◼︎外交における「法と力と徳」 ⑵ 戦後日本の外交的失態 ゲスト 東郷和彦(西部邁ゼミナール)

◼︎外交における「法と力と徳」 ⑵ 戦後日本の外交的失態 ゲスト 東郷和彦西部邁ゼミナール)

元外交官 京都産業大学・世界問題研究所所長 東郷和彦 × 西部邁

東郷和彦 近著『歴史認識を問い直す〜靖国慰安婦、領土問題』東郷和彦角川oneテーマ21

【ニコ動】
西部邁ゼミナール)外交における「法と力と徳」【2】戦後日本の外交的失態

小林麻子
東郷和彦先生は、あの『東京裁判』で不当にもA級戦犯の扱いをうけて獄死された、故【東郷茂徳外務大臣のお孫さんです。

ロシアのことを含め、東アジア外交について外交官として実績を重ねられてきたのみならず、日本の対米、対露、そして対アジア外交に関して多くの書物を出版されてきた先生が、緊迫の度を増しつつある日本外交についてどんな発言をなさるのか大いに楽しみです。

それでは先生方、宜しくお願い致します。

東京裁判で不当にもA級戦犯の扱いを・・・ああいう大戦争では、勝利国が敗戦国の指導者を、まぁ言葉は乱暴ですが、要するに【血祭り】にあげてそこで終結というのは、政治的儀式として古今東西ね、避け得ざる当たり前のことで、そういう意味ではまったく不当でもなんでもない、正当な政治劇であったと。

・・・とは思うけれども、それに『法律』という形式を【後追いの法律】(※事後法=近代法では事後法は禁止されている)でもって、しかもそれに【A級戦犯】というね、そういう法律的な犯罪者だという立場を与えて、そして要するに縛り首(絞首刑)にしたと。お爺様(東郷茂徳外相)の場合は、獄死なされた。

ところで先生は昭和20年生まれだから、お爺様の記憶は?

祖父はですね、私が5歳の時に(獄中にて)病気で死んだ(1950年)わけですね。ですから、ほとんど記憶が無いようなものなんですが、でも薄っすらとですね、あの巣鴨の病院に入っていたわけですね、もう心臓の病気で。

それで、廊下の向こうから、この臙脂色の部屋着のようなものを着てですね、こっちの方に歩いてきているのを見た記憶があるんです。でももうこの年ですと、本当に見たのか、それともいろんな話を聞いて、あるいは写真なんかを見て、自分の中にそういうイメージができたのか、ちょっともうね、区別がつかない。

ふと思い出したんですけども、僕もね、二十歳の頃ですけども、いわゆる左翼のね、後の言葉で言えば、左翼過激派の指導者の端くれとして(全学連中央執行委員時代)、巣鴨プリズンにまで入りまして、半年近く独房に座っていたことがあるんですが・・・

巣鴨プリズンにですか?

えぇ。そこには戦犯の方々がおられたということも知ってて、1951年の【サンフランシスコ講和条約】で、日本は、日米安保と【抱き合わせ】で、まぁ一応ね、独立することになって、その時の、その東京裁判の、極東軍事裁判のジャッジメンツ、判決を日本側が《受諾する》というそういう調印文書がある。

うん、(「サンフランシスコ講和条約」または「日本国との平和条約」)11条ね。

[※「参考」サンフランシスコ講話条例 第11条と、その問題について(佐伯啓思著書より引用)

「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の “裁判を受諾し” 且つ、“日本国で拘禁されている日本国民に “これらの法廷が課した刑を執行するもの” とする。」

こうして日本は、東京裁判を受け入れた。

第11条条文にある「(裁判を)“受諾した”」 この「受諾した」ものは「何か?」というと必ずしも明瞭ではない。
英文では:accepts the judgments (※直訳「判断を受理する」)

つまり『諸判決を受け入れた』ということ。【受け入れた】という表現は、《東京裁判の趣旨、内容、あり方の全てに “納得したというわけではない”、納得は出来ないが、その判決は受け入れる》という事も十分にあり得る。

そういう「真意」がありながらも、「裁判を受諾する」というと、裁判の趣旨や内容を基本的に全て受け入れた、というニュアンスになってしまう。

ここで強調したいのは【あくまで「諸判決」を受け入れる】という事なのである。だからこそ上記の文言に続いて、

「この判決で拘禁されている者は、東京裁判に関与した一またはニ以上の国及び日本国の勧告によって恩赦、減刑がありうる」としている。]

それを、日本側は東京裁判を「認めている(accepts the judgments)ではないか?」と。

で、東京裁判は何で成り立ったかというと、【ポツダム宣言】による日本の敗北の弁。で、ポツダム宣言には、かの《野蛮極まる文章》の【カイロ宣言】のことも触れられているのですね。

日本は“野蛮国”であって、いろんな島々、台湾、朝鮮半島その他をね、英語で読んだ時は、steal&takeかな。【盗み獲り】ですね。【盗み獲りした野蛮国である】と。そういうことがカイロ宣言に、そしてそれがポツダム宣言に含まれている。

[※「参考」カイロ宣言を英文(和訳付き)で見れるサイト


従って日本はね、サンフランシスコ条約を認める以上、東京裁判の裁判としての「正当性」を認めなきゃいけないし、それゆえに、ポツダムカイロ宣言も認めなきゃいけない云々というね・・・

法律の次元だけを、国際法なり国際法のもとの条約なりね、流れ、宣言の流れだけを、サンフランシスコ条約で判決を受諾するという意味は、【ある意味で相当の政治レベルの話】であってね、これを、東京裁判を、まぁ一応、法律的な裁判ということに【政治的妥協】をしてね云々という、政治の次元の話なんだと。

【これは決して、歴史認識に直結するものではない!】というね。なぜそういう態度を取らないのかな?(それが)不思議でならないんですけど。

東京裁判というのは、『政治的儀式』としては受け入れられるけども、その『法律』となったところから、少し話がおかしくなるんじゃないかというのは、まぁ、ある意味で確かにその通りだと思うんですね。

その過去の戦争というのは、勝った方が負けた方を【みんなぶっ殺す!】

そうそう(笑)

そういうことでずっと来たわけで、ところが、第二次大戦の終結の時に、その最後の処断をする時に、【法】という形式をとったんですね。その結果、【法的に正しい処理をしたんだ】というふうに裁判は言ってるわけで、ところがまぁ、僕らの『国民意識』としては、まぁいろんな戦争、第二次大戦の時は幾つかの国と戦いましたけども、あのまず「ソ連」ね。あれは(1945年)8月の9日、もう私たちが負ける頃に、向こうが攻め込んで来たわけで、《ソ連の裁判官がいる裁判を受けるなんて、これはあり得ない。》

それから「アメリカ」というのはやっぱり、【帝国主義同士】の。こっちは少し遅れてきて、よりアグレッシブかもしれないけども、アメリカも帝国主義。その同士が戦った、ある意味で平等に戦って負けた。負けたのはこれはもう力不足だけども、【悪をなしたわけじゃない】んですね。

そうですね。

僕らとして考えなければならないのは、やっぱり【中国】と【韓国】ですね。

それは「植民地」にした。それから、中国には「100万の軍隊」を37年以来、置いておいたわけなんですから、それは中国人がそれなりに怒り、韓国人の中にすごい複雑な心理、これはあるかもしれない。

しかし、アメリカは一緒に戦った、まぁそれは「敵」だけども、平等に戦った相手じゃないかと(こちらは)思っているわけです。それが『自分たちは「正義」で、あなたがたは「悪」だ!』と。これ納得出来ないですよね。

ただし、私は東郷茂徳の孫ですから、東郷茂徳の極東裁判における主張というのは、これは【自存自衛、自衛のための戦い】で、「ハル・ノート」が来た後の、『日本として立ち上がらざるを得なかった』ということで全面的に論陣を張ったわけで、本当に私もそう思うんですね。

ただしですね、その後じゃあ、サンフランシスコ条約11条において、(※当時の政治的判断・妥協としての)「判決を受け入れた」、受け入れたという政治的事実のもとに、僕ら、この東京裁判をどう評価していいか、すごく悩んできたんですね、私なりの結論は。

やはり『法律』という形で裁判をやったことによって、たとえば【東條英機】首相、それから東郷茂徳の《考え方》をあの時は完全に意見を言うことができた。あれを昔のように処断したら、すぐ処刑されていた。それからもう一つは・・・

それはそうですね。
「被告人陳述」できたってわけね。

そうなんです。それで、あの頃は「占領下」ですから、言論の自由が無かった。

ところか、《東京裁判の「あの空間」だけに、言論の自由があった》んですね。

ほんとにね。

そうなの。
それからもう一つは、【天皇】の処理の問題。『天皇東京裁判から外した』んですね。これは、第二次大戦終結の時の、最後の鈴木内閣(※【鈴木貫太郎】)、まぁこれは祖父が外務大臣をしていましたけども、【皇室の安泰】、これはもう絶対守らなければならないということで、最後の条件をつけたわけです。

私の意見は、(当時において)そういうふうに意図したかは別として、やっぱりアメリカは、崩壊していく日本帝国の【最後の心意気】ですね、それを「東京裁判」と「憲法一条(天皇)」によって守ったというのが、戦後の日米関係のいちばん大事な信頼の根っこにあるというのが、この二つが、私が私なりに東京裁判と自分との距離を落ち着けた二つの要因なんです。

ちょっと細かい議論になって恐縮ですけども、あの【靖国神社参拝】のことをめぐってね、日本の首相が参拝すると、必ず朝鮮半島及び中国人大陸から文句が、今も出ていますけどもね、安倍晋三さんが参拝をなさったことをめぐって。

「あの戦争」で、軍事的、技術的、その他指導上のね、あるいはいろんな行き過ぎかを間違えたということは、もちろんあったわけですが、国のそれこそ【自衛自存】のために戦って死んでいった人々を、倫語で言うところの【英霊】、英語の「英」に、たましい「魂」、この「英」というのは『英(ひい)でた』という意味ね。【英でた魂】、何が英でたかというと『国の歴史の連続を守らんがために命を懸けた』という意味で【名誉ある戦死を遂げた】という意味で【秀でている】というね。それを祀る儀式の場所が『靖国(神社)』だとすると、英霊に対して、後世の者が、ましてや後世として生まれてきた者が、それなりの【祀り】を、あるいは【敬意を払う】ということ、《それ自体はどんな国家にも必要なこと》であってね、そのことについては、ただそのやり方においてね、過剰なやり方、説明不足のやり方、その他をやると『侵略をされた側』にすればね、それは、歴史的に忘れ難い出来事ですから「そのことに対しての認識はどうなっているんだ?」という文句が来るのは当然のことですから。「参拝のやり方」「説明の仕方」については、するか・しないかも含めて重々の配慮が必要だが、『靖国(神社)という英霊を祀る場所があることそれ自体、それは大事であること、それ自体は文句ないことだ!』と私はそれが、第一歩なんですけど。

いやもうそれは、まったく同意見!
その、国のために命を捧げた人たちの、その時代の民族の記憶というのは何だったかというのは、すごく大事なことだと思うんですね。

で、あの時は、戦争で死んでいった方々の圧倒的多数、ご本人とそれから家族ですね、【「死んだら靖国で逢おう!」】と。

そういうことですよね。

・・・この記憶というものは、【これは大切にしなくてはいけない】と思うんですね。まぁ、参拝の仕方については、いろいろ議論ありますけども、やっぱり私は、【靖国神社以上の場所はない!】と思うんです。

ただし、その「戦後の過程」の中で、やっぱり靖国は、いくつかの【複雑化】が起きてしまっている。

一つは、先ほどお話があった、【A級戦犯の合祀問題】なんですね。

靖国を参拝すると者にとって、「どなたにいちばん(参拝に)来てもらいたいか?」というと、それは一つは『家族』ですよね。しかし、その後にやっぱり本当に来てもらいたいと、“当時の人”が思っていたのは【天皇陛下】です。

それで「合祀以来」、いろいろ議論があるところでもあるけども、『昭和天皇は一度も靖国に行っておられない。』

そうですねぇ。

今の天皇も一回も行っておられない。皇太子もその流れでいけば行かれない。「これで靖国神社はいいんですか?」という《ものすごく深刻な問題》があるんですね。

ですから、私は総理大臣の役目は、ご自分がそういう意味で(靖国に)行かれることは、それで価値があることかもしれないけども、いちばん総理大臣にお願いしたいのは、【天皇が安んじて行かれる靖国神社にするということ】で、この問題は、先ほどのA級戦犯、因みに私の祖父も獄中死しましたから、その14人(※A級戦犯にされたのちに死刑及び獄中死した「殉難者」14名)のうちの一人ですけども、A級戦犯の合祀問題というものに、【それなりの新しい結論】を出さないと、それは非常に難しい問題で、単純にこうすればいいということは、私は控えますけども。

僕個人はね、『A級戦犯というのは法律的な意味で「認めない」』から、従って、A級戦犯と目されている人々が靖国に合祀されること、それ自体には【何の不当性も感じない。】

けどしかし、戦後69年経つというのに、単に中国大陸とか朝鮮半島だけじゃなくて、《日本国内でA級戦犯という法律的観念が、強固に残り普及》していて、「あの戦争は犯罪であった」という認識が、日本国民のそれは5割なのか6割なのか知りませんけどね、少なくとも半ば以上は思っているという状態。

天皇が参拝なさらないのは「A級戦犯が合祀されたから」というのは、表面上はそう言えますけども、A級戦犯が合祀されることについて、日本国民がしっかりとした意見をね、もちろん1億2800万人が同じ意見になるわけがないとしてもね、《何かそれをしっかりとした判断を共有する》というのに至っていない以上、天皇は参拝なさりたくてもなされないというね。そういう事情だというふうに、ひとまず解釈してはいるんですけどもね。

それからもう一点ですね。この問題は【中国が絡んでくる】んですね。どうして絡んでくるかというと、1972年に日中の国交正常化をしました。で、この時にですね、【周恩来】(当時首相)が、「日本軍国主義者は、日中人民共通の敵」と(日中共同声明・調印式にて)やったんですね。

そうですね。

それで、つまりその「日本人民は悪くない」と。それで「一部の軍拡主義者だけが悪いんだ」と。

しかしね、これは私たち、歴史をちゃんと勉強すれば『本当にそうですか?』と。やっぱり【日本人全体】がね、明治維新から太平洋戦争に至るまで、やっぱり【ある種の気持ちを一つにして、一緒に戦ったという面】は無いのですか?という問題があるんです。

もっと、少々過剰に言えば、軍部がね、戦争の現実を国民以上に知っているから、「こんな大戦争をはじめていいものか?」という躊躇があったにも関わらず、日本の当時の『メディアと国民世論が(戦争を)やれ!やれ!』と燃え上がるものだから、軍部が致し方なく。あるいは、軍部の一部がそれに乗るようにして、軍部(全体を)引きずって。というふうにも僕は言ってのけたいですけどね。

いやねぇ、そういう実態があるにも関わらず、その「72年の日中国交正常化」以来、今日至るまで、どなたも、どの総理もですね、この(周恩来が当時言った)「日本軍国主義が日中人民共通の敵」だということについての【意見を言ったことが無い】んですね。

意見を言わないということは、まぁ「あなたもそう思っているのでしょう」と思われても致し方のない話なんですね。

そうですね。

東京裁判があって、サンフランシスコ11条がありますね。だから、少なくとも“その人たち”(=いわゆるA級戦犯)は、あまり大事にしないでね」という中国の意見が出てきて、【それに対して、まともに反論したことがない】んですね、私たち。

それはね、やっぱり尖閣も若干そうですけども、【ちゃんと言うべきことを言わないツケ】が、いまきていると。

しかも先生ね、中国、周恩来以来の中国の公式的な見解のみならず、やっぱり今となると【アメリカも含めて】、国連が見られるかの如く、第二次世界大戦の秩序は、あの当時の戦勝国、つまりallied nations、【連合軍の考えた世界秩序】を日本列島にも適用するものなら、世界中に普及させるというね。それが、国際的なjustice 正義であるという、それが【国連体制】であり、もっというと、【ポツダム体制】なんですね。

それで、アメリカもいろんなこの、最近になると、やっぱり戦争のことを世界中が忘れたせいか、そういう公式な見解が単純素朴に蘇ってきてね、日本の靖国参拝、例えば【従軍慰安婦】、いわゆる sex slaveの問題についてもね、かつてよりも《異常に単純化されたChildishな、子供っぽい解釈》で、中国・朝鮮半島のみならず、アメリカ大陸までもがね、「その解釈から逸脱しようとする日本の政治や文化の動きに対しては、勘弁ならぬ!」というね、そういやその【連合国イデオロギー】が、墓の中からまたゾンビの如く蘇っているという、そんな気配すら感じますけどもね。困ったものだなと。日本の外交は厄介だなと(笑)

いや〜だから、厄介なんですよ。

慰安婦の問題」というのは、彼らは歴史の問題じゃなくて、『“今の女性”の権利』という感覚だけで見ろと。(※問題視してる側は主張する)

ああ〜

だから、私はアメリカで何人もこの話してましたけど、これはあの「非歴史的な見方」だということが分かってると。でも、『「女性の権利の問題」というのは、“今のアメリカ社会”から見ると本当に大事なこと』なんで、その観点から議論をしていって、「その観点から受け入れられないものは、ダメなのよ」とこうくるわけです。

それは非常に納得できない点があるんですが、そういう頭で来ている人に対してね、「納得させる議論をするためにはどうしたらいいか?」というのを【戦略的に】考えなくてはならない。

本当にそうですねぇ。

先生はお詳しいところでしょうけどね、90年代に入ってから【村山談話】(95年8月)、それから次に、従軍慰安婦問題では【河野談話】ってのがあって・・・

河野談話は1993年(平成5年8月)ですね。

93年ですかね。

それをね、でも「あの文章」を眺めてみると、本当はあの村山談話、それ自体はあれなんですよね、言ってみれば普通の文章なんですよね。

[※「参考」村山談話

先生、あれはね、私は素晴らしいと思っています。

そうでしょう?(笑)

あれはね、私は世界史に誇っていい日本の文章だと思っている。なぜかというと、ものすごく単純に言っているんです。

それは、一部には「あれは定義がないから、曖昧なことを言って、だから良くない」という議論があるんですけど、僕はね、もう一回よく読み直してみるとね、普通の日本人が読んでわかる。

で、「侵略」「植民地」それなりに僕らは、さっきの(話の)アジアに対して『重い気持ち』を持っているわけです。

そうですよね。

そういう日本人の「普通の直感」から読んで、僕には違和感が無いんですね。

河野談話』の方はですね、やっぱり「強制性をめぐる一部の記述」には、問題があると僕も思うのですけども、あの談話のやっぱりいちばんいいところは、その苦しんでいる女性の人たちがいましたと。それに関しては「申し訳ない」と思っています。ということを非常にハッキリと言っていることです。

それが、いま世界で『河野談話は大事だ』と言われている、いちばんの根っこだと思うのです。

[※「参考」慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話


そうか。

世界にもね、ある素性の《漠然とした抽象的な道徳》があるハズで、その一つは簡単に言うと、外国人のものをね、自分の力をもって獲りにいくということについては、もちろん、それが世界の歴史でやむを得ざるね『力の政治』なのだけれども、やっぱりね、国の文化の名誉として言うと、他人のものを力で奪うというね、これは女性のことも含めてもいいのだけども、そこにはやっぱりね、100%肯定出来ないどころか、少なくとも5割方は、やはり残機の念に打たれざるを得ない、ある種の【不道徳な】ね、少なくとも可能性があるんだということを、それで(それを)認めて国が滅びるような情けない国ならば、滅びてしまえというね(笑)

ですから、私はあの「東京裁判」以降の日本人、やっぱり『私たちの魂の遍歴』と言いますか、非常にこういろんなことを考えて、僕は『村山談話』にきたと思うのです。

で、今はこれを基礎にして世界に向かって発信していけばね。よく日本とドイツは比較されますね。

「ドイツはちゃんと謝ったのに、日本は謝っていない。」

・・・とんでもないと思う。だけども、日本がやってきた、そういうある種の『道徳的な高み』ですね、そのことは日本人自身がもっとハッキリ言わなくちゃならない。

先生のご本で、僕が感激したのはそれなんですね。

左翼であろうが、右翼であろうが、中立であろうがですよ、国家というのは歴史に基づくわけで、やっぱり自分たちの歴史に、ある種の【名誉】というものをね・・・

そうそうそう。

・・・連なってるとなったらね、「あれはやはり不道徳とみなされて致し方ない」ってことを、今のジェネレーションは認めないと、【国の名誉は守れない】というね。

この国をしっかりとした『独立国』とするためにも、【国の名誉】のために・・・

そう。

・・・そのことについての、今の(話では)村山談話ですかね?『村山談話を肯定せよ』というね・・・僕ね(東郷)先生の説は正しいと思うんですね。

まったくそういうこと(笑)

いわゆる、今の「右」の方はですね、「国の名誉」ということを仰るわけですね。それは「国の名誉」は本当に大事なんです。僕もそう思うのですけども、やっぱり、その【名誉】をね、いま戦争が終わって70年が経った時に、いちばん名誉を強く主張するのは、やっぱり『大日本帝国の間で起きたことはね、最終的には大日本帝国の責任だ』と。

そうですね。

その中でね、やっぱり特にアジア、中国、そして植民統治をした韓国に対してはね、【やり過ぎた部分はあった】ということを、ハッキリね、ハッキリ分かりやすく認めるということなのね。これがやっぱりね、大日本帝国の名誉に対するいちばんの道徳的な高みからの発言だと思うのです。

「あの頃は、そんなに悪いことはしていなかったじゃないか!?」ということ“だけ”を言うと、本当にね『誇りはどこにいったんですか?』と思うんですよ。

そうそう。

これ、朝鮮半島で言うとね、朝鮮に学校ができたのも、線路ができたの、何ができたの、ほとんど日本のお陰だ。【ハッキリ言ってその通りなんですよ。】

しかしね、それを相手に「突き付けること」のある種の【下品さ】というのがあるんですよね。

向こうから頼まれて、学校とか柱をつくったのならね、「頼まれたんだから、つくってやったんじゃないか?」と威張ってもいいんだろうけど、頼まれもしないのにつくってということは、その当たり前ですけども、朝鮮統合のために必要と思ってつくったという、《自分のご都合であった》ものを、これで「それを言う」という、そういう言い方もまだ残っているのですよね。

ですから、なんかこうなってくると、経済だの政治だの次元と、道徳と文化の次元を、『どういうふうにきちんと仕分けしながら語るか?』という【外交の表現術の問題】なんでしょうけどね。

今ね、非常に少しずつかもしれないけども、韓国の中に、『やっぱり自分たちは、そういう日本を受け入れざるを得なかった自分たち方にも考えるべき点がある』という意見がようやく出始めているわけですね、少しずつだけど。

その時に、せっかく少しずつ作ってきた【道徳的な高みの議論】をですね、日本が放棄していくとね、これはね、勿体無いというか、せっかくそのことによって、日本はそういう道徳的な高みを持つ、それから向こうも向こうで考えるということで、《一つの接点》がね、僕は生まれ得ると確信しているんですけど。

確かに、現実の世界政治は、ますます【力の政治のぶつかり合い】になっている。

だがしかし、そうであればあるこそ尚更ね、やはりいま言ったようなね、【歴史感覚に基づく道徳意識】というものを、やはり強固に復活させ、定着させるという【努力】をね、「力の政治・外交」と共に進んでいかないとね。

本当にね、むくつけき、始末に負えないジャングルの戦い。(今の)日本なんか飛び込む自信も無いのに、能力も無いのにね、そういう「空理空論としての力の政治」に引っ張られる気がする、そういう恐れもあるんですね。

そういう意味じゃ、(東郷)先生の仰っているね、あぁいう発言等(※村山談話ほか)も非常に大事だなというふうに、本を読んで改めて思いました。

これからますます外交問題が、苛烈の度を越えてくると思いますので、そう遠くない時期に、また(東郷和彦)先生にご登壇を願うということで、先週、今週とありがとうございました。

【次週】ヨーロッパはオバマをどうみているか:ゲスト ドイツ在住 クライン孝子