ」と言ってる時、それでこれに対峙するのは西欧文明ですよね。(西部:そうです。)西欧文明ということはヨーロッパとアメリカ。そのヨーロッパとアメリカと中国の間にある国が二つあるんですね。それが【日本とロシア】です。

《ここにですね、日本とロシアが文明論的に深いところで手を握る大きな可能性がある。》そのことを日本はしっかりと自覚して、それで【日本自身の文明論】というのをしっかり出して、それでロシアとの間の共通性を見出しながらウクライナ問題について、日本の意見を発信するということが必要なんですね。それがやはり日本外交のいま期待される体力で、いま安倍政権にその体力はあるかと。

つまりウクライナというのは、けっこうユダヤ人の多いところで、ロシア全体にもあったんですけどね、つまり【ユダヤ迫害運動】というのがずっとあって、ウクライナあたりからかなり大量のユダヤ人がアメリカとかカナダその他にね、当時逃れてて、そこでそれなりの政治的発言力を持つ。

そういう人たちの数百年に渡るユダヤ民族としてのある種の、やっぱりわかりやすく言えば、【祖国ウクライナの地を如何にせん】というそういう肝入りもあって、【反ロシア運動】が起こるというね。

[※『ポグロム』:ユダヤ人に対して行われた集団的迫害行為。特にロシアにおいて、19世紀末に反ユダヤ主義ポグロム1881年-1884年)が起こった。後にはロシア帝国をはじめ各国でユダヤ人殺戮のポグロムが盛んに行われた。]

本当に国際的な連関をもった話なのね。そんなこと日本のTVとか新聞にほとんど出てきませんでしょう?

ですからね、さっきは「ロシアから見たウクライナというお話をしましたけども、他方、特に、ウクライナの一部の人たちから見た時のウクライナという問題もあるんです。

その「ウクライナの一部の人たち」というのは、いま先生が仰ったユダヤ、それから純粋ウクライナ人といいますか、これはもともとポーランドのもとにあって、その前はハプスブルクです。

[※これは18世紀に、ナポレオン戦争終結後、3度にわたって行われたプロイセンハプスブルク、ロシアの三国による『ポーランド分割』に由来し、もともとポーランド国家(ポーランド・リトアニア共和国)にいたユダヤ人がどこの庇護も受けられず行き場を失い散り散りになり、そしてユダヤ人迫害運動(ポグロム)へと巻き込まれていく]

この今のガリツィア地方(※現在のウクライナ西部、18世紀末からはポーランドの一部も含まれる、反ロシア感情が強い)ですね、この人たちと、それからキエフを含む東部ロシアのウクライナ人というのは、《同じウクライナ人ですけども歴史が違う。政治的な形が違う。そして宗教が違う。言葉も違う。》

それで、いま言ったユダヤ人とか、それから西部ウクライナの人たちが、第一次世界大戦後にソ連邦という国が出来た時、そして第二次世界大戦で(ナチス)ドイツに攻め込まれた時、この時にですね、東部のウクライナ人と激しい戦争をして、一部はアメリカとカナダに逃げたわけですね。

だから、『彼らからしてみると、ウクライナ独立というのが、アイデンティティそのもの』になってて、でカナダとアメリカの世論は「それに引っ張られている」んですね。(西部:なるほどね。)

だからまぁ、オバマにしてもカナダにしても内政問題ですから、無理ないところがある。

【しかし日本はそれに引っ張られてちゃいかんのです!!】

これはちょっと(本題とは)離れますけども、名前は言いませんけどもね、比較的TVで有名な東大の比較的若手の国際政治学者がウクライナ問題を指してね、、

「これは言わば、西欧型の自由民主主義 vs ロシアを含む一種の民族主義国民主義との対決の模様です!!(キリッ)」

・・・こういう浅薄なんですね(笑)

ハハハハ、なんともね(笑)

カナダとアメリカに逃げた一部のウクライナ人たちは、そのアメリカとカナダの価値(観)をさらに吸引して、ソ連邦が分かれた後に、そういう立場をとっているわけですね。

それはそれとして理解できる話なんですけども、でも【歴史はもっと広い】んですよね。(西部:そうですよね。)その広いところをぜんぜん見ないで、「そこのところだけ」を(かいつまんで)見ると、これは本当に間違えるし、それから、内政上そういう問題を持っているカナダとアメリカに理由があっても、【日本にはそういう理由が無い】んですね。まったく日本は(このウクライナ問題について)手がキレイなわけですから。

それで、いよいよもって日本の話ですけども、対ロシア外交に長年携わられてきた先生に伺いたい。

かの、【北方領土】、千島四島ですね。そこにもちろん、いまロシア人が定住しておりますけども、何割かは知りませんが、ウクライナ人がけっこう入っているというね。(東郷:あ〜あ。)ウクライナ人の移動性が大きいということでしょうけどもね、ウクライナのことを論じたいのではなくて、あれは・・・今から13年前になりますか、日本にね【森喜朗】さんという人がおられて、あれはシベリアのイルクーツクでした?(東郷:はいはい。)【イルクーツク会談】というのがプーチンさんとの間で行われていて、その時に千島の北方四島について、「歯舞、色丹は日本に返す。国後、択捉については交渉は先に延ばす」と、簡単に言えばね。そういうことが実際にはじまりかけて、そして急に【頓挫】して、それで今の「対露外交」は、この前は安倍さんがちょこっと何かやっているようだけど(笑)実質上、途絶えている気配ですよね?


あのちょっと一点だけ訂正しますとね・・・

ちがいましたか?(笑)

いや、とにかくそのイルクーツク会談の時の外務省の事務の責任者として私は参加しましたので、(西部:そうでしたよね。笑)その歯舞、色丹に関しては56年の共同宣言(※1956年『日ソ共同宣言』)に『平和条約締結後に日本に引き渡す』と(共同宣言の時点で)書いてある。だから、『どういうふうに返しますか?』という返し方の話をしましょうと。

そういうことか。

国後、択捉については、ロシアは「俺のもんだ」と、日本も「俺のもんだ」と言っている。まったく話がついていないんですね。だから、国後、択捉についてどうするかについては『話をはじめましょう!』というところまで来たんです。

結果として先生が仰ったように「歯舞、色丹は日本に返し、国後、択捉については後に延ばす」という部分になるかもしれない。でもね、そこまで話がすすまなかった。ただし、新しい点は①『歯舞、色丹の引き渡し方』と、②『国後、択捉をどうするか』、ということを、この二つのことを同時並行的に二つの部会をつくって話をしましょう、というところまで来たんですね。ここで区割り。

まぁ、つまり北方四島というのは、第二次世界大戦の時にね、【ソ連に占領されたまま】なんですよね。もちろん、1855年の江戸の末期の日本とロシアの通商友好条約(※1855年『日露和親条約』)では、日本のものだとなっているし、第二次大戦終結のポツダム宣言その他だって、日本が返却しなければならないのは「日清戦争以後に拡張した領土」ですからね、それ以前のものは(日本に)決まっていた。そういう意味では、純粋法律、【国際法】がしっかりしているとして、それを純粋に考えれば「北方四島は日本のものだ!」と言い続けて構わないような気もしますけども、しかしね、そんな曖昧模糊たる遠い過去にも及ぶような国際法国際法といったってある種の「慣習法」、経験の積み重ねですけどね、こんなものを金科玉条として振りかざしてね、そこで対露外交をやって、『依願と一括返還でなければ日本のメンツに関わる』というのは、やっぱり外交はね、法もあるけど、同時に法の解釈と運用をめぐって【現実的な力】の問題という、(東郷:そうですね。)それが絡み合ってきているんだと。

プーチン大統領が、二年前に大統領に返り咲きましたね。その時に彼はハッキリと「これから二つのことをやりましょう」と。

①一つは、日露の経済関係を強くする。②もう一つは『引き分け』という原則に従って、領土問題を解決しましょうと。

で『引き分け』というのは何か?どちらも負けない。ロシアも負けない、日本も負けない、ということでやりましょうということを二年前に言ったんですね。これはね、大変なことですよ。私はそう思いますね。

日本はそれに乗らなかった?

最初の一年間はほとんどまったく、フリーズしていた。でも、安倍総理になってからは、去年の4月に動きだした。ですから、なかなか難しいですけども、今その動き出すプロセスが進んでいるところに、さっきのウクライナの話が起きたんですね。

そうですよね。
僕が少々だけども、知っているヨーロッパに詳しい人たちは、『北方領土をめぐって、占領されたものは悔しかったら、取り返すしかないでしょう?』とね、まぁそれは世間話風だけどもね、やっぱりね力の・・・僕は「力が全てだ」とまでは思わないけども、結局は、法の解釈・運用をめぐって【力の問題が出てくる】ということを強調するとね、『悔しかったら取り返してみな』というね、そういうリアル・ポリティクスがあって、当然(それが)ロシアにもあるんだと。

そこをかいくぐって、外交をはじめるというね、それはね、相当大人の感覚ね。

仰る通り。全く仰る通り。

でそもそも第二次大戦が終わるまでの国際法では、もちろん『ケロッグブリアン条約』(※1828年に締結された『パリ不戦条約』、別称『ケロッグ=ブリアン協定(条約)』)ってありましたけども、基本的にはリアル・ポリティクスでね、【戦争に勝ったら領土を獲る】ということできてたわけですよね。

ところが、1945年に日本が負けてから、『国連憲章』ができて『平和憲法』ができて「そういうことは日本は一切致しません」と、まぁ、ある意味で【最初から白旗上げた交渉】を(日本は)しているわけで、でも『交渉だけでやろう』と思うのだったら、唯一やれるのは、その【機会の窓が開いた時】、つまり力関係でロシアがやる気になった時に、一気呵成で飛び込んで、出来るだけのものを引き摺り出す、これしかないんですよね。(西部:そうですよね。)

その時に「日本の要求が全部満たされなかったらOKしません!」と言ったら、【合意ができるわけがないですね、現実には。】

まぁそういう意味で、しかしこれまで、何回か「機会の窓」が開いて、その度に日本はそれを引き摺り出して、合意を固定することができなかった・・・。

例えば、『尖閣は日本の固有の領土である」と。固有の領土だと思っちゃうと、「北方領土も江戸時代以来の固有の領土だ、返せ返せ!」の合唱でおしまいになるんですけど、その【固有】という言葉も、結構危ないですよね。【固有なんてことは、本来あり得ない】んですよ。

北方領土はそういうことで、外交によってね、取り戻そうとしているわけですが、もう一つ、いま【尖閣の問題】が起きているわけですね。で、この時に、日本が『固有の領土』ということを強調するということは、取りも直さず、中国も「固有の領土」ということで、まさに向こうも来るわけですよね。で、これはね、問題を解決するのにあまりプラスにはならないと思いますよ。(西部:僕も賛成ですね。)

尖閣に関しては、やっぱり【日本が絶対に言わなくちゃならない】のは、一週間に一回、日本の領海に中国は自分の海上警備(※中国海警局)などを送り込んでくるということですね。【これは、絶対に許さない!!】(西部:そうですね。)それをやるためには、これは固有の領土だとかなんとかそういうもんじゃなくて、❶一つは日本自身が「実力」を蓄えること。だからディテランス(deterrence)、【抑止】ですね。❷もう一つは【対話】ですよ、対話。

『二つのD』と言っているんですが、ダイアログ(dialog)とディテランス(deterrence)です。

あぁ〜仰ってますね。
先生の仰ったことは、尖閣について言うと、日本のいわゆるeffective control 「実効支配が曲がりなりにも及んでいる」と。そのことを無視して軽んじて、中国が突如として、まぁ数年前からですけども・・・

その二年前の9月から、はいはい。

尖閣に漁船?や海警を)出してきましてね、『それは不当である!』と。

そうですそうです。

というのは、何を言いたいかって、これを「固有の領土」と言ってしまうと、アメリカすらが、尖閣の領土権(領有権)については、日本にあるかどうか『それは知らん!』と言っているんですね。(東郷:はいはい。)これは台湾、中国との交渉の1971年以来の結果ですけどね。

ただ、『施政権』『統治権』『管理権』これは日本にあるので、日米安保の一応の適用の範囲内とみている。本当に適用して軍事力を出すかどうかは全くそんなことはいざ知らずね(笑)

[※つまり「領有権」についてだけは、米国は日中どちらの立場もとらないと。事実上、日本の実効支配。つまり領有までは認めないけども、「日本の力の支配が尖閣について及んでいる状態である」と言っていることになるというわけだ]

一応、可能性の範囲に入ると言っているだけで、ということはね、領土権は不問に付している以上、この領土権、つまり『固有の領土』だと、日本が期待してお助け下さいと言っている相手のアメリカですら、【それ(=尖閣が日本の固有の領土である)は、私たち(米国)は認めておりません】と突き放されているんですよね。

そこで「固有の領土」いうのみならず、『尖閣をめぐって領土問題は存在しない!』と言いはじめたら、ふと何か宙に浮いた空理空論を日本側がやっていることになる。

そう、ですからね、もちろん日本の立場からすれば、固有の領土なんだけども、(西部:そうか。)それを議論の正面に立ててやるのは得策ではないと思うんですよね。

やっぱり、私たちが中国に言うべきは、あのこれはまさに安倍総理が言っておられることなんですけども、「対話をしましょう」「話に入ってきなさい」ということなんです。その上で中国が意見があるのだったら「それを聞きましょう」と。「もちろんこちらも自分の意見を言いますよ」ということで【対話】がはじまるわけで、「固有の領土であることを認めろ!」ということを最初から入りますと、対話からはじまらないんですよね。

ダイアログ・・・対話といった時に、得てしてね、何か「力無き言葉」というかね、軍事力のこと、もっと言うと、武器・武力のことはさて置いて、『言葉で話し合いましょう』というね、これまた相当軽はずみですね。

そうそう。ですからね、最初に申し上げたように『二つのD』つまり【抑止(ディテランス)と対話(ダイアログ)】の(うちの)両方やらなくちゃならないということを、一生懸命言おうとしている。(西部:あぁそうか。)

ですから、『抑止』というのは何かといえば【力を蓄える】、これは、実際の物理的な力もそうだし、つまり海上保安庁海上自衛隊、それから制度の問題、それから憲法上の問題も含めてですね。そういうもので、《日本の力がある意味でちゃんと使えるようにしておくことはすごく大事》だと思うのですね。

でも同時に、それだけをやっていると戦争になる。で、中国によると「本当に戦争をしたいんですか?」と。戦争したいと思っている日本人はほとんどいないと思いますね私は。そうだったら、それを中国に【対話】によって伝える。そこからは・・・

しかも、相手(中国)は【核武装】してますからね、厄介なことに(笑)

そうですそうです、そうです。

その時に、万が一、その武力衝突が起きた時に、その武力衝突がどうやったら止まるかと言うと、【それは米軍の介入しかない】んですね。ですから、対米関係は非常に重要。

対米関係は非常に重要だと認めますが、今ね、まさに焦眉の課題となっている、【集団的自衛権】の行使容認という憲法解釈の変更。《僕はそれ自体は全く結構なこと》でOKなんだけど、ただ、その【やり方】がですね、「アメリカに協力しましょう」と言っておけば、それ用の準備をしておけば、アメリカが尖閣をめぐってね、我々の期待通りに実力・武力をもって万が一の場合ですけどもね、「衝突が起こった時に助けてくれるハズだ」と。

逆に言うと、『それをしないと、集団的自衛権を容認しておかないと、アメリカから見捨てられる』という話で議論が進んでいる。(東郷:あ〜あ。)

でもね、例えばですけども、アメリカだってアメリカの事情があるんですから、こんな遠いアジアのためにアメリカの青年が実際に血を流すなんてことは、滅多なことじゃ起こるめえ、というようなことを考えた時に、第一歩は、日本がある一定期間かもしれないが、単独ででも死力を尽くして、もっと言うと、『日本に手を出したら、相当に相手も深手を負うぜ』ということを、【日本自身の努力】でやっている、そういう国だけが辛うじて、友好国・関連国から助けられるのであって、(東郷:そうですね。)最初から「助けて下さい」と言っているような国は(東郷:いやもちろん。)大概見捨てられるね(笑)

これはね、万が一、その『戦争』状態に繋がったときに、【まず自分たちがやる!】というのが不可欠ですよね。(西部:そうですよね。)不可欠です。

ただ、もし本当に中国とそういう事態が起きた時に、『中国はじゃあどこで止まるか?』と、(西部:そういうことですよね。)いうことになった時には、やっぱりアメリカが。

後ろに『アメリカがいる』ということにしないと、なかなか止まらないってね。

いやそういう意味じゃね、今のいろんな議論が、一つ一つこう、大人と歴史の知恵でもって、一つ一つ仕分けさせられ、積み重ねられているというふうに進んでいないのが、残念なところなんですね。

それで、得てして『アメリカ無くして、日本は存立できない』という非常に【対米依存心】が丸出しにされたり、あるいは今度は【対米恐怖感】で、『こんなことやったら、アメリカがやるであろうデタラメな戦争に引き込まれるかもしれないか。じっとしているのが日本の平和のためだ』とかいうね、これまた【子供以下の議論】が、まだ先生は大学におられることが多いから、ご存知ないかもしれないけども、日本では毎日、その調子の話が続いている(笑)

まぁ、私はもともとこの集団的自衛権ないし、その日本の自衛に関する最小限主義というか、「本当の僅かなことしかやらないんだ」という考えは、冷戦が終わった時、この時ある意味で世界が「大激動」に入っていったわけですね。【その時に(集団的自衛権の容認を)やっておければよかった】ということだと思うんですね。

ですから、【25年前にやれなかったことのツケ】が今来ているように思う。思うのですけども、あの当時の頃の日本の雰囲気、それからその後の「911」の後の日本の雰囲気なんか見ますと、やっぱりね、少しずつ日本は変わりつつあると思うんですね。

それもそうですね。

だから、ここまで伸びてしまったのはまぁ、しょうがないなとは思うのですけども、ところでいま中国とここまで緊張している時にね、やるのは【いいタイミング】かと。これはね、悩ましいですね。

ということでですね、今週は時間が過ぎてしまいましたが、次の週は(東郷)先生、もうちょっと過去を振り返るような形で、かの【大東亜戦争】の敗北以来、間違ったというか、どんな歪んだ方向に、いわゆる【平和主義】という名で日本の軍事・外交が滑ってきたかということを、ちょっと過去を振り返る形で先生に論じていただくという形にさせていただきます。ご期待下さい。

➡︎[次回ゲスト]東郷和彦
外交における「法と力と徳」戦後日本の外交的失態