▪️ピケティ騒ぎの後始末① ~ピケティ騒ぎの不可解~(佐伯啓思×柴山桂太:西部邁ゼミナール)
【ニコ動】
(西部邁ゼミナール)ピケティ騒ぎの後始末① 2015.04.05
思想家:佐伯啓思
京都大学准教授:柴山桂太
女優:小林麻子
小林麻子
今年の1月から3月にかけて『トマ・ピケティ』なる経済学者の名前が随所で頻繁に取り沙汰されました。私のような全くの門外漢にも「ピケティ」なる言葉が届いております。
ピケティの手による『21世紀の資本』というこの大部の書物は、資本主義経済にあっては、所得格差の拡大という不変の傾向が存在するということを主張しているそうです。
この主張が21世紀社会を理解するのに本当に役立つのかどうか、当番組でお馴染みの佐伯啓思先生と、柴山桂太先生に議論していただきます。
柴山先生。
柴山桂太
はい。
小林麻子
あの「所得格差の拡大」というピケティの主張というのは、どういうことを指しているんでしょうか?私にもわかるようにお願い致します。
柴山桂太
「所得格差」というのは、年間貰う給料であるとか、一年間の所得が、人によって差があると。これはどの社会でも差はあるものなんですよね。能力とか仕事とかによって給料が違いますよね。例えば、社長と平社員では給料は違う。
小林麻子
はい。
柴山桂太
ですが、最近、世界中で言われているのは、その格差がどんどん酷くなってるという現実で、日本でもそういう議論はありましたが、特に数字上酷くなっているのは『アメリカ』で、それこそ日本なんかだと一般的な会社の従業員と社長の給料の差というのは10数倍だと思うんですけど、アメリカはいま300倍だったかな?
小林麻子
凄い!
柴山桂太
だから、平均500万円の従業員給料の会社だと、(社長は)15億円ぐらい・・・しかも、どんどん(その差が)酷くなってっているんですよね。
なので、アメリカではこの数年間というか10数年以上『なんでこんな不平等が広がったのか?!』という議論がありまして、そういう議論の中でピケティがこういう分厚い本を出してきてね。
小林麻子
はぁ。
柴山桂太
むしろ、ピケティは「こうした格差がもっと広がるだろう」というようなことを、こういう分厚い本で説得したということで話題になったということですね。
小林麻子
はぁ〜なるほど。
佐伯先生、そんな難しい翻訳書が、どうしてこんなにみんな大騒ぎしているんでしょうか。
やはり、簡単に言ってしまうとね、日本人がずっと長い間持っている「舶来信仰」と言いますか、とにかく西洋、アメリカで評判になったものは日本で評判になるという傾向が。
小林麻子
そうですか・・・
特にアメリカで評判になるものは、日本で評判になるという傾向が一般的にありましてね。
小林麻子
はぁ。
で、ピケティの本(「21世紀の資本」)も、フランスで出版されてまぁそこそこの評判だったようですが、これが英語で翻訳されてアメリカで大評判になって、それで非常に有名なクルーグマンとかスティグリッツという日本でもよく知られた経済学者が絶賛したんですね。で、それが日本に輸入されたというのが、 まず基本にあると思います。
で、二つ目に言うと、やはりなんとなく、「日本社会が格差が広がっているんではないか」という感じを多くの人が持っていたんでしょうね。
安倍さんが首相になって「アベノミクス」やっていますが、アベノミクスの効果というのが、一部には出ているけども、かなりのところまでには来ていないという、何かその辺の「漠然とした不安」があったところにこの本が。
世界的な傾向として格差が広がっていって、しかもそれがこれから拡大するということを、統計数字を示しながらやってくれたというのでスッと入ってきたような気はしますけどもね。
あぁどうもありがとう。いま佐伯さん言った通りなんだけど、深読みするとね、もっと広い、深い、背景があるような気がする。
最初に言うと、このピケティの本が日本でわぁーっと騒がれたのは、ありていに言うと、まぁ、固有名詞も出しちゃおう、『朝日新聞系』というか、その周辺のね、言ってみれば、世間で『サヨク風』と言われてる、そういう経済学者およびインテリたちがね、ピケティ、ピケティと言い始めた。
そこにはね、実は古い歴史があって、それこそ『資本主義』ね、英語で言うとcapitalismなんですけども、ドイツ語ではkapitalismusか。【「資本主義が問題だ」】ってね。ということはもう19世紀から、遅く見てもずっと続いている。
もちろん、そうかといって「資本主義の必要」もわかるから、「100%資本主義打倒!」なんて言葉は最近聞かれないけども、『資本主義には問題含みなんだよな』という感じをずっと持っている。特にインテリ方面において、その人たちが(ピケティを)すごく喜んだわけさ。
「資本主義が所得格差を広げてしまう。やっぱり言わんこっちゃないじゃないか!?」
面白いことに、それに対するもう露骨に言っちゃおう。『反朝日』、新聞社でいえば『産経新聞系』およびその周辺の人たちは、「ピケティ?何がピケティだ!ピケティよく読んでみろ」これは後で議論しますがね、彼(=ピケティ)には、「European Left」 というか『左翼的』なね、彼自身が左翼から出自してきて、それで彼の言ってることにも随所に左翼風な予め言ってしまうと、例えば・・・
「累進所得税で金持ちから沢山税金をとってという平等化政策を世界全体に押し広げよう」といった、なんか世界を合理的に設計するという社会主義的な発想にこれは貫かれているじゃないか!ピケティはけしからんヤツだ!!」
・・・というね、実は話してみると、そういう思想的というか、文化論的、歴史まで引きずりうる漠たる雰囲気、その渦中にこの本があるんですね。
それで私、(黒板に)書いちゃったんだけど(※『Piketty 騒ぎの後始末』)・・・(ピケティ、ピケティ)もう、うるさい!!と。ピケティ騒ぎ、もうそろそろお終いになるでしょうけどもね、やっぱり取り敢えず『後始末』をつけておかないとね、なんだったんだの、この騒ぎは?というね。
佐伯さんね、僕はあなたに昔教えられたことがあるの。平凡なことと言ったら佐伯さんに悪いんだけど(笑)
(被っていた帽子をとり)あっこれね。capを脱いだ。cap(キャップ)・・・「capital(キャピタル)」というのはね、capね、帽子。それと同じ意味でしょうね?と佐伯さんに言われて、あっ、そう言われてみればそうだなと。もう10年も前かな?
[*capital capは帽子を意味する]
ですからね、実は左翼、マルクスの本に言い分があるんですよ。
彼の出すkapital(かぴたる=capital)、『資本論』を読むとね、あたかもそれ「客観的な資本主義の運動法則があって、資本主義はパニックに陥る」みたいなことが書いてあるんだけども、言外にね、「彼ら(=capitalist)のすることは問題なんだ」と。単にこんな法則です、なんて言うのは「とんでもないものなんだ!!」というね、それが既に「cap」に、帽子、つまり資本を持っている人間、capitalist(キャピタリスト)ね、「資本家」、資本家が「社会のキャップ」・・・(小林を見て)captainって知ってます?
小林麻子
はい。
船長(captain)さん。もっと広く言うと「社会の総帥」というんですけどね。頭領、最高リーダーですね。
総帥って言葉は面白くて、ちょっとごめんなさいね、「総帥」ね。社会の総帥になる。資本を持っているやつが社会の総帥となり、ついでに言うと、政府まで動かして社会を牛耳って労働者、勤労者に“マルクスの場合”は、絶対的な窮乏化を強いていると。
[*資本を持った人間(capitalist)が社会の総帥に]
「絶対的窮乏化」というのは無くなったんだけど、いま現在で言うと、格差、『圧倒的格差付けられている』というね。
ですから、確かにこの「cap」を巡っては「こんなものを野放しにしておいていいのか?」という気分は延々三百年近く続いていることは確かなんですね。
そういうことも、この『ピケティ騒ぎ』の背景にあることはある。
小林麻子
はぁ。
柴山桂太
一つ、もう少し話を限定すると、ピケティが、アメリカでもウケたし、日本でもウケつつある理由のもう一つの理由は、80年代にアメリカでは「レーガン政権」が、イギリスでは「サッチャー政権」があって、日本でも「小泉改革以降の構造改革論」と言いますか、向こうでは『新自由主義』と言いますけども・・・
「富裕層を減税して、規制を緩和してinnovationを起こしていく。そうすると経済が成長していいじゃないか」
というこういう話ですよね。
[*新自由主義 neoliberalism]
「成長は確かに多少はしたけれども、それ以上に不平等が本当に深刻になってしまった」
ということなんですよね。特にピケティが強調しているのは、税・・・『減税』ですかね。「富裕層を減税したということが、資本主義の格差をただでさえ広がりがちな上に、さらに酷くしてしまった」という、そういうふうなことを言っていて、従って、ピケティの政策提言というか、『この本の結論』として出てくるのは、『お金持ちの税金をもっと増やしましょう』という話ですね。
[*ピケティの政策提言]
小林麻子
うん。
柴山桂太
これアメリカでは本当に議論になっていて、オバマ大統領も今年の一般教書演説、大統領の演説の中で、「富裕層増税する」と言っているそうですが、日本の場合には、そこまで(米英ほど)格差は酷くないし、むしろ、これからその「レーガン的な改革」をもっとするという話になっているので、そこの是非を巡っては、こういう議論がされているのに関係してくるのかもしれませんね。
漠然としたことを、お二人に伺っていい?「平等」ね。
小林麻子
はい。
ところが一方で、日本でそれはあったんですけど、特に日本ではあったのかな?
日本は結構、他国からみると「平等社会」だったでしょ。だから、先ほど言ったように社長とヒラ(社員)が10倍程度(の年収差)っていう、その他諸々ですよ。
結構な立場にいる人だって、対する敬意なんて普通の人は払いませんからね。
小林麻子
はい。
そんなことがあってね、平等の行き過ぎ、これ「悪平等」って言い方もしますが、もっと一般的に言うと、非常に【画一的】に、誰も彼もが似たようなことをやってると。日本社会、結構そういう傾向あるんですよ。
[*“平等”の行き過ぎ➡︎画一的]
それでね、conformism反対、悪平等反対、という気分もこの間、何度もその影響に揺さぶられたことがあるのね。
[*conformism(コンフォーミズム):画一主義、順応主義]
ところが、今度は『格差』ってことは、柴山君に英語調べてもらったら、伝聞で言うとね、まぁそれはそうだけど(笑)、英語で言うとinequalityみたいね。
equal(イコール)というのは平等ですよね。その否定だからinequal(インイコール)ね。
[*equality(イコーリティ):平等、均等、対等⇆inequality(イン・イコーリティ)不平等、不均衡、格差]
だから、直訳すると、格差じゃなくて『不平等』ということになるね。
小林麻子
あぁ。
ね。ところがね、『人間は、格差そのもの、不平等そのものを全面否定できない』でしょう?
例えば、佐伯さんはね、すごい努力家なわけさ。俺は怠け者なんですよ。
小林麻子
いやぁ・・・。
フフッ(苦笑)
そしたらね、努力家がたくさん報酬を得ようが、高い地位に就こうがさぁ。怠け者わさぁ、(手を開くジェスチャーをしながら)ねぇ。「能力の問題」あるわけでしょう、生まれつきの。彼は(=佐伯)すごい能力を持っているわけさ。俺はみすぼらしいわけさ。
小林麻子
ハハハッ。
(苦笑)
そしたらねいい?『格差(inequality)』というのは、その限りであるのは当たり前なのね。
ところが、格差がどんどん行き過ぎると、これを普通あれでしょう?『discrimination(ディスクリミネーション)』・・・『差別』と呼ぶんでしょうね。
[*“格差”の行き過ぎ➡︎差別(discrimination)]
だから、平等の行き過ぎが画一性で、格差の行き過ぎが差別で、本当は批判しなきゃいけないのはこの《両極端》なんでしょうね、画一(conformity)と差別(discrimination)の。
でも、この方が多分ね、表現はどうあれ、一つは「単なる格差とは思えない」と。能力とか努力のね。それを超えた、システム的に異様な格差が開いて、だから、(単なる格差以上の)『差別』としか言いようがない、本当はinequality(インイコーリティ)というより、英語的に言えば、discrimination(ディスクリミネーション)ぐらいのね、資本を持ってるヤツと持ってないヤツとの間の『差別』『ディスクリミネーション』と言った方がね。
うん。
ところが、問題はね、「平等」と「格差」の(間の)バランスとった状態をたぶん『fair(フェア)』=『公正』と言うんだと思うんですよ。fairness(フェアネス)ね。そうですよね。
[*公正な(fair)]
うん。
そしたらね、差別反対でも、格差反対でもいいんだけど、基本的にはどっかね、『その公正(fairness)の基準はどこにあるの?』と。
[*「公正の基準」はいかに決まるか]
一つは「国ごと」に違うのかどうかということと、国においても、何において、東大の総長が決めるのか、総理大臣が決めるのか、とそうなるじゃない?
そうすると、結論はこうでしょうね。『国ごと』に一つは違う、というのと、もう一つは、国で言うと国はやっぱり歴史を持っているから、『歴史的に言って』この国では、ヒラと社長の差はせいぜい10倍程度に収まるのが公正だ、という、これ一言で言えば【慣習】でしょうね。
小林麻子
うん。
慣習から大きく離れた状態が問題だという。そういうことでいいの?
柴山桂太
うん、だと思いますし、あとアメリカは、この本にも書いてないんですけども、逆に『ニューディール』というんですかね。戦争直後のあたりというのはものすごい税率で、強烈に平等化を進めたんですね。その後、レーガン政権で、ものすごく格差が開いてちゃって。
あ〜あ。
柴山桂太
だから、歴史が浅い、って一言でいうと語弊があるかもしれませんけども、アメリカの場合には、その種の「公正」と言いますかね、「この辺の格差がいいんじゃないか?」というのが弱いので、(格差の幅が)振れてる。
日本も、本当は日本の中にあるんでしょうね、「だいたいこれぐらいだろう」というその幅が。それがだんだん見失わてくると、社長さんがものすごい勢いで取り分を取るとかですね、そういう道徳上、望ましくないようなことが起こるわけです。
あっそうだ!柴山君が強調したことあったでしょう。ちょっとプライベートな会話で、『結構あのフランス革命の人権宣言をピケティが引用している』ってね、言ってて・・・
柴山桂太
そうですね、あの、ピケティは「どうして平等が望ましいか?」というようなことをあまり深くは書いていないんですけども、まぁフランス人ということもあって、フランスの『人権宣言』って、フランス革命の。
小林麻子
はい。
柴山桂太
で、それをひっくり返そうということで、(フランス革命が)起きた。で、そのあと出来たのが『人権宣言『』で、人権宣言は、「人間は生まれながらにして平等である」に加えて、「共同の利益に反しない限り、差別や格差は許される」ということを書いてあるそうなんですよ。
[*フランス人権宣言「差別は共同の利益にかなうとき許される」
「参考」:フランス人権宣言
第一条(自由・権利の平等)
人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。“社会的差別”は、“共同の利益に基づくもの”でなければ、設けられない。]
柴山桂太
つまり、お金持ちが豊かになっても、その分、貧乏な人にも多少のお金が回るんであれば、許される、という。
ところが、今のアメリカの状況は、さっきも言ったんですけども、レーガン政権、80年代以降ですね、お金持ちのお金は増えているんだけども、一般庶民というか(総所得における)「下位90%の所得」というのは、日本円で300万円前後で全然変わっていないんですね。お金持ちは4倍、5倍に増えている。
小林麻子
はい。
柴山桂太
だから「なっていないじゃないか!?」と。だからそういう理由で、今の少なくともアメリカ社会の現状批判をしていりうというところはありますね。
ちょっと思想的なことを言うとねぇ、少し複雑な気持ちにもなるんですけどね、というのは、僕ら大学から大学院に上がるあたりで、アメリカで『ジョン・ロールズ』という政治学者が・・・
あーあーあー。そうそうそう。
「Theory of Justice」という『正義の原理』というこれも非常に分厚い本を書いている。
[*「正義の原理」(1971)ジョン・ロールズ著]
それが、アメリカの政治哲学のいわゆるリベラル派と言われる、要するに自由主義といわれる流れのバイブルになったんです。
小林麻子
はぁ。
で、その中で彼(=ジョン・ロールズ)が論じたのは・・・
「まず我々は自由な社会であって、自由というものが平等に保有されなければならない。」
しかし、自由は逆にある意味で「競争」を生み出しますから『格差』をつくる。じゃあ問題は、格差がどれぐらい、どういう格差は許されるか。その基準はいったい何か、ということを書いてね、それは、彼の場合には、社会をつくる場合に皆が契約したとしようと。どういう契約に同意するかというと、非常に自分が悪い状態に置かれたとしても、悪い状態が考えられるいちばんマシな状態、つまり格差はあるんだけども、下の方の人が比較的マシなところに置かれるような社会なら(契約に)同意できるだろうと。
そういう場合にして、自由な競争によって格差は生じるけども、その格差をできるだけ小さい範囲になるように制度、システムを設計すればいい、というような話を(ジョン・ロールズは)して、これが、アメリカの要するに「民主党系」ですよね。
そうだね。
福祉型の資本主義というものを擁護する議論になったんです。
小林麻子
はぁ。
つまり、彼は資本主義は認める。だけど、ある程度の福祉型でないとダメだと。それが、70年代のアメリカの基本的な政治思想になったんです。
小林麻子
はい。
そのロールズのような「契約」で出てくるルールじゃなく、『完全に自由な競争でいいじゃないか!』と。
自由な競争さえするという、そのルールさえつくれば、後は、どれだけ格差が開いてもいいじゃないかと、そういう話にしてしまったんですね。
ただね、その、ジャン・ジャック・ルソー、その前にはホッブズ(トマス・ホッブズ)も、ジョン・ロックもいるんですけどね、ルソーにはじまる『社会契約論』をジョン・ロールズが引き受けた(契約)というのは、こういう意味なんですよ。
[*社会契約論]
この4人でこれから社会をつくりましょう。ところがね、われわれ初めての「契約」だからね、原初の契約だから、相手のことを知らないのみならず、(相手が)自分のいったい何を好みなのか、能力なのか、それがまだわからない。だって、(契約以前ゆえに)社会の中にまだいないのだから。
うん。
それで、彼(ロールズ)が「the veil of ignorance」というの。ignorance(イグノランス)って「無知」ね。これは馬鹿にしているんじゃないんですよ。何も知らないという無知の状態の4人が集まって社会をつくりましょうと。ねっ。そして、もちろん「競争」もあるでしょう?
[*「無知のヴェール」(the veil of ignorance)]
小林麻子
(うん)
そしたらね、(例えば)僕が社会の最劣等者、食うや食わずになるかもしれないし、麻子ちゃん、その限りにおいて、みんな平等なわけさ。
小林麻子
はい。
自分のことも、他人のことも知らない、そうすると、みんなして四人で同意するのは、自分が可能性で、社会の最貧者になる可能性があるから、その確率のことを考えると、『最貧者には一定の生活補償を与えるってことにしましょう』で、四人が、自分にも他の人にも(最貧者になる)可能性があるから「わかりました、契約します」として、社会が始まりますというね、一つのフィクションなわけさ。
小林麻子
うん。
ところがね、それが多くの反発を招くんですよね。当たり前であって、合理的だけども、情報が何も無いなんて状態はそんなことどこにも存在しないわけ。オギャーと生まれた時に、お母ちゃんのオッパイの大きさも目の大きさも赤ん坊は知っているってなもんですよ、親父のことも。
つまりね、人間は生まれながらにしていろんな情報を仕入れていくわけでしょう。それで、遺伝的なこともあって能力もあるし、環境的なこともあって、努力もするわけでしょう。
①『社会というのは歴史的に形成される』と考えるか、いや、歴史的に変な社会もあるんだけど、歴史の紆余曲折、成功失敗を通じてまともな社会のあり方が示されるというふうな「歴史観」として考えるか、もう一つは、②『歴史など抜きにして、人間が集まって「契約」としてやるか』という。
どう考えてもね、説得力のある方は歴史の方なの。けどしかし、それが一概に断言できないね、というのは、emergency(エマージェンシー)、非常事態になるでしょう?歴史なんかぶっ飛んじゃう場合あるねぇ。
えぇ。
個人について言うと、尚更ね、歴史がどうあれ俺はたった一人の人間として東京に放り出されたと。彼も彼女もそうだ、というふうな「一種の国家崩壊の状態」が、いろんなところには現出しているわけさ。
小林麻子
はい。
そういう時には、ルソーからジョン・ロールズのことが思い起こされるわけさ。
うん。
果たして今はどっちか?まぁ、この議論したらキリがないけどさ。
何れにしても、柴山さん、ちょっとこの「共同利益」というのは、社会の共同の利益に資するならば、格差があってもいいと?
柴山桂太
うん。その意味は、もう少しピケティに沿って言うと、彼が嫌ってるというか、いちばん恐れていると言いますか、この本(「21世紀の資本」)でいちばん批判しているのは【世襲】なんですね。
あぁ〜。
柴山桂太
フランス革命というのは、なんで貴族はダメかと言うと、貴族は自分で働いて稼いだ金じゃなくて、ただ親から受け取る財産でいい暮らしをしている、(それが庶民からすれば)けしからんという話ですね。
共同と言ったって、親から受け取る財産は共同の利益と関係がない。例えば、innovation(イノベーション)を起こして、事業収入を得たら、それは対価として貰っているのだからいい。そういう話で、ピケティの議論とか、フランス人権宣言の本というのは、その種の歴史的に継続されてきた貴族とか、お金持ちが遺産を相続するという、そういうふうな社会になると格差が固定されてしまっていけないと。
僕も、時間が無いから急いで言うけどね、あのピケティのその批判(=世襲への批判)もね、多くの人が受け入れるだろうけども、僕は大昔から、僕は非常に貧しい家に生まれたから財産ゼロ、etc... 自分のこと言ってるんじゃないのよ?でもね・・・
【「世襲制を否定するというのは、ほとんど文化を否定するのに近いことになってくるのよ。」】
[*世襲の否定は文化の否定につながる]
まず一つ、人間ね、個人ですよ。個人は男女一緒になると子供作るでしょう。子供つくれば(その先の)孫も出来るわけさ。
人間はね、自分のことだけじゃなくて、実は子供、孫、曾孫のことも何ほどか、あるいは、その関係者のことも何ほどか考えるわけね。
小林麻子
はい。
人間の意識に「歴史性」、自分が何を先祖から受け継いできたかということもあるけど、同時に、子孫に何を継承するかと考えるとね、自分の経済活動もまた、歴史の流れの中の一コマだと考えれば、当然ながら、【世襲】のことを、どんな世襲でもいいとは言わないけどね、それを全部、不平等(だという理由)で排除するようなのはね、僕に言わせると、それもまた《文化否定・歴史否定に繋がる野蛮行為ともなりかねない。》
ピケティがそこまで言っているとは思わないけども、論理的に言うとそうなるんですよね。
柴山桂太
「資本主義というのは問題だ」というのは、この本には書いてあるんだけども、もう一方の民主主義ですよねぇ。
あぁ〜。
柴山桂太
これもこれでいろいろ問題あるわけですよね。ところがそこは、まぁ経済学の本だから当然かもしれないけども、全く論じられない、むしろ「理想視」されているところがあって。
そうか。
柴山桂太
「結局、資本主義に勝つのは民主主義だ!」って話になっているわけですね。
その議論は少しというか、相当留保をつけなきゃならないと思いますね。
ということでね、論じ始めたらね、ピケティ現象、ピケティ騒ぎ、後始末する!!
小林麻子
はい。
と思ったけど、時間が無いので、後始末の一回目の掃除はこれぐらいということで(笑)
はっはっはっは。
次の週、さらによろしくお願いします。
【次週】ピケティ騒ぎの後始末②
〜利潤率はなぜ一定なのか〜