日本はロシアとどう付き合うべきか① 岩田昌征〔千葉大学名誉教授〕 木村三浩〔一水会代表〕 〜西部邁ゼミナール〜

日本はロシアとどう付き合うべきか① 岩田昌征〔千葉大学名誉教授〕 木村三浩一水会代表〕 〜西部邁ゼミナール〜


ゲスト
岩田昌征:千葉大学名誉教授、セルビア科学芸術院外国会員、経済学博士、著書『二〇世紀崩壊とユーゴスラヴィア戦争 -日本異論派の言立て』〔御茶の水書房〕ほか多数


木村三浩一水会代表

 


【ニコ動】
西部邁ゼミナール)日本はロシアとどう付き合うべきか【1】2016.12.03

http://sp.nicovideo.jp/watch/sm30157146?playlist_type=mylist&group_id=37360182&mylist_sort=6&ref=mylist_s6_p1_n225

 


今村有希
ロシアのプーチン大統領が来日し、安倍総理のお膝元である山口で会談することになりました。ロシアと日本の間には、戦後70年以上に渡り、平和条約が結ばれておらず、北方領土の返還の問題など横たわっています。


先のアメリカ大統領選では、トランプ政権の誕生が決まりましたが、何故、日本の防衛にカネを出さなければならないのかと主張している上、アメリカ人の雇用を失うとしてTPP反対を明言しています。イギリスのEU離脱に見られるように、各国が “保護主義” へと傾きつつあり、政治・経済・外交・軍事といま世界は大きな曲がり角に来ています。


中国の海洋進出や北朝鮮核武装など、近隣諸国との関係もあり、日本が米中露との外交をいかに展開させていくのかが問われています。そこで、今回から3回に渡り、「日本はロシアとどう付き合うべきか」というテーマで論じて頂きます。


ゲストをご紹介します。長い間、旧ユーゴスラビアを旅しながら他民族戦争を研究されてきました、千葉大学名誉教授の岩田昌征先生です。岩田先生はこちらの『二〇世紀崩壊とユーゴスラヴィア戦争』(御茶の水書房)という書物を上梓されております。


もう一方は、いわゆる「クリミア危機」以来、現地に入り民間外交として精力的に活動されております、一水会代表の木村三浩先生です。それでは早速、宜しくお願い致します。


西部邁
岩田先生はね、


今村有希
はい


西部邁
僕とほぼ同級生なの大学で。


岩田昌征
(頷く)


今村有希
はい。


西部邁
僕が(学生時代に)ある組織を持ってたのだけども、その協会近くまで出てきてさり気なく応援してくれるのだが・・・決して、協会には会いに来ないというね、なかなかね、賢明な方なの。


岩田昌征
(笑)


今村有希
はい(笑)


西部邁
で、一度お宅に随分後に訪れたことがあって、奥様がね、ユーゴスラヴィア人と言っていいの?


岩田昌征
そうそう(笑)


西部邁
正確に?


岩田昌征
えぇ。


西部邁
奥様がね、お亡くなりになられたようですけどね、


今村有希
はい


西部邁
先ほど(旧ユーゴを)旅してなんて言ってたけどね、


今村有希
はい


西部邁
向こうに長い間、お住まいになって、ユーゴ人を奥様にして日本に帰られたと。何故、今日来て頂いたかと言うと、スラブ民族ってありますでしょう。


今村有希
はい


西部邁
ユーゴスラヴィア、バルカン辺り全部そうなんだけど、そうやってそしてロシアにまで(スラブ人は)居るわけですよ。


今村有希
はい。


西部邁
それでね、木村先生はね、何回もクリミアだ、ロシアだで動いているけどもね、


今村有希
はい


西部邁
南スラブから上の北スラブを見た時に、一体それはロシア人にはどのように見えていたのか、岩田先生を通じて紹介してもらいながら、来たるべき日露関係に入りたいと。

[*ユーゴスラヴィアは “南スラブ人の国” という意味、パルチザン勢力の指導者チトーにより独立する ]


今村有希
はい。


西部邁
ぼく最初に聞きたいんだけどね、僕は新聞報道しか知らないんだけどね、ユーゴが解体するでしょう、チトー(ヨシップ・ブロズ・ティトー’旧ユーゴ人民共和国初代首相、終身大統領)がユーゴスラヴィア共産主義者同盟ですか、


岩田昌征
うん


西部邁
それが解体してね、セルビアクロアチア


木村三浩
アルバニア


西部邁
アルバニア


岩田昌征
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ


西部邁
あそこは回教ですけどね、そういうふうに分解して凄まじい戦いが起こって、

[*ユーゴスラヴィア:南スラヴ人中心の他民族国家、ティトーの死後に民族対立により1991年分離独立 ]


西部邁
それにヨーロッパが介入して、主としてセルビアをやっつけるべく爆弾を落としまくると、


岩田昌征
(頷く)


西部邁
そういう経緯があって、その時にどんな気持ちでおられた?貴方の第二の故郷。フッフッフッ(笑)


岩田昌征
そうですねぇ・・・気持ちを語るよりも前に、もう少し前に遡ってですね、ブレジンスキーという


西部邁
あぁ〜


岩田昌征
アメリカの戦略家(ズビグニュー・ブレジンスキー)がいますよね。そのアメリカの戦略家がですね、


西部邁
うん


岩田昌征
1978年、8月の13日から19日まで、世界社会学者大会というのがスウェーデンのウプサラ(※スウェーデンの学園都市)で開かれたんです。


木村三浩
うん


岩田昌征
社会学者大会。5000人ぐらい世界から集まって、リーダーシップを取るのはアメリカ人の社会学者。

[*社会学者大会〔1978年〕 スウェーデン・ウプサラ、ブレジンスキーが東欧とバルカン外交で情報戦展開 ]


西部邁
うん


岩田昌征
そこでですね、このブレジンスキーがウプサラにとりましてね、そのウプサラのホテルでその大会の指導者であるアメリカの社会学者を何十人か集めて、自分達の対東ヨーロッパ・対バルカン外交に関するスピーチをしたんです。


西部邁
お〜


岩田昌征
秘密のスピーチをした。


木村三浩
(うん)


岩田昌征
当時のユーゴスラヴィアの中の構成共和国のクロアチアの情報機関によって、ユーゴの大統領府に報告があがったわけ。


木村三浩
うん


岩田昌征
で、私はそれを読んだんですね。(報告書には)驚くべき事が書いてあるんですね。ユーゴに関係あるところだけ言いますとね、


西部邁
うん


岩田昌征
78年ですから、そろそろティトー(1892-1980年)が亡くなる可能性がある。ティトー以後を(ブレジンスキーは)見越して戦略を立てると。


木村三浩
うん


岩田昌征
で第一はですね、ソ連との関係において、ユーゴは言わばある種の対抗関係がありますから、

[*ティトーは大戦後にスターリンと対立しコミンフォルムから追放されている、後にフルシチョフとは和解。社会主義でありながら東西陣営どちらの立場も取らない独自中立路線のユーゴ ]


西部邁
うん


岩田昌征
ユーゴスラヴィアの首都のベオグラード(※現在はセルビアの首都)とモスクワの関係においては、アメリカはベオグラードを支援すると。しかし、ユーゴスラヴィア内部のベオグラードサラエヴォ(※現在はボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都)、ベオグラードクロアチアベオグラードリュブリャナ(※現在はスロベニアの首都)等々…そういう諸地方、諸民族との関係においては・・・ベオグラードではなくて “こちら” を支援すると。

[*米国はモスクワに対してはベオグラードを支援、ティトーの死後への取り組みブレジンスキー


西部邁
本当?!


岩田昌征
何故かというと、“ナショナリズム共産主義の天敵である!” と。


木村三浩
(うんうん)


岩田昌征
ユーゴスラヴィアナショナリズムとモスクワの関係ではこっちを支援して、この内部ではこっちを支援すると。


西部邁
要するに、共産主義を潰せ!という。


岩田昌征
潰すというそういう方向だった。

[*米国のユーゴスラヴィア戦略、共産主義を潰すこと ]


岩田昌征
それから、今までユーゴスラヴィアに関しては、ポーランドだとかソ連とかよりは甘い態度を取ってきたけども、もうこれからはそうは取らないよと。


西部邁
うん。


岩田昌征
ソ連や或いはポーランドの知識人に対する支援と同じような支援をユーゴスラヴィア国内の知識人に対してもしますよと。


西部邁
うん


岩田昌征
そのためにはですね、別に Anti-Communist(アンチ・コミュニスト)である必要はなくて、トラクチス学派のようなモダンな哲学者たちを支援しますよと。

 

西部邁
うん


岩田昌征
さらにね、ロンドンの銀行家たちはユーゴスラヴィアに70年代ずいぶん貸しちゃったと。そろそろ返してもらわないといけないと思っているけれども、我々は “貸し続けるように” 説得すると。何故かと・・・


木村三浩
(うん)


岩田昌征
借金、債務の重荷はやがて十何年経ったならば、必ず政治経済的に返ってくるんだと(笑)

[*ロンドン銀行家が貸した金、債務は政治経済で返る ]


西部邁
うん(笑)


岩田昌征
短期的な利益ではなくて、そういうことを考える。・・・ということをちゃんともうあの時(ブレジンスキーは)言ってる。


西部邁
スゴイねぇ。


岩田昌征
それが一応、まぁ実現していると言えば、まぁ実現している。


木村三浩
(うん)


西部邁
偶然だけどさ、丁度この頃ブレジンスキーがさ、日本についてね、1冊の書物の中で、『日本はアメリカの protectorate(プロテクトレイト)』・・・つまり保護領であると、言った頃、

[*日本はアメリカのプロテクトレート保護領である:ブレジンスキー〔米国・政治学者〕 ]


岩田昌征
同じ頃です。


西部邁
だねぇ


岩田昌征
そう(笑)


西部邁
だからアメリカはねぇ、全世界規模で何処を掘るようにするか、何処をどう動かすかって計算やってるってことなのよ。


岩田昌征
ちゃんとやってるんですよ。そしてとにかくそういう効力が発揮されて、そして1990年、91年、ユーゴスラヴィアが崩壊過程に入りますね。そこでですね、ヨーロッパの歴史というか、伝統的な宗教的な文明的な違いを前提に置かなきゃならない。それはユーゴスラヴィアという国は、カトリックの地域はスロベニアクロアチア


木村三浩
うん


岩田昌征
それから聖教のモンテネグロとかセルビアを中心にした地域。それからボスニア・ヘルツェゴヴィナのようなイスラムが強い地域と言わば “三文明” が競っている。それを言わばティトーさんがこう統合していたわけです。

[*カトリック・聖教・イスラムの地域の三文明、民族、文化。宗教の違いをティトーが統合する ]


西部邁
よくまぁやったねぇ(笑)


岩田昌征
よくやったもんですけどね。


西部邁
でもティトー自身はクロアチア人。


岩田昌征
クロアチア人です。お母さんがスロベニア人でお父さんがクロアチア人。


西部邁
あぁ〜そういうことか。


岩田昌征
そういうふうにまとまっていた時にですね、内部矛盾が起きる時に、やっぱり凄いんですねぇ。オーストリア=ハンガリー帝国スロベニアクロアチアを言わば長い間支配していた。それで、第一次世界大戦の結果、それがもぎ取られるわけですね。


西部邁
うん。


岩田昌征
宗主国として、その宗主国の意識がですね、やっぱりキチンとあるんですよ。


西部邁
うん


岩田昌征
それでですね、1990年、91年ですけども、オーストリーのモック外相(※アロイス・モック外相、オーストリア国民党代表:当時)は、ユーゴスラヴィアから分離独立をしたがっているスロベニア外務大臣をですね、1991年の6月の19日かそのくらいに、この全欧安保協力会議というのがあったんですけど、


西部邁
うん


岩田昌征
そこにですよ!まだ(ユーゴから)独立もしていない1地域の対外折衝薬の人をですね、オーストリー代表団の一員に加えて(笑)その全欧安保・・・


西部邁
ちょっとさ、物知り博士にさ、途中で何でも聞かなきゃいけなくなるんだけど、スロベニアクロアチアの違いは何なんだ。


西部・今村
(笑)


岩田昌征
あっ、スロベニアクロアチアは、スロベニアオーストリーが直接。


西部邁
あぁ〜。


岩田昌征
クロアチアハンガリーですね。

[*スロヴェニアはオーストリア領、クロアティアはハンガリー領とされていた ]

 

西部邁
ハンガリー


岩田昌征
それでオーストリーハンガリーが一緒なわけで。(かつてのオーストリア=ハンガリー帝国


西部邁
うん。


岩田昌征
とにかく、まだ独立国じゃない国のある独立国の独立派の人達を自分の国際代表団に入れて、国際会議に出席させるような荒技をするわけです。


西部邁
そうか。


岩田昌征
と同時に、このハンガリーの方はですね、クロアチアが(ユーゴから)独立したがっています。


西部邁
うん


岩田昌征
そうすると、ハンガリーが民主政権、市民主義の政権になった途端に武器援助をするわけです。


西部邁
うん


岩田昌征
そういうことが平気で出来るんですね。


西部邁
そうね、本当に複雑で、第二次大戦中ね、


今村有希
はい


西部邁
要するに、まぁヨーロッパ、東ヨーロッパではドイツ・ナチズムが猛威を振るうわけでしょう。オーストリアも併合しちゃう。で、実はクロアチアはナチ側に付いたんだよね?


岩田昌征
そうですね。


西部邁
セルビアとぶつかって、(クロアチアは)セルビア人を20万30万殺しちゃうと。その恨みがセルビア側にはあるわけですよ。

[*ヒトラー政権に付いたクロアティアはセルビア人を20万30万人大量殺戮といわれる ]


岩田昌征
ある。


西部邁
ユーゴスラヴィアの解体の時には、セルビアの中には “それに対する復讐心” もあるわけ当然ね。


今村有希
(頷く)


西部邁
それで一層戦いが激化するというね。


岩田昌征
じゃあロシアは、ということになるのだけど、その頃はエリツィン政権ですね。


西部邁
エリツィンだねぇ。


岩田昌征
そう。90年代の。


西部邁
あの情けない、酔っ払いのエリツィンだ。


今村有希
(笑)


岩田昌征
それでゴズイレフ(アンドレイ・コズイレフ)というのは外相だったんだけど、


木村三浩
えぇ。


岩田昌征
コズイレフさんは、セルビア人の方の親分にあたるわけですよね、宗教も同じで。

[*アンドレイ・コズイレフ〔エリツィン政権外相〕 セルビア人の親分にあたる ]


西部邁
あぁ〜


岩田昌征
第一次世界大戦だって、このセルビアのために参戦したようなもんですからロシアは。


西部邁
ほとんどあれですか、セルビア正教ロシア正教はほとんど同じ?


岩田昌征
ほとんど同じというか独立しているけども、同じ正教で仲はいい。


西部邁
なるほどね。


岩田昌征
ところがね、エリツィン政権の時代には本当にセルビアには冷たかった。モックさん(※オーストリア外相 アロイス・モック)があれほど頑張ってね、こちらのために。ハンガリーもそうなんだけど、


西部邁
うん


岩田昌征
セルビアの方の大親分であるハズのロシアはですね、そこではですね、何もしなかったんですよ。


西部邁
うん。そこでだちょっと、司会者として。民間の対ロシア外交の先頭に立って頑張っている。高く評価するんだけど、何も知らないからね。チェチェンという国があったでしょう。


今村有希
はい


西部邁
アルバニア人が多いのかな、丁度ね、ロシアの石油なり天然ガスのパイプラインが通るところだということがあって、人口はせいぜい100万ぐらいでしょう?


木村三浩
100万ぐらいですねぇ。


西部邁
それが独立しようとした時にさ、ロシアが徹底的に殲滅するわけ。

[*チェチェン〔人口100万人〕 独立しようとした時にロシアが徹底的に殲滅 ]


西部邁
結論言うと、(人口の)3分の1は殺され、


今村有希
はい


西部邁
3分の1は外国に亡命し、残り3分の1は廃墟の中で暮らしていると。


今村有希
うん。


西部邁
もっとすごいことにさ、丁度似たような時期にアメリカが実はイラクをやるわけですよ。


木村三浩
(うんうん)


西部邁
それで米露の間にね、お互い・・・簡単に言うとアメリカ、「俺はイラクをやるからロシア、お前はチェチェンやっていいぞ!お互い文句は言わないでおこうな」と。

[*アメリカが “俺はイラクをやる” と攻撃、ロシアによるチェチェン攻撃が強まる ]


木村三浩
(うん)


西部邁
案外、あなたの好きなロシアも結構ヒドいことやっているんだよ(笑)


一同
(笑)


木村三浩
いやぁまぁね、そういう見方も成り立つですけど(笑)


西部邁
エヘッヘー、そうだね(笑)


木村三浩
ソ連邦が崩壊してね、今のチェチェンは(南北を隔てるカフカス山脈を境に)北カフカスコーカサス)に位置するんですね。


西部邁
あぁ〜そうか。


木村三浩
今はジョージア(※グルジア)と言いますけど、ジョージアがあってちょっと行くとそのウクライナがあって、


西部邁
あぁ〜


木村三浩
ここにチェチェンとかイングーシ(※西に北オセチア、東にチェチェンとの間)、パキスタンとかいろいろあるわけです。ところがね、ひとつ考えなきゃならないのはね、チェチェン独立運動を裏で支援してる人がいたんですよ。


西部邁
おぉ〜


木村三浩
でそれはやっぱり西側の方だと思いますよ、ソ連邦崩壊と共に


西部邁
なるほどね、うん。


木村三浩
で、チェチェンの独立を煽って、それで(ロシアと)戦わさせたと。


西部邁
うん


木村三浩
その一方はこっち側でね、アメリカはイラクに対して攻撃するというね、2つやってると思いますね。

[*チェチェンの独立を煽りながら、一方でイラク攻撃を仕掛けるアメリカ ]


岩田昌征
イラクの前にね・・・


木村三浩
その前はセルビアがあります。

 

岩田昌征
うん、セルビアが(米軍に)空爆。で、第二次世界大戦でヨーロッパであれほど大規模な戦争があって空爆が起きたというのはあそこ(セルビア)が初めてなんですよ。ソ連が盛んに悪い事した時代だって、


西部邁
うん


岩田昌征
あれほどやっていないんですよ。


西部邁
そうねぇ。


岩田昌征
あれだけの78日間に渡る大空爆ね。連日やってるわけですね。

[*セルビア空爆 1999年3月24日から78日間、NATO軍によるユーゴスラヴィア全域攻撃 / 注釈:NATOと言われるが多くが米軍機、米軍によるアライド・フォース作戦 ]


西部邁
いやそれね、ちょっと悪いんだけど、今村さんね、


今村有希
はい


西部邁
僕もあんまり知らないのよ。要するにボスニア・ヘルツェゴヴィナ


今村有希
はい


西部邁
宗教的にはムスリム、回教徒なんでしょうけどね、それとセルビアの間でこう、


今村有希
(うん)


西部邁
それに対してさ、要するに、セルビア側が大虐殺をやってると・・・(その)真実はよく分からない。お互いやっているんでしょうけどね、


今村有希
はい


西部邁
それでさセルビア側に肩入れして、ともかくNATO軍ということになるの、あれは?


岩田昌征
NATO軍です。


西部邁
ものすごい空爆でもって山ほどの、簡単に言えばセルビア人を殺すわけよ。


今村有希
うん。


西部邁
それで、日本人の新聞テレビはさ、何か西洋は正しくて、要するにセルビアは悪いと。


岩田昌征
うん


木村三浩
そうそうそう


西部邁
ボスニア・ヘルツェゴヴィナは可哀想という感情論だけで、あとの何の情報もないという。

[*日本のメディアは西欧が正しくセルビアが悪いと、ボスニア・ヘルツェゴヴィナへの感情だけ報じる ]


岩田昌征
そうですね。実はその前の空爆があって、それはね、1995年の8月31日から2週間、やっぱりアメリカ軍はちゃんとボスニアの “セルビア軍だけ” を攻撃しているんです。

[*ボスニア・ヘルツェゴヴィナ空爆〔1995年〕 ボスニアセルビア軍に対する攻撃 〕


西部邁
あぁ〜そう


岩田昌征
空爆しているちゃんと。僕はその空爆のすぐ近くまで行ったことがあるんですけど、


西部邁
あぁ〜そう


岩田昌征
どうしてそういうことになったかと。最初はね、ユーゴスラヴィアに介入したのはアメリカじゃないんですよ!東西冷戦でアメリカが勝ちますよね。


西部邁
うん


岩田昌征
ところが、ヨーロッパではね、主観的には冷戦の勝利者としてビジュアルに登場したのは “ドイツ” なんです。


西部邁
ドイツかぁ…


岩田昌征
ベルリンの壁の崩壊、統一ドイツの成立でしょう。そうするとなんかドイツ人が舞い上がっちゃったんですね。

[*ヨーロッパの主観的には冷戦勝者としてのドイツ、ベルリンの壁崩壊、統一ドイツの成立 ]


木村三浩
うん。


岩田昌征
それと同時に、ドイツと親近のあるオーストリーも舞い上がるし、またはドイツに頼りにするバチカンも舞い上がる。


西部邁
うん


岩田昌征
そしてですね、ユーゴスラヴィアという正教とカトリックイスラムが合体したような “不自然な国家” は無くなった方が良いと。歴史的伝統的にカトリックの地域であったスロベニアクロアチアは独立した方がいいと。

[*ユーゴスラヴィアのように聖教とカトリックイスラムが合体の国家は無くなった方が良いと… ]


西部邁
もう半ば、5割か7割か知らんけど、宗教戦争だねぇ。


岩田昌征
そうそう、そうゆう。ところが、アメリカはね、ユーゴスラヴィアがCommunist(コミュニスト)の国から民主的統一国家になって自分達の方へ転がり込んでくればよろしいと。

[*ユーゴスラヴィアが Communist の国から民主的統一国家になり自分達のところへと米国 ]


西部邁
そうか。


岩田昌征
ところが、アメリカはこれは近代の国だから民主主義とか自由とか市民というカテゴリーで考えるけど、


西部邁
うん


岩田昌征
ヨーロッパは古い国々ですからね。


西部邁
そう。なるほどねぇ。


岩田昌征
(アメリカとは違いヨーロッパは)こういう “伝統的な境界線” でこっちに持ってきちゃおうというんで、盛んに工作したの。


西部邁
うん。


岩田昌征
ある独立国家を解体するとか、或いは、ある独立国家を幾つもつくりだすという、国際政治の最大問題でしょう?


西部邁
うん


岩田昌征
『その最大問題をね、アメリカが冷戦に勝ったその時から、そのイニシアティブをアメリカはヨーロッパで失っちゃったわけ!』


西部邁
そうねぇ。ということは、今村さんね、


今村有希
はい


西部邁
あのあたりはバルカンと言うのだけど、バルカンは昔から「火薬庫(ヨーロッパの火薬庫)」だと言われてたの。いろんな宗教・人種の入り混じりで。


今村有希
はい


西部邁
要するに、そういう詳しく複雑なこととを知っているのはヨーロッパ人で、アメ公さんはよく分からなかったってことなんだろうねぇ(笑)

[*「バルカンは火薬庫」民族、文化、宗教が絡み合うその複雑さがアメリカ人には分からなかった ]


今村有希
(笑)


岩田昌征
うん(笑)で、ところがね、このボスニア・ヘルツェゴヴィナまで、別にヨーロッパは欲しいとは最初は思わなかったのね。そしてボスニア・ヘルツェゴヴィナにこちらで独立するともちろんこちらも独立したいと。で、その時に戦争無しにね、このボスニア・ヘルツェゴヴィナというところは、クロアチア人もいればボスニア・ヘルツェゴヴィナムスリム人もいれば、セルビア人もいる。


西部邁
うん


岩田昌征
言わば、三民族言わば混住の地域ですからそこをどうするかと。


西部邁
うん


岩田昌征
で、その頃のドイツ主導のEC(※ヨーロッパ共同体:現在のEUの前身)はですね、別に戦争でもって(ユーゴを)分裂させようなんて考えていなかった。これは一生懸命努力して、ポルトガルの外交官のクティリェロ(※ジョゼ・クティリェロ)という人ですけど、1992年の3月段階にですね、三者の合意を取り付けて、リスボンでちゃんと署名までしているんです。


木村三浩
うん


岩田昌征
でその中で、ボスニアの人は不満だったわけです、このヨーロッパの案が。だけど署名したんです、駐ユーゴスラヴィアのアメリカ大使をやっていたティンバーマンという人がですね、ボスニア・ヘルツェゴヴィナイスラム人の親分のイゼトベコヴィッチに会って、その時にいろいろと不満を聞いて、「そんな不満だったら署名をやめちゃえばいいじゃないか。あれは最終的決定じゃないのだからやめちゃいなさいよ」というアドバイスをしちゃったんですよ!


木村三浩
(うん)


西部邁
あぁ〜


岩田昌征
そっから、戦争になっちゃった。


今村有希
うん。


西部邁
分かりました。あっという間にね、戦争が始まったところで、時間が終わっちゃったんでね。


木村三浩
終わっちゃった(笑)


西部邁
僕ね、実はひとり旅でワルシャワポーランドからずーっとで降りてユーゴスラヴィアまで来たことあるの。社会主義、僕別に嫌いじゃないよ。それどころか、今の資本主義の暴走と比べたらね、社会主義的な要素をしっかり埋め込んでいかないと、経済も社会も持たないと思ってるものだ。


岩田昌征
(頷く)


西部邁
けどしかしね、ユーゴスラヴィアベオグラードで店にタバコを買いに入ったの。時計見たら丁度12時だった。いい?ということはね、社会主義の勤労者の昼休みの時間なの。


岩田昌征
(笑)


西部邁
ウーーーン!!と怒ってるわけね、言葉わからない僕。


今村有希
ウフフフフ(笑)


西部邁
で、お釣りを小銭で僕の顔にぶつけたの。なんでお前が俺の休憩時間に邪魔をするんだ!!というね、そういうきおくしかないんだけどさ(笑)

[*ユーゴスラヴィア ベオグラードでのエピソード ]


岩田昌征
あぁ〜(笑)


西部邁
あぁいう時代。ユーゴだけがゲリラ戦でもって、自主的に独立してね、でみんなを集めてユーゴにして、それでロシア(ソ連)の衛星には入らないと。実は東ヨーロッパとは違うのね。


まぁいずれにしてもね、裏側から、ロシアの裏玄関がどうなっているかということを、1回目話して頂いて、


岩田昌征
そう。


今村有希
はい


西部邁
次の2回目には(木村を指して)いよいよ表玄関から入ってこうと(笑)

木村三浩
(笑)


今村有希
ウフフフフ(笑)

 

【次回予告】『ロシアとどう付き合うべきか』 ② ゲスト:岩田昌征〔千葉大学名誉教授〕 木村三浩一水会代表〕 〜西部邁ゼミナール〜