吾等七十歳、戦後七十年をいかに見る③ 〜「高度成長にのめりこむ大衆(mass)の醜悪さ」〜 ゲスト:黒鉄ヒロシ、辻原登、佐高信(西部邁ゼミナール)
吾等七十歳、戦後七十年をいかに見る③ 〜「高度成長にのめりこむ大衆(mass)の醜悪さ」〜(西部邁ゼミナール)
ゲスト
黒鉄ヒロシ:漫画家
辻原登:小説家
佐高信:評論家
アシスタント
今村有希:女優
【YouTube】
今村有希
そのお三人が、『戦後70年』をどう見るかをめぐって、すでに2週に渡って論じあってまいりました。
「戦後70年に不満はあるのか?」:佐高信
「押し寄せるアメリカニズム」:黒鉄ヒロシ
今村有希
今週はその3回目で、戦後にあって異常なまでに発達した『情報社会の功罪』を探っていただきます。では、宜しくお願い致します。
今週も宜しくお願いします。
高度成長というのはなんか、1955年ですから、皆さんが10歳の頃か。
[*「もはや戦後ではない」から始まった高度成長 ]
「もはや戦後ではない」と言われて。それから始まったらしいんですけど、社会の表に出てくるのは、さらに5、6年後ね。1961年、昭和35、6年あたりからなんですけど、三種の神器と言われたらもっと後ですけども、あれは、car(車)と、color television、それからcooler(冷房機)の「3C(三種の神器)」ね。
それをみんな欲しがって、僕もね、欲しがらなかったとは言わないけども、クーラーって涼しくていいなぁ〜と思いもするし(笑)そんな具合で、遅れてカラーテレビを買った時は、おぉ〜色がついているからテレビってのは白黒よりは見応えがあるなぁ〜と思ったことも確か。車はまだ運転はしていませんけども。
だから、無碍に否定はしないけど、そういうものへ向かって、日本人がうわぁーっと右肩上がりだかなんだか知らんけど、のめり込んでいく姿に対して、私は60年代の前半、巷の裏町を彷徨っていたせいもあるんですけどね、なんだろうと思って、日本人がどんどん上昇していく時に、自分ひとりはどんどん下降していくというね、それは勝手に自分が選んだ道ですけどね、それを下の方から見てるとですね、上の方でそういうふうにしている者に対するかなり僕は「深い軽蔑」があったことは確かなんです。
だから、高度成長の70年頃、「くたばれGNP!」と朝日がキャンペーン張って潰れた時も、ざまぁみやがれ!という気持ちがあったしね。あの時はみんな希望に燃えてどうのこうのって今時の戦後史を語っているエコノミストが多いですけどねぇ、僕はぜんぜんそうじゃなかった。
高度成長などというたかだか商品如きに、あそこまで入れあげたジャパニーズってのは、やっぱりジャップ(JAP)じゃねぇのかって気持ち。僕はそれからですね、ずっと技術話、情報話、商品話、金銭話はしないわけではないけども、熱中して語ったことはないなぁ・・・。
佐高さんどうなの?
そうですねぇ、ちょうど高度成長の端っこの方ですかねぇ、オリンピックが大学1年の時で、もちろんオリンピックには行かなかったですけども。東京で学生生活を始めたそれが、東京は水が出ないというあれだったですねぇ、すごく。高台のところで水が出ないっていうんで、すごく苦労した。
そうすると、その高度成長とか言われるものは、どっかだけをグッと引っ張り上げてやるもんだから、必ずどこかに歪みが出てくるものなんだなっていう、その恩恵にほとんど浴さなかった自分としては、そういう感じがして、だから、車はいまだに私は運転免許を持っていないし、そういう意味では主義として反高度成長じゃないんだけど、結果としての「アンチ高度成長」みたいな感じで生きてきたなぁとは思いますねぇ(笑)
その前の時代にはね、氷の冷蔵庫(氷冷)だったでしょう。氷を入れて(冷やす)、スイカの如きは井戸・・・
井戸井戸!
今村有希
(笑)
スイカを冷蔵庫に入れたらすっごい叱られて。次にテレビジョンが出る前はラジオだったでしょう?
ラジオラジオ。
それを全部過程を踏んでいるんで、急に「三種の〜」と言われても胡散臭さがある。それで物欲が見えるという、欠陥眼というか。 えぇ〜おっかしいなぁ、 要するに、みんなが金だ物だという時に、やっぱりまぁまぁ物語を作ったり読んだりする方が楽しいなぁ〜というのは感じてました、それはね。
例えば、スポーツってのがねぇ、変なもんだなぁというのがずーっと子供の頃からあれ変だなぁと。スポーツってあれやっぱり余計なことですけど、ヨーロッパの貴族が労働を奪ってやったって、そういうことを知らなかったんですよ。武道はわかるけど、それを取って付けたように、さぁみんなで体操しましょうというのが意味が分からんというのはずーっと今だに、スポーツがちょっと嫌いなのはそういうところですねぇ。
今村有希
野球とかサッカーは?
野球はゲームとして面白いんですよ。
[注*黒鉄さんは筋金入りの巨人ファンで知られていますw 今村さんは地雷を踏みましたねww ]
今村有希
あーそうか。
あれはスポーツじゃなくてギャンブルの対象にもなりますしね。
(隣で呆れ笑いw)
今村有希
勝ち負けが・・・あーはい(笑)
これご存知ですた、今村さん?
今村有希
はい?
知ったかぶりでいいんだけど、「S-port」(スポーツ)」ってこうなんですって。これ昔調べたら dis-port(ディス・ポルト)というのは、port(ポルト)というのは「振舞い」ね。dis(ディス)は否定語ですから「外れた」、つまり(dis-portで)「外れた振舞い」ね。「変な振舞い」。
今村有希
(笑)
だから、英語でs-portive(sportive:スポーティヴ)という形容詞で「ふざけた奴」って意味になるんですよねぇ。
一同
あぁ〜。
ぼくもちろんね、そこのところは微妙ですけどね、なんかでもこんなに多くの人が朝から晩までスポーツ、スポーツってのはふざけた人類だなって。これ日本人だけじゃないですけどね。
僕ね、北海道で帯広って東の街にいた時に、帯広の柏葉高校(はくようこうこう)が甲子園に行くかどうか。札幌の北海高校が帯広に来たんですよ。帯広人はみんな帯広の応援。僕はその頃、(札幌から)引っ越してきたばっかりで断固北海高校を応援して袋叩きに遭いそうになった。
一同
ワハハハハ(笑)
それで翌年札幌に帰ったら、また同じ高校が甲子園出場を巡って、今度は札幌で北海高校と柏葉高校。その時には僕は断固としてお客さんの柏葉高校を応援して、また袋叩きに遭いそうになって。
ワハハハハハ、スポーティヴな人ですねぇ(笑)
スポーティヴ(笑)
一同
(爆笑)
いやそんな話(笑)スポーツもありますね。確かにね、先ほど言った物質文明と同時に非常に一種のしかも「大衆のスポーツ」ですよね。mass-sport(マス・スポーツ)ね。
闘技場みたいでしょう?モノやら金やら・・・次は闘技場のようなものを提供して、スポーツにまみれろ!というなんか気配を感じて、野球もボクシングも好きなんですけど、好きなのはそこなんじゃないんだぞ!!ということですけどねぇ。
[*物質、技術、金銭に興奮、スポーティヴ(Sportive)な振舞い ]
あの青島幸男さん。この世の方じゃなかったんだけど、ある時、最近なんです。いやぁ〜偉大な人だったかもしれないなと思ったのは、あの方の作詞で「ホンダラだ〜」ってご存知?
うんうん。唯一知ってます。
ちょっと実演しますと、ホンダラだ〜ホンダラだ〜ホンダラホンダラホイホイっ♪ってね、あとはマネできないんだけど、あれ高度成長のど真ん中なんですね。
一同
あぁ〜。
恐らくあの人たちは感覚的にね、日本人が物質文明、技術・金銭文明にグゥーっと登っていく興奮している、スポーツも含めて、それに(対して)ね、「ホンダラ」って関西弁で「アホンダラ」って意味でしょう?
今村有希(関西出身)
ウフフ。
恐らくどっかね、「お前らアホンダラじゃないの?」って感覚をあの歌にしたんだと。それで植木等が歌ったんだと思うのね。
急に直木賞を獲りにいって、獲った途端に書かなくなっちゃったってあれは、獲ってみせたんでしょうね。
一同
あぁ〜。
獲れるぞって。
なるほど。
まぁ高度成長っていろいろ秘密があってねぇ、中曽根さん、あの中曽根さんじゃなくてね、仲宗根美樹いう歌手がいたんです。
一同
あぁ。病葉(わくらば)。
それがねぇ、「川は流れる」・・・?
[* https://m.youtube.com/watch?v=3O5zNfaC7kI (「川は流れる」仲宗根美樹 1961年) ]
一同
そうそう。
こんな歌詞なの。
病葉(わくらば)を 今日も浮かべて・・・・♪ (歌う)
「わくらば」って病気の葉ね。つまり高度成長にあるうちのど真ん中の歌ですよ。高度成長の裏側で、病葉のように朽ち果てていく人生の女性たち、それでも頑張っている女性たちってね。つまり『高度成長の裏側』を歌っているんですよねぇ。
あれから何十年も経つとね、みんな希望に燃えて、坂の上の雲を見てましたってことになってるけど、当時は、ホンダラだ〜とか言う人とか、病葉を歌っている人たちがいたという事ね(笑)
したらば高度成長と言っても、実際にその中を通ってきた人間にしてみると、我々で言えば、昭和39年に東京オリンピックがあって僕も大阪から上京したわけですけども、田舎から年齢に従って東京に近づいているんですね。中学2年生の時に和歌山市に。全部一人で。
あぁ。
で、高校の時に大阪に。それから大学に入るために東京に出ていく。そういう順を追って・・・
そうか・・・。
階段を登るわけじゃないけど、その間はずっと高度成長。そうすると、今から見ると、凝縮して突然いきなり新しい時代が来たとか、あるいは三種云々というけど、その中にいる時はあんまりそういう事を感じない。
そうなんでしょうねぇ。
ただごく自然に時代に順応しながら、どもそれを客観的に見ようとすると、それは本を読んだりとか、友達とどうこうしたりという、そういうまさに青春が同時に高度成長である。でもそれを「高度成長時代」と言われても、ぜんぜんあんまりピンとこない。そういうところはありますねぇ。
(うんうん)
いや、今のお話で僕ねぇ、『歴史は相当捏造される』なって事を、東京オリンピック時も、僕はその頃フラフラしてたせいもあるんですけど、僕自身がオリンピックが来るってことでexcitement(エキサイトメント)、興奮は何も無かったし、僕だけじゃなくって、多くの人が、オリンピックやるらしいよ、とりあえず見なくちゃなと。それで高速道路も出来るしね、新幹線も走るし、とりあえず乗ってみようかと。それからテレビも・・・。でもね、それほどみんな熱中してなかったのね。その証拠に、最後にマラソンがあるでしょう?あの時トップを切ってたアベベっているんですけど、たまたま僕はアルバイト先から戻ってきたら、そのビルの一階に喫茶店があって、アベベを映してて、サラリーマンたちがみんな見ていましたよ。でもね、その場には何の興奮もない、日本選手頑張れってあれもない、みんなボーっと見ているというねぇ。それが何十年か経つと、もう「高度成長、オリンピック、世紀の祭典」って形で、それでいま再び東京オリンピックで、えぇ?何とか競技場がどうのこうのって言ってますけど(笑)そんな風な興奮はどっかにあったのかもしれませんけどね・・・さほどじゃなかったですよ。
[*高度成長の表裏 象徴る東京五輪(1964年)]
一同
うんうん。
僕も佐高さんと一緒でオリンピックにぜんぜん行ってないし、万博も行ってないし、だから、そういうある種のセンスの人がいるわけですよ、昔からね。
うんうんうん。
うわぁーって行くセンスの人もいるわけで、それが恐らく末の方の人たちで・・・
そうか。
あの聖火ランナーの最終ランナーが我々同期生でしょう?
坂井さん。こないだ亡くなったんですよ。(坂井義則氏)
亡くなった。(聖火ランナー当時は)19歳の。だから、なんかあぁいうところに我々の年代の人ってのはかり出されるんだなぁって感じはしたんですね、最後の(聖火ランナー)。
そうか。
広島出身ですよね?
そうそうそう。
それで選ばれたんですよね。
あぁ、そうか。
そう。敗戦の年に生まれた人がこんなになったんですよ、みたいにして最後のランナーにされたっていう。
広島出身でね。
そういう妙なカラクリが全部分かっちゃって(笑)
分かっちゃう(笑)
円谷幸吉の方が印象的でしたねぇ。
あぁ。
美味しゅうございました。もう起きて走れませんって言うんで自殺するんですけど。
[*「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」 円谷幸吉 1940-1968 ]
僕はあれから、僕は味わっていないけども、軍国主義の切なさ、僕はもうこれ以上アメリカと戦えません、負けますというね(笑)なんかそういう軍国少年の果ての斃れていく姿を円谷幸吉・・・彼は自衛隊員だったってせいもありますけどね。
福島出身ですよね。
あぁ〜福島ね。
ですから僕は白虎隊を見たんですよ。
佐高・辻原
あぁ。
軍国少年じゃなくて、その前の・・・
その前か。
白虎隊のようなものが。
そうですよね。だから今日はここにね、薩摩と長州の出身者がいないからいいようなもののみたいなね(笑)
一同
ハッハッハッハ(笑)
僕ね、大阪万博で言うと本当ね、 こういう経験があるんですよ。電車に乗って座ってたら、混雑時間にサラリーマンが二人手すりに掴まってて、一人が、俺は大阪万博に行ってきたんだと言うんですよ。もう一人は、あれ各施設をパビリオンって言うんでしょう?それで、どのパビリオンが一番面白かったのか?って聞くでしょう。そしたらね、言ったやつが沈黙に入ったんですよ。
それでね、どのパビリオンが一番面白かったんだ?ってもう一度聞き直す。そしたら言い出しっぺがムッとして、とにかく俺は行ってきたんだよって!!
一同
(爆笑)
その会話が聞こえてきた時に、あぁそういうことなんだってね(笑)ともかく行ってきたってことが大事なことで。
えぇえぇえぇ(笑)
考えたら、オリンピックだって何だって、新幹線でもいいや。ともかく、新幹線に乗ったんだ、オリンピックに行ってみたんだ、とかさ、『何か新しい出来事に参加すること、それ自体に興奮する。』
[*新しいものに飛びつき興奮する mass(大衆)の醜悪さ ]
質問があるんですが、列に並ぶって、いまみんな並ぶでしょう?
うん。
子供の時に、確か、並ぶのは恥ずかしいって教わった記憶がねぇ。
そうだよねぇ。
しかも、それも喰いモノ如きに並ぶのは以ての外だっていう(笑)
今村有希
アハハハハ。
ところが、オリンピックにしろ何にしろ、並ぶでしょう、炎天下であろうが何であろうが。あれがまず抵抗があって並べないっていう。
ただ、大阪は並ばなかったですよ。ぼく高校の頃は大阪にいたんですけども。
あぁ〜大阪人は並ばない(笑)
並ばないのが当たり前。東京に来て、なんでこんなに並ぶんやってな感じで、気取るんやないで、みたいな感じはしましたけどね。
一同
あぁ。
ただ、ぼく小学校と中学校の時に修学旅行に行ったのだけど、内心、屈辱を感じていましたね。30人、50人、もっとかな。並んで歩くということ自体にね。そんな僕が、なんで学生運動でみんなを並ばせたかって不思議でしょうがないんだけど(笑)
一同
ワハハハハ(大爆笑)
並ばせるのはいいんじゃないですか、自分が並ぶんじゃないんだから、ねぇ(笑)
今村有希
フフフ(笑)
でもさっきスポーツでしょう?僕は子供の頃はいちばん一貫して野球ですよね。田舎の浜で6歳ぐらいから野球を始めてずーっと高校時代まで野球少年ですよね。別に上手いわけじゃないけど夢中でしたね。やっぱり、少年時代なんだったんだと言われたら、野球かなという感じがしますねぇ。これはやっぱりアメリカですかねぇ?そんな意識はあんまりないですからねぇ。
グローブはちゃんとありました?
グローブは最初は布ですよ。
ねぇ。ここ(手のひらの部分)だけ皮。
あとは豚皮。やっと、牛革、牛のを買ってもらって。
今ね、野球を観ていて一番腹立つのはね、ボールがちょっと泥になったら、一球一球すぐ換えるでしょう?
あぁ。
あれすごい腹立ちません?
今じゃないでしょうそれ。昔から(笑)
プロでしょう、それ(笑)
いや、プロだってさ(笑)そのなんで一球ずつ換えるんだってね。
今村有希
(笑)
ほんとそうね。一回こうワンバウンドしたりとかさ、チップしたようなボールって全部換えますねぇ。
そう、全部換える。いつからそういうふうになったんだという。
あれ昔は(観客に)くれてましたよね、サービスで。(観客席に向かって投げていた。)それから取り上げ始めたんですよ。
あぁそうですか。ただ、あれ必要なんですよね。あのボールが練習球になるんですよね。
あぁ。
ただ僕ね、野球でもサッカーでもいいけど、非常に不愉快なのは観客だね、あれ応援団?
良くないですねぇ。
簡単に言うと、僕ね、野球もサッカーもやったことなんか無きに等しいけど、あそこまで上達するには大変だと思うんですよ。
一同
うん。
よくもあんなことやるな、と思うぐらい大変なの(笑)
ハッハッハ(笑)
それをやったことも無い男女が何千何万と集まってさ、興奮してさ・・・あの風景ね、あれが嫌だね。
嫌ですね。特に野球の場合は、球音というのが聞こえないとゲームにならないんですよね。バットに当たる音とか、ボールがグラブに入る音というのはどんなに広いところでも聞こえるんですよね。ところが、いまの日本の応援風景なんて、太鼓を鳴らし、ラッパを鳴らし、それから歌を歌って、そういう、『野球の一番大事な音を消しちゃって(観客が)夢中になっているというのは本当にmass(大衆)の一番悪い(ところ。)』
その点で言えば、音楽に喧嘩を売る気はないけど、いわゆるなんて言うの、ライヴショーっての?たまに僕はテレビで30秒以上見れないけども、僕にとっては不気味でね。だけど、最初から場内の何千名がさ、『単に自分の興奮ぶりに興奮しているという』ね、歌を聴いてるわけでもなんでもない、ワーワーワーワーって薄気味悪いなぁ〜って思うね。
歌で一つだけ、ビートルズって個人的にあれはビックリしましたねぇ。
うん。あれは欠かせませんね。
あれはプレスリーでもないし、世界初の音楽って感じ。(佐高を見て)そういう感じは?
いや。北まで来なかったですね。
今村有希
(笑)
そんなことは無いでしょう(笑)
ワッハッハッハッハ(笑)
それ15、6(歳)でしょう?それでプレスリーがもうちょっと前で。
前ですね。プレスリーのショックもあるんですけど、ビートルズの比じゃなかったですねぇ。これは堅気じゃ生きられないと思ったぐらい凄かった。
あぁ。
ただビートルズの時に新聞でね、こういうのがあったんですよ。あの時のビートルズへの興奮ぶりを風刺したいという大人の新聞記者の思いでしょう。こんな小さな記事でね、5人も10人もの少女たちが、興奮のあまりようするに会場でオシッコを漏らすわけさ。それを記事にするのね。あれは、ビートルズ興奮に対するその当時の大人たちの風刺なんでしょうけどね。
本当にロンドンでも失禁し・・・
あぁ。
アメリカでも失禁したので、如何に隔絶した音楽だったかということだろうと思う。
あぁ、そうかもしれないけどね、うん。
で、黒鉄さんも失禁した?
今村有希
(笑)
するわけないでしょうそんなの。佐高さんじゃあるまいし(笑)
ワッハハハハハハ(笑)
でもさ、僕の持論の一つだけどね、マス(mass)、マスって「大量」って意味ですけどね。あの大量ってのは、僕あの「団塊の世代」って言葉は堺屋太一さんが作ったんだけど、『あれは間違え』だと思うんですよ、日本語の言葉として。
つまり「団塊」というと、団子の団、塊はかたまりでしょう。そうすると、皆さんの世代の数年後
から団塊世代、3年後ぐらいまで、みんな固まっているように見えるでしょう?でもあの人たち何にも固まっていない、帯状にはいるけども、一粒一粒はバラバラで・・・
一同
あぁ。
だから、砂山とか小麦の山にたとえられるべきジェネレーションで。だから砂山が一番いいのかな。砂山ってのは風が吹くと、一晩風が吹くと形が変わりますからね、バランバランになるでしょう。恐らくね、ぼくそういうのは野球場でもライヴ場でもどこでもここでも、そういう意味でのバラバラの粒たちの大量の集まりね、それですぐバラけちゃう、すぐ姿を変えちゃうという。皆さんのすぐ後の世代ね。
[*「団塊の世代」とは、風で形が変わる大量の砂粒 ]
一同
うん。
日本のマス(mass)では無かったですよね。これは、何を言いたいのかというと『武士道』
あぁ。
あぁいうのが武士道で、変だっちゃ変なんだけど、これがずっと日本人の背骨に通っていたからこそよかったけど、敗戦によってガラスも抜かれちゃって、もういっかい砂に戻ったって言うんですかねぇ。それがあの並ぶ行為であったり、オリンピックでキャーキャー、おい行ったか見たか?という、えーっ?っていう(笑)
だから、古い氷の冷蔵庫を知ってる奴らは、スイカを川で冷やした奴らは、おっかしいことするなぁと思いますけどねぇ。
最後の週は、今後日本社会がどうなるかについて、皆さんのあれだ、洞察を引き継ぐということで。