「現代の教育を問う 」② -高校生への道徳系譜学の在り方- ゲスト:下村博文、西田昌司 〜西部邁ゼミナール〜
下村博文 自由民主党 衆議院議員、文科相、教育再生担当相、東京オリンピック・パラリンピック担当相など歴任、現在、自由民主党総裁特別補佐兼特命担当副幹事長、近著『世界を照らす日本のこころ』(IBCパブリッシング)
西田昌司 自由民主党 参議院議員、参議院自民党国会対策委員長代理、参議院法務委員会筆頭理事を務める、Web『週刊西田Satellite』 http://www.shukannishida.jp/top.html
【ニコ動】
(西部邁ゼミナール)「現代の教育を問う」【2】2016.03.13
今村有希
時代が危機に突入していく中で、日本の国柄を保つためには『活力』が必要です。その源泉は【徳育】、つまり『国民の歴史的な習俗・習慣を踏まえた道徳』にあります。
そこで今回は『高校生への道徳系譜学の在り方』について論じて頂きます。日本のこころによって世界を照らす教育外交を掲げる下村先生と、日本に伝わる価値観を取り戻せと主張する西田先生が、国家の源たる人材を育てる上でもっとも重要な『やる気』について存分に論じて頂けるかと存じます。それでは宜しくお願い致します。
下村・西田
宜しくお願いします。
大雑把に言うと、小学校では採点のことよりも、ものの考え方として『国語教育』を一番ベースを、教科の体系の中で。中学校では採点のあれは別として『歴史教育』をベースに据えると。
[*小学校では国語教育、中学校では歴史をベースに ]
で、高校まで来ますと、これは特定の価値観を洗脳するわけにはいきませんので、それこそお釈迦様以来、孔子でもプラトンでもいいんですが、人類が価値観をめぐって、どういう系譜があるのかと。日本の子供たちに、“価値観について考える歴史の流れのようなもの”をそれを仮に『道徳系譜学』とするとなら、キリスト教がある、イスラムがある、仏教がある、どうのこうのというようなことを、それを頭に入れさせるというね。それがベースになるんじゃないかなぁという。
[*価値観について考える、歴史の流れ道徳的系譜学 ]
今の国語とかそれから歴史とか、高校で言うと、いま仰ったのは『倫理社会』とかまぁそういう教科になるのかもしれませんけども、これをもっと魅力的なものにするべきだと私は思う。
あぁ〜いいですねぇ。
そういう美しい日本語を教えてるんだそうです。たぶんそのことを(西部は)仰ってるんじゃないかと思うんですよね。
そうですよね、えぇ。
ですから、国語は国語で大切なんですが、日本の美しい言葉をキシッと小学生の時に教えるという意味では、今の国語の教科書だけじゃ不十分だろうし、歴史というのも、まぁ逆に『近現代史』、そのなぜ歴史を学ぶのかといえば、現代をそれからこれからの未来を思考するために、過去の人達の出来事を学ぶという意味では、縄文時代弥生からというんじゃなくて、その時代を逆に遡って教えるというような視点と、これから始めるんですけど、近現代史は「日本史」とそれから「世界史」を別々に教えるのではなく、一緒に教えると。
[*現代を思考するための歴史、過去の人達の出来事を学ぶ ]
うん。
あぁ〜。
(近現代の日本史と世界史を)関連させないと、知的好奇心にも繋がりませんしね。
[*日本史と世界史を関連させ知的好奇心につなげる ]
そうですね。
それから後は高校の倫理というのも、もうちょっと魅力的な、それが古典的なイエスキリストがどういう人だとか、プラトンがどう言ったとかいうような哲学者なり聖人の人達の言葉だけでなく、やっぱりこう現代にフィードバック出来るような形で、子供にとってそれがただの知識だけでなく『生きる力』にも繋がっていくようなことを額面体系としてつけたら、日本の学校教育というのはもっと面白くなるんじゃないかと思いますね。
[*知識だけでなく生きる力に学問体系をつける ]
うん。
仰っる通りで、知ったかぶりで言いますとね、イタリアに【ベネデット・クローチェ】という人がいて、『全ての歴史は現代史である』と。
[*「全ての歴史は現代史である」ベネデット・クローチェ(Benedetto Croce、1866年2月25日 - 1952年11月20日)は、イタリアの哲学者・歴史学者。ヘーゲル哲学と生の哲学を結びつけ、イタリア精神界に大きな影響を与えた。 / ベネデット・クローチェは「すべての歴史は現代史」であるといった。過去の歴史への考察も、現代を生きる者の感性と認識のパースペクティブによって左右されるということだ。さらにいえばそれは歴史を正しく知ることで、現代をよく生きるという意味でもあろう。(参考ウェブ:http://www.tsukurukai.com/fumikara/fumi2311.html ) ]
うん。
その意味は、現代をどう見るかという主たる関心から、それを見るために実は明治はどうだったか、江戸はというふうに、現代に対する関心というものが無いような単なる知識としての歴史なんてのは、糞の役にも立たないと。
うん、そうなんですよね。
クローチェが言ったのはそういうことなんですけどね。いま(下村)先生が仰ったことも同じことですよね。
そうか、そういう提案をなされているんですか、今は?
そうです、はい。
大したもんですねぇ・・・(笑)
一同
(笑)
ただ、その教科書を書ける学者ってのが、結構限られるんですよ(笑)
むかしの(西部)先生が『国民の道徳』でしたっけ?大きな本を書かれましたでしょう。
あぁ〜。
はい。
あぁいうのを1冊を体系的に勉強したら面白いでしょうね。
そうですね。
それから日本の場合、不思議な立地条件にあって、いろんなものが流れ込んできましたでしょう、数千年の歴史の中で。すると日本人の持ってる力、ちょっと飛びますけど結論で言いますと、何かいろんな異なったものを総合的に連関付ける、そういう能力において相当優れているんですよね。
[*異なるものを連関づける総合する力に優れた日本人 ]
下村・西田
うん。
宗教で言えば、イスラム教からキリスト教からというんじゃなくて、イスラムとキリストはどういう関係にあるかとかね、その他仏教でも儒教でもいいのだけど、なんかそういう繋がりを『総合』というのかな、恐らく日本人が世界に打って出る本当のパワーがあるとしたら、そういう『総合する力』だと思うんですね。
そうですね。だから下村先生が仰ったのに私も全く賛成なんですが、
はい。
でも、何で今のこの日本はあるのか、というのを考えました時に、絶対的に『あの占領時代の話の整理』をしなければなりませんよね。
そうでしょうね。
そしたら、それじゃあの戦争は何でなったのか、というこう振り返りがあるんですけども、実はその占領時代の整理は全くしていないんですよね。これは占領中につくられた事を考えることすら占領中は許されませんでしたから、まぁ憲法も然りですけども、歴史観そのものについてもそうですけども、それがそのまま整理できないまま、この戦後の日本にずっとどかっと形づくっていますんで、これがやっぱりタブーで、そこをやっぱり打ち破っていく、安倍総理の仰った『戦後レジーム』からの脱却というのはそこにあると思うんですけども。
うん、それでね、それを「戦後教育がどうだったか?」ということを議論する時に、元の日本を貫く考え方として、これはぜひ西部先生にお聞きしたいんですけどね、お正月に西郷隆盛の本を読んでいた時に、その中の詩の中の一節にね・・・『その国家の根源は財政でも軍事でもなく、そこの国民の颯爽たる士魂にあり』と。その「士(サムライ)の魂」、士魂にあると。
[*「財政、軍事力でなく国民が持つ颯爽とした士魂にある」 西郷隆盛国家観 ]
うん。
だから、その国家が爽やかにこれからも発展できるかどうかというのは、まさに【国民の持っている士魂】にあり、というのを西郷隆盛が言っているんですよ。それが時代を貫く日本の根本的なもの、国家の、それぞれの国の国柄の中にあるけども、日本は西郷隆盛がそれを【士魂】という言い方をしたんですよね。
その貫くものがあった時に、戦前とか戦後を超えた日本のアイデンティティーと言いますか、子供達にもこれこそが日本の根本的な魂の部分だと、精神の部分だということを伝えていくことによってね、結果的にその戦後教育も脱却できると思うんですけど・・・(西部)先生は、どんなふうにお考えになりますか?
[*時代貫く日本国家の根本が戦後教育の脱却へつながる ]
まぁねぇ・・・武士道・・・もう既に新渡戸稲造たちが『武士道』書いた時には序文でね、『武士道はもう廃れておる』と。
[*「武士道」新渡戸稲造 1900(明治33)年 ]
うん。
自分はもう滅びつつあるものについて書いておるんだと。あれも115年前ですからね。あれから1世紀以上ですからね。
あとこういうふうに言った人がいるんですよ・・・
『勇気とは何か、勇気とは生き延びようとすると努力である』(*Gilbert Keith Chesterton:英・思想家)
うん。
『本当の勇気とは何か、死んで見せようとする覚悟である』(*Gilbert Keith Chesterton)
そうですね。
ある意味で矛盾ですよね。生き延びるために死んで見せようというね。僕ね、簡単な言葉で言えないなぁと思うのは、人間存在とか、国家も含めてですけどね、何かこうAだからBだ、というふうにいかずにね・・・
うんうん。
『ロシア討つべし!!』
うん。
『大陸に覇を唱えるべし!!』
西部・西田
『滅びを覚悟で戦う!!』
うん。
でも士魂がなんであるか示す為に、集まった青年たちに担がれて、やってみせるというね。でも、魂だけは自分が死んでも残るだろうというね。
うん、素晴らしいですね。もうぜひ(自民)党の幹部に言って頂きたい。
一同
(笑)
いや、私も全く同感でしてね、私はほとんど毎日、靖國神社に御参りしてから国会に行っているんですけどね、
へぇ〜。
そうすると、あそこで天皇陛下、または皇室のこの御製(ぎょせい)があったりですね、それから英霊の言乃葉が毎日変わって掲げられているんですけどね、これは何年も何年も毎日毎日行っていますとね、なんかやっぱり感じ入るものがあって、で、結局何かというと、あの戦争で、特に英霊はですね、お父さん、お母さん、弟、妹、家族に対して遺書を書いているんですよ。あとは頼んだ、という話。で、この自分たちの命は有限だけども、日本の国というのは無限で、自分たちの家族も含めてですね、ずーっと悠久の時間があって、私はこの今の一瞬の務めだけ果たして、後は(後世に)託して逝っていくというね。
それを結局、西郷だってそうですしね、そういうふうにみんなやってきたわけです。そこがちょっとある種のタブーになったりね、もっと言えば、勝ち負け論、どっちが得か損か、損得論になったりしてね。
たとえば憲法前文第2項で、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」する。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、ところが何だ!何だ!と文句つけているけども。問題は「安全と生存」というね、それが本当の第一価値なのか?と考えたらですよ・・・
仰るとおりですね。
強い方に巻かれた方が安全に生存できる可能性あるんですよね。
うん。
そしたら、安全と生存よりか「上の価値」として、何にしましょうか・・・自立と自尊でもいいですけどもね、
下村・西田
(うんうん)
ですから、ひょっとしたらね、こういうところに至るまで、安全と生存の前に『自立と自尊』『独立と自尊』が大事である。士魂というのはそういうことですよね。
[*自立と自尊、独立と自尊、士魂の持つ意味 ]
そうですねぇ。憲法改正について、いわゆる知識人と言われる人たちが反対が多いでしょう?
えぇ。
わからないんですよ。つまりね、たとえば「戦争法案」とか言われて実際的にそうじゃないし、憲法改正して戦争をし易い国になんて、ぜんぜんそんなわけないです。ただ、時代の変化に対応して、その法律の基本である憲法を、その国民がよりよい生活をしていくために改正をしていくというのはある意味では法治国家としては当たり前のことなんだと思うんです。
全く当たり前ですね。
当たり前のことをね、その一文たりとも改正しちゃいけないというのはまさにそれは思考停止だと思うんですね。思考停止だってことを反対する人たちがなぜわかんないのかなと。
[*一文たりとも改正反対という思考停止の状態 ]
思考停止しているからです(笑)
下村・西田
(笑)
まず二言言いたいけど、まず一つは名前まで挙げませんけどね、国会まで出てきて、今度の安保法制は憲法違反ですと、よくもまぁそれで学者を言うもんですねぇ。
ハハハハハ、本当ですよ(笑)
これもし裁判官でしたら、法律に従うのが裁判官の仕事ですから、この法律がある以上はこうなりますよ、と言ってもいいけど、“憲法学者”でしたら、「この憲法はこことここがダメだと思います、ここはいいと思います」と言わないと。
憲法“学者”じゃないですよね。
うん。
“学者”じゃないんですからね。まずそれ一つでしょう。それから、もう一つ言いますと、安保法制で言っていることは、全くすべて常識なんですよ。
[*安保法制で言ってるのは、全く以って常識のことである ]
そうですね。
後方支援だけじゃなくて、前線に行く必要があったらいきましょうと。人道支援で足りなかったら武力も使いましょうと。極東だけで済まなかったら地球の反対側も考えましょうってね。
抑止力としてね、うん。
当たり前のこと。だけど、確かに問題があるのは『日米安保』でしょう?
うん。
手を組むアメリカがね、どんな国かを考えたらね、僕は別に反米主義を言いたいんじゃないんだけど、僕に言わせれば大東亜戦争だってアメリカが仕掛けた戦争ですけどね、アメリカは相当に問題含みの国であるということはある。
[*問題含みは日米安保、国民的な議論を如何に ]
うん。
ただそのアメリカとケンカするわけにはいかないという事情にあることも確かなんですね。そこの議論をね、ぼく政治家にやれというよりも、国民がね、アメリカとケンカ出来ないが 、しかしアメリカは相当厄介な、ベトナム戦争以来、朝鮮戦争以来でもいいけど、いろいろとしくじり多きことをやってきた、乱暴狼藉も含めて厄介な国だということを、国民レベルで議論しないとね、政治家も動けないだろうと思うの。
そうですね。
これ、(アメリカで)トランプが浮上してきて、それを日本とタブーなく議論しなくちゃいけない時になってきましたよね(笑)
一同
(笑)
そうですね。安全保障については与党も野党も関係なしでですね、共産主義の国でも軍隊は当然どこでも持っていますしね。ところが日本だけは、何故か左翼の側というか、野党側は安全保障そのものもですね、基本的に考えないというか、蓋をしてしまうんですね、議論に。
[*安全保障はタブーなく、与野党関係なく議論すべき ]
たとえばアメリカがですよ、理不尽な要求をしてくる可能性もある。或いは、協力すると言いながらそれをサボる可能性もある。
うん。
その時に、日本人が(アメリカに)約束を守らせる、或いは、異常な要求は退けるためには日本が力を持たなければいけないわけね。
[*理不尽な要求と約束反故には日本が力を付けること ]
そうなんですよね。
力って別に軍事力に限りませんよ、外交力、文化力も含めてね。安保法制反対論者のけしからんところは、日本はどうすれば力を付けるのか一切議論しないんですよね。
そうですね。
その歴史教育の話にちょっと戻りますとね、私は歴史教育というのは日本の中学校とそれからアメリカの中学校で、たまたまその「第二次世界大戦をどう判断するか?」というのをね、視察に行った時に聞いたことがあるんです。
西部・西田
ほう。
こういうのをactive learning(アクティブ・ラーニング)といって子供たちに議論をさせながらさせますと。
[*第二次世界大戦めぐる評価 米国 アクティブ・ラーニング ]
で、日本の場合はですね、どこの学校もみんなそうなんですが、「やっぱり戦争はいけない。平和が一番。だから戦争をしない国にしましょう」というのが議論の中心でこれに終始するんです。
西部・西田
ほぉ〜(驚)
アクティブ・ラーニングだから、その事前にもちろんそれぞれの立場を、トルーマンの立場みたいなのを決めてやるわけだから(事前に)勉強しているわけですけどもね。だから、「戦争はいけない」とか「平和が一番」というね、そうなんだけど、そんな単純な話じゃなくて、それで客観的にもう一度、第二次世界大戦を(分析する)、それがアメリカの歴史教育と日本の歴史教育との・・・まぁこれは“日本だけ”ですよね、他の国はそういう客観的な歴史教育をやっている。それがやっぱり“日本の思考停止の大きな部分”ですね。
そうですね。
しかもこれ大問題なのは、結論だけ言うとね、もう既に世界情勢がね、僕は第三次世界大戦などと大袈裟なことは言わないけれでも、それの「前哨戦」とでも言うべきものが結構長く続くでしょうけど、あちらこちらで起こり始めているというね、そういう情勢にあるんですよ。そこでこんな呑気なね、お風呂の中でオナラしているような話を日本人はやり続けているんですよね。
[*大戦の前哨戦のような情勢続く中で呑気な話の日本 ]
下村・今村
(笑)
そうですね。何よりもそれを習うべきですよね、私たちは(笑)
一同
(笑)
だから冷静にね、アメリカもちょっと前までは、広島・長崎に原爆を投下したのは、これは戦争を早く終結させるためだと。或いは、日本人を救うためだ、みたいなのが大勢論としてあったでしょう。
うん。
でも、それについてもこのやっぱり(戦後)70年経った中、改めて客観的に議論しようという、そういうのが出てきましたよ。
あぁそうですか。
なるほどね、なるほど。そうすると、本当に日本だって日本の立場をもう一度ですね、議論できるハズなんですよね。
そうなんですよ、うん。
ところが、日本人がそれを知らないんでこれは本当にどうしょうもないですね。話にならない。
日本だけがなんかタブー視しちゃって「平和主義だ」みたいなね、「それが一番だ」みたいな、そこで全く思考停止したまんまずーっと70年きてしまった部分があるから、ある意味ではマッカーサーが「日本は非常にまだ幼児的だ」と指摘してた部分があると、
(マッカーサーは日本人の精神年齢はについて)「12歳だ」って言いましたかね。
・・・12歳。
ヘッヘッヘッヘ(笑)
それはね、当たらずも遠からずみたいなところがあって、ずーっと思考停止になっている部分がやっぱりありますよね。
[*日本の立場を議論すべき処、平和主義という思考停止に / 日本の精神年齢は12歳、マッカーサーに言われたまま ]
そうですよね。平和安全法制が議論されて、憲法違反だとかどうだとかありましたよね。その時に一番大事なのは『あの自衛隊が、なぜ今の日本国憲法の中であるのか?』この議論をもう少し整理して言うべきだと思っているんですね。
そうですね。
[*憲法ができた昭和21年、非武装目的で前文と9条 ]
うん。
ところが、昭和25年になってからは「朝鮮戦争」を契機にして、今度は日本にもう一度に再軍備させないととんでもないことになるといんで、今度はもう一度、占領政策を大変更して再軍備を命じたと。共にこれ占領中ですから、日本人の意識は関係無いんですよ。その関係無いのを一つ繋げるために、自分たちが(自衛隊を)つくったということにしていますからね。
そうですね。
だから、そういうことを言ってきた変遷を国民が知らないもんだから、というか政治家も知らないし、教えていませんからね、これいまだに。ここの議論をもう少ししていくと、もっと国民の皆さん見てて、先ほど(下村)が言ったような、(あの戦争においての)「日本の立場は何だったんだ?」というのがいろいろ見えてくると思うんですけどね。
まだ教えていないというよりもね、僕に言わせるとね・・・
考えもしない。
知りたく無い。
知りたく無いねぇ・・・。
うん。
適当な平和だとかさ、反戦だとか、だぶらこいていれば楽だというね。
[*占領下で非軍事化が変遷してきた事を知ろうとしない ]
うん。
しかも東大出てもですよ(呆)
今のそれ言うと、そんなこといま言っても仕方ないよ、になっちゃう。それよりも今のこっちの方が大事なんだと。憲法改正はもちろん大事なんですけど、憲法改正をしようと思うと、「何でこの憲法がおかしいのか?」という根本のところを教えないとですね、また国民が理解できないといけないん思うんですよね。だから、(両院の賛成の)2/3をとろうと思うと、まさにそういう国民の共通理解、納得ですよね。
うん。
あぁそうかと。そこに気がつくと一挙に日本は変わると思うんですけどもねぇ。
[*憲法のおかしさの根本を国民が共通理解すること ]
本当は、だから「憲法9条の特に第2項」ですけども、(改正は)これは必要なことだと思うんですが、ただ最初に(西部が)仰ったようにね、3・11が起きたから緊急事態条項とかね、そういうのでもいいと思うんですよね。
そうですね。
今の日本社会においてやっぱり憲法でキシッと明記することによって、緊急事態が起きた時に、大きな大震災が起きた時に対処できると。
そうですね、うん。
これはイデオロギーの問題じゃないと思うんです。
そうですそうです。
でも、そういうことをね、憲法改正する議論にすること自体がけしからんというか右傾化だ、というのが本当に思想が硬直化していて、
そうですねぇ。
これは世界から見たら、日本人というのは如何にその『幼児性の国民性』なのかということだと思うんですよね。民主主義国家だから。
そう。本当にギャグ漫画見ているみたいになっていますもんね、これ。笑い話ですよ、これは。
冷静にやっぱり議論できるような土壌を早くつくっていかないと、日本そのものが危ういですよね、逆に。
[*冷静な議論の土壌をつくらねば、日本そのものが危うい ]
いや全くです、そうですね。そのアプローチの仕方がだから、やっぱりわれわれ政治家側もですね、戦後の枠組みの中で捉えちゃうんで、
うん。
もうちょっと大胆にズバッと言い切りづらいところがありましてね、まぁ私なんかはそういうことを言ってましたから、平和安全法制の時にですね、「もし当ててくれればそういうことを質問したいんですが、どうですか?」と言えば、「いや、それを今さら言われると話がややこしくなるからいい」と言われまして、質問できませんでしたけどもね(笑)
(笑)
本当はだから、そこの話をもう少しね。
本質論ね。
うん、やるべきだと思うんですけどね、これは。
うんうん。
まぁ討論の中では結構、そういう話になったりするんですけど、まだまだ至っていないと思いますね、はい。
[*戦後の枠組みで論じられ、本質的な議論が進まず ]
だから平和安保法制の(議論の)時も、本質論よりは「戦争法案」とかね、或いは、「徴兵制がすぐにでも敷かれる」みたいな、そういうデマゴーグ的な議論だけに終始して、本質論じゃなかったですよね、国会そのものが。
そうなんですよ、そうです。それで民主党だって、本当はもともと彼らが政権政党だったんだから、我々(自民党)の言ってることは半分わかっているハズだと思っていたんですけどね。随分いまもう野党になってしまって、もう一度、一挙に「左」の方に行ってしまいましたよね。なんか左翼政党のような党にいってしまいましたからね。
うんうん。
民衆を煽動するような、「戦争法案」とかさ、そういうことに反応する民衆が選挙民になる。政治家ですから「そうだ」と言い辛いでしょうけどね、
(うん)
そういう民主主義になっちゃったのね。
下村・西田
うん。
僕が小さい声で言う・・・これはもう救いようがないわい、こいつらは。
うんうん・・・(笑)
(笑)
或いはね、絶望する人が増えるのだけが希望ということ。政治家は言えないでしょうけど、知識人は平気でそろそろ言わないとね。だって本当に馬鹿げているんですもん、こんなこと。
特に今年になってね、北朝鮮の核実験・ミサイル発射の問題とか、中東の問題とかね、世界中がきな臭い事がもう頻繁に起きている中で、やっぱり平和安保法制等を昨年キシッと通しておいて良かったんであって、
その通りです。
通らなかったら今年もそんなことをガタガタやっているようだったら、
とんでもないですね(笑)
日本そのものが沈没しちゃいますよね。
ということでですね、今村さん、
今村有希
はい。
教育を論じるつもりでした。
一同
(大笑い)
本当はこういうのが教育なのよ(笑)
今村有希
はい(笑)
やっぱり具体化すると憲法論だね、戦争論だ、そういうものをどう論じるかが教育なんですよね。
今村有希
一人一人も考えていかなくちゃいけないってことですね。
ということで先生方、お忙しい中、有難う御座いました。
下村・西田
有難う御座いました、貴重な機会を。
【次回】ゲスト:阪本順治監督 映画『ジョーのあした』