「内外情勢の非常事態化のなかでの憲法改正」② ゲスト:佐藤正久(自民党参議院議員)〜西部邁ゼミナール〜

「内外情勢の非常事態化のなかでの憲法改正」② ゲスト:佐藤正久自民党参議院議員)〜西部邁ゼミナール〜

ゲスト:佐藤正久 自民党参議院議員 外交防衛委員長 【近著】「高校生にも読んで欲しい安全保障の授業」(ワニブックス

西部邁ゼミナール)「内外情勢の非常事態化のなかでの憲法改正」【2】2016.04.09


今村有希
二週に渡りまして、ゲストに元陸上自衛官で“ヒゲの隊長”こと参議院議員佐藤正久先生にお越し頂いております。この夏の参議院議員選挙では「憲法改正」が争点の一つとして浮上してきていますが、パリの同時多発テロ、中国による南シナ海への進出、北朝鮮の核開発とミサイル実験など、危機は世界的に広がっています。その中で国家として非常事態に対応する、いわゆる【非常事態条項】の整備が日本の喫緊の課題です。

そこで今回は憲法改正の焦点を“非武装・不交戦”の廃止に絞ってよいのか、というテーマで現憲法の問題点から、アメリカ型の自由・民主による価値観外交の限界についてまで本質的な議論をしていただきます。

憲法改正の焦点を“非武装・不交戦”の廃止に絞ってよいのか

宜しくお願いします。

宜しくお願いします。

今村さん、最初に何か質問あるとか仰ってた。

今村有希
はい。もう10年も前の話になるかと思うのですが、

はい。

今村有希
イラクの復興支援に派遣された際に、修復された『Sato Bridge』なる橋が残っているそうですが、その時にテロの危険があったりとかは?

[*イラク復興支援における陸上自衛隊派遣の経験 ]

はい。最初に行った時は、非常に歓迎ムードが多かったんですね。2004年の1月に入りました。

今村有希
はい。

ただ、その4月の頃から雰囲気が徐々に変わってきた。アメリカがファルージャ(※スンニ・トライアングル/ サッダーム・フセインの支持者の多い地域)というところを包囲をして、それで空爆とかやったと。あれから変わりました。(※ファルージャの戦闘:2004/ 米軍とイラク武装勢力との戦闘)

[*イラク復興業務支援の初代隊長として(2004年)]

それまでは、アメリカはサダム・フセインを倒して我々を解放してくれたという気持ちが南部のシーア派地域の方でもあった。

今村有希
はい。

ところが、あれ以降(※ファルージャの戦闘)からガラッと雰囲気が変わって、特にアメリカに対する見方が厳しくなりました。それから、やはり色んなところでアメリカ、或いは、多国籍軍に対するそういうテロというものが起きるようになって、また、私も車で走っている時にすぐそばで車の自爆テロみたいのが起きたりというのがありました。

[*米軍がファルージャ包囲後、多国籍軍への自爆テロも ]

今村有希
(驚く)

外に出て活動する時は「敬礼」禁止なんです。なぜかと言えば、敬礼したら誰が上官か分かっちゃうでしょう。

あぁ〜。

スナイパーというのが非常に一つの、テロだけでなくスナイパーが非常に脅威で、500メーター、700メーター先からやはり顔とか首が撃たれますね。こう頭はヘルメット被って、下は防弾チョッキを着ていますから、当時、いちばん費用対効果のいいターゲットは私でしたから、当然。

今村有希
あぁ〜。

そういうことがありました。それと、あと怖いのはお腹に爆弾を巻いた自爆テロ

今村有希
はい。

特にアメリカの軍人なんかは最初の頃、子供が可愛いから遊んだりして、(子供から)「おじさんどこ行くの?」と聞かれてどこどこへ行くんだよと言ったら、行った先で女性が出てきてお腹に爆弾を巻いてドーンとやられたり。

テロとかあぁいうゲリラというのは、分からないというのが一番怖い。初めから軍服を着て鉄砲を担いでたら「あっ敵だ!」と分かりますが、テロとかゲリラはこの前にベルギーのテロがあったように、民間の方、一般人が一瞬にしてバンッとやりますから。

いまヨーロッパもね、今度、パリのテロなどのIS(※Islāmic State)のテロに対して『テロへの戦争』ということでまぁ意見が一致しつつある。アメリカも日本もそれと同列に、それは分かるんだけれども、実際には「侵略戦争」と「テロ」の区別が段々難しくなっている。

[*パリの同時多発テロにみる欧米の「テロへの戦争」の構え ]

一つはね、宣戦布告が正式にないのが戦争とテロの違いだというけれども、実は「宣戦布告」というのはね、それはちょっと綺麗事過ぎて、当然ながら半年も前に宣戦布告するわけは無いわけで、出来るだけ有効なれば、短ければ短いほどいいわけでしょう。

うん。

かつての大東亜戦争の時もそうなんですが、余りにも厳しい経済制裁、その国が生きてゆかれないような経済封鎖を受ければ・・・いま北朝鮮がそうだと言ってますが、これは宣戦布告だと。戦争だとみなされて致し方が無いという論理がもう一つ残るわけね。

[*国が生きられない経済封鎖、宣戦布告だとみなされる ]

それから(佐藤が)仰った、秘密の行動ですけども、別にゲリラ隊とかテロ部隊じゃなくてもですよ、自分の姿をやっぱり秘密にした方が効果があるわけですから、隠密行動というのはね、この正規軍のあれにも伴いがちのものであることも考えていくと、意外に正式の戦争とテロの区別が難しくなっているということが言えますでしょう?

[*テロ・ゲリラだけでなく、正規軍にも伴う隠密行動 / 正式な戦争とテロとの区別が難しくなってきている ]

そうですね。で、今の戦いも、昔みたいに正規でバンッとぶつかるものから「サイバー」という部分がもうありますから、いつの間にか自分のデータが抜かれたり、或いはこういうふうに動きたいと思っても(動くための)制御が出来なくなるとか、今度は『非対称戦』という部分もありますからかなり幅は広がっていると思います。

そうですね。僕はね「Sato Bridge」ができて、現地の人から今もなお感謝されているということは慶賀に堪えないけども、同時に冗談半分だな・・・隊長には(銃を)一発ぐらい撃っといて貰いたかったというふうに思うところがあるけども(笑)

今村有希
(笑)

(苦笑)

でも本当はそういうものとして派遣されていないので、そんなことは(佐藤)先生には無理だったんだけれども、いま世間で「テロ」と言われているものが、いまヨーロッパですけどもね、これから東洋にだってあっという間に波及する可能性があるわけですよ。北朝鮮のミサイルのことをみても、或いは、尖閣を巡る中国の動きにしてもね、何がどう動くか、テロなのか戦争なのか定義は難しいけども、日本が侵略を受けるということは大いにあるわけでね、そういう時にはやはり、ただちに反撃、応戦・・・ということは、戦争というのは武力衝突ですからね、

今村有希
はい。

「戦争反対!!」なんて言ったって、攻められたら反撃するしかないわけですからね。そういう立場に自衛隊がいるんですよね。

[*欧州で広がるテロの行方、アジア情勢も緊迫している / 戦争は武力衝突で攻撃受ければ反撃するしかない ]

いまパリとかベルギーとかでテロが起きていると。それがISILのいわゆる「イスラム国」の影響が出ているというのがありますけども、

今村有希
はい。

実は、東南アジアからも「イスラム国」へ戦士が行っているんです。

そうですよ。

向こうで鍛えられた兵士がまたアジアに帰って来ると、(そして)普通の生活をしている、分からない。

[*東南アジアからイスラム国へ鍛えられた兵士が戻ってくる ]

今村有希
分からないですね、はい。

いまどこの国も警戒をしていて、それが実際にヨーロッパで起きていますから。京都で連隊長をしていた時に隊員を20数名そのイラクの方へ警備部隊として3回送ったことがあるんです。それで帰ってきました。

今村有希
はい。

イラクに)行った隊員と行かなかった隊員とこう混ぜて訓練を一般の人に展示したんです。どの隊員がイラクに行ってどの隊員が行っていないか分かりますか?と・・・そしたら「分かる」と。やっぱり動きが違うんですね。

今村有希
あぁ〜。

マレーシアだって・・・

インドネシアが多いですねぇ。

インドネシアが多いですか。その日本をはるかに上回る巨大な人口、中心的な宗教はイスラムですからね。

はい。今回、特にベルギーで非常に怖いなぁと思う事は、空港でセキュリティーチェックの前ででしょう?

[*ベルギー空港のテロではセキュリティーチェック前に爆発 ]

今村有希
はい。

要は、誰でもそこまではアクセス出来るわけですよ。

うん。

で、セキュリティーチェックの前で、みんなこう並んでいますよね?

今村有希
はい。

そこでドーンとやられたら、あぁいう状況になるし。日本の方でもちょっとレベルが違いますけども、こないだ新幹線の中で油をかぶった自殺を試みた人がいたじゃないですか?

今村有希
はい。

あれぐらいでも新幹線であぁいう大騒ぎですから。

それプラス原子力発電所がありますからね。一発撃ち込まれたらそれ自体が巨大なテロとなって。

サミットもあります。あと2020年にはオリンピック・パラリンピックがありますから、それに向けて如何にそういう「備え」というものをやっぱり一つ一つ潰していかないと、想定外ということは、これは政治的にも政府的にも、それは絶対言っちゃいけない分野ですから。

[*サミット、東京五輪の前にテロに如何に備えるか ]

そうでしょうねぇ。

如何にどんどん隙間を埋めるという作業を今からやっておかないといけない。そのためにもしっかり国民の意識を上げる、或いは、その自衛隊・警察・消防・海上保安庁が動くためには法律なり、その上位にある憲法をしっかり整備しないと、もういざという時に動けない、ということはやっぱりあってはいけないことだと思ってます。

阪神大震災の時かな、

今村有希
はい。

名前言っちゃおう。【島田晴雄】という有名な経済学者がね「規制緩和!!」ってね。その大合唱が国を覆ってた時で、ところが、規制を緩和なんかしたらですよ、いま(佐藤)先生が仰った緊急対応ができないわけさ。

[*阪神淡路大震災の頃、規制緩和の大合唱:島田晴雄

つまり、テロでもなんでもいいのだけど、そういうことが起こった時には、この道路は交通を遮断するとかね、直ちにしかないといけないでしょう。それを見ててその先生(※島田晴雄)がね、「有事には規制強化、平時には規制緩和!!」・・・僕それをみててケタケタ笑ったんですけど、結論を(佐藤が)仰ったようにね、

今村有希
はい。

『備えあれば憂いなし』でね(笑) 平時において既に、何が来ればどういう規制を敷いて対応を早めるか・強くするかということを、何も起こっていない時に『準備』しておかないと間に合わない。

[*備えあれば憂いなし、平時こそ必要な規制と準備 ]

うん。

今村有希
はい。

出身が福島なんです。東日本大震災の時にいろんなことがあった。津波がこう来て車が流されてきますよね。

今村有希
(頷く)

10数メーターの津波。車がある家の屋根の上とか、庭先のガレージの上にある。でも、自衛隊とか消防団が勝手に入っていけない、建前上は。財産権がありますから、平時ですから。

今村有希
はい。

福島の浜の方では油(=ガソリン)が無くなり、灯油が無くなり、これは大変だと。経済産業省がタンクローリーを何十台も繋げて福島に行ってもらいました。福島のちょうど真ん中に郡山市ってある、そこまで行ってくれた。ところが、そこから先の相馬市とか南相馬市の方に行かないの、怖くて。

今村有希
あぁ〜。

で、どうしたかと言うと、彼らは南相馬市の方に電話をして、80キロ離れた郡山まで(油を)取りに来いと。しかも、危険物取扱い従事者の資格を持っているのを来いと、平時だから。

[*南相馬から80キロの郡山へ油を取りに来させた ]

今村有希
はいはい。

被災地はカンカン。何をやっているんだと(怒)要はそこは(平時に)「個人の権利がある」からそこへ行って下さいということも、政府は言えないんですね。

福島のね、原発の時ですけども、東京電力の社長か副社長か忘れましたが記者会見でね、「私たちの間違いでした。想定出来ないことも想定しておくべきでした」と、わけわかんないでしょう?(笑)

今村有希
はい。

想定出来ないことも想定する。多分こういうことなんですね。「想定」を「presumption(プリザンプション)と言うんですけども、英語はともかくね、日本語の「想定」にはいろんなレベルががあって、

[*presumption「想定」、予測、予想、想像 ]

一つは①「予測」、推測と(黒板には)書きましたけど、どんな形でどんな量のものが起こるかが、言わば確率的に計算できる場合、それを「予測」と言うんですよ。しかしながらね、何かが起こるのだけれども、大規模な何かが起こるのだけども、それがいつどの程度のものが起きるのかを確率的にも数字でなんかでは「予測できない」、こういうのを普通は②「予想」って言うんでしょうね。これ(予測)はprediction(プレディクション)というんですが、それに対してanticipation(アンチティペーション=予想)ね。

[*「予測」確率的に計算できる、「予想」予測できないもの / 「予測」presumption 「予想」anticipation ]

もっと大雑把のがありますよね。③「想像」=imagination(イマジネーション)、イスラミック・テロがアジアでも起こるかもしれないとimagine(イマジン)予想できるけども、いつ日本のどこでどうなるのかは漠然としすぎ。でも、本当に自衛隊を含めて『危機対応』というのはこの3つのレベル(①予測 prediction ②予想 anticipation ③想像 imagination)を全部それこそ「想定」(presumption)した上でやらないといけないんですよね。

[*危機対応に必要な想定 ①予測 prediction ②予想 anticipation ③想像 imagination ]

そういうことだったんですよね、東電の社長だか副社長が(原発事故直後の会見で)言いたかったことは。

要は「危機管理」というのはまさにいかに「想定」するかという部分でいくんですよね。想定の中をいかに「想像」のレベルをこの予想とか推想レベルにどんどん落とし込んでいくか。

国会というのは法律を決める場所ですけどもね、法制的な準備を出来るのはこの3つで言うと、この程度まで(①予測 prediction ②予想 anticipation)であってね、「予測」できること、これについては法的な準備をすることができるけども、これ(予測)を超えたこと(→予想、想像)については、準備はしなきゃいけないのだけども、なかなか法制にまでは至らないという。軍隊というのは大変大きな仕事を持っているのはね、こういうところ(=法制にまで至らないところ)まで「想像」した上で待ち構えていなきゃいけないという。

[*法制にまで至らなくとも想像し待ち構える必要がある軍隊 ]

やっぱり(軍隊は)『最後の砦』と言われますから、そこは国民の自衛隊の期待値がどんどん高くなっている。

今村有希
はい。

ある地区が(天災で)川が氾濫して孤立したわけです。消防とか警察が行けないと諦めたんです。自衛隊は行ったんです。どうやってどこへ行ったかと言うと、道路じゃなくて川のそばに鉄道が走っていて鉄道の上を走っていったんです。

[*消防警察が諦めた河川氾濫、自衛隊が向ったルート ]

今村有希
はい。

実は日頃から想定していろいろ調べられている。ハザードマップもたぶんちょっと普通の自治体のとは違った部隊なりのハザードマップを持っていますから。

えぇ。

日頃から如何にそこをこう推測のレベルで備えておくか。

そうですね。

やっぱり危機管理の自衛隊のやっぱり真骨頂だと思います。

これは昔話ですけどもね、よく(佐藤)先生はご存知なんだけども、北朝鮮工作船が日本をどうにかしようと。それを発見されて逃亡したんですよ。それで海上保安庁のあれが追っかけて、富山沖まで追いかけて、とうとう北朝鮮工作船は逃亡しきったんですけどね。後は僕の意見。

今村有希
はい。

法制が準備されていなくてもね、(攻撃して)沈没させちゃえばよかったじゃないかと。そうすると日本の法律でどうなると思う?

[*北朝鮮工作船海保と交戦の末に沈没(2001年) ]

今村有希
(首を左右に振る)

それはね、簡単に言うと「殺人罪」になるんですよね。

(頷く)

今村有希
(驚く)

法律上ですよ。でもそれはね、『法律がおかしい』のであってね、北朝鮮工作船であることは明瞭で、日本の領海を侵犯しててずっと追っかけて、幾度警告しても止まらないということにならば、法律的には撃つことは許されていないんだけど、私はあの当時、自衛隊に要求したかった。『撃ってしまえ!そして法律上引っかかるなら、被告人になって堂々と主張すれば、もしも“日本人にして常識”があれば、裁判の結果は無罪放免』ということになるというね(笑)

自衛隊の法体系はですね、あのよく言われるように、

今村有希
はい。

【ポジティブ・リスト】と。「なになにすることが出来る」という形なんです。

今村有希
はい。

これはまさに、『憲法上、警察が大きくなった組織なので、出来る規定』なんです。

あっそうか。

今村有希
はい。

他の国は、軍隊は『ネガティブ・リスト』と言って、「なになにしてはいけない。それ以外は全てやっていい」んです。

[*国際的に軍隊は『ネガティブ・リスト』で行動するが、自衛隊は警察と同じ『ポジティブ・リスト』方式 ]

今村有希
はい。

いま(西部)先生が言われたように、そういう体系(=ネガティブ・リスト方式)があると、自衛隊は今言ったような対応を出来たかもしれない。「なになにすることが出来る」(=ポジティブ・リスト)となると、それ以外はやっていいかどうかということが書いてないと、なかなか動きづらい。

本当はね、『「禁止」というのが法律の本質』で、

なになにをやってはいけないと。

逆に言うと、禁止されていないことはやっていいというね。

そうそう。それが普通の軍隊の場合はそれなんです。自衛隊憲法上も「警察予備隊」から来ていますから、戦力じゃありませんから。

えぇ。

そうなると、「なになにすることが出来る」という規定になると、いま言われたこういう『想像の世界』というのが(実際に)起きた時に、じゃあこれどうするんだという時に困ってしまう。

法律の本質は「バビロン法典」の昔から、殺しちゃいけない、犯しちゃいけない、盗んじゃいけない、という『禁止』が。

(笑)

逆に言うと、禁止されていないことは、何も褒められるとは限らないけどもやってもいいというね。今の日本の憲法そのものが「禁止条項」じゃなくて、例えばですけど、「人間は幸福に暮らすことが出来る」とかですよ、どうのこうのというね、要するに「出来る条項」ね。嘘八百なんですけども、それが(日本の)憲法全体の性格なんですよね。

日本国憲法は特に、個人の権利とか自由をすごく重視しているんです、個人の権利や自由。

今村有希
はい。

憲法の第3章が、個人の権利及び義務。

そうそう。

条文が10条から40条まである。

そうなんですよ。

(10~40条のうち)「権利」って15書いてある。「義務」は3つしか書いていない。「自由」6つで、「責任」は1ヶ所。

[*権利と自由の重視に偏り、国民の権利及び義務 / 参考:http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7009/coj-03.htm

今村有希
はい。

普通は、一般の私の感覚で言うと、『義務なき権利はない』し、『責任なき自由はない』はずなのに、バランスが極めて権利と自由をやっぱり重視している。

そうですね。

まぁこれはいいんですよ。でもその裏側ですけど、『義務と責任があまりにも小さい』んです。そうすると、いま(西部)先生が言われたように、何かあった時に、これ守ろうと思っても自衛隊のケースだけじゃ足りませんからね。

そうですね。いま仰ったことは、憲法の12条でね、

今村有希
はい。

自由及び権利は「公共の福祉」に沿う限り・・・

公共の福祉

・・・と、「公共の福祉」とは何か?どこを見ても一行も書いていないの。

[*憲法第12条:国民に保障する自由及び権利は ーー 常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う ]

それから、次の条項で、個人の尊重は最大限に重んじられる、「公共の福祉」に反しない限り。でも、公共の福祉が何かが何も書かれていない。

[*憲法第13条:すべての国民は個人として尊重される。国民の権利については ー 公共の福祉に反しない限り ー ]

今村有希
はい。

「今生きてる国民の多数派の欲望が公共の福祉を決める」ことになる。それはいわゆる『世論』ですよね。

[*今の国民の多数派の欲望が公共の福祉を決めることに ]

今村有希
はい。

でもね、日本の世論、多数派の欲望を表す世論なんてものはね、もうメチャクチャなわけですよ。だって、第一次小泉政権支持8割でしょう。ちょっと時間が経ったら民主党支持8割でしょう。今度は安倍第二次政権8割でしょう。右から左へグラグラ動くのが日本の世論で、そんなものを「公共の福祉」の基準にされちゃたまらないと。

[*小泉政権支持が民主党へ、右から左へとグラつく世論 ]

日本のconstitution(コンスティチューション)ね。国柄のようなものがあって、

今村有希
はい。

それは今生きている人の偶さかの思い付きじゃなくて、

(大きく頷く)

『日本の国家の連綿と続く国の在り方が公共の福祉。』

[*連綿と続く日本の国柄、国の在り方が公共の福祉

うん、そう。

それに反しない限りで「権利」なんだということ。そんなことすら憲法で明瞭じゃない。ともかくもうそろそろね、佐藤先生に、ぼく小さい声で言う。『国会でテロをやってもらいたいと思う!』そう言いたくなるぐらいね(笑)

(苦笑しながら、首を左右に振る)

今村有希
(笑)

principal(プリンシパル)ね。やっぱりその「軸」、これは非常にその憲法もそうだし、やっぱり国柄も。

今村有希
はい。

我々の行動もやっぱり「自分のprincipal」がなんだという部分がやっぱり無いと、

そうですよ。

このいろんな価値観が広がっている中で、そこは憲法にも通じるし、或いは将来の責任を果たすための制度を制作する上でも非常に大事なことだと思いますね。

[*憲法も自らの行動においてもprincipal 軸が大事 ]

自由・民主主義をかざして価値観外交で日米同盟というのはよくよく分かるとこだけども、実際には「自由の内容」とかね、或いは、いま言った「権利の内容」、或いは、民主とは世論のことですけども、「世論のあるべき姿」というのはね、これはやっぱり“各国各様”に、また“歴史段階”に応じていろいろと“具体的には違ってくる”んですよね。

(頷く)

従って、僕はあんまり自由・民主主義という関連語だけを振り回して日米同盟ってのは反対だけども、それについてはもう一度、佐藤先生をお呼びして議論すること致しますが、

(頷く)

今村有希
はい。

先生、2週間に渡りありがとうございました。

どうもありがとうございました。

今村有希
ありがとうございました。

【次回】なぜ「武蔵無常」を論じるのか :ゲスト 藤沢周(作家、法政大学経済学部教授)

次の週は、芥川賞受賞作家にして法政大学経済学部教授をなさっている藤沢周、周平じゃありません、本名の藤沢周先生をお呼びして、『武蔵無常』、宮本武蔵の武蔵ですね。今日の非常事態とも関係がありますが、武蔵という男がどれほど『無常』、言葉を変えれば『非常』ですね、常なる事から外れる事態に如何に対処しようとしたのかということについて、文学論として展開していただきます。ご期待ください。

「内外情勢の非常事態化のなかでの憲法改正」① ゲスト:佐藤正久(自民党参議院議員)〜西部邁ゼミナール〜

「内外情勢の非常事態化のなかでの憲法改正」① ゲスト:佐藤正久自民党参議院議員)〜西部邁ゼミナール〜

ゲスト:佐藤正久 自民党参議院議員 外交防衛委員長 【近著】「高校生にも読んで欲しい安全保障の授業」(ワニブックス

西部邁ゼミナール)「内外情勢の非常事態化のなかでの憲法改正」【1】2016.04.02


今村有希
今回のゲストは、「ヒゲの隊長」こと自民党参議院議員佐藤正久先生です。佐藤先生は、陸上自衛官として25年に渡る実践的な経験を持ち、イラク先遣隊長、復興業務支援の初代隊長などを務めました。また、昨年はいわゆる「安保法制」の成立に尽力し、現在は参議院で外交防衛委員長としてご活躍されています。

世界規模で広がるテロにみられるように、混迷を極める世界情勢の中で、日米同盟が日本の外交の軸と言われていますが、日米関係のバランスを保つには、軍事・外交だけでなく文化的な側面も含め、日本の力の強化が問われています。

そこで今回は2週に渡り、内外情勢が非常事態化するなかで、憲法改正と非常事態法をめぐる議論をしていただきます。それでは先生方、宜しくお願い致します。

あぁ、どうもお出まし願って。ありがとうございます。

宜しくお願いします。

僕あの安保法制の論議の時に、あまりテレビを見ないのですけど、珍しくずっと見ていたら、お世辞じゃなくてさすが自衛隊におられた方だけあって、独壇場で大胆かつ終始展開出来るのは佐藤先生だけで、他の知ったか振りの防衛評論家たちはポカーンと口を開けてるというね(笑)なかなか見事な場面がありましたけどね。

今村有希
はい(笑)

今村さん最初に。

今村有希
はい。(佐藤)先生にご質問させていただいて宜しいですか?

はい。

今村有希
SEALDsなる若者たちが、「自衛隊の存在自体が憲法違反である!」と主張していますが?

はい。昔ね、自分が自衛隊に入った頃、「憲法違反!憲法違反!!」という声は今よりも多かったですね。

今村有希
はい。

ただ、今ある新聞の調査によると、自衛隊に対する支持は92%超えているんです。安倍内閣の倍以上ですね。それくらい支持が広がっているというのがあります。

[*自衛隊憲法違反なのか、その成り立ち ]

今村有希
はい。

ただ、日本の憲法には自衛隊というのは明記しておりませんから、非常に曖昧な存在。最初は警察予備隊から、保安隊、自衛隊と変わってきましたから、警察予備隊をつくる時に当時の総理、【吉田茂】総理は、「これは今の憲法に照らして国民を守るとはいえ、こういう武装集団をつくるというのはダメだ」、という論陣を張ったらしいんですね。

[*警察予備隊→ 保安隊 →自衛隊(1954年)結成 / 自衛の戦力も駄目だ・・・ 吉田茂元首相 ]

一方で共産党の【野坂参三】先生が、「そんな馬鹿なことあるか!国民を守らない。そういうことが憲法には書いていない。(だから)国民を守る為に、こういう武装集団は必要である!!」と言って。昔の共産党は立派でしたね。

[*「自衛」と「侵略」を区別 日本共産党 野坂参三

今村有希
はい。

社会党のね、鈴木清三って人だったかな?今で言えば左翼、当時の日本社会党憲法論議の中で堂々と、「なんという下らない憲法だ!これでは日本はアメリカにおんぶでだっこではないか!!いずれ数年後に日本は独立するハズだ。その時に自分で自分を守らなくてどうするんだ!!」と叫んだのは(当時の)共産党日本社会党だったの。

[*米国におんぶにだっこの憲法、独立に向け自衛しないのか ]

今村有希
へぇ〜。

(笑)

それどうしてくるっと変わったかというと、朝鮮戦争が起こるでしょう、1950年に?

今村有希
はい。

そうすると、ソ連側が、中国も含めてだけども、日本を非武装地帯にしておくとソ中にとって便利なわけさ。それで憲法を字義通りに解釈して、日本は非武装にしようというような命令が、簡単に言うと、コミンテルン国際共産主義運動本部がやってきて、日本の左翼は態度をぐるりと変えて「自衛隊憲法違反」と、こうなった。

[*朝鮮戦争勃発しソ連と中国、日本の非武装が好都合 / コミンテルンにより左翼が自衛隊憲法違反と唱える ]

今村有希
はー。

確かに今の憲法を読んでもですね、第1条から全て読んでも、自衛隊とか国防とか抑止とか自衛権という言葉が一つもない。書いてあるのは「戦争の放棄」とは書いてある。戦争の放棄は書いてあるけども、国防とか自衛隊とか自衛権の一つもないんです。

[*国防、自衛隊自衛権の一言も触れられていない憲法

今村有希
はい。

そういう憲法というのは他の国を見ても無いと思いますね。

9条すごいんですよ。前項(第一項)の目的を達するために、前項というのは「侵略戦争をしない」だから、「侵略戦争をしないという目的のために、戦力は持たない、他国との交戦はしない」と言ってる。

[*憲法9条 第二項:前項(侵略戦争をしない)の目的の為、『戦力不保持』『国の交戦権は認めない』 ]

ところが、自衛用の戦力とかね、自衛用の交戦、(他国に)攻められたから攻め返す反撃という、そういうことが何一つ一切書いてないの。従って、いま日本人がとらわれているのはね、憲法を字義通りに解釈するか・・・それなら自衛隊を認めちゃいけない。ところが、(世論調査によれば国民の)9割が認めているわけさ。

[*憲法を字義通りに解釈するか、日本人に問われている ]

今村有希
はい。

ということは、実質上、憲法第9条の第二項というのは、ほぼ死んだ文章ね。『死文』と化せりと。それを自民党が国会に呼んだ憲法学者がね、あたかも自衛隊憲法違反であるかの如き発言をすると。

[*憲法第9条第二項は死文、9割が自衛隊を認めている / 学者が憲法を解釈もせず、自衛隊憲法違反と発言 ]

うん。

僕ね、裁判官がね、裁判官はしゃーない、法律を字義通りにやるのがあれ(仕事)だから。でもね、学者というのは違います。裁判官じゃないですからね、この憲法について解釈しなければならないでしょう。学者でしたら、「この憲法9条第二項はダメな文章です!悪法も極まれりです!!」と。こんなものいつまでも真正直に受け取っててひどい事になりますよというのが、学者のコモンセンス、常識のはずなのに、学者というのがね・・・

[*悪法も極まれりとするのが学者の常識 common sense ]

はい。

右左問わず、(オツムを指して)イカれてるんですよ。

ハハハ、そんなことも無いですけども(笑)、今村さん?

今村有希
はい?

私を拳で殴ろうとしてください。

今村有希
えっ!?・・・はい。(殴りかかる)

(今村の拳を腕でガードする。)この時に防ごうとするでしょう?

今村有希
はい。

これ(ガードした腕)が自衛隊

そうなんだよ。

今村有希
はい、はい。

憲法でも『国民の平和的生存権』というのが認められているんです。やられた時に(腕でガードするように)こう防ごうとする・・・

今村有希
・・・のはOK?

これが要は、生存権を守るための一つの権利であって、これが自衛隊なんですよ。

今村有希
これが権利、はい。

その代わり、自分からこうだ(相手に殴りかかる)というのはダメだとかね。

今村有希
はい。

前文の第二項ではね、我らの安全と生存を〜、とこう書いてある。自衛隊法の第3条には、自衛隊の存在の意義について書いてあって、平和と独立でしたっけ?順番はね。

はい。

「日本の平和と独立を守るために」というね。

[*自衛隊法 第3条(自衛隊の任務):我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つ ]

僕が強調したいのは、自衛隊法の方が内容的には立派なんですよ。independence、『独立』ね。つまり、安全と生存だけでしたら、強い者に巻かれてね、あなたの奴隷になりますと。なんでも言う事を聞きますからというと、安全に生存できるかもしれないのね。まぁその可能性が強いの。ところが、自衛隊法の方が立派でね、【日本の独立】ということを言葉の上では謳っているわけさ。だから僕は、自衛隊法の方がこの問題に関する限り、憲法よりはよっぽど常識だと。そういうことをね、そろそろ日本人の当たり前の事としなきゃならないんですけどね。

[*自衛隊法は日本の『独立』、憲法は『安全と生存』を謳う ]

(うんうん)

いま世間で安倍内閣が、今度の選挙で圧勝したとしたら、

はい。

まぁ衆参両院選挙が行われるかどうかというのもあるでしょうけども、憲法改正勢力が2/3を上回れば、憲法改正の発議を国会でやって、いよいよもってこの9条第二項を『廃止』という方へ進むんじゃないかと言われている。同時にね、武力衝突が、もちろん日本は反撃ですけどね、攻められた時の反撃、それで衝突が起こった時にどうするんだい?となった時のことを考えて、【緊急事態法】のことも準備していると、いうふうに言われているんですね。そこで一つ質問なんですけども、

はい。

緊急事態というのは英語で言うと、emergencyでしょうけどね、

はい。

「緊急事態」というのは救急病院が典型ですけど(笑)、どんな病気がどの程度起こるかというのは予想されるけど、いつね、具体的に起こるかまでは分からないから、法律も病院の制度をつくって準備しておく、というのが緊急事態でしょう。

(うん)

ところが、「非常事態」というのはもっとそれ(緊急事態)を上回るところがあってね、『予想もしていない事態が不意に起こる』と。

[*緊急事態 emergency と 非常事態の違い ]

今村有希
はい。

従って、それに対する法制的な準備もね、例えばですけど、ITのボタンを押せばどうにかなるという技術的な準備も出来ない。何はともあれ、自衛隊を中心とする人間の集団の緊急の努力でもってその非常事態に対応する、それが本当の『非常事態法』で、その時にあれですよね・・・明治憲法の31条かな、戦争及び国家の危難の時には天皇大権ね・・・僕は天皇を今のご時世で『大権』ね、大きな権利、もっというと独裁権ですよ、そんなね、面倒なことを持たせるのは天皇に失礼だから、僕は首相なり内閣なりに、まぁ大権、そういうことを必要とするのが『非常事態』ですよね。

 [*自衛隊中心の人間集団による努力で非常事態に対応する / 明治憲法 第31条:戦争、国家の危難の時には天皇大権の行使を妨げず ]

法律的準備なんか間に合わない、技術的準備も不十分でしかない、それである種の『大権』をもって、極論すると、一時的ですけども『独裁権』をもって対応するという。そこまで自民党は考えていらっしゃるんですかねぇ?

[*『非常大権』による一時的独裁はどうなるのか ]

まぁ、そこはいろいろ自民党憲法草案をつくる時に、やっぱりいろいろ議論はありました。

あぁ〜。

でやはり、非常事態なり緊急事態なり定義はありますけども、大きな災害、災害の時の国民の命を守るような事態もあれば、或いは、ミサイルとかテロによっての国民の命を守る場合、或いは、本格的な武力侵攻の場合とか幅はあるんですよね。

まぁそうですね。

そういう時に、どこまで個人の権利や自由を制限しても・・・

あぁ、その問題ね。

はい、国が命を守るために動けるような仕組みをつくるか、場合によっては市長とか町長の方に権限をいかに与えるか、というのについてはいろいろ議論があります。

なるほど。

要は、全部国が持った方がいい場合と、やはり今度は逆に、現場の市長・町長の方に権限を与えないと全然動かない場合もありますから、

そうですね。

はい、災害の場合、やっぱりテロとかいう場合と、本当に武力侵攻の場合では若干違いますから、(西部が)言われたように。

(佐藤)先生の本当に最大のご努力で、安保法制、

今村有希
はい。

あれは世間でね、ギャーギャー反対している人もいるけども、ちょっとオツムが正常に動く人はね、ごく当たり前の事としか言っていないんですよね。

今回、私が非常に残念だったのが、『周辺環境に対してどういう評価をするかという議論』が、あまりなされなかったんですね。

なるほどね。

その部分が、どんなに日本が厳しくなったという部分を議論しなければ次に進まないんです。入口の前の段階の「憲法違反だ」とか、そういう議論が結構多くて、実際に日本が置かれた環境がどうなんだという議論が薄かった。周辺環境が厳しくなったと言いながら、対案を出さない。これは非常に『無責任』だと思います。

[*日本の周辺環境が厳しいと認識しつつ対案のない無責任 ]

やっぱり政治というのは、国民の命とか平和な暮らしを守るために、じゃあどうすべきかということの解を出さなければいけない。要は、危機管理というのは、備えあれば憂いなしと。

今村有希
はい。

逆にこれが、憂いなければ備えなしのものでもダメだけど、一番悪いのは、憂いあれども備えなしが一番無責任なんです。

(笑)

周辺環境が厳しくなった時には対案を出さない。これは正しに、憂いあれども備えなしという一番無責任なパターン。こういう部分が若干見られたのが非常に残念です。

[*周辺事態が危機の最中、憂いあれど備えナシの無責任 ]

周辺事態が危なくなっているということを、それを分かっていさえすればですよ、一つね、たとえこれまでは「後方支援ならばいい」と言ったけども、でもね、支援するからには、行われていることが正しいから後方から支援しているわけでしょう?

今村有希
はい。

でもね、後方からだけじゃ間に合わなくなったらね、自分が前線に行くことも必要にして可能ならば有り得べしと。ということは、人道でも支援するには、正しいと思うから人道的に支援しているんでしょう。

今村有希
はい。

でも人道だけじゃね・・・ゴメンなさいよ?

どうぞ。

「橋をつくるだけじゃ間に合わない」ということならばね、ある種の武力的な部分に必要にして可能ならば参加する。当たり前のことで。

それからグローバル、グローバルと言ってるんですからね、本当に地球の反対側で起こってることは、すぐ東洋に飛び火することも、いま現に飛び火しつつありますけどね。

特にあの『油の道』、ペルシャ湾から日本の油が8割ぐらい、ペルシャ湾からインド洋、そして南シナ海を通って日本に来る。で、それは非常に我々の生活や経済に大事な油なんです。

[*日本への原油輸送の約8割はペルシャ湾から運ぶ 」

今村有希
はい。

それは、日本の周辺だけが止まるという場合もあれば、場合によってはペルシャ湾で止まってしまっても日本に届かないわけです。新幹線で考えたら分かると思うんですけど、東京と大阪(間)を考えた時に、東京と品川間が止まる、というのが非常に分かりやすいですけども、その逆に京都と大阪が止まっても東京の方に影響が出ちゃうんです。油の道は繋がっていますから、そういうことも今、(西部)先生が言われたように、日本から離れていても影響が有る場合って有るんです。

そうでしょう。安保法制はね、全く当たり前のことね。もうこんなことで騒いでいるのはね、極めて特殊な日本列島だけで、世界中でもしも実際に(それを)知ったら口あんぐりするぐらい愚かしい議論が日本であったということ。

[*安保法制の改正は全く当然で時宜を得たもの ]

特にここで言いたいポイントはね、自衛隊も警察も海上保安庁も消防も、法律が無ければ1ミリも建前上は動けない。超法規ってありますよ。でも、法律がなければ1ミリも動けない。

[*法律がなければ1ミリも動けず、自衛隊、警察、海上保安庁

今村有希
はい。

で、今から21年前に『阪神・淡路大震災』がありました。約6千5百名弱の方が亡くなった。

今村有希
はい。

(その時=村山富市内閣当時に)自衛隊の出動が遅れたんです。なぜかと言うと、知事の要請が遅れたんです。知事の要請が無ければ、当時は大きな災害でも自衛隊は人命救助が出来なかった。

今村有希
えぇ〜(驚)

これはダメだっていうので法律を変えたんです。

先生、それには小さい声で異論を唱えておきたい。

はい。

いま先生ご自身が言ったようにね、超法規的、

今村有希
はい。

やっぱ法律に書いていないけどやっちゃうと。

(うんうん)

僕はそろそろ自衛隊はね、たぶん内部ではやっていると思いますよ、いちいち法律なんかに従うたって、法律の準備をしていないんですから。でも、やらなきゃいけないことがあったらね、やっぱり自衛隊はね、曲がりなりにも『軍隊』なんですからね。

(うん)

もういざとなったら超法規的にやっちゃう・・・ということを「うん」と仰ると、先生の立場が悪くなるから頷かなくて結構なんだけど(笑)

[*超法規的にやらざるを得ないのが非常事態 ]

今村有希
(笑)

今回まさにそういう法的な隙間を埋めるために、この法制をつくったわけで。で今回、『抑止力』ということを総理も何回も言いましたけども、備えあれば憂いなしということが、やっぱり抑止に繋がる。

今村有希
はい。

抑止力というのは、「やったらもっとやられる(=反撃される)から、やっても意味がない」と(いうように)相手が思わないと抑止にならないんです。

うん。

だから、要は平時から緊張状態そして有事まで、“日本とアメリカがお互い守り合う体制”をとった方がやっぱり相手は手が出せないんです。

[*日米同盟の堅固さを示すことによる『抑止力』とは ]

今村有希
はい。

私が単独でやるのと、西部さんと私がお互いに守り合った方が、どっちが今村さんは攻撃しづらいかと。

それの肝心の今の話ですけどね、先生が日本で、僕がアメリカとしましょうか。

今村有希
はい。

「日米同盟」と世間で言われている。つまり(自分を指差して)ニシベね。

ん?うん、ニシベ(笑)

今村有希
(笑)

(自分を指して)コイツがですよ、アメリカが、果たしてどこまで信用出来る奴かどうかというね。もちろん100%まではねぇ・・・。いちおう日米安全保障条約があるということは、それなりに信頼出来るということだけども、しかし、特にベトナム戦争以後の長い歴史を見ると、アメリカは大いにしばしば暴走しているんですよね。

[*ベトナム戦争以後しばしば暴走しているアメリカ ]

そこのところを自衛隊も含め、日本政府としてね、「いや、その話は我が日本にはムリですので、協力出来るとしてもこの程度以上は出来ませんよ」、という、たとえばそういうことを言えるようになるためには日本がチカラを持っていないとね。

[*軍事・外交・文化的な日本のチカラを強化する必要 ]

うん、そうですね。

いちばんの大事なチカラは『軍事力』ですけどね、軍事力をはじめとするやっぱりチカラを強化しないと、確かに日本の左翼の、僕に言わせれば阿呆共が言ってるね、「アメリカのやる戦争に引き摺り込まれる」、という懸念は払拭しきれないところはあるんですよ。

[*アメリカに引きずり回されず日本との約束を守らせるには ]

(うん)

お答え難いでしょうけれども、況してや、イラクに行かれて頑張ってこられた方には不愉快かもしれないけども、やっぱりその問題はどうしますかね?

やっぱり、そこはまさに『日本の覚悟』という部分が問われていると思いますね。一般に「同盟」というのは、

今村有希
はい。

3つを共有しないと真の同盟にはならないと言われている。

今村有希
はい。

①一つは、価値観の共有、②一つは、負担の共有、③それから、リスクの共有なんです。で、リスクの共有をしなければ、やっぱり本当の信頼関係は出来ません。

[*⑴価値観、⑵負担、⑶リスクの共有、真の信頼関係による同盟 ]

今村有希
はい。

特に、いま(西部)先生が言ったように、アメリカは世論の国ですから、いかに日米同盟があったといえども、やっぱり、本当に日本がリスクを共有する覚悟が無ければ、アメリカの議会が、「日本の為にアメリカの若者に血を流してまでやってこい」、というように認めるかどうかはかなりクエスチョンですね。

そうですよね。

で、実際に私がイラクに派遣されている時に、ペルシャ湾で日本のタンカー高鈴武装勢力に襲われたんです。その時に、アメリカの海軍が間に入って守ってくれたんです。

今村有希
はい。

で、結果としてアメリカの海軍の若者2名と、かのcoast guard(コーストガード=沿岸警備隊)1名、合わせて3名が命を落としたんです。その時にアメリカが言ったのが、『同じ活動をしてリスクを共有している仲間を助けるのは当たり前だ!』と。

[*日本のタンカー高鈴が襲撃され米海軍と沿岸警備隊3人死亡 ]

今村有希
はい。

当時、海上自衛隊がインド洋で給油支援、そして陸上自衛隊イラク人道支援をしてたんです。で、(彼らは日本を)仲間と思っていた。

[*海自がインド洋で給油支援、陸自イラク人道支援

今村有希
はい。

ところが国会の方で、当時の民主党の小沢代表を中心に、「海上自衛隊のインド洋(での給油支援)は憲法違反だ!」と言って活動が中断しちゃったんです。(それで)ガラッと変わりました。『なんで、アメリカの若者が日本の油を守るために命を落とさなければいけないのか!?』と。ね?リスクを共有しない、それでガラッと変わった。それが現実です。

[*インド洋で海自の給油支援中止後に態度がガラリと変わる ]

さらに遡るとね、あのブッシュJr.じゃなくて、パパ・ブッシュの時のね、要するにクエート問題、『湾岸戦争』の時に、あの時に小沢幹事長(※小沢一郎は当時は自民党幹事長)がね、1兆円お金を出したんです、国際貢献と称して。事態が終わってから、協力してくれた国々100カ国ばかりでしたかね・・・感謝文を出したんです。クエートが。

クエートがアメリカのそういう新聞の方に。

ところがね、今の100カ国ぐらいの間に日本は入っていないんですよ。なぜならば当たり前で、金しか出さないで命を出そうとしないから。いま(佐藤が)仰った危険を負担しようとしないから。金で済ませますよと言ったもんだから、感謝状の一片も貰えないというね。そういう恥ずかしいことが、今も去る25年前ですよね、あった。

はい。

〜エンディング〜

根本はやっぱり憲法の方に、日本のその価値観とか覚悟が書いていないということですね。憲法は英語で「constitution(コンスティチューション)」。

今村有希
はい。

構造とか、国柄みたいなイメージがありますから、やっぱり今の憲法に日本のその価値観とか、そういう覚悟という部分を書き込まないと私はいけないと、個人的には思っています。それで憲法改正というのは、私は大事だと思ってます。

僕も全く同感だ、というところで次の週に続けましょうか。

今村有希
はい。

今週はありがとうございました。

佐藤・今村
ありがとうございました。

【次回】「内外情勢の非常事態化のなかでの憲法改正」② ゲスト:佐藤正久自民党参議院議員

「現代の教育を問う 」② -高校生への道徳系譜学の在り方- ゲスト:下村博文、西田昌司 〜西部邁ゼミナール〜

「現代の教育を問う 」② -高校生への道徳系譜学の在り方- ゲスト:下村博文西田昌司西部邁ゼミナール〜

下村博文 自由民主党 衆議院議員文科相教育再生担当相、東京オリンピックパラリンピック担当相など歴任、現在、自由民主党総裁特別補佐兼特命担当副幹事長、近著『世界を照らす日本のこころ』(IBCパブリッシング)

西田昌司 自由民主党 参議院議員参議院自民党国会対策委員長代理、参議院法務委員会筆頭理事を務める、Web『週刊西田Satellite』 http://www.shukannishida.jp/top.html

【ニコ動】

西部邁ゼミナール)「現代の教育を問う」【2】2016.03.13


今村有希
2週に渡り「現代の教育を問う」と題しまして、ゲストには前文部科学大臣自民党衆議院議員 下村博文先生と参議院自民党国会対策委員長代理を務めている西田昌司先生にお越し頂いています。

時代が危機に突入していく中で、日本の国柄を保つためには『活力』が必要です。その源泉は【徳育】、つまり『国民の歴史的な習俗・習慣を踏まえた道徳』にあります。

そこで今回は『高校生への道徳系譜学の在り方』について論じて頂きます。日本のこころによって世界を照らす教育外交を掲げる下村先生と、日本に伝わる価値観を取り戻せと主張する西田先生が、国家の源たる人材を育てる上でもっとも重要な『やる気』について存分に論じて頂けるかと存じます。それでは宜しくお願い致します。

下村・西田
宜しくお願いします。

大雑把に言うと、小学校では採点のことよりも、ものの考え方として『国語教育』を一番ベースを、教科の体系の中で。中学校では採点のあれは別として『歴史教育』をベースに据えると。

[*小学校では国語教育、中学校では歴史をベースに ]

で、高校まで来ますと、これは特定の価値観を洗脳するわけにはいきませんので、それこそお釈迦様以来、孔子でもプラトンでもいいんですが、人類が価値観をめぐって、どういう系譜があるのかと。日本の子供たちに、“価値観について考える歴史の流れのようなもの”をそれを仮に『道徳系譜学』とするとなら、キリスト教がある、イスラムがある、仏教がある、どうのこうのというようなことを、それを頭に入れさせるというね。それがベースになるんじゃないかなぁという。

[*価値観について考える、歴史の流れ道徳的系譜学 ]

今の国語とかそれから歴史とか、高校で言うと、いま仰ったのは『倫理社会』とかまぁそういう教科になるのかもしれませんけども、これをもっと魅力的なものにするべきだと私は思う。

たとえば小学校の国語で面白いと思ったのは、世田谷区がそういう特区の中で、国語じゃなくて『日本語』というその特別の授業をもって、たとえば小学校1年生から6年生まで古典の素読をさせたりとか・・・

[*世田谷区では「日本語」教科、古文、漢詩論語の音読 ]

あぁ〜いいですねぇ。

そういう美しい日本語を教えてるんだそうです。たぶんそのことを(西部は)仰ってるんじゃないかと思うんですよね。

そうですよね、えぇ。

ですから、国語は国語で大切なんですが、日本の美しい言葉をキシッと小学生の時に教えるという意味では、今の国語の教科書だけじゃ不十分だろうし、歴史というのも、まぁ逆に『近現代史』、そのなぜ歴史を学ぶのかといえば、現代をそれからこれからの未来を思考するために、過去の人達の出来事を学ぶという意味では、縄文時代弥生からというんじゃなくて、その時代を逆に遡って教えるというような視点と、これから始めるんですけど、近現代史は「日本史」とそれから「世界史」を別々に教えるのではなく、一緒に教えると。

[*現代を思考するための歴史、過去の人達の出来事を学ぶ ]

うん。

あぁ〜。

(近現代の日本史と世界史を)関連させないと、知的好奇心にも繋がりませんしね。

[*日本史と世界史を関連させ知的好奇心につなげる ]

そうですね。

それから後は高校の倫理というのも、もうちょっと魅力的な、それが古典的なイエスキリストがどういう人だとか、プラトンがどう言ったとかいうような哲学者なり聖人の人達の言葉だけでなく、やっぱりこう現代にフィードバック出来るような形で、子供にとってそれがただの知識だけでなく『生きる力』にも繋がっていくようなことを額面体系としてつけたら、日本の学校教育というのはもっと面白くなるんじゃないかと思いますね。

[*知識だけでなく生きる力に学問体系をつける ]

うん。

仰っる通りで、知ったかぶりで言いますとね、イタリアに【ベネデット・クローチェ】という人がいて、『全ての歴史は現代史である』と。

[*「全ての歴史は現代史である」ベネデット・クローチェ(Benedetto Croce、1866年2月25日 - 1952年11月20日)は、イタリアの哲学者・歴史学者。ヘーゲル哲学と生の哲学を結びつけ、イタリア精神界に大きな影響を与えた。 / ベネデット・クローチェは「すべての歴史は現代史」であるといった。過去の歴史への考察も、現代を生きる者の感性と認識のパースペクティブによって左右されるということだ。さらにいえばそれは歴史を正しく知ることで、現代をよく生きるという意味でもあろう。(参考ウェブ:http://www.tsukurukai.com/fumikara/fumi2311.html ) ]

うん。

その意味は、現代をどう見るかという主たる関心から、それを見るために実は明治はどうだったか、江戸はというふうに、現代に対する関心というものが無いような単なる知識としての歴史なんてのは、糞の役にも立たないと。

うん、そうなんですよね。

クローチェが言ったのはそういうことなんですけどね。いま(下村)先生が仰ったことも同じことですよね。

そうか、そういう提案をなされているんですか、今は?

そうです、はい。

大したもんですねぇ・・・(笑)

一同
(笑)

ただ、その教科書を書ける学者ってのが、結構限られるんですよ(笑)

むかしの(西部)先生が『国民の道徳』でしたっけ?大きな本を書かれましたでしょう。

あぁ〜。

[*「国民の道徳」 著:西部邁


はい。

あぁいうのを1冊を体系的に勉強したら面白いでしょうね。

そうですね。

それから日本の場合、不思議な立地条件にあって、いろんなものが流れ込んできましたでしょう、数千年の歴史の中で。すると日本人の持ってる力、ちょっと飛びますけど結論で言いますと、何かいろんな異なったものを総合的に連関付ける、そういう能力において相当優れているんですよね。

[*異なるものを連関づける総合する力に優れた日本人 ]

下村・西田
うん。

宗教で言えば、イスラム教からキリスト教からというんじゃなくて、イスラムとキリストはどういう関係にあるかとかね、その他仏教でも儒教でもいいのだけど、なんかそういう繋がりを『総合』というのかな、恐らく日本人が世界に打って出る本当のパワーがあるとしたら、そういう『総合する力』だと思うんですね。

そうですね。だから下村先生が仰ったのに私も全く賛成なんですが、

はい。

でも、何で今のこの日本はあるのか、というのを考えました時に、絶対的に『あの占領時代の話の整理』をしなければなりませんよね。

そうでしょうね。

そしたら、それじゃあの戦争は何でなったのか、というこう振り返りがあるんですけども、実はその占領時代の整理は全くしていないんですよね。これは占領中につくられた事を考えることすら占領中は許されませんでしたから、まぁ憲法も然りですけども、歴史観そのものについてもそうですけども、それがそのまま整理できないまま、この戦後の日本にずっとどかっと形づくっていますんで、これがやっぱりタブーで、そこをやっぱり打ち破っていく、安倍総理の仰った『戦後レジーム』からの脱却というのはそこにあると思うんですけども。

[*占領時代を整理しないまま、憲法歴史観の戦後日本 ]

うん、それでね、それを「戦後教育がどうだったか?」ということを議論する時に、元の日本を貫く考え方として、これはぜひ西部先生にお聞きしたいんですけどね、お正月に西郷隆盛の本を読んでいた時に、その中の詩の中の一節にね・・・『その国家の根源は財政でも軍事でもなく、そこの国民の颯爽たる士魂にあり』と。その「士(サムライ)の魂」、士魂にあると。

[*「財政、軍事力でなく国民が持つ颯爽とした士魂にある」 西郷隆盛国家観 ]

うん。

だから、その国家が爽やかにこれからも発展できるかどうかというのは、まさに【国民の持っている士魂】にあり、というのを西郷隆盛が言っているんですよ。それが時代を貫く日本の根本的なもの、国家の、それぞれの国の国柄の中にあるけども、日本は西郷隆盛がそれを【士魂】という言い方をしたんですよね。

その貫くものがあった時に、戦前とか戦後を超えた日本のアイデンティティーと言いますか、子供達にもこれこそが日本の根本的な魂の部分だと、精神の部分だということを伝えていくことによってね、結果的にその戦後教育も脱却できると思うんですけど・・・(西部)先生は、どんなふうにお考えになりますか?

[*時代貫く日本国家の根本が戦後教育の脱却へつながる ]

まぁねぇ・・・武士道・・・もう既に新渡戸稲造たちが『武士道』書いた時には序文でね、『武士道はもう廃れておる』と。

[*「武士道」新渡戸稲造 1900(明治33)年 ]

うん。

自分はもう滅びつつあるものについて書いておるんだと。あれも115年前ですからね。あれから1世紀以上ですからね。

あとこういうふうに言った人がいるんですよ・・・

『勇気とは何か、勇気とは生き延びようとすると努力である』(*Gilbert Keith Chesterton:英・思想家)

うん。

『本当の勇気とは何か、死んで見せようとする覚悟である』(*Gilbert Keith Chesterton)

そうですね。

ある意味で矛盾ですよね。生き延びるために死んで見せようというね。僕ね、簡単な言葉で言えないなぁと思うのは、人間存在とか、国家も含めてですけどね、何かこうAだからBだ、というふうにいかずにね・・・

うんうん。

たとえばもう1人言うとね、【中江兆民】なんてのは、日本の馬鹿インテリがね、左翼のご先祖様みたいに言ってますけども、彼はやっぱりその新渡戸稲造の頃になるんですけども・・・

『ロシア討つべし!!』

うん。

『大陸に覇を唱えるべし!!』

[*「ロシア討つべし、滅びを覚悟で戦え、大陸に覇を唱えよ」 日露戦争の前に中江兆民(思想家) ]

と言って、日露戦争の4、5年前ですけども頑張るんですよね。中江兆民なんか足軽の子(*土佐藩)ですけどもね、あぁいう人間ですら・・・

西部・西田
『滅びを覚悟で戦う!!』

・・・というね。政治家ですからね、あんまり簡単にそういうことを言えないと思う。でもね、『士魂』とは何かと言ったら、西郷隆盛に見られるが如く、西南の役なんて負けるに決まっていますよ。

うん。

でも士魂がなんであるか示す為に、集まった青年たちに担がれて、やってみせるというね。でも、魂だけは自分が死んでも残るだろうというね。

[*士魂は何であるか示すため、西郷隆盛が戦った西南の役

うん、素晴らしいですね。もうぜひ(自民)党の幹部に言って頂きたい。

一同
(笑)

いや、私も全く同感でしてね、私はほとんど毎日、靖國神社に御参りしてから国会に行っているんですけどね、

へぇ〜。

そうすると、あそこで天皇陛下、または皇室のこの御製(ぎょせい)があったりですね、それから英霊の言乃葉が毎日変わって掲げられているんですけどね、これは何年も何年も毎日毎日行っていますとね、なんかやっぱり感じ入るものがあって、で、結局何かというと、あの戦争で、特に英霊はですね、お父さん、お母さん、弟、妹、家族に対して遺書を書いているんですよ。あとは頼んだ、という話。で、この自分たちの命は有限だけども、日本の国というのは無限で、自分たちの家族も含めてですね、ずーっと悠久の時間があって、私はこの今の一瞬の務めだけ果たして、後は(後世に)託して逝っていくというね。

[*天皇陛下の御製、英霊の言乃葉が靖國神社に ]

それを結局、西郷だってそうですしね、そういうふうにみんなやってきたわけです。そこがちょっとある種のタブーになったりね、もっと言えば、勝ち負け論、どっちが得か損か、損得論になったりしてね。

たとえば憲法前文第2項で、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」する。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、ところが何だ!何だ!と文句つけているけども。問題は「安全と生存」というね、それが本当の第一価値なのか?と考えたらですよ・・・

仰るとおりですね。

強い方に巻かれた方が安全に生存できる可能性あるんですよね。

うん。

そしたら、安全と生存よりか「上の価値」として、何にしましょうか・・・自立と自尊でもいいですけどもね、

下村・西田
(うんうん)

自衛隊法の3条にね、自衛隊の任務であれ、『平和と独立』と書いてあるんですよね。平和の方はいいとして、『独立という言葉は憲法には何処にも出てこないんです』よね。

[*自衛隊法 第三条:自衛隊は我が国の平和と独立を守り国の安全を保つため ]

ですから、ひょっとしたらね、こういうところに至るまで、安全と生存の前に『自立と自尊』『独立と自尊』が大事である。士魂というのはそういうことですよね。

[*自立と自尊、独立と自尊、士魂の持つ意味 ]

そうですねぇ。憲法改正について、いわゆる知識人と言われる人たちが反対が多いでしょう?

えぇ。

わからないんですよ。つまりね、たとえば「戦争法案」とか言われて実際的にそうじゃないし、憲法改正して戦争をし易い国になんて、ぜんぜんそんなわけないです。ただ、時代の変化に対応して、その法律の基本である憲法を、その国民がよりよい生活をしていくために改正をしていくというのはある意味では法治国家としては当たり前のことなんだと思うんです。

[*戦争法案とレッテルを貼り、憲法改正を反対する知識人 ]

全く当たり前ですね。

当たり前のことをね、その一文たりとも改正しちゃいけないというのはまさにそれは思考停止だと思うんですね。思考停止だってことを反対する人たちがなぜわかんないのかなと。

[*一文たりとも改正反対という思考停止の状態 ]

思考停止しているからです(笑)

下村・西田
(笑)

まず二言言いたいけど、まず一つは名前まで挙げませんけどね、国会まで出てきて、今度の安保法制は憲法違反ですと、よくもまぁそれで学者を言うもんですねぇ。

[*国会にまで出て安保法制は憲法違反と言う憲法学者

ハハハハハ、本当ですよ(笑)

これもし裁判官でしたら、法律に従うのが裁判官の仕事ですから、この法律がある以上はこうなりますよ、と言ってもいいけど、“憲法学者”でしたら、「この憲法はこことここがダメだと思います、ここはいいと思います」と言わないと。

憲法“学者”じゃないですよね。

うん。

“学者”じゃないんですからね。まずそれ一つでしょう。それから、もう一つ言いますと、安保法制で言っていることは、全くすべて常識なんですよ。

[*安保法制で言ってるのは、全く以って常識のことである ]

そうですね。

後方支援だけじゃなくて、前線に行く必要があったらいきましょうと。人道支援で足りなかったら武力も使いましょうと。極東だけで済まなかったら地球の反対側も考えましょうってね。

抑止力としてね、うん。

当たり前のこと。だけど、確かに問題があるのは『日米安保』でしょう?

うん。

手を組むアメリカがね、どんな国かを考えたらね、僕は別に反米主義を言いたいんじゃないんだけど、僕に言わせれば大東亜戦争だってアメリカが仕掛けた戦争ですけどね、アメリカは相当に問題含みの国であるということはある。

[*問題含みは日米安保、国民的な議論を如何に ]

うん。

ただそのアメリカとケンカするわけにはいかないという事情にあることも確かなんですね。そこの議論をね、ぼく政治家にやれというよりも、国民がね、アメリカとケンカ出来ないが 、しかしアメリカは相当厄介な、ベトナム戦争以来、朝鮮戦争以来でもいいけど、いろいろとしくじり多きことをやってきた、乱暴狼藉も含めて厄介な国だということを、国民レベルで議論しないとね、政治家も動けないだろうと思うの。

そうですね。

これ、(アメリカで)トランプが浮上してきて、それを日本とタブーなく議論しなくちゃいけない時になってきましたよね(笑)

一同
(笑)

そうですね。安全保障については与党も野党も関係なしでですね、共産主義の国でも軍隊は当然どこでも持っていますしね。ところが日本だけは、何故か左翼の側というか、野党側は安全保障そのものもですね、基本的に考えないというか、蓋をしてしまうんですね、議論に。

[*安全保障はタブーなく、与野党関係なく議論すべき ]

たとえばアメリカがですよ、理不尽な要求をしてくる可能性もある。或いは、協力すると言いながらそれをサボる可能性もある。

うん。

その時に、日本人が(アメリカに)約束を守らせる、或いは、異常な要求は退けるためには日本が力を持たなければいけないわけね。

[*理不尽な要求と約束反故には日本が力を付けること ]

そうなんですよね。

力って別に軍事力に限りませんよ、外交力、文化力も含めてね。安保法制反対論者のけしからんところは、日本はどうすれば力を付けるのか一切議論しないんですよね。

そうですね。

その歴史教育の話にちょっと戻りますとね、私は歴史教育というのは日本の中学校とそれからアメリカの中学校で、たまたまその「第二次世界大戦をどう判断するか?」というのをね、視察に行った時に聞いたことがあるんです。

西部・西田
ほう。

こういうのをactive learning(アクティブ・ラーニング)といって子供たちに議論をさせながらさせますと。

[*第二次世界大戦めぐる評価 米国 アクティブ・ラーニング ]

で、日本の場合はですね、どこの学校もみんなそうなんですが、「やっぱり戦争はいけない。平和が一番。だから戦争をしない国にしましょう」というのが議論の中心でこれに終始するんです。

ところが、アメリカの学校で驚いたのは、最初からトルーマン大統領の立場、マッカーサーの立場
それから日本の天皇陛下の立場、それから日本の軍部の立場、この4つに分けてですね、第二次世界大戦というのを分析するんですよ。

[*トルーマンマッカーサー天皇、軍部の立場で分析 ]

西部・西田
ほぉ〜(驚)

アクティブ・ラーニングだから、その事前にもちろんそれぞれの立場を、トルーマンの立場みたいなのを決めてやるわけだから(事前に)勉強しているわけですけどもね。だから、「戦争はいけない」とか「平和が一番」というね、そうなんだけど、そんな単純な話じゃなくて、それで客観的にもう一度、第二次世界大戦を(分析する)、それがアメリカの歴史教育と日本の歴史教育との・・・まぁこれは“日本だけ”ですよね、他の国はそういう客観的な歴史教育をやっている。それがやっぱり“日本の思考停止の大きな部分”ですね。

そうですね。

しかもこれ大問題なのは、結論だけ言うとね、もう既に世界情勢がね、僕は第三次世界大戦などと大袈裟なことは言わないけれでも、それの「前哨戦」とでも言うべきものが結構長く続くでしょうけど、あちらこちらで起こり始めているというね、そういう情勢にあるんですよ。そこでこんな呑気なね、お風呂の中でオナラしているような話を日本人はやり続けているんですよね。

[*大戦の前哨戦のような情勢続く中で呑気な話の日本 ]

下村・今村
(笑)

そうですね。何よりもそれを習うべきですよね、私たちは(笑)

一同
(笑)

だから冷静にね、アメリカもちょっと前までは、広島・長崎に原爆を投下したのは、これは戦争を早く終結させるためだと。或いは、日本人を救うためだ、みたいなのが大勢論としてあったでしょう。

うん。

でも、それについてもこのやっぱり(戦後)70年経った中、改めて客観的に議論しようという、そういうのが出てきましたよ。

あぁそうですか。

なるほどね、なるほど。そうすると、本当に日本だって日本の立場をもう一度ですね、議論できるハズなんですよね。

そうなんですよ、うん。

ところが、日本人がそれを知らないんでこれは本当にどうしょうもないですね。話にならない。

日本だけがなんかタブー視しちゃって「平和主義だ」みたいなね、「それが一番だ」みたいな、そこで全く思考停止したまんまずーっと70年きてしまった部分があるから、ある意味ではマッカーサーが「日本は非常にまだ幼児的だ」と指摘してた部分があると、

マッカーサーは日本人の精神年齢はについて)「12歳だ」って言いましたかね。

・・・12歳。

ヘッヘッヘッヘ(笑)

それはね、当たらずも遠からずみたいなところがあって、ずーっと思考停止になっている部分がやっぱりありますよね。

[*日本の立場を議論すべき処、平和主義という思考停止に / 日本の精神年齢は12歳、マッカーサーに言われたまま ]

そうですよね。平和安全法制が議論されて、憲法違反だとかどうだとかありましたよね。その時に一番大事なのは『あの自衛隊が、なぜ今の日本国憲法の中であるのか?』この議論をもう少し整理して言うべきだと思っているんですね。

[*自衛隊が今の憲法の中でなぜ存在するかを議論すべき ]

そうですね。

つまり、憲法をつくったのは昭和21年、この時にマッカーサーは絶対に(日本の)軍隊を解体しようと、非武装化が目的だから、あの前文と9条をつくってやってるんですよね。

[*憲法ができた昭和21年、非武装目的で前文と9条 ]

うん。

ところが、昭和25年になってからは「朝鮮戦争」を契機にして、今度は日本にもう一度に再軍備させないととんでもないことになるといんで、今度はもう一度、占領政策を大変更して再軍備を命じたと。共にこれ占領中ですから、日本人の意識は関係無いんですよ。その関係無いのを一つ繋げるために、自分たちが(自衛隊を)つくったということにしていますからね。

[*昭和25年に朝鮮戦争勃発、警察予備隊を防衛部隊へ ]

ある時は平和主義。しかし平和主義でも自分の軍隊は、自衛権はあるんだ、という話に変えちゃって、でも21年の時には「自衛権すら無い」と吉田(茂)は言ってたんですからね(笑)

そうですね。

だから、そういうことを言ってきた変遷を国民が知らないもんだから、というか政治家も知らないし、教えていませんからね、これいまだに。ここの議論をもう少ししていくと、もっと国民の皆さん見てて、先ほど(下村)が言ったような、(あの戦争においての)「日本の立場は何だったんだ?」というのがいろいろ見えてくると思うんですけどね。

まだ教えていないというよりもね、僕に言わせるとね・・・

考えもしない。

知りたく無い。

知りたく無いねぇ・・・。

うん。

適当な平和だとかさ、反戦だとか、だぶらこいていれば楽だというね。

[*占領下で非軍事化が変遷してきた事を知ろうとしない ]

うん。

しかも東大出てもですよ(呆)

今のそれ言うと、そんなこといま言っても仕方ないよ、になっちゃう。それよりも今のこっちの方が大事なんだと。憲法改正はもちろん大事なんですけど、憲法改正をしようと思うと、「何でこの憲法がおかしいのか?」という根本のところを教えないとですね、また国民が理解できないといけないん思うんですよね。だから、(両院の賛成の)2/3をとろうと思うと、まさにそういう国民の共通理解、納得ですよね。

うん。

あぁそうかと。そこに気がつくと一挙に日本は変わると思うんですけどもねぇ。

[*憲法のおかしさの根本を国民が共通理解すること ]

本当は、だから「憲法9条の特に第2項」ですけども、(改正は)これは必要なことだと思うんですが、ただ最初に(西部が)仰ったようにね、3・11が起きたから緊急事態条項とかね、そういうのでもいいと思うんですよね。

そうですね。

今の日本社会においてやっぱり憲法でキシッと明記することによって、緊急事態が起きた時に、大きな大震災が起きた時に対処できると。

そうですね、うん。

これはイデオロギーの問題じゃないと思うんです。

そうですそうです。

でも、そういうことをね、憲法改正する議論にすること自体がけしからんというか右傾化だ、というのが本当に思想が硬直化していて、

そうですねぇ。

これは世界から見たら、日本人というのは如何にその『幼児性の国民性』なのかということだと思うんですよね。民主主義国家だから。

そう。本当にギャグ漫画見ているみたいになっていますもんね、これ。笑い話ですよ、これは。

冷静にやっぱり議論できるような土壌を早くつくっていかないと、日本そのものが危ういですよね、逆に。

[*冷静な議論の土壌をつくらねば、日本そのものが危うい ]

いや全くです、そうですね。そのアプローチの仕方がだから、やっぱりわれわれ政治家側もですね、戦後の枠組みの中で捉えちゃうんで、

うん。

もうちょっと大胆にズバッと言い切りづらいところがありましてね、まぁ私なんかはそういうことを言ってましたから、平和安全法制の時にですね、「もし当ててくれればそういうことを質問したいんですが、どうですか?」と言えば、「いや、それを今さら言われると話がややこしくなるからいい」と言われまして、質問できませんでしたけどもね(笑)

(笑)

本当はだから、そこの話をもう少しね。

本質論ね。

うん、やるべきだと思うんですけどね、これは。

うんうん。

まぁ討論の中では結構、そういう話になったりするんですけど、まだまだ至っていないと思いますね、はい。

[*戦後の枠組みで論じられ、本質的な議論が進まず ]

だから平和安保法制の(議論の)時も、本質論よりは「戦争法案」とかね、或いは、「徴兵制がすぐにでも敷かれる」みたいな、そういうデマゴーグ的な議論だけに終始して、本質論じゃなかったですよね、国会そのものが。

[*戦争法案で徴兵制だとデマゴーグ的で本質論にならず ]

そうなんですよ、そうです。それで民主党だって、本当はもともと彼らが政権政党だったんだから、我々(自民党)の言ってることは半分わかっているハズだと思っていたんですけどね。随分いまもう野党になってしまって、もう一度、一挙に「左」の方に行ってしまいましたよね。なんか左翼政党のような党にいってしまいましたからね。

もとを正すとそれは民主党が悪いわけでもない。結局、国民がね、その程度のDemagogie(デマゴギー)と言いますけどもね、あれ『民衆煽動』って意味なんですけどね。

うんうん。

民衆を煽動するような、「戦争法案」とかさ、そういうことに反応する民衆が選挙民になる。政治家ですから「そうだ」と言い辛いでしょうけどね、

(うん)

そういう民主主義になっちゃったのね。

[*デマゴギー=「民衆煽動」の意味、「戦争法案」だと反応する民衆が選挙民になる民主主義 ]

下村・西田
うん。

僕が小さい声で言う・・・これはもう救いようがないわい、こいつらは。

うんうん・・・(笑)

(笑)

或いはね、絶望する人が増えるのだけが希望ということ。政治家は言えないでしょうけど、知識人は平気でそろそろ言わないとね。だって本当に馬鹿げているんですもん、こんなこと。

特に今年になってね、北朝鮮の核実験・ミサイル発射の問題とか、中東の問題とかね、世界中がきな臭い事がもう頻繁に起きている中で、やっぱり平和安保法制等を昨年キシッと通しておいて良かったんであって、

その通りです。

通らなかったら今年もそんなことをガタガタやっているようだったら、

とんでもないですね(笑)

日本そのものが沈没しちゃいますよね。

ということでですね、今村さん、

今村有希
はい。

教育を論じるつもりでした。

一同
(大笑い)

本当はこういうのが教育なのよ(笑)

今村有希
はい(笑)

やっぱり具体化すると憲法論だね、戦争論だ、そういうものをどう論じるかが教育なんですよね。

今村有希
一人一人も考えていかなくちゃいけないってことですね。

ということで先生方、お忙しい中、有難う御座いました。

下村・西田
有難う御座いました、貴重な機会を。

【次回】ゲスト:阪本順治監督 映画『ジョーのあした』

「現代の教育を問う」① ゲスト:下村博文、西田昌司 〜西部邁ゼミナール〜

「現代の教育を問う」① ゲスト:下村博文西田昌司西部邁ゼミナール〜

ゲスト:

下村博文 自由民主党 衆議院議員文科相教育再生担当相、東京オリンピックパラリンピック担当相など歴任、現在、自由民主党総裁特別補佐兼特命担当副幹事長、近著『世界を照らす日本のこころ』(IBCパブリッシング)

西田昌司 自由民主党 参議院議員参議院自民党国会対策委員長代理、参議院法務委員会筆頭理事を務める、Web『週刊西田Satellite』 http://www.shukannishida.jp/top.html

【ニコ動】

西部邁ゼミナール)「現代の教育を問う」【1】2016.03.06


今村有希
本日のゲストは前文部科学大臣自由民主党下村博文衆議院議員と、同じく西田昌司参議院議員です。『現代の教育を問う』と題しましてニ週に渡って論じていただきます。

教育は知識人にとってのstumbling-block「躓きの石」、 良き教育の為には良き教育者が必要であると考えると、良き教育は大いなる困難にぶつかります。

[*教育は知識人にとってのstumbling-block「躓きの石」 良き教育は良き教育者が必要で良き教育は大いなる困難に ]

しかしながら、教育は最も大事なもので、国家百年の計を考えると、教育はその礎となる重要なエッセンスです。そこで今回は、活力溢れる二人の政治家に徹底して論じて頂こうという試みです。

それでは先生方、宜しくお願い致します。

はい、宜しくお願い致します。

今日はありがとうございました。ぼく最初に御二人に問うてみたいのはね、英語公用語化を始めとして、英語教育の普及ということがまぁ、重大テーマに言われてますけど、僕の仲間はみんな反対しているんですけどね・・・

(無言で挙手=自分も反対!)

ぼく一人反対していないんです・・・賛成もしていないんですけどね(笑)

(笑)

日本人の普通の人がね、外国人をちょっと関心させるような、オイ日本人けっこう面白い事を考えてるぜ、と思わせる力があるとね、ぼくは是非ね、トップエリートだけじゃなくて旅行に行くような人もね、英語を片言でも喋れるのは大事だと思うんですよね。

[*英語力の強化で外国人を関心させる発話がでけるか ]

ところがね、最近、新宿の飲み屋の話なんですけどね、けっこう立場のある文学者その他がね、本当に子供っぽいセリフ・・・「安倍には困ったもんだねぇ」「安保法制には困ったもんだねぇ」「いったい反戦をなんと心得ているんだろうねぇ」・・・みたいなね、もうなんか100年、200年前のカビの生えたセリフね。

うん。

で、後に何の展開も無いんです、会話に。「うん、そうだね」で終わる会話ね。

下村・西田
(うんうん)

こういう民族に英語なんか喋らせたら世界の恥になるんじゃないかという。

下村・西田
(爆笑)

下村先生は英語はペラペラ?

いえいえ、ペラペラではないんですよねぇ(笑)私はあの文部科学大臣の時ね、小学校3年生から英語を教えるということを前倒しでするということを決めたんですけど、これは数年後そうなるんですけど、いま日本は(英語の)「教科」としては中学校から始まるんですね。

[*小学5年からの外国語活動を小学3年へ前倒しする ]

あぁ。

で、小学校5年生から英語に親しむというか、週1回、5年生・6年生を(対象に)数年前から始めたのですが、それを前倒ししてね。理由はですね、良い悪いは別にして英語ってのは世界共通語なんですね。

なっちゃったんですね。

なっちゃった。共通語を日本人だけが知らないというのは。世界の中で活躍できないと。まぁ別に世界に行かなきゃいいじゃないかというのがあるかもしれないけども、日本国内だってグローバル社会で、昨年1年間で1974万人の外国人が来ている。

そうですね。

うん。

これはどんどん来ますよ。という中では、共通語を知らないと世界の中で日本だけ除け者にされてしまうね、という世の中だから、まぁ共通語ぐらいはキチンと習わせようということですね。

事実をちょっと言うとですね・・・

えぇ。

国会議員になって、様々な外国に行ったりありますよね。私も喋れないものですからね、通訳を聞いて喋ったらいいんですけど、(英語を)喋れる議員がいっぱいいますとね、勝手にどんどんどんどん喋っていきましてね、一人だけ置いてきぼりになりますよね(笑)そういうので言うと、(下村)先生が仰るのがよく分かるんですが、もう片っぽでですね、わたし昔にホームステイでイギリスに一月だけ行ったことがあるのですが、その時にスパニッシュと、スペイン人の男の子と一緒の部屋だったんですね、片言の英語でお互いに。その時に、要は歴史の話とかで、みんなでいろんな人間と話すことがあったのですが、日本人って全く歴史を知らないんですね、自分の国の。

うんうん。

で、(外国の)彼らは(自国の歴史を)けっこう教えられているんですよね。だから一方的にやり込められるんですよね。それで私は、英語は大して出来ないけども(笑)、「それは違う!」と言うことは出来ますからね、手振り身振りで話して。

うん。

結局ね、英語はまぁ大事なんですけどね、本当はもう少し中身の歴史とか、日本の文化とか本質的な話がですね、あんまり出来る人がいないなぁというのをすごく感じたりするんですよね。

[*英語が共通語化する中で、日本の歴史の発話ができるか ]

そうね。歴史をね、知っているかどうかというのは単に知識の問題じゃなくて、感心したことがあるのは、あれ『ウクライナ問題』の時かなぁ・・・

あぁ〜。

テレビ見てましたらモスクワでね、本当にね、不良少年みたいなのにインタビューするんですよね。

うん。

それはそのモスクワの青年が、「俺たちロシア人にはひたすら生きようとする情熱ってものがあるんだ」と。本当にね不良少年と思しき人間が自発的に発言するんですね。

うん。

何かこう自分に内発するある意見とか気持ちが、知識を知ってるかどうかの前に『姿勢』の問題として。

[*生きようとする情熱があると、内発的なロシア青年の発言 ]

うん、ただそのね、いま西部さんも言われてましたけども、外国人と話したり外国に行くことによって、逆に自分が日本のことを知らないと。日本の歴史を知らないと。

仰る通りですね。

・・・というね、勉強する動機付けになっているんですよ。そのidentity(アイデンティティー)というのは、

そうですね。

真の国際社会で活躍するという意味では、真の日本人としてのアイデンティティーがないと世界の中で生きていけませんよね。

そうですね。

その為には日本の事をもっと知らなくちゃいけない。ですから、英語を教えるということでね、それから日本の歴史や文化を教えるというのは別に相矛盾することじゃなくて、

そりゃそうですね。

両方を如何に発達段階に応じてしっかり教えるかという意味では、日本は両方とも他の国から比べるとその分野についてはきちっと教えていないという表れだと私は思って頂きたいと思うんですね。

古い話ですけど、あの【新渡戸稲造】が『武士道』を書いて、やっぱり【内村鑑三】が『代表的日本人』を、両方とも英語で最初に書いたんですよね。

[*「代表的日本人」内村鑑三、「武士道」新渡戸稲造

そうですよね。

あれ書かれたのは1899年だけど、当時ね、やっぱり外国人が日本人には宗教教育は無いのか?と。まぁ道徳教育も含めましてね、

えぇ。

『価値観』を教えないでお前たちはいったい何をやる気なんだ!?と散々っぱら言われて、(新渡戸・内村の)二人は断固として、『自分達には既に滅びつつあるが、武士道というものがある!!』というので頑張ったのが100年ちょっと前ですよね。

下村・西田
えぇ。

またそういうサイクルが来ているのかなぁという気がしますね。

全然話が変わりますがね、アメリカの大統領選挙予備選挙かなんかやっていますよね。そうすると、トランプさんって人がものすごい暴言のようなものを言っていながら人気あるんですよね。

えぇ。

で、聞いてると面白いなぁと思ったのは、『かなり内向きの自分達の国のこと』を彼はものすごい言うんですよね。ところが、実際の外交とかそういうことを考えると、そんなことで世界中納得できるかねぇ、というところがあって、

めちゃくちゃなことを言ってますよね。

(めちゃくちゃなことに)なっているんだけど、あれけっこう『アメリカ人の本音』でありましてね、つまり自分達の国はやっぱりこうだとか、あぁだとかいうとこあるんですよね。で、振り返って日本の方を見ますとね、

うん、

日本はあんまりそういうことを・・・まぁ言う人もたまにいるんだけど(笑)、国境とか家族とか故郷というのはね、どこかタブーというか、ほとんどそういうことを考えずにですね、まぁペラっとした話を言いたがりますよね?

[*日本人は故郷や家族という大事なものを忘れて議論 ]

うん。

だから、まぁそこを考えると、トランプが別にいいとは思えないんだけども(笑)、何か日本人は人というか人類というか生命体としても、大事なところを何か置き忘れたまま議論をしているような気がしましてね。だから、英語で喋らないとトランプさんともやり合いは出来ませんけども、やり合いする前に、そもそもそういう人間の原点になる部分、そこが必要のような気がするんです。

ぼく戦争が終わった時、たった6歳なの。戦争のことよう知らんのですけど、でも昭和が終わるまでは日本の指導者、政治に限らず経済界も言論界もね、やっぱり一応形の上では戦後民主主義とか戦後なんとか主義に迎合しててもね、やっぱり戦中・戦前を体験していますでしょう?

えぇ。

そのやり方の中にそういう過去の歴史のようなものを組み込んでね、ある意味じゃCommon Sense=常識に合うようなことをやってらした方が多いのだけど、やっぱり平成の御世が来ると同時に一斉に「世代交代」が始まって、そういう戦争を知ってる味わっている人たちが、或いは、戦後の混乱期を、そういう人たちがリタイアしたんですよね。

[*昭和まで政財界言論人には歴史を組み込む常識があった / 戦争と混乱期を知る世代が平成の御世に入りリタイア ]

下村・西田
うん。

それから早26年、27年か・・・随分変わったんですね、この四半世紀たるね。

ただ、さっき仰ったように、英語でね、日本もそういう道徳のバックボーンはあるんだと、西洋に対して。それを英語で新渡戸稲造が「武士道」書いたり、それから内村鑑三が「代表的日本人」書いて世界の人たちに発信しましたね、それで100年ちょっと前ですね。

しかし、いま仰ったように戦後70年経った中で、やっぱりそういう『思想的な空洞化』というのはこの70年の中でどんどんどんどん薄くなっていることだけは事実で、100年経った中で改めて、我が国の特定のそのキリスト教とかイスラム教とか、宗教がバックの日本は道徳とか価値観があるわけではないですから、しかし『武士道』はね、今もその息づいている部分もあるけども、武士道で語れませんよね、100年前と違いますよね。ですから、改めていま我が国における精神的なそういうバックボーンなり、あるいはそのスタンスは何なのかって事をキチッと議論して整理するというのは、やっぱり日本にとって求められているそういうタイミングだと思いますね。

[*我が国の精神的支柱は何か、議論して整理する機会 ]

そうですね。

えぇ。

厄介なのは、もう最近、特に安倍政権の皆さんがつくられてから、もう経済界をはじめとして、イノベーションイノベーションの連発でしょう。

(うんうん)

innovationというのは「革新」ですよね。簡単に言うと「古いものが壊れていく」。

[*innovation「革新」により古いものが壊れていく ]

道徳のことを英語でmoral(モラル)というけど、先ほど舞台裏で喋っていたんですが、あれは元々はラテン語のmores(モーレス) から来ていて、moresというのは集団ある固定・安定した感情みたいなものをモーレスと言うんですよね。

[*「道徳」moralの語源は、ラテン語のmores 集団において固定、安定的に共有される『感情』 ]

ところが、innovationがここまで立て続きますとね、慣習が壊れる。ということは、集団の安定した感情がどんどん薄らいでいく。だから一方で、もちろんイノベーションは起こるんですけど、あんまりinnovation maniac(=革新狂)になっちゃうと、道徳の基礎を自分自ら壊すというね。

[*innovationマニアックで道徳の基礎を自ら壊すことに ]

あぁ〜。

だから、そこのところ難しいですねぇ・・・イノベーションに先行しないと経済競争で負けますからね、それに突っ走る。と同時に、それは自分たちの道徳的基礎を取り崩しているというね。

まぁ、必ずしもそれは矛盾しているようには私は思えないんですよね。

そうですか。

これか日本が少子高齢化であるにも関わらずですね、発展していく為には科学技術、イノベーションによる新産業の育成等を図っていくというのはこれはもう必要なことだと思うんですよね。でも科学技術イノベーションとね、それからモラルの破壊というのは繋がらないんじゃないかと思ってまして、逆にいま私のその(周囲の)経営者の人の中でも、アメリカのような金融資本主義的なものではなくて、株主の為に会社があるということじゃなくて、『広域日本資本主義』と言いますかね、昔の近江商人の『三方良し』じゃないけども、そういう日本古来の経済的な在り方をキシッとここで確立をしなければ、日本そのものだけじゃなく世界が経済によって破壊されてしまうんじゃないかという意味では、モラルそのものが破壊されているようには思われないんですね。ただ、それをもうちょっとキシッと徹底をすると言いますか、何がモラルで何が道徳で、それを今度、文部科学省では『道徳』を特別の教科化として位置付けてね、学校教育の中でちゃんと教科として位置付けて教えることを始めることにしましたが、別に懐古主義とかそういことじゃなくて、一方で社会常識とかルールとかマナーとか、徳育的な部分は教える必要があると。

[*米国型金融資本主義でなく広域日本型の資本主義 / 「三方良し」近江商人の様な日本古来の経済的な在り方▷「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」近江商人の心得 / 特別の教科「道徳」として新たに位置付けた文科省

えぇ。

(モラル等が)破壊されているというよりは、ちゃんと継承されていない、教えられていないというふうには思うんです。

むかし「日本的経営」ってありましたでしょう。

えぇ。

日本的経営がどうというよりも、僕が例えば西田先生を雇う時には月々・・・50万でいい?

いやぁ・・・ありがとうございます(笑)

(笑)

まぁ例えば50万ね(笑)頼むねと。よっぽど怠けたら僕も首切らせてもらうしね、またはよっぽどヒドい社長なら(雇われた側の)ご本人が辞めちゃうでしょうけど、でも50万でなんとか頼むぜと、時々ボーナスも払うけどと、それでやるということは、それでご自分の生活がまぁまぁ見通しが立つということですよね。

[*固定安定した収入により生活の見通しが立つ ]

うんうん。

今度逆に言うとね、50万で買ういろんな品物が上がってこの程度、下がってこの程度、マーケットの価格 price体型がある程度安定しているという見通しの中で人間の契約が成り立つんですよ。

それはそうですね。

ところがですよ、今の原油価格が典型に見られるように、いま(1バレル当り)30ドル?忘れましたがね、1バレル30ドルになったり150ドルになったりね、(乱高下するような)こんなふうなバブルだ、バーストって破裂ですけどね、膨らむ・破裂するということが起こるマーケットで起こっちゃうとね、あれ自体もマーケットシステムの破壊なんですよね。

国民がある程度のmoralを共有し合うところでマーケットすらもが安定すると。単に需要と供給ではめがったりね、なんというかなぁ・・・持ち込んだりするもんじゃないんだってね。

[*市場の安定によって人間の契約が成り立つ / 国民がmoralを共有しあいマーケットも安定する ]

まぁ経済というよりビジネスですよね。ビジネスが先に出ちゃうと、この頃はアメリカ式の短期的利益をですね、ROE(return on equity:株主資本利益率)がどれだけあって、どれだけ(株主に)配当出来ますかとかね、という話がどうしてもビジネスの世界というのは出ちゃうと。出ちゃうと一番効率の悪いところが切られますよね。でも、その典型が地方と東京の関係で言うとね、(効率面から切り捨てられるのは)『地方』なんですよね。地方がどんどん切られて、そしてその結果ですね、家族、故郷が破壊ですよね。しかし東京でそれだけの昔の家族や故郷が作れるかというと、その方々も結局、定住したり子供と一緒に住んだり、そういう仕組み無いですよね。結局(東京に)居るんだけども、そこに家族も故郷も無いんで、結局、地方で家族・故郷が壊されて道徳・文化の基が無くなって、東京に来てそこでまた定住して、そういうのを作れば昔の江戸のようにですね、それも出来ないままにあっちこっちに浮遊してしまうと。

[*合理効率化により地方衰退、家族、故郷が壊れる / 地方から東京へ一極集中、子供と住まず定住しない / 地方では家族や故郷が崩壊、道徳や文化の基が無くなる ]

うん。

で結局ビジネスが、まぁそういういろんな破壊の基になっているんじゃないかと。(西部)先生が仰りたいのはそういう方向の話でもないのかなと。

「住民」のことをね、これはラテン語圏等で「inhabitant(インハビタント)」というんですよ。habit(ハビット)って「習慣」、「in〜」は(〜に)入っているという意味でしょう。ある安定した習慣がその地域にあってその中に入っていく、入っていくということは簡単に言うと「定住する」ということですよね。

[*「住民」inhabitant、habitは「習慣」のこと ]

うん。

ですから、日本人は簡単に「住民」と言うけどもね、住民という言葉の中に歴史、社会的に解釈すれば、そこに長期間滞在して停留してね、そこの慣習のようなものを、まぁ好き嫌いはあるでしょうけども、そこそこ何であるか理解するという、それを指して住民というんですよね。

[*長期間滞在して慣習を理解定住するのが「住民」 ]

いま単に市役所に住所登録出せば住民ということで、なんか1ヶ月後には別に移ったりね、そういうのが住民になっちゃっている。なんかいろいろと「安定性」が失われている。かと言って、安定性にこだわりすぎると、(下村が)仰ったように、日本が取り残されるという。

いわゆる「ムラ社会」のね、

あぁ〜

その歪みはヒドいもので、もちろん私たちもそれは思うんですけども、まぁその「バランス」ですよね。なんかちょっと最近欠けているような気がします。

まぁその多様な変化をね、これは止めることはもう出来ないわけでしょう。

そうですねぇ。

一つには、その経済原則を含めて世の中の流れとしてありますから、例えば東京における受け皿の部分を、そのなかなか新住民としてそこのルール、郷に入っては郷に従えみたいな形での、そこまでの地域におかれる共同体意識というのは実際に無いから、バラバラですから、それに代わるような新たな共同体意識と言いますかね、共同体意識と違ければ、例えば道徳の部分だったら学校の中でキシッと教えるとか、違うところのその教育の受け皿みたいなのを、或いは、共同体の受け皿みたいなのをどう作っていくかということも時代変化の中で求められるんじゃないかと思いますけどもね。

巷の噂では、今度自民党がね、衆参両院選挙で圧勝したとすれば・・・

(笑)

憲法改正を手掛けるんじゃないかと・・・僕は大賛成です。ついでに巷の噂で言えばね、非常事態法・・・当たり前ですからね、戦争のことを考えるというのは非常事態だから。明治憲法もあったんですよ、31条にね。戦争、国家危難の際には天皇大権を行使するを妨げず。

[*時代の危機が進行する中で憲法改正と非常事態条項は / 「明治憲法第31条」(非常大権)・・・戦争、国家危難に際しては天皇大権を行使するを妨げず ]

非常事態ですからね、憲法その他の法律を一時的に停止して、非常事態に対処をするというね・・・あれこれ仰山、また反対しているのがいるのが多いんですよ。

下村・西田
(笑)

また安倍が悪いことをやっていると(笑)

一同
(大笑い)

でも考えてみたら、非常事態・・・常に非ざると考えれば、イノベーションがこれほど激しくなりましたらね、単に国家の戦争というよりも、生活そのものが常に非ざる。

下村先生、ご存知かなぁ、滅多に電車に乗られないでしょうが。僕も不愉快だから、最近電車乗らないことにしたんですけど、理由は見渡す限り前の10人がスマホを弄くっている。

そうですねぇ。

ぼく首が回らないんで左右見えないんだけど、どうもそうでしょう。で、人から聞いたら、あの7、8割はゲームをやっているというんですよ。

[*電車内でスマホを弄くる日常、7、8割はゲームに興じる ]

うんうん。

これスマホゲームが何かは知りませんけどね、これはかなりもう非常事態なんですね。なんかこう人間の心理状態までね、次々と非常事態に誘い込まれているという。どっかで落ち着かないとダメだなって気がするんだよね。

[*人間の心理状態までもが非常事態に誘い込まれている ]

うん。businessはbusyから来ているらしい、忙しいんですけども、本当に忙しいんですね。他人と関わっているヒマも何も無い。

[*business「仕事」 busy=忙しい ness=状態 ]

あのnegotiation(=交渉、折衝)、businessの交渉も、neg(ネゴ)というのは「否定」なんですよ、oti(オティ)というのは「暇」かな。つまり「暇が無い(=negotiation)」と。

[*negotiation「交渉」 neg=否定 oti=「暇」 ]

うん。

busyは「多忙」でしょう。negotiationも「暇が無い」でしょう。それは、時は金なりというのは分かりますけどね、遅れをとるというのは滅びますけどね、何もそのいつも先頭を必死こいて走っていないと日本はダメなんだ、というのは気に入らない。

うん。

どこか、まぁしゃーない、ちょっくらやるかという程度でね、イノベーション騒ぎは収めてもらえないかなぁと。そうしないとね、道徳も歴史も何もかも虚しくなっちゃうんですよね。

まぁ、イノベーションというのと、それからそれに付随する人の生活がより便利になっていくということはまぁ望ましいことだと思うけど、合わせてその人の精神が社会的に荒れてしまうようなことがあってはならないですよね。

そうですよね。

それを(西部は)仰っているんだと思いますが、かと言って、世界はグローバル社会の中で日本だけ鎖国社会じゃありえませんから、取り残されるわけにいかないので、やっぱりより望ましい科学技術イノベーショというのはどんどん進めていかなければならないと思うんですよね。同時にそれに合わせた人の社会の変化に対応した望ましい生き方とか、教育とか、それから共同体の在り方とかいうのを常にその変化に対応しながら、ひとりひとりだけでなく社会全体が快適で望ましいようなそういう工夫を常にしていくというのが、政治にも求められると思うんですけどね。

[*社会変化に対応した生き方、教育、共同体の在り方 ]

あぁそうですね。世間でなんか教育論で、文系は役に立たないから・・・確かに役に立たないことが多い。

下村・西田
(大笑い)

大学の話ですけどね、一本槍でやったほうがいいんじゃないかという説がだんだん増えているんだ。それもね、一理二理ない話じゃないけども、しかし理系から出てくるいろんなtechnical、technologicalなイノベーションというのも、それが本当にコミュニティとか個人の生活とかにね、或いは、自分の子供・孫の生活の意識の安定に役立つかどうかまで考えると、それはね、理系からは出てこないんですよね。

それは私ね、是非(西部)先生から聞きたいんですけど、文系は役に立たないとは言ってないですよ。

(笑)

私が当時(文科)大臣の時に通知出したんですけどね、「今までの文系の在り方でいいんですか?」と。時代の変化に対応した文系の在り方という意味では、余りにも日本の文系というのは「タコ壷型」であって、

そうですね。

その専門だけやってても、それが社会に出た時にどの程度役に立っているのかということになると、これはもうちょっとですね、幅広く学ぶ、或いは、その多様な変化なんかに対応する柔軟性が大学の学部や学科にも文科系は必要なんではないですか?という、まぁliberal arts(=一般教養)も含めた幅広い教養を如何に身に付けさせたらという提案なんですけどね。

僕もそれは大賛成で、僕は実はspecialist=専門人という言葉が大嫌いで、あれspec(スペック)というのは「見る」、look at という意味なんだけど、自分の見た事にしか関心が無いんですよね。

[*専門人specialistは spec見ることだけに関心 ]

うん。

でもね、見た裏側もあるわけでしょう。斜めも上も下もあるわけ。「総合的」な、それをやろうとするのが(下村が)仰ったあれなんですよねリベラルアーツというんだけども、日本語で何てあれなんて訳すの?教養学部の「教養」?

そうですね、教養ですね。

そういうね、全てを総合、synthesis(シンサシス=総合)そういうことは出来ないけども、何も物事の局所だけ、自分のspecするところにだけ拘って、specialist・・・

[*synthesis 総合できずとも広い視野で物事をみる教養 ]

特に日本の学問ってそれがより細分化されてきてね、スペシャリストかもしれないけど、トータル的にみたら違うんじゃないかという認識を持たなくなってしまっているところが、

そうですね。

やっぱりこう本質的なこと・・・

昔いい諺があって「群盲象を撫でる、評する」という。

[*『群盲象を評す』(若しくは、群盲象を撫ず)誤謬に対する教訓のこと ]

今村有希
はい。

群盲というのは、今は「瞽(めくら=盲)」というのは差別語ですけどね、群盲ね。盲従の群れが象を摩ると。鼻を触った盲従は象は鼻のようだ、足だ、尻尾だってね、本当に今のスペシャリストはそれぐらいになっちゃっているんですよね。経済ひとつとったって本当はそうですよね。

そうですねえ。

経済を全部ロボットがやっているんなら工学的知識で十分かもしれないけども、依然として経営者の決定だ、企業の組織の団結だ、或いは、他企業との言葉を使ったネゴシエーションだってね、『人間的な力』が無ければ、企業ひとつ動いていないんですよね。

その通りですね。

理系そのものからは簡単には出てこない、かと言って、スペシャルな文系からも出てこない。

そうですね。

ということで、一週目終わりましたが、2週目より活発な議論を致しましょう。

【次回】高校生への道徳系譜学の在り方

「青年よ、寂しさに屈するな」② ゲスト:中森明夫(作家・アイドル評論家) 〜西部邁ゼミナール〜

「青年よ、寂しさに屈するな」② ゲスト:中森明夫(作家・アイドル評論家) 〜西部邁ゼミナール〜

ゲスト:中森明夫(作家・アイドル評論家)、1959(昭和34)年 三重県出身、著書には小説「アナーキー・イン・ザ・JP」三島由紀夫賞候補、「アイドルにっぽん」、「午前32時の能年玲奈」、【近著】「寂しさの力」(新潮新書

【ニコ動】
西部邁ゼミナール)「青年よ、寂しさに屈するな」【1】2016.02.14


今村有希
「青年よ、寂しさに屈するな」の第2回目です。引き続き作家でアイドル評論家の中森明夫先生にお越しいただいています。中森先生が上梓された『寂しさの力』にまつわる話を題材にしつつ、現代の若者について語って下さいます。家庭、地域、学校、職場における人間関係をはじめ、いわゆるネット世代の恋愛事情などはいったいどうなっているのでしょうか。非常に面白い話が幾つも伺えるかと存じます。それでは先生方、宜しくお願い致します。

お願いします。

今日も宜しくお願いします。今村さんも含めて、中森さんはどう思うかなぁ? 僕は酒場の暴言だけども、たぶん人生で10回ぐらいはこういうことを言っているんですよ。どうも最近の若者は、恋愛をしなくなった、出来なくなったと聞いておると。理由を小生思えらく、たぶん男が戦争をしなくなったからじゃないか。戦争は言い過ぎだとしても、男は危機の場合に、危険な場・・・『危険を超えた危機』だな、危ない場所ね、女子供を守るべく行ってみせましょうという態度を、「平和」とか「民主」の名の下において危ない事をやめましょうとしてしまう。危ない所へ行かない、と宣言する男ってのはね、たぶん、女から見て魅力が無いんじゃないか。

[*若者が恋愛をしないできないその理由をとは何か / 『平和』『民主』の名の下に男が危機の場へ向かわず ]

今村有希
ウフフ(笑)

逆に言うと、男なんてみんな大したもんじゃないんだけどね、お前たちを守る為に、危ない所へ行ってみせるぞ、と言うとね、大した事のない男でも女の側から言えば、一入思いを抱いてくれるし。

[*お前たちを守る為という男には女性も一入思いを抱く ]

今村有希
(頷きながら)はい。

小さい声で言うけど、男の方もそうなんですよ。それは勿論、女を崇拝してる人もいるけどね、まぁ大したもんじゃないんですよ、75(歳)だから言わしてもらうけど。

中森・今村
(笑)

けどね、この子を残して俺は明日死ぬかもしれない、片足失くすかもしれないと思うとね、一入(女性も)可愛く見えてくるわけさ。

[*この子を残し明日死ぬと思えば、女性も一入可愛く見えてくる ]

今村有希
(うん)

・・・というふうなことで、恋愛沙汰というのがかつてはあった。もっと冗談だけど、国連の代表になりたいと、あの広い会場の壇上で演説したいと、全世界の人類諸君!再び戦争をしようではないか!!

ワハハハハ(笑)

今村有希
!!(目を丸くして驚く)

理由は、“恋愛の復活の為に”。

[*再び戦争をしようではないか、“恋愛の復活”のために ]

ほぉー。

古代から男女の恋愛だけは、古今東西ですよ、もう普遍的にあった力を(今や)無くしている。

今村有希
(うん)

だから、核兵器が出来てから、戦争は出来なくなったから、先進国はね。

今村有希
はい。

ただし、兵器の水準はずっと落として、考えれば織田信長も悪いと、鉄砲を(戦争に)持ち出した奴が。せめて刀の時代まで戻して・・・全部冗談になっちゃうんですけどね(笑)

今村有希
(笑)

何か、(戦争をしなくなったこと)恋愛沙汰が無くなる必然性があるような気がするなぁ。

(西部を指して)面白いでしょう?

西部・今村
(笑)

僕ね・・・やっぱり西部さんの話は面白いんですよ。しかも過激なんですよ。

西部
(大笑い)

それでね、今のSEALDsの若者の学生運動、同じ場所で半世紀前に西部さんがやってた、今の若い連中たちっていうのはね、「生活を守れ」とかね、「会社入れろ」とか「社員にしてくれ」とか言うんですね。西部さんたちはね、今でも「戦争やれ」とか「破壊しろ」とか・・・

いやいやそれは冗談ですから(笑)

『老人が過激で若者が保守的なんですよ。西部さんが保守主義なんてとんでもない話で。』

[*SEALDsの若者たちの生活を守れと保守的に ]

(照笑)

国連行って、戦争やろうぜとか、それで若い奴らは、生活を守れとかね。彼らの方が保守で、こういう西部さんみたいななんか暴走老人がいて、

へへへ暴走老人(笑)

これが僕ね、「若者が恋愛が出来ない!」とやっている一つの世代的主因、(西部たち老人世代が)元気過ぎる!

今村有希
(笑)

元気過ぎるのと話が面白過ぎる(笑)

これね、ちょっと悪いけどね、中森さん自身の言葉なんだけど、元をただせばヘーゲルになるのかな。ぼくドイツ語勉強していないからね、翻訳で言ってるんだけど、

今村有希
はい。

社会から周囲から『承認』されることね、お前は何者かであるというね。それは人間の根源的欲求の一つだということを(ヘーゲルは)言って、まぁそれが今もずっと続いているんだよね。他者から自分が承認されるということの最もprimitive(プリミティブ=自然な、素朴な)なケースというのは、異性からね・・・

女性ですね、恋愛ですね、早い話。

我々にとっては女性ね。女性に承認されるというね。

[*社会や周りからの『承認』 人間の根源的な欲求 ]

あなたのことを好いてやるわよ、と承認されるというね。それされないままに30、40、50(歳)になったら、そりゃ大概の男はへこたれるね。特に男はへこたれる。

今村有希
(うんうん)

(西部は)「戦争」って極端な言われ方をしているんですけども、やっぱりそれを飜案すると、他者と出会う経験ですよね。

そうだね。

やっぱり人間が考えた一番凄いものって『恋愛』と『戦争』だと思うんですよ。

うん、そうね。

他者と出会う経験として。幸か不幸かで言えば「幸」でしょう、半世紀も戦争しないでぬくぬくと飢えて死なないわけだし。でも、そうなっちゃうと、あんまり頑張らなくていいし、今の男の子たち、ぼく若い子たちに聞くと、とにかく、相手の女性のことを考えていないんですよ。自分をなんとかしてくれと、恋愛マニュアルだなんだと、(つまりは)相手のことを考えていない。

あぁ〜そうか。

だから、例えば、可愛いコとか、若いコとか、胸の大きいコとか、女のコをすごい「属性」で見てしまっていて、女のコの側も人間じゃないですか、そういうことを経験したことがないものだから、例えば、キミはやっぱり美人だとか可愛とか何とか、俺はね、可愛いからMXテレビに出ているから(今村が)好きなんじゃない・・・俺は有希が好きなんだよ!!・・・と僕らみたいなオッサンが言うと、コロっと若い奴からね、常識があると。だから、(若い奴らは)可哀想なんですよ。

今村有希
うん。

まぁそうだね。

ほとんどまず一人っ子なんですよ。そのいま(平均出生率が)1.5人以下ですよね。

それ関係あるかぁ〜。

ありますよ。小さいとき、僕でもそれは兄貴とお菓子の取り合いだなんだかんだありましたけど。

オルテガって人なんだけど、名セリフがあって、第一人称「俺」のことだね、「私」のこと。

今村有希
はい。

第一人称は最後に出てくる。もっと言うと、出てくるべきである。例えばね、中森さんこんな顔をしてこんなことを言っているなぁと。今村さんは、あそこにクボタってプロデューサーがいるんですけどね、

今村有希
はい。

クボタ君は“最後にそういうふうに思っている自分がいる”というね。

[*「第一人称は最後に出てくるべきである。」ホセ・オルテガ・イ・ガセット(スペイン哲学者) ]

まぁアメリカのせいもあると思うんだけどね、I think〜と言うでしょう? 私は〜と思う。

今村有希
(うん)

でも三田誠広(※みたまさひろ:小説家、1977年の「僕って何」で芥川賞)という小説家じゃないけど、「私って何?」って聞かれたらさ、正体不明になってくる。

あぁ〜なるほどね。

個人主義の過剰』ね。私、俺、僕。となると、「僕を売り込もうとする」でしょう?そんなのね、例えば女性は敏感ですからね、その程度の顔でその程度の姿で、ワタシにエラそうに僕だの私だの何さ、とかってちょんとハネられちゃうんですね。

うん。

もっと素直にね、例えばだけど、(相手の女性を)キレイだと思っている・・・あっ、俺が思っているんだって最後に気付くね・・・

う〜ん(唸る)

そういう調子になればね、たぶん承認して貰えるハズなんだけどねぇ。

でもね、よく聞くとね、もちろん西部先生は戦時中の生まれですけども、いま自伝を書かれていますけども、戦争が終わった年では4歳か5歳ですよね。いかにも軍隊に行ったようなねぇ。

ワハハハハ(大笑い)

今村有希
(笑)

それでこういうことを言うから、若い人たちは、西部さんはあたかも「戦争帰り」みたいな(笑)

戦争に行ったんですか?みたいなことを言われたことがある(笑)

でも、じゃあ西部さん、「恋愛」と「戦争」とありますよね。『革命』はどうなんですか?

『革命』はねぇ・・・革命はいくど考えてもあんまりヒドければ、殿様であれ金持ちであれ、それはやっぱりね、革命、いわゆる革命、大変革を起こすべきだと思う。でもあれもともとのね、革命の意味ってのは【天命】の意味なんですよね。これ中国の思想ね、天(てん)という変わらぬものがあって、その命(めい)に反するもの、そういう王朝はひっくり返せと。そういう『革命』なんですよね。命(めい)に応じて変えるというね。

[*『革命』とは「天命」の意味、命に背く王朝はひっくり返す ]

それから、revolution(Re−volution=革命)もそうなんですよ。革命のことを英語で。Reって「再び」ですから。

あっ、そうですよね、「再び」ですね。

(re−volutionの)Volution(ボリューション)というのは「めぐり来る」という感じかな。なんか過去から長年時間が経って、そこで過去の知恵のようなものがあるでしょう、こういうことをやるのがいいんじゃないかという。もちろん、過去と今は状況が違いますからsuggestion(サジェスチョン)、示唆に過ぎないんですけどね、過去に起こった出来事で上手く解決した知恵ね、それをRe=再び、Volute=めぐり来らせる、というね。そういう意味じゃ『revolutionの本来の意味というのは
案外、過去志向みたいなところがある』んですよね。

[*【革命】revolutionの re=再び volution=めぐる:出来事を解決した過去の知恵を再びめぐりきたらせる ]

う〜ん(唸る)

それがね、フランス革命だな、「過去は全部不完全である、誤りである」と。それを戦後日本がやったわけですよ。1945年までの日本はダメである、悪である。これを全否定してね、新しい理想の下に新社会を設計すべきだ、というので戦後が始まったんですね。

[*新理想の社会を設計すべきと過去否定から戦後がはじまる ]

だからね、そういういのは革命は革命でも、言葉の本来の革命からズレた、急進的大変革ね。

うん。

急進的ということはradical(ラディカル)・・・

radical

radical great change 起こすこと一般を否定しているんじゃないんですよ。あんまりヒドかったらそれで仕方ない。あそこがちょっと悪いぐらいのことでね、抜本改革とかさ、構造改革とかって騒ぐでしょう、あぁいうのは嫌なんですよね。

[*革命の本来の意味とズレた、急進的radicalな大変革 / 少々のことで「抜本改革」「構造改革」と騒いできた ]

そうするとね、急進主義の反対が『漸進主義』で、英語で言うとgradual(グラジュアル)というんですけど、僕が言うんですからね、この変な男がね。

(笑)

よほど格別の悪い環境じゃない限りね、変革案を出している自分自身が不完全なのだから、あんまりそれを急進的(radical)にやっちゃうと取り返しがつかなくなるからね、グラジュアル(gradual)に、漸進的に一歩一歩石橋を叩いて歩こうじゃないか・・・と言ってはいるけど、俺の人生はそうじゃないだろう?と貴方(中森)は言いたいんだろう(笑)

[*漸進的 gradualに進める、変革案を出す人間は不完全 ]

いや、西部さんの話というのは聞いて聞き惚れちゃうんだけど、面白いのだけど、全部こう・・・

(中森を指して)自分の言動に反しているといいたいと(笑)

・・・逆なんですね、逆。本当に西部さんのね若い頃をこれドラマ化したらいいと思う。

何を言っている(笑)

映画とか。60年安保の盛りの。で、現代のいま西部さんを、西部役をやるいい俳優がいるかどうか。で、今の若者、ジャニーズ系かなんかの若者が学生服を着て、それこそ『恋と革命』ですよ、最初の話に戻るとね。若者が、恋と革命でワァーっと樺美智子(※かんばみちこ)がいて、唐牛健太郎(※かろうじけんたろう)がいて、まぁ西部さんほど教養のあることを僕は言いませんけども、三島賞の候補になった僕の小説がその『アナーキー・イン・ザ・JP』(※17歳の少年に大杉栄の魂が乗り移るという小説)というね、大杉栄(※大正期の社会運動家)の魂が現代の少年に乗り移るという話で。

ほぉ〜。

いろんな本を調べて、まぁ大杉栄吃音だったんですね。

吃り。ヘッヘッヘッヘッヘー(笑)

だけど僕は吃らないじゃないですか。吃って書いていると面倒くさいから、(大杉栄が)少年の魂に入った時に、魂は吃らないんだといって、パァーッと書いてった。そしたらそれを、重松清という小説家いますでしょう、僕らもよく酒場で会う。彼はまぁ吃りなんですけど、直木賞作家なんですけど、で、大杉栄後藤新平にお金をせびりに行った時に、あの「500円くれ」と言うのを、(吃りだから)カ行、ガ行が喋れないんですね。

あぁそうか(笑)

だから、500円くれと言うのを、300円くれになっちゃったんですね、彼の事情で。

今村有希
(笑)

さしすせそは発音しやすかったんだね(笑)

(吃りで)ご、ご、500円くれと言えないから、300円になっちゃったんですね。僕は気付かなかったんだけど、その重松清が指摘してたんだけど、その大杉栄の人生って『恋と革命』ですよ。カ行ですよね、「コイ」も「カクメイ」も。

今村有希
はい。

たぶん、(カ行の)コイとかカクメイって(吃りで)上手く喋れなかったんですよ、むかしの西部さん。でもそういう人が言葉じゃなくて実践するんですね、これが。

ところがね、話がちょっと厄介になってくるのは、恋(コイ)と革命(カクメイ)と中森さんはアッサリ仰るが、生命懸ける、人生賭けるとなるでしょう、同時に恋愛をやってると、自分のやってる危ない振る舞いに女性を巻き込むことになるわけさ。

なりますよね。

そこの緊張感ね。簡単に言うと、道徳ってあると思うんですけどね、テロリストでもなんでも革命家でもいいんだけども、自分が傷付く分には自分の判断でいいけどね、それに女性を巻き込んじゃいけないと、いうふうに思うところはあるわけさ。

うん。

今村有希
(うんうん)

そういう意味では俺は旧人類なんだ。自慢すべきか恥ずべきか、ほとんど全てぼく以外の男性たちはね、自分たちの組織が滅びていく時に、みんな女性のもとへ行っちゃう。

ほぉ〜。

女性と別れたのはね、恥ずべきか自慢すべきかよう分からんが小生ただ一人。

あぁ〜西部さんだけなんだ。ヘェ〜。

知ってる限りで言うとね。だから案外、そこですら『恋と革命』の間にある矛盾が起こりうるんですよね。厄介な話で。

[*生命と人生を賭ける革命、恋と革命の矛盾と緊張感 ]

今村有希
寂しかったんですかね?

うん?

今村有希
その、女性の方へ行かれた方たちは?

ねぇ。

寂しい・・・いやそれはねぇ、寂しいというそんなんじゃないと思うね。もうちょっと打算的なことじゃないのかなぁ。

でも西部先生、あのよくね、昔の弾圧されてきた共産党時代の転向者というのは、典型的な言い方としてよく『母への転向』という言い方があるじゃないですか、日本の場合はね。

あぁ〜。

そういう意味合いではないんですかね、女性に転向するというそこにしか居場所が(ない)。政治的転向ではなくて母性に戻っていくと。

僕はちょっと違ったけど、僕はあなたのようにお母さんに愛されてませんでしたから。

いえいえいえ。

ハハハハハ(笑)

だけど、なんて言うのかなぁ・・・今の若い人たちが、やはり何かこう空虚感、恋愛したってなんかこうマニュアルっぽくなっちゃうと。

そうねぇ。

運命の出会いだとか、宿命だとか思えないわけですよ。

[*現代の若者における恋愛、運命宿命感じず空虚感 ]

今村有希
すぐ連絡が取れちゃう。

すぐ取れちゃうでしょう。いまネットとかLINEとかで常時繋がっている。

今村有希
はい。

そうすると、昔の映画とかね、この橋の下で来週会おうよとか会えないとか、あぁいうことないじゃないですか。ドラマが生まれにくいってところありますよね、現代のメディアにとって。

夕べもある酒場でいろんな風景、女4人男4人の集団がやってきて、女のコたちはケーキの話をしだしたの、どこそこの何がプリンは美味いわなんつって。そしたらね、立派な服装をした若者たちが必死にその女性の会話について行くべくね、あそこのケーキもあるよ!とかさ。

中森・今村
(大笑い)

それを見ててね、これはもうダメだと。

今村有希
ふふふふふ(笑)

だから今はね、ぼく分かるなぁ・・・別に中森さんに媚売ってるんじゃなくてね、あぁいう男性たちがやってきたら、それはね、女の人たちに頼みたいことがあるとしたら、いいチャンスを狙ってパンチを喰らわせろとね。

[*男の役割に目覚めるには、女性がパンチを喰らわせる ]

今村有希
アッハハハハ(笑)

それしか無いんじゃないかって。(拳を突き立てるジェスチャーを交えて)「何言ってんの!私たちのケーキ話に口出すんじゃない!!(怒)」ってね。

今村有希
(うんうん。笑)

空気を読む?KYか。

うん。そうそう。

KY KYということを気にしながらね、本当の意味でいう『自分の役柄』ね。

今村有希
(うん)

ケーキ話をするのは女の特権で、男はおいそれとそういうことをしちゃイケないんだと。

大学でね、ちょっと何年か前に教えてたことがあったんですけど、(学生が)一人で学食でご飯を食べられないというんですね。

あぁ〜。

本当かなと思って(学生に)聞いてみたんですね。

今村有希
はい。

「食べれないっスよーっ」というわけ。なんで一人で食べられないの?と聞くと、「ボッチ(=独りぼっち)と思われちゃうじゃないですか」と。「友達がいない奴だと人に見られちゃうじゃないですか」と。

今村有希
はい。

一説によるとね、トイレかなんかでご飯を食べてるというね。

ハッハハハハー(笑)

今村有希
はい(笑)

それで、可哀想だなと。そこまで人目を見て、あんなもの一人でどこででも食えばいいのに、その一人でご飯が食べられないと。だから、よく若者というとなんか規律性が無くて、なんか放縦に何をやってとは全然違って、若い奴ほど周りのことを気にしていて、(西部を指して)こういう老人の若い頃の「今こそ戦争を!」とはまったく逆なんですよ(笑)むしろ空気なんか読まないで・・・でもそうはいかない。

ひとりでご飯を食べられないってね、それが周囲から社会的承認を得られていないというね、それを見せたくないと、それでトイレに入って食事ってこうなるわけでしょう。

うん。

やっぱりそれを突破する道はね、結論を言うとね、本当に『最後は決断しかない』んですね。

うん。

本当にね、フラれることを覚悟でね、今村さんにね、「今日ランチを一緒にしませんか?」と言って、予想通り・・・「私は別の約束がありますから」と言われて。そういうことを言ってみせる勇気ね。

[*他者から承認を得られる「決断」と「勇気」 ]

今村・中森
あぁ〜。

ある週刊誌の記者に、その生徒から聞いた話をしたんですけどね、いま中国の留学生が東京にいっぱい来ていて、中国の留学生に女子がみんなもっていかれていると。

今村有希
えぇ〜!?(驚)

ほぉ〜。

うん。こういう番組で西部先生の前で言うのもあれですけども、みんな喰われていると言ってました。

今村有希
う〜ん。。。

本当かなぁと思って記者が調べに行ったら、中国の男たちってこれまた空気読まないんですね!

ワハハハハ(笑)

今村有希
(苦笑)

こういう今村さんみたいなキレイな人がいると、だいたい男たちは、あのコだけはみんなで手を付けないようにしようぜと言って出てくるのに、「今村さん!」とか言いながらどんどんどんどん・・・

じゃあ僕は中国人なのかなぁ・・・

今村有希
ウフフ(笑)

ということは、中国の男たちはいま一人っ子政策でヘタしたら結婚出来ないかもしれないというんで、ものすごいフェミニンなんですって。中華弁当を作ってくれたり何くれたり、もう日本の男たちは全然敵わないと。その記事をさる週刊誌で全部調べてやったわけ。

あぁそう〜。

日本男児よ、これでいいのか!!尖閣諸島どころか・・・

フハハハハハハ(笑)

今村有希
(笑)

女性たちまで侵略されてと(週刊誌の記事に)・・・僕は大爆笑したんですけどね(笑)

今村有希
へぇ〜(笑)

本当にね、本当にそれ大事なんですよ。

今村有希
はい。

ちょっと自慢話ですけどね、僕もハッキリ言ってクソ爺さんですよ。

今村有希
(いやいや)

これ数年前ですけどね、ある酒場行ったら、向こうにどうも日本人とは見えない女の人が3人揃っててみんな美形だったのね。真ん中に男たちが5、6人いるんですよ、僕はこっち端にいたんですよ。でもね、一瞬ねその場に沈黙が訪れてそのチャンスを逃さず、あの向こう端の女性の皆さんは美形ですねと。それで美形という言葉が通じなかったの。「美形って何ですか?」というから、キレイですねということを言った。

今村有希
はい。

結論を言うと、後で真ん中の部分が居なくなって、こっちへいらっしゃいよと。日本語は達者なの、ペルシャ人、イラン人(のこと)ね、もう一人は中国人。日本に来て、酒場でキレイですねと遠くから声をかけられたのは生まれて初めてですと。

おぉ〜。

今村有希
へぇ〜(笑)

僕ね、日本男子に言いたいね。これ老人だから言えるのかなぁ・・・ぼく若い時は言えなかったな、そういえば僕も。^ね。

今村有希
うん。

あるいは老人たちが悪いのかなぁ・・・自分たちが率先してね、若者よと、若いから言えないのかもしれないけども、そばにキレイな人がいたら良いタイミングで『キレイですね』と言えと。いま言えないのなら、いずれ言えるように頑張れと。

今村有希
(笑)

・・・というふうに励ます老人が少ないってことかもしれないね。

西部さんが若い人の前でそうやって出てきたら、「あぁ俺も歳をとったらこうなれるんだ」と希望が湧きますねぇ。

ワハハハハ(笑)

今村有希
ウフフフフ(笑)

西部さんも格別ですけども、老人の方が若くて若い人の方が保守的。僕も50(歳)を越えてきてからなんですか、車のタイヤかなんかが(回っているのを)見ていると、一瞬錯覚で反対に回っているみたいに見えるじゃないですか。

あぁあるねぇ。

年齢もそういうふうに感じていて、よく考えてみたら老人って、西部さんのことじゃなくて、西部さんはあと20歳ぐらい生きると思いますけどね、先が無いわけですよ。

今村有希
あぁ〜。

ねっ。先無い老人ってものすごい若いんです。芭蕉の最期の辞世の句があるじゃないですか・・・

『旅に病んで 夢は枯れ野を かけめぐる(松尾芭蕉)』

ものすごいスピードですよ。だから、西部さんの中で夢は枯れ野をかけめぐっているんじゃないですかねぇ。

これね、端的に言えるみたい。恐らくそれ記憶の問題と関係があって、ある程度歳をとると、自分の中でいちばん重みをもつのは『過去の記憶』なんですよね、それがね、甦ってくるんですよ、少しずついろんなチャンスにね。

[*甦ってくる過去の記憶は自分の中で最も重みを持つ ]

うん。

ですからね、それに自分で関心をもつ。ということは若い時のことでしょう、ひどい時は5歳6歳の時のことが断片的に甦りますからね、そうするいと外面は禿げたり皺だらけになったり神経痛になったりするんだけども、内面的には若い時のことが甦ってくるのね。内面的にはすごく若々しい。妙なあれ昆虫?硬い殻を被って割ればフニャフニャとなっちゃう(笑)

中森・今村
(笑)

あの文章がそうですよね、西部さんの最近の文章が。

今村有希
はい。

どんどんどんどん若く。で、文章はだって、全く若かろうが何だろうが同じなんで。

人間ってそうですね、この対他関係、他者から承認されることも必要だけども、承認されるための条件はやっぱり『自分の努力』も必要ですからね。

[*他者から承認されるには自らの努力も必要である ]

人生、時間がありますでしょう、20年だろうが、70年だろうがね、

今村有希
はい。

そしたら、自分のこの生涯の時間をうまく解釈して、それなりに語りうる物語にしてね、それをいいTPO、time(時間)、place(場所)、occasion(場合) をわきまえて他者に発表すると、他者はこいつ面白いやんけ、というふうに承認してくれるというね。

[*生涯を解釈し語りうる物語にTPOわきまえ他者へ発する ]

うん。

それを、東大出たぐらいで承認してくれと言われるから、よく東大生が新宿で殴られていたもんですよ。お前何者だ?と言ったら、ちょっとそっくり返って「東大生です!」と言うもんだからバーンと殴られるというね。

今村有希
(笑)

僕ね、SEALDsの最初に話をしてたけど、若者たち諸君ね、やっぱり西部さんがこんなに面白いんだから、囲んで特に女子を中心にして、担いで国会まで行って一緒になんかねぇ、まぁこういうことでもいいし、戦争をしようでもいいですよ、西部さんの。

(笑)

若者たちはね、この西部邁というスゴいグル(※ヒンドゥー語で「導師」)がいるんだから、西部さんをもう一回国会前へ連れてって・・・

僕は麻原彰晃になるのは嫌です(笑)

新しい革命!!革命をね、2010年代後半のね革命をやったらいいんじゃないかと思いますよ。

今村有希
(笑)

中森さんね、是非ね、まぁ・・・この番組が続けばまた来て頂きたいね。

楽しみです。

そうしないとね、僕ね自信ないんですよ。だんだん歳取るでしょう、それで理屈もだんだん固まっちゃうし、こういう状況の変化というものに敏感に対応して物を書いてこられた方がタマに来てくれないと、どうも我が仲間の発言は、僕も含めてみんな紋切り型になっちゃってね。

(笑)

なんか最近退屈しているもんで・・・是非、またお越し下さい。

いやぁ〜楽しかったです。

ありがとうございました。

中森・今村
ありがとうございました。


「青年よ、寂しさに屈するな」① ゲスト:中森明夫(作家・アイドル評論家) 〜西部邁ゼミナール〜

「青年よ、寂しさに屈するな」① ゲスト:中森明夫(作家・アイドル評論家) 〜西部邁ゼミナール〜

ゲスト:中森明夫(作家・アイドル評論家)、1959(昭和34)年 三重県出身、著書には小説「アナーキー・イン・ザ・JP」三島由紀夫賞候補、「アイドルにっぽん」、「午前32時の能年玲奈」、【近著】「寂しさの力」(新潮新書

【ニコ動】
西部邁ゼミナール)「青年よ、寂しさに屈するな」【1】2016.02.07

今村有希
今回は、当ゼミナールとしては異色の方をゲストにお招きしました。作家でアイドル評論家の中森明夫先生です。

中森先生は「オタク」という言葉を世に送り出した、若者のいわゆるサブカルチャーにも明るい新人類と呼ばれた方です。他方で純文学作品も執筆し、三島由紀夫賞候補として名前が挙がった作家でもあります。

この中森先生ですが、故郷で一人暮らしをしていた母親が、ポツリと漏らした「寂しい…」という言葉から一念発起、「人間の最も強い力は何か?」と考え、このほど『寂しさの力』(新潮新書)という書物を上梓されました。ということで、今回は、『青年よ、寂しさに屈するな』というテーマで今昔若者論を存分に語って下さいます。それでは宜しくお願い致します。

宜しくお願いします。

あぁどうもお越し願えてありがとうございます。今日、中森さんね、ぼく年柄も無く緊張している。だって、ほとんどネアンデルタール旧人類・・・

(笑)

ホモサピエンス、新人類に来て頂いたというそういう感じで。

今村有希
はい(笑)

僕がね、まぁ暗いところも多いんだけど、もっとも明るくない分野がこのこういう分野、まぁサブカルチャー分野でね。漠然と知っているだけで。

今村有希
ご質問させて頂いてよろしいでしょうか?

はいどうぞ。

今村有希
「寂しさ」という言葉の類似語に「かなしさ」とか「侘びしさ」があると思うんですけども、『寂しさ』に特別の意味はあるのでしょうか?

「さみしい」って字ではみたりするんですけども、あんまり言わないんですよ。言ったことありますか、誰かに?

今村有希
(!)・・・そ、そうですねぇ・・・(汗)

ねー。(西部)先生も・・・あっ、たまに仰いますか?

ただ僕は言わないんだけどね、若い時よ、僕だって新人類の時代があったんだけど、

ええ。

裁判所の被告人をやっている時に、裁判官にからじられながら漱石ばっかり読んでいたことがある。たぶん最後は「門」じゃないかと思うんですよ。

[*夏目漱石「門」、1910年、朝日新聞連載の長編小説。漱石の前期三部作「三四郎」「それから」「門」]

うん。

主人公がね、東京弁なのかな・・・「さむしい(淋しい)」ね。

[*「さむしい」と主人公の科白(=台詞)、小説『門』夏目漱石

さむしい。

さむしい、さむしい、という言葉を連発する小説でさ、それが頭に残っていますけども。

寂しくない人っていないと思うんですよね。

今村有希
はい。

にも関わらず、まぁ、悲しいとか辛いとかキツいとか何とかいう言葉は口に出して言うのに、「寂しい」というのは言わないでしょう?

今村有希
なんか恥ずかしいような気がしちゃって。

恥ずかしいような気がするし、なにか人前で言っちゃいけないような。

今村有希
えぇ。

だから、そこに何かこの「寂しさ」という言葉の秘密というんですか、なにかあるんじゃないかなと思ったんですね。

この本(「寂しさの力」中森明夫)読ませていただくとね、途中でね、「悲しさは一時的なもので、寂しさは永遠のものだ」というまぁまぁ名ゼリフが。まぁね、人間は有限だから永遠ということはないんでしょうけど、個人で言うと、長く持続する人生の・・・悲しさってのは、ちょっと女に振られて1年ぐらい悲しいとか、その程度の話なんだけど、あの「寂しさ」ってのはまぁ、やはり人類、人間独特の、つまり『自分がいずれは“死ぬ”んだということを意識する』というね。これね、マルティン・ハイデッガーという哲学者の根本原理だけど。

[*死を意識する (哲学)マルティン・ハイデッガー

えぇ。

まぁ、そういう『死の意識』ということから来ると思うんだけど、だから先ほど紹介された(中森の)お母様がね、もう時期亡くなる前に東京の息子さんに電話してきてさ、寂しい、寂しい、と言って、それに彼(中森)が反応しちゃったというのはね、哲学的原理にもあった話(笑)

えぇ。僕が「新人類」なんて言われたのは、もう30年前のことなんですね。

あー、そうか。

僕ももう中年人類ですよ。旧人類。

ハッハッハー(笑)

だから、あぁいうふうな過去の仕事も範囲。他方ね、その西部先生のさっき仰ったみたいに、ちょうど僕が1960年生まれだから「60年安保」の頃に、それこそ新人類というかアプレゲール(仏: après-guerre 戦後派 ⇄ 対語:avant-guerre アバンゲール 戦前派)で。

そう言われたんだ。

今村有希
はい。

だから、その頃の(西部の)写真を見たことあります?

今村有希
無いですね。

学生服着て。あぁ〜無いですか。もうね、違うんですよ、西部先生は僕が生まれた頃からスターだったんですよ。

いや実情はね、栄養失調で黒ずんだ顔をして目だけギラギラした、その顔だけ見ると、一種のテロリスト風。

今村有希
えぇ??(笑)

そうそう。

実際には栄養失調という。

テロリストみたい(笑)

今村有希
えー!!(笑)

(笑)

最近ね、西部先生が『正論』という雑誌で、あの自伝ですか?

はい、風ね(笑)

『ファシスタたらんとした者』って、(西部の)若い頃のことを書いた。

今村有希
(うん)

「灰の中のひとつのダイヤモンド」をというね、名ゼリフ。

[*灰の中のひとつのダイヤモンド 「ファシスタたらんとした者」 ]

あぁ(笑)

今村有希
はい。

これは、『灰とダイヤモンド』(1958年のポーランド映画、監督はアンジェイ・ワイダ)という・・・


アンジェイ・ワイダの映画で、その中でテロリストが出てくるんですよね。

今村有希
はい。

マチェクでしたっけ?

そうそうそう。

ズビグニエフ・チブルスキーというカッコいい(俳優)。本当にそんな感じだったんです。

今村有希
へぇ〜(笑)

若い頃の西部先生。

俺は今日はゲストじゃないのね。

一同
(笑)

ところでさ、ごく最近、例えばあれでしょう・・・SEALDs?

うん。

あれは、自由民主主義の為の学生緊急活動ぐらいの意味ですけどね、何かそれに期待をかけるようなそんな声もちらほら聞くけど、貴方なんかはあんな風な動きを見ていると?

[*SEALDsにみられるような若者の政治運動をめぐって ]

全く真逆だと思うんですね、80年代は非政治的な時代でしたから。僕はむしろ、今回そのSEALDsというのが国会前で若者たちがデモをしたんですね。するとフッとね、70年安保と言わないまでも、60年安保の頃にちょうど同じ場所でね、同じ年頃の、もう半世紀前ですよ、西部さんなんかが同じ場所で学生やってた。僕はむしろ西部さんの方があれをどう思っているのかお聞きしたかったんですよね。

これは(笑)もう年だからなんでも言っちゃう。最末期にね、僕らの組織の長が「国会にガソリンを撒くぞ!」と。

[*60年安保闘争とは何だったのか ]

うん。

それで僕はこう言ったんですよ。「まだガソリン撒く元気が残ってるのは俺一人だけど見てみろ」と。明治(明大の学生)は、「お〜お〜明治ィ〜♪」(※明大の校歌)と、これは運動会の応援歌だ。

うん。

早稲田はね、「早稲田ァ〜の杜にぃ〜♪」ってね、お祭り騒ぎじゃないかと。

うん。

樺美智子(※かんばみちこ:学生運動家)さんが(60年安保で)死んで、みんなワァーっと集まって、いわゆるセンチメンタルな動きになって学校単位で動いて。僕はね、『お祭り騒ぎにガソリン撒く趣味はねえ!!』と言って、ガソリンは撒かなかったんですけどね。

うん。

だから、全体としては単なるバカ騒ぎだったんですけども、その中の活動的分子はね、なんかとことんまで突っ込んでしまえ、という感じの人間を含んでいたことは確かですねぇ。

[*全体としてはバカ騒ぎ、とことん突っ込む活動的分子 ]

うん。政治的というよりは、『お祭り的』で『破壊的』だと。破壊的な世代な西部さんから見て、いまのSEALDsの若者デモはどうですか?

緊急学生活動までは日本語としては分かるんだけど、“自由と民主主義のための”とこう来るとね、自由・民主主義でいえば、日本では「自民党」だし、全世界的にliberal democracyが天下の社会正義になり仰せると言ってそれを理由にしてね、そんなアラブだウクライナでさ、いろんな侵略が行われているのに、そういう自由・民主主義という言葉だけは疑わないという今の若者たちのね、それはまず気に入らないというのと・・・

[*Students Emergency Action for Liberal Democracy:SEALDs・・・自由と民主主義のための学生緊急行動 / 「自由」「民主」主義の言葉を疑わない若者たち ]

・・・まぁ実はむかしむかし大昔に今から50年も前に日本共産党が、ぼく知らないんだ、中学高校生時代、古い時は火炎瓶投げてたの。ピストルもみんな持ってた、戦争帰りが多いですからね。

えぇ。

武装闘争にチャツナ、それに失敗してね、今度は急に「うたごえ運動」に入ったの。 歌えや踊れ。歌う共産党と踊る共産党という、一種の『大衆迎合』と言われてましたがね、そういう極端から極端へと移って、それが崩れて、共産党は1955年から「国民に愛される共産党」に変わって、僕はその後の世代ですからね。僕はその3年前に(東京)大学に入るんですね。

[*武装闘争からうたごえ運動へ、大衆迎合への転換の共産党

今村有希
はい。

ですからね、あぁいうのを見るとね、なんかその昔の歌えや踊れの、踊る共産党、歌う共産党、そいんなものの現代版(がSEALDsをはじめとする今の若者たちの運動)、そのぐらいにしか思えなくて、あまり関心も持てなかったんですけどね。

うん。

(今村を指して)貴女はどうなんだ?

今村有希
えぇ〜?!(笑)

・・・なんて指差したりして(笑)

女性も随分ね。僕は行かなかったんですけど、TVのニュースを見ていると珍しく(女性が)。あぁいうのってオジさんばっかのところに若い男の子と女の子を入れて、僕は満更・・・僕は行きません、行きませんけどね、あぁいう所でこう男女が(入り乱れて)いいんじゃないかと思いますよね。

今村有希
はい(笑)

先生の仰る「お祭り」だというなら、別に三社町でもいいし、別にあれで国がひっくり返りもしないわけですよ。

こういう言葉が出てくるんですよ、【宿命】、【運命】でもいいんですけどね、人それぞれ国それぞれある宿命、時代の運命ですかね、運命というものに遭遇して、それで『自由』とは何か?自由というのはそれこそ、これが『活力』という“力”になるんだけど、『自由の力』というのはやっぱりね、自分がどういう宿命的に運命的にどういう状態に置かれているか、ということを分かった上で、その宿命を生き抜く、運命を生き抜くというね、それが『力』だと、中森先生が仰っているわけさ。

[*宿命、運命的に置かれた状態、生き抜く力が自由の活力 ]

今村有希
はい。

SEALDsはどうでもいいんだけど、あぁいうものを見ると、いま日本国家が、あるいは現代人がと言ってもいいけど、陥っている運命的宿命的状況は何なのか?ということについての理解をしようとする努力も無さそうで、あんまり力を感じないということはあるよね・・・

[*現代人が陥っている運命的宿命的状況を知る努力は ]

と、中森さんの本を読んで確認したと(笑)

中森・今村
(笑)

僕は政治的にはよく分からないんですよ。だけど、例えば西部さんが学生服を着て(過去に)やっているじゃないですか。ブント(※共産主義者同盟)という60年の運動を見ると、当時、吉本隆明さんなんかが『赤い太陽族』 (と呼ばれて)・・・カッコいいでしょう、なんか?

今村有希
はい。

赤い太陽族って、太陽ってもともと赤いんですけども。西部さんはご自分ではいろいろ韜晦(とうかい)したことを書いているんですけど、例えば西部さんの同世代同時代の、ちょっと年下かな?またカリスマ的な批評家で【柄谷行人】(哲学者、文芸批評家、評論家)という人がいますよね。で、柄谷行人なんかが最近かな、福島の原発事故の後のデモにもう70(歳)近くになって行って、50年ぶりにデモに来たんだってインタビューを受けているんですよね。それで(インタビューで)こう言っているんですよね。「若い頃、20歳の頃見た西部の演説が好きだった」って(柄谷が)言うんですよ。

[*若い頃みた(西部邁の)演説が好きだった:柄谷行人(評論家) ]

演説が上手かったと。で、(当時の西部は)どういうことを言ったかというと、『私はこの世のあらゆるイズムを否定する。でもたった一つだけ支持するイズムがある。』・・・

ぼ、僕の話?

西部さんのお話。『一つだけ支持するイズムがある・・・センチメンタリズムだ!!』

[*センチメンタリズム以外あらゆるイズムを否定する:20歳の左翼青年だった当時の西部邁

嫌だなぁ(苦笑)

カッコイイでしょう?20歳で。

今村有希
ハイ(笑)

やっぱり、SEALDsの連中、まぁいいですよ、日本は豊かになったんだからラップでも何でもやってれば。こういうね、宿命とか運命とかね、そういうのを(彼らに)感じないじゃないですか。やっぱり僕はそういう奴が出てきたら、僕はもういい歳だしね、奥さんも子供もいないし、なんていうのかな・・・もう、日本なんてどうなってもいいんですよ、僕は。だけど、どうせだったら20歳の西部邁じゃないけど、そういう若者にね、あぁコイツだったらついて行くよと、ファシスタについて行きたい。

彼ね、巧みだから、人を誑かすのが。

いやぁ(笑)

いつの間にか俺をゲストにしてしまってる(笑)仕方ないんで、一つだけ言うと、僕は19まで、20歳までかな、吃りだったんですよ。吃りは今は差別語らしいから吃音者、だから喋れなかったの人前で。ある時ね、大集会の演説者の立場に不意に押しやられたの。まず覚えてるのは、ここに覆いがあったから見えないけど、膝はガクガク震えて、だって目の前に5000人ぐらいいるんだもの、ひょっとしたら1万人近くいたかもしれない、日比谷の野外音楽堂。 ビックリしたの、それまで人前で喋れなかった僕が、口から頭からベラベラベラベラ・・・今みたいなダミ声じゃなくってね、かなりテノールのいい声だったんですよ(笑)

[*吃音から脱した演説、安保闘争時の日比谷野音

今村有希
フフフ(笑)

際限もなく口から(言葉が)出てくる自分自身に驚いてね。そこでね、昆虫でいえば変態しちゃった感じのね。

うん。

ということでね、カミさんがビックリしてた。カミさんは何にも喋らない僕を知っているわけ。人前で吃るの嫌だから僕しゃべらなかった。

今村有希
(うん)

ところがね、何年かぶりにあったら、僕がベラベラ喋っているわけさ。他人じゃないかと思ったって。

あぁ〜。

だから、何かのそういう運動というのは、僕にとってはそういう意味で、【運命の中の決断】、自由と関係あるんですけど。

うん。

ある種、自分は言語障害児に生まれちゃったと思ってて、それは『運命』だと。でも、その運命をやっぱり突破したいとも思うしね、この運命の中で何かこう『決断』しないといけないとなったら、運命が逆転してしまってね。

あの、やっぱり西部さんはその芸能人に近いと思うんですね。

(笑)

芸能界の人ってお会いしたらわかると思うんですけど、普段は暗いのにステージに上がるとパァーッと明るくなったりとか、もともと友達が少ない人とか、この本にも書きましたけども・・・

(手で顔を覆って)なんだよオイ(笑)

西部さんは典型的なスターですよね。でも、何でぼくはこの番組に出てきたかというと単純で、僕も異色なんですけど、僕は西部さんが好きなんですよね。好きなのは酒場でよくお会いするんですけど、この名調子でね・・・

ウソだよ(笑)

朝まで喋っているこの歳で、もう驚きますねこのタフさは(笑)

今村有希
(笑)

もう一つは、そのさっき言った、なんていうのかな・・・時代の・・・今でもぼく変わらないと思うんですよ、西部さんは全然転向していないしね。

今村有希
酒場で朝までお話されるというのは、やっぱり「寂しさ」とも関係ありますか?

関係あると思いますね。僕だって寂しいけど、西部先生だって寂しいんじゃないですかねぇ。でも、いつも賑やかにね、

今村有希
はい。

周りにこうなんか引きつけてね、パッとこうなんか。それで最近、白い手袋をやっているでしょう。

今村有希
はい。

それで賑やかな酒場にわっとくる。その様が何かちょっとディズニーランドのね、ディズニー。

今村有希
(笑)

これはね、神経痛のためにしている病理道具ですけどね(笑)

いま言った【宿命】、これはいちばん単純な場合ですけど、むかし都心から東京に暮らしていた時に何度も気付いたことがあるんです。遅くタクシーで帰るでしょう、1時間かかる道のりの半分まではね、とって返して新宿で飲みたいわけさ。でも時間も遅いからじっとガマンするでしょう、それでどうも半分の距離を越えてウチに近づくとね、それこそね、帰心矢の如しでね、一刻も早くウチに帰って眠りたいね、それはね、この『運命』『宿命』のいちばん単純ケースですけども、場所、自分がどこに居るかというね、新宿界隈に居る限り自分の知り合いの店に戻りたい、で、topos(トポス)というか場所が移動して、ウチに行くと我が家に帰りたいという。

[*都心に居れば酒場に取って返す、家に近づけば帰心矢のごとし ]

中森・今村
うん。

案外ね、この『運命』『宿命』というものは、案外、不安定なものだなぁというね。

思いますねぇ。僕もやはり若くして東京に出てきましたでしょう、15歳で。東京に居なかったら多分、こうなっていなかったかなぁと思いますね。

あぁ、そらそうですねぇ。

東京以外ではなかなかもう暮らせないという気もしますよねぇ。

今村有希
はい。

ただ、僕はこんな本を書くとは思いませんでした。あの、この歳になって自分が「寂しい」というのを認めるのもあれだったし、でもまぁ人生生きてみるもんですよね、そういう自分がこういうのを書いて、まぁお袋が亡くなるには間に合わなかったんですけども、そこで耳元で出来た原稿を、僕もこんなことを自分がやるとは思いませんでしたけども、読み上げて翌々日に亡くなっちゃったんですけども、それは僕みたいな親不孝者が出来た、唯一の親孝行だったかもしれないと思いますね。

いや、それは思いますよ。急に話がね、それこそセンチメンタリズムになりますけども(笑)、僕自身2年近く前になるのかな、カミさんを亡くして、まぁこれ中森さんの原稿で「人間・このアイドル的なるもの」、これはその恆存(福田恆存)にね、人間この劇的、ドラマティックね、 劇的なるものもじった表現だというふうに思うんですけど、人間のこの力になるのかな、それは運命の中でなにかこうドラマティックに急展開を遂げて。

[*「人間・このアイドル的なるもの」 福田恆存を現代で再解釈⇒ 福田恆存の著書「人間・この劇的なるもの」 ]

福田恆存さんの『人間・この劇的なるもの』という本があって、これは今でもよく文庫で読まれているんですね。一面ものすごく反動的なんですよね、さっきのSEALDs諸君じゃないけど、自由だ!とかアー!!とか言うでしょう、でも福田さんは違うんですよ、『自由じゃないんだ、人間というのは。それは何かといえば“宿命”とか“役割”だ』と。演劇ってそうですよね?ある役を与えられる。

今村有希(舞台女優)
はい。

で、いまのアイドルというのは、ほとんどがまぁAKBでも何でもそうですけど、運営とか秋元康さんに言われて「キミはこのポジションに立ちなさい、歌いなさい、○○しなさい」、例えば70年代のフォークソングとかロックンロールをやってた人たちからバカにされたんですよね。アイドルというのは、事務所とか何とかの言いなりでやっているだと。僕それは逆で、今これだけ若い人たちが何故アイドルが支持されているかというと、何でもいい・やれる時代に、役を与えられて衣装を着させられて、ここに立ってポジションをやって、福田先生が言うまさに『劇』です。その中ではじめて『自由』というものを獲得する。

今村有希
はい。

人間はある宿命とか役割、日本人であることとかね。いつの時代、どこで生まれてくるとか選べないじゃないですか、要は。それを『自覚』した時に、『真にその生きている実感』というんですかね、湧くんだと思うんです。至極真面目に僕は考えている。

[*自己の宿命を自覚した時、真に生きている実感が湧く ]

でも本当にこの「寂しさ」というのはいい言葉だと思うんだけどね、一方では、自分の役柄を外から与えられてしまう、生まれた時代でも社会でも職業でもいいんだけども、それ自体、人から焼鏝(やきごて)のように当てられるわけですから、それ自体「悲しい」んだけども、それを受け容れて、その役柄を運命をどう演じるかというところで力を発揮して、それで莫大な人気を得たとしよう、金銭も入ったとしよう。

今村有希
はい。

ところがね、(人気や金銭が)入れば入るほど・・・

そうですね。

ある種の、一体この人気はなんなのかと。この貯まっていくばかりの貯金をどうすればいいのかというね。自分の獲得したもののある種の空無さというね・・・

虚無感ですねぇ。

これ寂寥(せきりょう)の「りょう(寥)」ってね、

「寥」ですねぇ。

「さみしい(=寥)」だけども、この「寥」というのはどっちかというと『無』という言葉に、意味内容から言うとね。

[*寂寥の「寥」=無の意味、空虚でもの寂しい ]

うん。

ですから、宿命に準じることの自由な力。で、力によって得たものの、ある種の虚しさ。

[*宿命に準じることの自由な力、力で得たものの虚しさ ]

全く仰る通りだと思いますね。

うん、だから両方あるんだよね。

だから、僕なんてね、そのさっき言いましたように、政治と何にも関係ない。80年代バブルカルチャーに浮かれ浮かれて、これ気が付いたらですよ、寂しさの力だったり、福田恆存とかね、全く転向していたわけですよ。

(笑)

今や西部さんのこの番組に(笑)全く仰る通りで、何か成功してしまったらより虚しいものになるというね。

そうね。

それが僕のテーマですね、今のね。

それはね、確かにテレビなんかは、僕は最近、老人だから目も悪いから本もよく読めないんだけどね、だからテレビのスイッチをひねる。やっぱりそのアイドルその他の有名人が出てくるでしょう?

今村有希
はい。

またテレビって変なもんで、僕自身がこの番組もう8年目ですからね、長々とテレビに顔を晒している人たちの目尻とか何かに漂うある種の虚無感が見えてくるのね。

[*テレビに長々と晒される人たち、その目尻に漂う虚無感 ]

うん、ありますね。テレビに出続ける人のある特徴的なものはあります、見事に。

今村有希
はぁー。

(今村を見て)ありません何か?

今村有希
えっ(笑)

お店で(テレビの中の人に)合うと、あっこの人!?思う時あるじゃないですか。

今村有希
はい。

この人(テレビに)よく出ているって。

今村有希
はい(笑)

だからね、このタイトル、この本ね売れると思うし、いい本だけどね、『寂しさの力』、我々もさ、「青年よ、寂しさに打ち拉がれるな」、なんて言ったけども、実はもっと複雑で、『力を得ることの寂しさ』みたいなね。

あー、逆説ですね。

「力の寂しさ」みたいな、「寂しさの力」なのか「力の寂しさ」なのか、ほとんど同じことなんでしょうけど、

なるほどね。

でも、それを生きて何時かは死ぬ。そういうことを三重のお母さんが教えてくれたでしょう、電話で。

うん。

僕もそういう経験幾度かありますけどね。寂しさについてかな、その「知る」ということと「わかる」ということとは別なんだと。中森さんの定義によれば、「わかる」というのは経験を通じてね、例えば、自分のお母さんが三重で命がもうすぐ途絶えるというそういう電話の経験ね、その経験を通じての理解とね、経験をせずに本を読んで理屈を述べたてての理解とはね、次元が違うということを(中森が)言ってて、僕は本当にそうだと思うな。

ですから、よく日本語でね、「体験」と「経験」を同じ意味で使うけど、たぶん区別した方がよくて、「体験」というのはまぁ体験なんだけど、それに解釈して、親子関係はこうかと、死ぬとはこうかとか、親に先立たれるとはこういうことかという、そういう『解釈』を通じてジンと分かるもの、そういうのを『経験』というんでしょうね、多分ね。

[*「親子関係」や「死」 解釈を通じて分かるのが経験 ]

経験のことを英語で何と言うかご存知?

今村有希
・・・。(苦笑)

どうでもいいんですけどね、知ったかぶりよ。

今村有希
はい。

何か僕が英語を書くのは視聴者から評判が悪いんですけどね、

そうなんですか?(笑)

今村有希
(笑)

英語は便利だからね、書くだけで。

experienceですよねぇ。

今村有希
エクスペリエンス!

ex–perienceね。(ex–perienceの)perienceは、もともとはperil(ペリル=危機、危険)から来ているんですよね。perilというのは「危険」「危機」ということですよね。

あぁー。

exというのは「探す」という意味でしょう。ですから、experienceというのは、だいたい僕の経験はねというけども、実は、生きているということ自体が何時死ぬか何時失敗するかね、何時恥を掻くかわからないという意味で、peril(ペリル=危険)に満ちているわけさ。それに身を晒して得た理解が、それが『分かる』ということで。

[*experience「経験」 ex–peril:危機に身を晒す ]

うん、なるほどねー。

でもいくら分かっても、究極に分かることは、生まれて生きて死ぬということの、あるどうしようもない寂しさね、そういうことが残ると。でもね、それを知った上で生きるのと、知らずに生きているのとはやっぱり確かに力の差が出ますね。

うん。

知った上で生きていると、そう簡単にへこたれませんよ、それは。それを知らずにやってるとさ、ちょっとした恥を掻いたぐらいで落ち込むんだよね。

うん。

ということを『寂しさの力』という本は書いてある。第1週目、視聴者の皆様、僕のような旧人類が言うのですから、

(笑)

いう事聞いて下さい。ちゃんと買って読むように!

今村有希
(笑)

次の週も宜しくお願いします。

宜しくお願いします。ありがとうございました。

【次回】「青年よ、寂しさに屈するな」② ゲスト:中森明夫(作家、アイドル評論家)

映画人が語る「テロと資本主義の関わり」③ゲスト:寺脇研(映画評論家) 荒井晴彦(脚本家・監督) 〜西部邁ゼミナール〜

映画人が語る「テロと資本主義の関わり」③ゲスト:寺脇研(映画評論家) 荒井晴彦(脚本家・監督) 〜西部邁ゼミナール〜

ゲスト:寺脇研(映画評論家) 荒井晴彦(脚本家・監督)

【ニコ動】
西部邁ゼミナール)映画人が語る「テロと資本主義の関わり」【2】2016.01.24


◉世界規模のテロの原因は「金狂い資本主義」と「俗情まみれの民主主義」

⚪︎「近代文明とテロ」近代社会は底なし沼に沈むのか

今村有希
年初企画、テロの元凶は資本主義と民主主義であるの最終回で、ゲストはこれまでの2回と同じく映画関係者の荒井晴彦先生と寺脇研先生です。

現代人の気風に通じていなければ現代風の映画は作れません。ですから、お二方とも眼を凝らして、現代人の生態を観察、分析、解釈しておられるハズです。

その何処にテロの芽が生え、木が生い茂っているのか、鋭い解説をお伺いできると存じます。
宜しくお願い致します。

いま世界に訪れている危機状況というのは、いわゆる『近代主義』というもののどん詰まり状態ね。底無し沼に沈んでいく。底があるのかもしれないけど、僕はあと数年しか生きられないから、僕が生きている間には底が見えないだろうと。荒井君が生きている間も見えないんじゃないかなぁ。辛うじて、寺脇さんが死ぬ頃に・・・

[*世界に訪れている危機:近代主義のどん詰まり状態 ]

そうですね、死ぬ頃に(笑)

底無し沼の底が見えていくという。

こういう順番(西部>荒井>寺脇)ですか(笑)

一同
(笑)

近代主義(modernism)っていうのはね、要するに多くの人々(mass)の飛びつきやすい模型(model)ね、形ですよ。それが直ちににも大幅な流行(mode)となって燃え拡がるというね。

現在の資本主義(capitalism)も政治の民主主義(democracy)も、もう限界状態どころか次々と、経済で言えば詐欺行為ね、政治で言えば一種のポピュリズム(populism)=人気主義ね、一週間しか持たないような人気主義、これがここまで続いてしまったら、これは単に『テロ』ね、パリで200何十人死んだとか、アルジェリアの奥地で日本人が3人殺されたとか、そんなことばっかり言われているけども、もっともっと深い、何かもう文明のデッドロック状態(deadlock=行き詰まり) の反映としてテロが現れ、それはいずれ3年後か5年後かわからないが、まぁ10年単位で言えばアジアにだってやってくるハズだという気がするんもんですから、3回目はもっと広い、近代主義と限定する必要はありませんが、文明論の見地からね、このテロの問題を論じて頂きたいという、そんな感じかな。

[*経済の詐欺話、政治のポピュリズム 人気主義 / 文明のデッドロック状態がテロに現れ近づいている ]

今村有希
はい。

最初にこのお二方(荒井、寺脇)に聞いてみたいこと無い?

今村有希
わたし子供の頃に、自分が本当に欲しい物だとか自分が望んだ物に対して、親にお願いしたことは賛成されたんですけど、みんながやっているからとか、みんなが持っている物だからとか新しく出た物だから欲しいと言った物に対して、すごく父親に反対されまして、これは(西部)先生の仰います近代主義と関係ありますか?

[*次々と新しいものに飛びつく近代主義によるモデルの流行 ]

大いに関係あるけど、僕は逆のことを言いたいの。ぼく個人も貴女に近いんだけど、でも76年も生きるとね、何か一種の諦めの境地があってね、結局、人間の多くはね・・・うん、新しいものに飛びつくもんだと。

今村有希
えぇ(笑)

たぶん、旧石器の昔からね、例えば鏃(やじり)一つでも石斧一つでも、新しげのものができるとみんなしてウワッと飛びつくというね、何か人間にはどうしょもない性みたいにしてね、これまで2回そういう現代社会の問題を指摘したけど、同時にシュペングラー(オズヴァルト・シュペングラー)が言っていることなんですけど、宿命論的にそんなもんなんだと。

[*旧石器時代から新もの好き、人間の性のようなもの / 宿命論的な文明の没落:O.Spengler ]

だからどこか、何も認める必要はないけど、僕の場合でいうとスマホ・・・気持ち悪いから電車にすら乗れないってことを1回目の時に言ったけど、とは言うものの、例えば、北原白秋はいつ死んだのかなと、すぐ娘に頼むと娘がインターネットでパッパッとやって、何年に死んだよと教えてくれるんですよ。

今村有希
フフフ(笑)

波浮の港(はぶのみなと)はいつ出来たのかと、あれは野口雨情か。悪いけど、便利は便利なのよね、だから僕も使ってる。でもなんか僕はどっちかといえば後追いで使いたいというのかな、息急き切ってさ、大声あげて行列作ってさ、飛びつくことはあるまいにというその程度かなぁ。

だけどそれは、新しいもので言っているけれど、みんなが持ってるものを持たないと、彼女(今村)は子供で、みんなはクラスに行ってみんなは持ってるけども、自分だけ持ってないことでやっていけるかというと、それはちょっとキツいんじゃないですか?

今村有希
(笑)

そうでしょうねぇ。

それは、僕ら大人になったから、みんなスマホでも俺はこんなのよくわからないからガラケーだけども、携帯だって遅かったですよ。だから、若い人ってみんなが、その「みんな」ってことが圧力になるんじゃないの。

そうねぇ。僕はたまたま事情があって主催者でありながらアトピーのせいでネクタイしていない。あっ、そういえば二人ともしてないねぇ。

今村有希
(笑)

(苦笑)

でも普通はね、公の場に来る時にはネクタイを。でもね、ネクタイなんてものは日本人のものじゃないんですよ。そうかと言って、僕がこうで急に羽織袴で来たら、あいつおかしいんじゃないかと思われる。

今村有希
(笑)

結局そういう意味ではね、それを「時代の流行」と言うのならば、明治この方の流行にみんな従ってこういう洋服を着、Yシャツを着ているんですよ。

西部さんもそうだけど、僕らのほら学生服があって、あれは貧乏とお金持ちの差があんまり関係ないじゃないですか、洋服無くても。

あっそうだ。

あれもある意味で平等な衣装だよね。

そうだったね。

で、個性が無いと言われたけどね(笑)

今村有希
(笑)

まぁだから同一で言うと、それこそ私も役人(文部省)やってる時は毎日ネクタイしていくわけじゃないですか、みんなそうするもんだと思ってる。ところがあれ、小泉内閣の時にですね、「クールビズ」なるものが言われて、総理官邸からの命令で、「ネクタイをしてくることは罷りならん!」みたいになっちゃう。

あぁ〜。特に暑いシーズンね。

あぁいうのがね、みんなが流行でやってるならばまだ自分で決めているからいいのだけど、そうやっていわゆるモダンの模型を、しかも設計図を書いて設計主義でもって、例えば、地球温暖化だからなんだと、28度冷房にしなきゃならないと。「いや俺は28度でもネクタイしてるぞ」という人もいていいハズなのに、全員ここではネクタイを外すように、みたいな話になっちゃっているところが問題だと思うんですよね。

これだけイノベーション(innovation)、新しいいもの好き、しかも我勝ちにそれに突っ込んでいくようになると、新しいものが次々とさらに新しくなるから、未来がますます予測不能になってくるでしょう。

[*未来を危機にさらし、innovationで予測不能へ ]

そうです、はい。

にも関わらず、我々は生きていかなきゃならない。そうすると、どっかでね、別に賢人政治とまでは言わないが、少々、大所高所からね、少々遠くまでものを見る人々の集団が、それが普通は『役人』というと思うんだけどさ、

はい。

役人がね、ある種のインディケーション(indication)というんですけど・・・サジェスチョン(suggestion)でもいいな、『方向指示』ね。まぁ東西南北で言うと、「東南東の方に当分進んだ方が良さそうですよ」というようなインディケーション=方向指示を、どこか、命令とは違う、指示を与えて未来の大まかな図柄を描いてやらないとね。もうその場その場でさ、みんな流行に突撃してひっくり返る、今度はあっちへ突撃してひっくり返るというさ、混乱状態が続くでしょう。だから、役人の役割というのはすごく大きいと思うんだけども、彼(寺脇)は役人を辞めちゃったんですよ、文部省ですけどね。大した権力のある役所じゃないんだけど(笑)

[*未来の図柄描く役人の役割、indication 方向の指示 ]

今村有希
(笑)

(苦笑)

今はあれか経産省か、元は通産省と言っていた。あれがだいたい首相官邸を牛耳っていてね、本来はね、経済にある種の秩序を主として与えるべく通産省、(現)経済産業省が出来たんですよ。

[*経済に秩序を与えるべく通産省(現経済産業省) ]

それが今ね、経産省が先頭を切って、「経済は自由に任せればいい。政府の介入が少なければ少ないほどいい」ということを経産省が言って、大雑把に言えば首相官邸を占拠してですね、誤った方向(指示を)与えている。今の役人の果たしている役割ってのは学者もヒドいけど、役人もヒドいね。

いま仰ったような意味で言うならば、日本のこれからをどうしていくのか、「じゃあアニメがウケるからクールジャパンだ」とそうは言うけど、実はアニメってのは世界でも一応日本のアニメは尊敬されているけど、それが別に産業として商売になることじゃない。そしたら今度は引いちゃって、今度は外国人観光客を集めてやっていくんだと、言ったところが、じゃあ今度は宿が無いよみたいな話になっちゃう。『その場その場の接ぎ木接ぎ木でやってるような話になってしまっている』んですよね。

そうねぇ。

だから、本当は大きな視点に立って、30年とか50年を見越してやっていかなきゃならないんですけど、ただまぁ、私はそれでクビになっちゃったわけですけども、その例えば教育だって、30年先50年先を見据えなければならない。じゃあ30年先どうなるんですか?と言われれば、(西部)先生の仰る通り分からないわけですよ。不確実性だ、そんな(不確実な)時代。じゃあそれに耐えられるような人を育てなきゃならないと言ったら、それはよく分からないと言われちゃって、ようするに「設計主義」ですから、その政策をとったらどうなるか示せ、と言われて、どうなるかよく分かりませんと言ったら途端に、そんな政策は良くないなんて言われちゃうわけですけど。

やっぱりその、30年先50年先を見通せば見通すほど、さっき仰ったように、もう何か、『30年後必ずこうなりますって言えない状態なんだ』ということがハッキリ言えない。

[*30年先50年先の教育、不確実性に耐え得る政策 ]

しかも役人の場合ね、ちょっとこれはなにかファシスト的ナチ的型になるけども、役所でしょう、ある種の『権限』を持っているでしょう?

今村有希
はい。 

もっと言うと、『法律をつくれる』わけですよ。そうすると、ある種の『秩序をつくる主体が役所』なんですよね。単に僕のように漠然と、東南東に行った方がいいよと言うんじゃなくて、東南東に進むための大まかな秩序を法律の体系としてつくれる、そういうエリート集団が役所なんですよね。ですからね、本当は東南東は正しくないかもしれないけど、まぁまぁ考えた上で東南東向けの秩序をつくって日本はそっちに進んでいくという、そういうパワーを持っているハズの集団なんですよね。

[*秩序をつくる主体が役所、パワーを持つエリート集団 ]

それを責任放棄して、どこでもみんな好きな方向へ行くのが自由ですよと、これをやり始める。急に僕ね、荒井さんに話を振りたいんだけど、これはお世辞じゃなくてね、脚本家 荒井晴彦のことを評価しているのは、ちょっと冗談も交えて言おうかな・・・ある種のリアリティというのにこだわっておられて、小さい声で言うけども・・・主として、あぁまで男女のリアリティに限定する必要はないんじゃないかとは思うが、

(苦笑)

いずれにしても、リアリティという。ところが最近、ぼく暇でしょ家に居て。本もね、読む力もないからよくテレビのスイッチを捻るんですけども、テレビドラマをみているとやり切れないのは、主としてハリウッドものが多いけど、日本モノもそうなっているな、何かあの宇宙モノとかね、ゴースト、お化けものとか、あるいはもうちょっとタイムトラベリングものね、過去に行っちゃいましたとか、未来に行っちゃいましたとかって、僕に言わすとそれ物語としては変化に富んでいるように見えるけど、決定的にリアリティに欠けているからね、もう途中で5分も観てられないものが多い。

単に、インディケーション(indication)として東南東に行こうというのはね、それはなんか役所の思い付きじゃなくて、これまでの経験のリアリティを踏んでいえば、こっちの方だと思うぜという、そういうリアリズムというものがどんどん無くなっている。

[*決定的にリアリティに欠ける 宇宙、幽霊、未来もの映画 ]

だからさっきの経産省のことで言うならば、戦後ずっと第一次産業中心の国から、第二次産業第三次産業にシフトしていくぞというずっと大きな方向があって、ところがその第三次産業中心になった時にどうやっていいか分からなくなった。でじゃあまた二に戻るのか、また三・五を作るのかみたいな話になっちゃうからいけないで、そこでいま仰ったように、今度は例えばこの国はこれからどんどん人口が減っていって、少子高齢化で若い人が少なくなって年寄りがいっぱいいる社会になることは分かっている。その時に今までの何次産業を目指すということじゃなくて、多数派も少数派も納得がいくような新しいシステムを作るんですよというような提案をすればいいのに、近代の時、20世紀の時にやっていた形の提案をしなきゃいけないと思い込んでいるんですよ。

そうだね。この3回の話は「テロ話」だから・・・テロ話(笑)、本当はね知識人たちがヒドい事を言っているんですよ。例えば、「フランス革命」ってのはね、巨大なテロなんですよ。あの時にあったブルボン王朝というんですけどね、マリー・アントワネットも含めて。ブルボン王朝の秩序があったわけですよ、それをジャコバンがテロを仕掛けたわけですよ、巨大なテロ。それでギロチンまで持ち出して首をちょん切って。

[*ブルボン王朝への巨大テロ、フランス革命ジャコバン派

今村有希
はい。

それから随分経って言えば、ロシア革命だってそうですよ、ロマノフ王朝の秩序があったんですよ。それを暴力革命でテロを仕掛けて。その前のアメリカだってそうですよ、イギリスの植民地ですからね、イギリスの秩序があったわけですよ、植民地アメリカも。それをぶっ壊して独立したわけですよ。


明治維新だって、西郷隆盛とか高杉晋作ってのはあれでしょう、巨大なテロリストでしょう?

そうですね。

ですよね?

(うんうん)

みんなテロリズムのお陰で文明が進歩したって教科書に書いてあるんだよ。それなのに急に「テロ反対!!」と言われたって私としてはね、これだけテロ礼賛をやって、文明の進歩を称えておきながら、たかだかIS如きのテロでねぇ・・・

[*革命というテロ礼賛、文明が進歩と教科書にも ]

賛成ってわけにもいかないでしょう。

いかないね(笑)

今村有希
(笑)

そこが厄介なところ(笑)

だから、テロに反対さえしておけばいいってことじゃない、ということなんですよ。別に(テロに)賛成は誰だってしないけど、テロ反対!!って言っておけば、もうこれで自分はお役御免だというような考え方じゃダメだってことだと思うんですよ。

今さ、テロ賛成とはいかないって話を荒井さん簡単に仰って、俺もそうだと思う。けど、これちょっと話をズラして言うけど、荒井さんとか穏やかな人格の人だからね、僕は子供の時からね、自分のオツムの中の願望の一つとして、『テロへの願望』というものが、公の場でいうと語弊があるけど言っちゃうんだ僕は。それはね、割合として1/5か1/10か知らないけど、既に76(歳)になってもですよ、何かやっぱりこの世は余りにも、それこそ不道徳不正義その他に満ち満ちているから、幾ら言ってもどうにもならないから・・・

うんうんうん。

斯くなる上は、爆弾を小脇に抱えて、で、娘とか息子とか親戚がいないで俺一人だったらね、老人テロでもやってみようかなという気持ちは心の片隅にはまだ残り火として残っているような気がするけど、貴方(荒井)はもう何も無くなっちゃった?

う〜ん・・・

あるんだよ(笑)

そうね。癌だと分かったらやるかな?(笑)

一同
(笑)

いやね、そんなことを公に認めようと言っているんじゃないんですよ。テロというのはもの凄い厄介で。

だけど、ロマンチズムじゃないけど、啄木(石川啄木)は「テロリストの悲しき心を〜」(※啄木詩集「ココアのひと匙」)と歌ったように、ロシア革命の時、その皇帝に爆弾を投げようと思って(行ったら)、馬車に子供が乗ってたからやめるという何か・・・あったわけじゃない。

あぁ〜アレキサンダーなんとかの時ね。(セルゲイ大公)

ISはそうお構いなしじゃないですか。そこは無差別ということに対するある倫理がかつてはあったんじゃないですか。

[*馬車に子供が乗っていて、爆弾投じるの止めた倫理 :アルベール・カミュ「正義の人々」]

そりゃそうなんだね。それから、戦前日本の右翼もまぁ全部は肯定しないけど、「一人一殺」ですからね、

えぇえぇ。

一人殺したらやっぱり自分も死ぬというね、そういう感じのテロ。

[*「一人一殺」を掲げた戦前の右翼血盟団

だから、テロでしか動かないって事はあんまり新聞の大見出しには出来ないし、キャッチフレーズには出来ないけれどもね、どこかそういう石川啄木の「テロリストの悲しきこころ」 、でもやっぱり「皇帝をやっつけねば!」というね。

[*「テロリストの悲しきこころ」石川啄木の詩 ]

だから今この特集で、「民主主義がテロを生む!」と言った時にビックリする人が結構多いと思うんですよ。

[*民主主義の押し付けがテロを生んでいる現実 ]

今村有希
はい。

だけど例えばね、井伊直弼桜田門外で斬るという、一人殺せばいい、一人に対するテロで済むわけでね、子供は巻き込まないし、通行人も巻き込まないで、桜田門外は結構人がいたみたいだけど、あれだけの人波の中でそれだけやっているじゃないですか。それはまぁ、民主的な意思決定機構じゃないから井伊直弼を斬ることによって幕府の政策もある程度変わったりする

ところが今は民主主義だから誰かを、例えば、フランスの大統領を暗殺すればフランス社会が変わるかというとそうじゃなかったりするのでテロがあんな形になってきている。ISが異常で、昔のテロリストの方が筋道が立ってたというのは、ちょっとそこの違いがあるんじゃないですか。

まぁその問題があるね。それから、もう一つ僕はどうしてもね、インドの【マハトマ・ガンディー】のことを出したいんだけど、彼は『塩の道』という運動から、つまり塩はあの当時、(植民政府の)イギリスが専売特許にしていたんですよ。インド人は自分で塩を作っちゃいけない。それに抵抗してガンディーは行進を始めたの。次々と村人が集まって巨大な集団になるんだけど、ガンディーが言った事は、「非暴力、不服従」ね。

[*ガンディーの塩の道行進(「塩の行進」1930年、インド独立運動の重要な転換点になったと言われる) 非暴力、不服従 ]

「非暴力」だから、今で言えばテロの反対ね。

今村有希
はい。

と言いながらですよ、仮にテロの言葉の意味を元に戻して「恐怖(=terror)」として考えると、あの時のイギリス人が(巨大な行進行動に対して)すごい「恐怖」を考えたわけ。つまり、頭をカチ割ってもですよ、例えば100人のうちの2、3人殺しても、インド人はガンディーを先頭にして行進を止めないわけさ。「不服従」のね。それはものすごい(イギリス人にとって)恐怖だったの。そういう意味に解釈すると、歴史上最大のテロリストは、バイオレンス(violence)を一切使うなと言った非暴力のガンディーであったという見方も出来るんですよね。

[*歴史上の最大のテロリスト、violence不使用のガンディー ]

つまり、人に危害を加えず自分の主張を少数派でも通せる仕組みという意味で(テロリストだと)言っているわけですよね。

そういうことだね。ですから話がズレるようだけど、「反戦」だってね、僕は見ていないから言い過ぎだけど、国会を取り巻いたといわれるSEALDsと名付けられる青年たちね、なかなかええじゃないかと励ます人も多いみたいだけども、僕はなんかこう伝え聞く限りで言うと、あんまりあぁいうのに期待を持てないな。やっぱり何かに反対するということはね、どこかで『命懸け』でないと。

[*評価もあるが命懸けでない反戦デモのSEALDs ]

この人(荒井)こう見えてのんびりしてるけど、一時期は命懸けでね、早稲田大学ですけどね。

(苦笑)

僕は自分の事は言わない。命懸けだというのが言い過ぎだとしたら、自分の人生を失うぐらいの、ここでこうなったら自分の人生をそれでshutdown(シャットダウン)かもしれない、という思いを込めてね、やっぱり国会でも大学でもどこでもいいのだけども、何か集まってみんなで歌を歌ったりね、笛吹いたりしているようなね、そういう抵抗運動というのは相手に何の恐怖(Terror)でもありませんからね。

[*人生を失うくらいの思いが無ければ恐怖にはならず ]

僕らの頃は、現状に対する不満、不安、たぶん人生うまくいかないなみたいなこともあったから「壊そう」というふうに言ったけど、SEALDsの連中は「守ろう」なんですね、たぶん何かで読んだら。

あぁ〜なるほど。

今の生活が安保法制、あんなもんで戦争が始まったら壊されると。ということの反対(運動)みたいですね、どうも。

なるほどねぇ、俺はもう反対ですよ。この限りではマルクスが大好き。マルクス以上だな。マルクスはProletariat(プロレタリアート)と無産者階級のことを呼んで、(プロレタリアは)鉄鎖以外に失うべき何ものも持たない人々とこう言った。僕の場合は「鉄鎖すら無い」というね(笑)

[*プロレタリアは鉄鎖のほかに失う何ものも持たない ]

「失うものは鉄鎖のみ。獲得するべきは全世界!」と言ってたんだけどね(笑)

一同
(笑)

だから、今の若い人たちはね、新しい抵抗運動をするとしたら、昔の荒井さんたちや西部先生たちの時は、荒井さんたちは棒振ったり石投げたりしてた。

(笑)

あぁいうのはしたくないんだったら、それを昔の人は石投げたけど俺たちはやらないぞ、じゃなくって、ガンディーという人がいたよと、(かつての)『ガンディーのやり方の今の日本でやるやり方』ってのを考えたらすごいと思うんですよね。

そうだね。僕こんなね半分眠ったような人間がね、刮目、目を見開くようなことをやってくれよと、若者ならばさ。小さい声で言うけど・・・やはり僕ね、イスラム教のことは全然分からないし、肯定もしないけどね、やっぱり彼らが必死で爆弾を持って、僕この過ぐる15年間、テレビetc見て涙が出そうに感激した事件が一件だけあって・・・それは、チェチェンのご婦人たちが黒衣装でモスクワの映画館に行って、自爆ね。

あーあーあー。

あれ何百人か死んだんだけどね、父親がロシア人に殺され、兄貴も殺され、夫も殺され、男共は全てロシア人に殺された未亡人たちが、せいぜい5、6人ですよね?

(うんうん)

爆弾をカラダに巻いてね・・・自爆ね。あぁいう事件を見ると、なんかね、すげぇ女たちだなって。

今村有希
(うんうん)

俺もあの未亡人ならそうするだろうなというね、そういう『共感』をね、あまりテレビの前で大声で言うとテロを煽っているようだからやめるべきでしょうけどね、いざとなったら人間ってのはそういうもんなんだと。

今日をもってこの3回が終わって、これから3人で飲み屋に行きます。

今村有希
(笑)

飲み屋の話題はそちらの方向に行くであろうと予告して(笑)

どうも3週間ありがとうございました。

一同
ありがとうございました。